敵前逃亡

 激しい戦いを繰り広げるカナンとシェラ。

 双方の斬撃は対照的なれど、どちらもその剣先を掠らせる事無く打ち合っている。

 

「あははははっ! そ―らっ!」


 そしてそれを傍らで見ていたアルナが、歓喜の声と共に巨鎚を振り下ろした。

 カナンとシェラは、今度は余裕をもってそれを躱し、再び間合いを詰めて切り結ぶ。

 先程の不意打ちとは違い、アルナの介入は二人にとって織り込み済みとなっていたからだ。

 

 そしてエルスは、未だその場から動けないでいた。

 彼としても、カナンに加勢したいと言う気持ちではあった。

 しかし、倒す為にシェラへと……そしてアルナに剣を向けるなど、今の彼には出来なかった。決心がついていないのだ。


「エルス―――ッ! 、やんで―――っ!」


 そんな彼を動けるようにしたのは、やはりと言おうかメルルの声だった。

 彼女としても、この膠着した状態を何とかしたいと考えており、それには全体の立て直しが必要だと考えていたのだ。


「……おうっ!」


 だがエルスにとっては、それは正しく福音とも思しき言葉に他ならない。

 エルスは腰に差した剣を手に取ると、消えたと見紛う程の速度で移動した。

 その先には……ベベルと戦うシェキーナの姿があった。


「おおっ!」


 槍を展開して結界を張り続けるベベルの、その結界の上からエルスの強振が撃ち込まれる。


「ぐ……おおっ!?」


 金属が奏でる激しい打撃音。そして瞬時の擦過音。

 エルスの剣もベベルの結界に防がれ、彼にダメージを与える事は出来ない。

 それでもその強烈な一撃は、結界ごとベベルを吹き飛ばす程であり、文字通りベベルはアルナの立つ付近まで後退させられたのだった。


 そしてエルスは、そのまま留まる事無く次の標的へと向かった。


 その先は……アルナであった。


 回り込むような形で、アルナの側面よりエルスが急襲する。

 元々僧侶であるアルナに、エルスの動きを予測出来ても対応出来るまでには至らない。

 タイミング的にはアルナを打ち取るに申し分なく、エルスはアルナに向けて剣を振り下ろした。


 瞬間……アルナの瞳に驚愕が浮かぶ。

 そして、周囲に一段と高い金属音が響き渡った。

 アルナを狙ったエルスの剣は、アルナの鼻先でその動きを止められてしまったのだった。


 エルスの一撃は、瞬時にしてアルナの前へと躍り出たシェラの剣により防がれたのだ。

 エルスとシェラの、激しい鍔迫り合いが展開される。

 剛腕を以てなるシェラだが、それでもエルスには押され気味だった。

 

 それもその筈で、エルスはこの世界で最強の力を得ている……いや、今やそれも徐々に衰えているのだが。

 それでも、未だにこの世界では最強の存在だと言って良い。

 力と技……双方を併せ持つ、世界で2人しかいない存在……。

 一人はエルス……勇者であり、もう一人は……魔王である。

 そしてその魔王も今はいない。

 今のエルスに、単騎で渡り合う事が出来る者はいないと言って過言では無いのだ。


 先程までシェラと打ち合っていたカナンの姿は、そこには無かった。

 本当ならば、背中を向けるシェラを討つにこれ以上の好機は無い。

 そしてカナンに、「背を向けた相手を討つ事など出来ない」等と言う“騎士道もどき”は持ち合わせていなかった。

 それでもカナンは、エルスの行動に何かを察し、自分に求められる行動を開始したのだ。

 彼の向かった先は……ゼルのいる場所だった。

 盗賊をも凌駕する素早い動きで、その超感覚を以てゼルの居場所を突き止めたカナンが、傍から見れば虚空と思われる空間に剣を振るう。


「うおっと―――っ! あぶねぇじゃね―か―――っ、カナンのダンナァッ!」


 姿を現し、大きく距離を取ったゼルがそううそぶく。

 だがゼルのそんな軽口に、カナンが付き合う様な事は無かった。

 流れる様に、勢いのままに飛び退いたゼルへと肉迫し、2撃、3撃と剣を振るう。

 

「うぉっ! ちょっ! マジかっ!」


 如何にとは言え、ゼルは実に器用な動きでカナンの剣を躱してゆく。

 もっとも、その退く方向まではコントロール出来ない。

 ゼルは瞬く間に、カナンの望む方角へと追いやられて行き、アルナの傍らにまで追いやられたのだった。

 シェラはエルスが、ベベルにはシェキーナが、そしてゼルにはカナンが付き、それぞれがその動きを抑え込んでいる。

 そしてアルナは、驚愕の表情で止まったまま、動き出す気配すら感じられない。


「いよ―――っしゃ―――っ! 準備完了や―――っ!」


 そして背後より、メルルの絶叫が木霊する。

 それを合図に、エルスとシェキーナ、カナンは即座に目配せをし、同時にその場より飛び退いた。


「行っくで―――っ!」


 そう叫んだメルルにはすでに“十八番おはこ”が発動している事を、その外見が体現していた。

 右目が緋く、左目は蒼く光り輝き……。

 額に開眼した第三の目が紫色に煌いていた。

 

 メルルの十八番……“第三の目テルツォマティ

 自らの意識と精神を三分割し、同時に3つの魔法を詠唱、使用する。

 その時、彼女の瞳には3つ目の眼が開き、各々の瞳にそれぞれの光が灯るのだ。


「くるぞっ! 備えろっ!」


 アルナを背に、メルルの方へと防御姿勢を取ったシェラがゼルとベベルに声を掛け、2人も守りの体勢に構えた。


 しかしその為に、彼女達の動きは止まる事となる。

 そしてそれこそが、メルルの思惑通りの展開だった。


青水晶の牢獄サフィーロ・プリゾンッ!」


 彼女が、バッと開いて突き出した右掌から青き光が迸り、同時にシェラ達の足元から半円球を形作る魔法障壁が展開された。

 まるで防御障壁の様であるが、その実その用途は“護る”では無く“捕える”。

 アルナ、シェラ、ベベルは、瞬時にその牢獄へと囚われたのだった。


緋結晶の鎖グラナート・シェーヌッ!」


 すぐさまメルルは、左掌をシェラ達へと……厳密には、ゼルへと向ける。

 同時に緋い光が輝き、ゼルの足元より無数の緋い鎖が出現した。

 

「う……うおおっ!?」


 成す術もなく、ゼルはその鎖に絡め捕られて自由を奪われたのだった。

 立て続けに放たれる魔法に、シェラ達には成す術など無く、悉くその術中に嵌ってしまう。


「んでっ! これで仕舞いや―――っ!」


 メルルが突き出していた両手を頭上に掲げると、その両掌に紫色の光が宿る。

 彼女の台詞、そしてその魔法光を目にしたシェラ達は、思わず目を閉じて「その時」が来る事に備える。

 当然の事ながら、彼女達は戦いを決する攻撃魔法が放たれるだろうと予測していたのだ。

 相手が「敵」ならば、メルルも躊躇なくそうしていただろう。

 だが……、そうはならなかった。


紫煙の煙トゥルマ・ドィームッ!」


 メルルが両手を振り下ろすと同時に、周囲を紫色の煙が覆い、双方の姿を覆い隠した。

 余りにも拍子抜けの結果に、シェラ達はその場で呆けるしか出来ずにいたのだった。


「さぁっ! この煙に乗じて、とっとと此処から……逃げるで―――っ!」


 ただ、呆けていたのはシェキーナとカナンも同様であり、ニヤリと同意を込めた笑みを浮かべたのはエルスただ一人であった。

 シェキーナとカナンも、特大の攻撃魔法が放たれると予測し、その直後の動きに対応しようと身構えていたのだから仕方がない。

 それでも、迷うことなくアルナ達へと背を向けて掛けだしたエルスとメルルに、即座に我を取り戻して追従したのだった。

 魔法的に視覚を奪うメルルの魔法は、あらゆる手段の追跡を妨害する。

 勿論、シェラ達にエルス達を追う事など出来なかったのだった。




 煙が晴れ、牢獄と鎖からも解放されたシェラ達は、呆然と佇むアルナをただ見守り待っていた。

 このパーティのリーダーであるアルナの指示が無ければ、この次にどの様な行動を取るべきなのか判断がつかないからだ。


 そしてそのアルナは、焦点の合わない瞳で何事かを呟き続けていた。


「……うそ……うそだわ……エルスが……私に……剣を……」


 アルナにとって、エルスからの攻撃は事だった。

 彼を殺そうとするアルナの台詞としては、何とも自分勝手に都合のよい話である。

 それでも、彼女にしてみればエルスから攻撃を受ける事など論外。あってはならない事なのだった。


「……アルナ。彼の……エルスの剣に殺気はなかっ……」


「そんな事、あってはならないっ!」


 気遣う様に声を掛けるシェラの言葉を遮って、突然アルナが叫んだ。


「エルスが……私を……エルスの顔で……身体で……私を攻撃するなんて……っ!」


 体を震わせて独り言ちる彼女に、周囲の言葉など耳に入っていない様であった。


「おのれ……おのれ魔王っ! 許さない……許せないっ!」


 天に向かって吠えるアルナを、シェラは不安に駆られた目で見つめるより無かった。

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