因縁深き、呪われた大地へ

 一同がメルルの案内する部屋へ入ると同時に、シェキーナの背後では入り口が音も無く閉まる。

 あまりにも静かな……それでいて気配を感じさせないその動きに、シェキーナは思わずビクリと体を震わせてしまった。


「まぁ―――……驚くんも無理ないけど、兎に角そこに座って―な」


 部屋の中央には、10人が優に着く事の出来る巨大なガラス製のテーブルと、それをグルリと取り囲む様に椅子が備え付けてあった。

 一枚のガラスで造られたテーブルと言うのも、シェキーナとカナンにとっては初めて目にする物だ。

 ガラスは脆い物。

 その先入観から、席に着こうとするシェキーナとカナンは何処かおっかなびっくりだった。


「心配せんでも、割れたりせんで―――」


 意地の悪い笑みを浮かべたメルルが、拳を固めてテーブルに腕を振り下ろす。

 ドンッと言う音に、シェキーナとカナンはを想像して思わず目を瞑ってしまった。

 普通の感性で考えれば、メルルの一撃でガラスのテーブルは圧し折れて粉々になっている筈だった。

 しかし実際は、ひびどころか傷の一つも付いていない。

 それを見て漸く安心したのか、シェキーナ達は思い思いにテーブルへと触れ、その感触を確かめた。


「これ程澄んだ……美しい素材は初めて見る……」


 シェキーナが感想を溢しながら席に着いた。


「ふぁっ!?」


 それと殆ど同時に、彼女から何とも気の抜けた声が零れた。

 その椅子は、見る限りでは固い……硬質感を感じる素材で出来ている。

 だが実際は、座った途端にフワッと……と言うよりも、モフっとした感触に包まれ、何とも気持ちの良い心地がしたのだった。

 フワフワ……と言うには弾力があり、さりとて沈み込む様な柔らかい感触が確かにある。

 これもまた、シェキーナとカナンには初めての体験だった。


「ここはウチの……まぁ―――所謂“棲み処”ってやっちゃ。ウチとエルスは、ここで10年くらい過ごしてたんや」


 そんなシェキーナ達に、メルルはゆっくりと語り出した。

 気持ちの良い感触を知らず楽しんでいたシェキーナだったが、メルルが話し出した事で気を引き締める。

 シェキーナは勿論、カナンの眼もメルルへと向かった。


「ここで使われてる素材。んで、技術はまぁ―――……魔法や」


 違うな……。

 シェキーナとカナンは、殆ど同時にそう確信していた。

 もっとも、だからと言って根掘り葉掘り問い質そうとも思っていなかったのだが。

 メルルが「その様に」説明したのなら、例えどれ程詰め寄っても決して真実を語ってくれないだろう事を、シェキーナとカナンも少なくない付き合いで知っている。

 それに、もしも本当の事を事細かに説明してくれたとして、それを理解するのにどれだけの時間を要するか分からなかったと言う側面もある。

 メルルが説明を省いた……と言う事は、現在の状況に「それ」はそれ程重要では無い。

 シェキーナとカナンは、やはり同じようにそう考えたのだった。


「ここは人界……んで、他の世界……所謂「四界」とは隔離された、また違う異界や。アルナ達の知らん世界やし、ここに来るまでにも時間は掛かるやろ」


 理解の早い友人たちに、メルルは満足気な笑顔で話しを進めた。

 

 四界……とは、現在人界と繋がっているとされる、4つの異界の事である。

 人界……魔界……妖精界……幻獣界。

 それらを総称して「四界」と呼ばれているのだ。

 そしてエルス達のいるこの場所は新たな異界……第5異界と言っても過言では無い。


「それならば、ここを拠点として時間を稼ぐのか?」


 シェキーナのもっともな質問に、メルルはゆっくりと首を振って答えとした。


「ここにおっても、何か月かは持つ。けど、此処を知られる訳にも、此処に来られる訳にもいかんのや」


 メルルの返答を聞いたシェキーナが何事かを言おうとして、それをメルルが掌を突き出して止めた。


「ここはゆーたら……“知られたらあかん場所”や。ここの存在も、此処に在る技術も、知られたらあかんし持ち出されたらあかんのや」


 シェキーナに言い聞かせる様な声音のメルルだが、その瞳には反論を許さない力がこもっていた。

 流石のシェキーナも、それを見て尚、異論を唱える事など出来なかった。


「それにな―――……エルスには何や目的があるんとちゃうんか? ウチ等としては、彼の要望が第一目的やろ?」


 思わぬタイミングでお鉢が回って来たエルスは、思わず下を向いて固まってしまう。

 全員の視線がエルスへと集中し、彼が発するだろう次の言葉を待った。


「……メルルの……言う通りだ。俺は……魔族として……魔王に関わる存在として……振る舞わなければならない。隔離されたこの場所で、誰に知られる事も無く過ごす訳には……いかない」


 絞り出す様な……苦しそうなエルスの言葉には、その理由を問い質せない雰囲気がある。

 事実、メルルとシェキーナはどの様に次の言葉を発しようか思案しなければならない程であった。


「……エルス。お前は……勇者なのだろう?」


 そんな二人を横目に、次いで口を開いたのはカナンだった。

 カナンの問いに、エルスは躊躇いがちに……それでも確りと頷いて答えた。


「それにも拘らず、お前は魔族側に付くと言うのだな? 人族と対立し、人族と戦う事になる。それでも良いと言うのだな?」


 それはエルスの主張を踏まえれば、至極当然の考えだった。

 人族と魔族は相容れない存在として、互いの世界が繋がった刻より戦いの歴史を繰り返している。

 その理由は今となっては定かでは無いのだが、今では互いを仇敵の如く認識し、それぞれの世界を滅ぼすか……支配しようと争って来たのだ。

 エルスが魔族に付くと言う事……それはそのまま、人族と直接対決をすると言う様に考えられても仕方の無い事だった。


「そんな事はしないっ! 俺は、人族と戦ったりしないっ!」


 だがエルスは、そんな当たり前として捉えられている事を真っ向から否定した。

 それが如何に支離滅裂で辻褄の合わない事なのか、それが分からないエルスではない……筈である。

 

「お前が戦わないと言った処で、人族は……三界の住人達はお前を敵だと認識するだろう。それでも手を出さないと言うのか?」


 続けられるカナンの質問は現実的且つ辛辣しんらつなものであった。

 事実を何一つ語れないエルスに、それらについて正確に反論する事は出来ない。

 ただ只管に、自分の気持ちだけを話すしかなかった。


「それでも俺は……人族とは……戦わない」


 絞り出すエルスの声は、それでも確りとした意思を持っている。

 しかしそれも、次の質問には勢いを奪われてしまう事となった。


「アルナはどうする? お前がどう思おうが、アルナはお前を殺しに来るだろう。間違いなくお前を追い、お前を殺そうとする。それでも戦わないのか?」


「俺は……アルナとは……戦わない。……戦えない」


「ならば、黙って殺されるのか? 殺される事を受け入れると言うんだな?」


「俺は……殺される訳にはいかない」


「やれやれ……話にすらならないな……」


 幾度かの押し問答を終えたカナンが呆れる様に匙を投げ、そんな彼を見てエルスは押し黙るしかなかった。

 誰がどう聞いても、エルスの方が無茶を言っているのだ。

 それも、子供の様な理屈を繰り返すのみ。

 これではカナンであっても、呆れるより他は無いと言うものだった。


「すまない……だから、ここからは俺一人で……」


「なら、俺がお前の代わりに戦うしかないだろ」


 そう言うカナンは、心底やれやれと言った態でそう告げる。

 その言葉に、エルスは驚いたように顔を上げてカナンを見つめた。


「……ん? 何を驚いているんだ? 俺はお前が勇者だろが魔王であっても、どちらでも構わない。どちらであっても、俺の取るべき態度は変わらないんだ」


 威風堂々として告げるカナンにエルスは返す言葉が出せないでいた。

 ここからは正真正銘、人族の……三界の敵として逃避行を続ける事となる。安らげる日々は、もう二度と来ないかもしれないのだ。

 それでもカナンはブレない。

 そこにエルスは心を震わされ、言葉に詰まってしまうのだった。


「逃げる勇者か……ふふふ……面白い。お前は勇者のまま、魔族にでも魔王にだってなれば良いさ」


 カナンに気負った様子はない。

 それどころか、どこか楽しそうな雰囲気すら醸し出していたのだった。


「……ふむ。ならば私も、その逃避行に参加させてもらおう」


 次いで賛同の意を示したのは、やはりと言うかシェキーナだった。


「……シェキーナ!?」

 

 詳しい事情を説明しないエルスに愛想を尽かすならば兎も角、彼女もまたエルスに同行すると言うのだ。

 しかもその表情は、どうにも楽しそうにしか見えなかった。


「私も既に“闇堕ちのエルフダークエルフ”等と銘打たれているだろう。称号に興味は無いが、どうせならばそれ相応のをしてやりたいと思うのだ」


 そう言うシェキーナの笑顔は、微笑と言うよりも嗤笑ししょうの類であり、どうにも悪そうにしか見えない。


「ウチの意見は聞くまでもないわな。あんたが何処でどうなろうと、ウチがあんたから離れる事はない……っちゅーんは言わんでも分かるわな?」


 次いでそう告げるメルルも、シェキーナと然して変わらない笑みを浮かべている。

 どうにも女性陣は腹黒い……もとい、悪戯好きだと言う事を、エルスは戦慄と共に感じ取っていたのだった。




「そこで……これからどこに向かうかと言う事になるのだが……」


 話が一段落したのを見計らって、シェキーナは改めて話を本題へと戻した。

 何処に向かうとしても、このメンバーは変わらずエルスと共に行動する事で意見の一致を見たが、問題はやはり何処へ向かうか……である。


「人界は論外だな。精霊界、幻獣界にもネネイの手が回っている事だろう……」


 聖霊ネネイの動きは早い。

 エルフの郷へと現れた手際を見れば、すでに主だった場所には全て現れている事が容易に想像された。


「やはり……可能な限り此処に留まると言うのは……」


「却下……やな」


 シェキーナの意見を、メルルが即座に退けた。

 理由は先程聞いていたシェキーナだが、それでも他に考えが無いのだから仕方がない。

 すでにエルスには、赴ける場所など皆無なのだ。


「ここに籠ってても、すぐにアルナ達はここの存在を知るやろな―――……」


「何故だ? アルナ達は……いや、他の誰も、この場所を知り得ないのだろう?」



「聖霊ネネイが教えおる」


 自身の意見を軽く一蹴されたシェキーナは、やや憮然としてメルルに意見をするも、メルルの返答に閉口を余儀なくされた。

 この場所でさえ聖霊ネネイは知っており、それを惜しげもなくアルナ達に教えると言うのだ。


「アルナ達がここに来る前に、この場所を封印して消滅させなあかん。さっきもゆーたけど、この場所は誰にも知られたらあかんし、ここに在るもんの何も、持ち帰られたらあかんのや」


 メルルがそう言う理由を、シェキーナとカナンは何となく察していた。

 ここにあるものは、人界へと持ちかえればその生活が豊かになる物ばかりだ。

 だが新しい技術と言うものは、必ずしも平和利用のみに使われる訳では無い。

 手に余る技術と言うものは、必ず弊害を齎す事を彼女達も理解していた。


「それでは、メルル。お前には何か腹案があると言うのか?」


 しかしメルルの峻拒しゅんきょも、他に腹案が無ければ成り立たない。


「あるで―――。今のウチ等にピッタリな、と―――っておきの場所がな―――……」


 その台詞を聞いたエルス、シェキーナ、カナンは、三人共同時に同じ考えを持っていた。


 ―――悪い顔だ……と。


「そ……それで、その場所とは?」


 気を取り直したシェキーナが、メルルに話を進めるよう促す。

 ニンマリとした笑みを浮かべて、メルルは勿体ぶった様に間を取り、漸く口を開いた。


「それはな―――……魔界や。はその名に相応しい地……因縁深き呪われた大地、魔界へと向かうんや」


 メルルの言葉を聞いてエルス達は文字通り、開いた口を状態で動きを止めてしまった。

 

 選りにも選って、魔界である。


 数多の魔族を討った勇者エルスが、つい先日その本拠地魔界へと乗り込み、魔族の長である魔王を倒した場所である。

 周囲の魔族に歓迎される事は無く、それどころか襲われる事は必死。

 それ以前に、好んで魔界へ行こう等と考える者は皆無である。

 

「ゆ……勇者であるエルスが、魔界を本拠地にする等……それではまるで……」


 シェキーナは、エルスの気持ちをおもんばかって反論した。

 彼にしてみても、そんな場所へと向かう気持ちなど持ち合わせていないと考えたのだ。

 そしてそれは、寸分違わず的を射ていた。

 そんなシェキーナの意見を無視して立ち上がったメルルがエルスへと詰め寄り、その邪悪な笑顔を彼へと寄せて行く。


「エ―ル―ス―……? あんたは―――なんや―――? 魔族とちゃうんか―――?」


 妖しい笑みを浮かべたまま、至近距離でエルスを見つめるメルルに、エルスは反論どころか言葉さえうまく出せずにいた。


「う……あ……」


「魔族やったら、魔界に行ってもおかしくないわな―――? おかしくないやんな―――? おかしないやろ―――?」


 グイグイと攻め込まれたエルスに、最早起死回生の手段など無く……。

 彼は静かに、そして操られたかのように首を縦に振るしか出来なかった。

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