魔界、乗っ取り作戦
高い山の峰より見下ろした先には、ほんの数週間前に見た事のある勇壮な光景が広がっていた。
エルス達は今、魔王城の背後に広がる険しい山脈……その頂上付近に降り立ち、眼下に見える魔族の長の城、そしてその周辺に広がる雄大な自然を目にしている。
「戻って……きちまったな……」
その景色を見ながら、エルスがポツリと呟いた。
様々な思いの交錯した実に感慨深いその言葉に、カナンやシェキーナ、メルルは小さく微笑んで同意していたのだった。
―――二週間前……。
魔界へと赴く事を決定したエルス達だったが、即座に動き出すと言う事はしなかった。
余り長期に姿を消すと言う事は、要らぬ噂や憶測を呼ぶ事となる。
そうならない為に、エルス達の姿を衆目に晒す……若しくは、エルス達が活動している事を、人々の口端に乗せる様な行動を取らなければならない。
「とはゆーても、今から魔界に行って安心出来るって訳やないからな―――……。どっちかっちゅーと、その逆やしな」
メルルはそう言いながら、シェキーナに無邪気な笑顔を向けた。
事の重大さ、問題の深刻さを考えれば、そんな笑顔で話しかけらるシェキーナも困ってしまう筈だが、不思議と彼女にも悲壮感はなかった。
人間、腹を括れば逆に開き直るもの……。
奇しくもここに至って、シェキーナさえもエルスと似た様な考え方となっていたのだった。
「……確かにな。慌てて魔界へと向かった処で、それこそ常に……毎日一日中戦い続けるとなっては、それだけで消耗してしまう」
ハッキリ言ってしまえば、エルス達“元”勇者パーティは、魔界にとっては招かれざる客だ。
それどころか、魔王を倒した仇敵であり、数多の同族を倒した憎き相手でもある。
殺しても飽き足らない程の相手を前に、魔族がこちらの都合を考慮してくれる筈もなく、それどころか尽きる事無く襲い掛かって来る事は想像に難くなかった。
「その為には、何か策を巡らす必要があるのだが……メルルよ、お前には何か案があるのだろう?」
シェキーナとメルルの前で、カナンは剣を持ちエルスと稽古をしていた。
互いに本気とは程遠いものの、その動きは常人の遥か上を行くものであり、互いの流れる様な動きも相まって、まるで舞っている様にも見える。
「ん―――ふ―――ふ―――……。あんで―――……めっちゃ良い案があんで―――……」
稽古途中に剣を止める事無く質問をしたカナンだったが、メルルの返答とその顔を見て大きく体勢を崩してしまった。
「うおっと! カナン、まじめにやらないと危ないだろう!」
カナンの予想外な動きを見せられてエルスもまた体勢を崩し、危うくエルスの剣がカナンの肌を傷つける処であった。
「ああ……悪い。それで? 案って言うのはどういう内容なんだ?」
簡単に謝罪したカナンは、剣を腰に差してメルルへと体を向けた。
稽古の終了を暗に示されて、エルスもまた剣を収め二人の会話に耳を傾けた。
そんな二人に、不安気な表情でメルルを見ながらシェキーナがタオルを差し出す。
二人はそれで汗をぬぐっていたのだが。
「簡単なこっちゃ。魔界を……乗っ取ってしまえばええんや」
「ぶっ!?」
サラリと言ってのけたメルルの言葉に、シェキーナとカナンはそのまま固まり、エルスは思わず吹き出していた。
そんな3人を前にして、当のメルルはドヤ顔で胸を張っている。余程その考えに自信があるのだろう。
「ちょ……ちょっと待て、メルル」
何とか再起動を果たしたシェキーナが、慌ててメルルに反論する。
「魔界を乗っ取るって……そんなに簡単な事ではないだろう!? 魔界は広大で、様々な種族があり、それこそ多くの魔族が存在している。中には大型の魔獣を従えている種族もあると聞くぞ? それに対して我等は4人だ。負けるとは思わないが、乗っ取れるとはとても……」
今更メルルの案を真っ向から否定した所で、シェキーナにも腹案など無い。基本的にはメルルの案で進める事は先日の話し合いで決定済みだった。
それを踏まえても尚、今メルルが言った事は突拍子もない事だったのだ。
「いやいや、乗っ取るっちゅーても、全土を手中に収めるって事やない。今、魔界を治めてる上層部だけをウチ等で取り込んだらえーんや」
説明を聞けば、確かにメルルの意見には聞く所が多い。
シェキーナとカナンは、比較的現実的な言葉を耳にして僅かに安堵した。
メルルの言い回しは、まずは最初に結論をぶちまけ、その後に内容を説明する癖がある。
その事を知らないエルス達では無かったが、余りにもインパクトが強すぎて驚きの方が先を行ってしまうのだ。
もっとも、彼女の言い方にも大いに問題があるのだが。
「ここから、魔王城付近に出て急襲する。今現在、魔王の代わりに魔界を取り仕切ってる奴らを取り込んで、そこに匿って貰うってすんぽーや」
「しかし……魔族が私達に下るだろうか……? つい先日まで、私達は魔族達と死闘を演じてきた。そんな相手を、こちらの都合で味方につけるなど到底思えないのだが……」
メルルの話は合理的ではあっても、その難易度は高くとも実現性が高いとは思えなかった。
シェキーナはそこを懸念して、もっともな反論を返した。
「そん時は……頭を潰して、ウチ等と挿げ替えるしかないわな―――……。どうせ魔族として行動するんや。魔王エルスとして堂々と魔界に居座るっちゅーんも悪くないんちゃうか?」
「俺は嫌だぞ」
些か行き当たりばったり感がしないでもないメルルの意見だが、それでもまだ現実的だった。
もっともエルスは、その案を即座に拒否したのだが。
「別にえ―で―。この際『魔王カナン』でも、『闇の女王シェキーナ』でも問題ない。出来れば表に出ん方がえーけど、最悪はそれで行ったらえーんちゃうか?」
しれっととんでもない事を言うメルルに、シェキーナとカナンは言葉を失っていた。
まさか自分達が、「魔王」や「女王」等と言われるとは思いも依らなかったのだ。
「……まぁ……どのみちエルスの影は見つけられてしまうやろからな―――……。『影の魔王』とか『大魔王エルス』なんて言われるやろな―――」
ニマニマとした笑みを浮かべるメルルが、それは嫌らしい顔つきでエルスを見、それにエルスがきつい視線を投げ返す。
エルスにとっては、冗談でも言って欲しくない事だったのだ。
「ふ―――……。まぁ、こうなった以上腹は括ってるんだ。俺は『魔王』だろうと『覇王』だろうが、演じる分には何でもいいがな」
「確かにな……私も柄では無いだろうが、『女王』でも何でもするのは構わない……だがそうなったら、結局はエルスの場所が知れてしまうと言う事になってしまうのだろうな」
カナンやシェキーナ、メルルが魔界を統べると発表しても、人々は……少なくともアルナ達はその背後にエルスを捉えるだろう。
大っぴらに公表する事は避けたいと言うのが一同の本音だった。
「そうや。だからこれは、最後の策や。けど、魔界と言う立地……意外性……それだけでも、魔界に居を構えるんには価値がある」
エルスがエルスのままならば、決して魔界に落ち着こうとは思わない……そうアルナ達も考えるに違いない。
例え彼が魔族だと名乗ったとしても、エルスが魔界に向かうと言う発想は出にくいと考えていたのだった。
「しかし……聖霊ネネイの存在はどうするのだ? 彼女ならば、事の真意をアルナ達に告げる事も可能なのではないか?」
懸念があるとすれば、それはやはり「聖霊ネネイ」の動向に他ならないだろう。
エルス達がどれ程策を弄しても、ネネイがそれらを暴露してしまっては全ての事が水泡と帰すのだ。
「それやったら考えるまでもない。あいつは……ネネイはアルナ達にウチ等の事をゆーたりせーへん」
彼女の余りにもハッキリと断言する様に、エルス達は疑問を持たずにはいられなかった。
「何故……そう言い切れるのだ?」
正しく、メルルが何故そこまで明言できるのか、と言う事にである。
今や聖霊ネネイは、どちらかと言えばアルナ寄りであり、エルス達とはとても友好関係にあるとは言えない。
そんなネネイに、ある意味「信頼」に近い事を言ってのけるメルルに、疑念の籠った視線が3人から向けられる。
しかし、そんな事をメルルが気にしている様子はない。
「ここに至って分かった……。あいつは……ネネイは、いわば『審判』や。ウチ等とアルナ達のやり取りをゲームに見立てて、不正がない様に見つめ、なんかあったら調整に入る……そんな役目やろ。でないと、アルナ達を出し抜くっちゅー事なんかできんやろ」
それを聞いて、一同は妙に合点がいったのだった。
確かに、ネネイが逐一をアルナに報告していたならば、エルス達の行く先々で待ち構えていてもおかしくはない。
そうなっていないと言う事は、やはりネネイは「審判」と言うスタンスを取っていると考えられたのだ。
ゲームをしている……と言われれば腹も立つが、誰とも分からない存在にいきり立っても仕方がない。
それよりも、聖霊ネネイの行動原理が分かれば、エルス達としても動きが取りやすい……と言った処が本音だった。
「それにても、相変わらずの洞察力だな」
エルスが感心した様にメルルへと話しかけた。
確かにその観察眼、洞察力は「大賢者」の二つ名に相応しいものだった。
「ん……? ああ……ま―な―……」
そんなエルスに、メルルはどこか気の無い返事を返した。
エルスはそれに違和感を覚えたが、だからと言って問い質す様な事はしなかった。
何故ならその“違和感”は今、初めて感じたものではなかった。
彼がメルルに引き取られてより、幾度となく感じたものだった。
だからエルスも、その事に別段の感情を抱く事は無かったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます