聖女と戦士

 エルスとアルナが視線を交わすその間で、カナンとシェラは激しく剣を打ち合っていた。

 その太刀筋は正に正反対。

 カナンの研ぎ澄まされた“静”に対して、シェラは燃え盛る程の“動”であった。

 

「はああぁぁっ!」


「……むんっ!」


 裂帛の気合いを発して繰り出されるシェラの剛剣は、彼女の気勢を纏い実際よりもその姿を大きく見せる程である。

 一撃ごとに、相手を砕かんとばかりの力が込められた剣は、如何なカナンであってもそう簡単には受け切れない。

 それでもカナンは、力では無く技を以てシェラの剣をなし、躱す。

 時には力の方向をカナンに逸らされ、本来ならばシェラの身体は大きく泳ぎ、隙を晒してしまう筈である。

 それでもそうならず、あまつさえ連撃に切り替える事が出来るのは、ひとえにシェラの「力」と「才能」に依るものだった。


 相容れない二人の剣が、それでも決着をつける事無く交わり続ける。

 それはまるで、永劫に続く剣舞にも似た光景だった。

 

 しかしその刻を終わらせる人物が動き出す。


 何の合図も前触れさえなく、いつの間にかその手に巨鎚を構えていたアルナが、カナン目掛けてそれを振り下ろしたのだ。

 巨大すぎるその鎚頭ハンマーヘッドは、その標的をカナンだけでなくシェラをも捉えている。

 その攻撃は、あろう事か味方であるシェラ共々、カナンを屠る一撃だったのだ。


 互いに目の前の敵へと集中力を傾けていたカナンとシェラは、予想外の一撃に反応が遅れてしまう。


「……ちっ」



 それでも元は僧侶だった事が幸いとなったのか、二人が避けきれないと言う事は無く。

 カナンとシェラは同時に飛び退き、その狂撃から身を躱す事に成功する。


「カナンッ!? ……アルナッ!」


 アルナの、突然の凶行を目の当たりにしたエルスは、まずカナンの身を案じ、次いでアルナに怒りの声を上げた。

 それを聞いたアルナは、悔し気な……詰まらなさそうな顔を取っていたが、途端に表情を崩し、口端を歪に吊り上がらせる。


「なぁに……魔王……? 随分と怒っている様だけど……?」


 それは挑発。

 正しく、アルナはわざとエルスの神経を逆撫でている。


「……アルナ……お前が……俺と戦うと言うのなら、俺は……受けて立つ。しかし、仲間まで巻き添えにしようって言うのは、どう言う了見なんだっ!?」


 エルスの瞳が炎を湛え、真っ直ぐにアルナを見据える。

 アルナの瞳に狂気が宿り、エルスの視線を歓喜で向かえていた。


「お前……魔王の癖に、何を言っているんだ? ここは戦場……何時、何処で、誰が死ぬのか……それは神しか知り得ない場所なのよ? そしてこの場に立っている以上、死を恐れる者は元より居ないと思っていたのだけれど……」


 頬に手を遣り、困った顔を作るアルナ。

 それを見るエルスは、言い返す事無くただ歯を軋ませて食いしばるだけだった。


「……おい……シェラよ。お前の主は、お前の死も神……とやらがお決めになった事と言っているが……お前はそれで良いのか?」


 アルナの言い様を踏まえれば、先程アルナが攻撃した事も、そしてその攻撃にシェラが巻き込まれて死んでしまったとしても、それらは全て「神の思し召し」と言う事になる。


「……ふん。そんな事はどうでも良い……。あたしは今、まだ生きている……。そして生きている以上、あたしはアルナと共に戦うっ!」


「……そうかよ」


 その問答を皮切りに、止まっていたカナンとシェラの時間が動き出し、先程よりも更に激しい剣撃を繰り広げ出したのだった。




 シェラ=アキントスは「戦闘民族」の出自だ。

 それは彼女の風体や恰好を見れば、ある程度予想出来ていただろう。

 元は整った顔立ちに形の良い胸、抜群のスタイルと、大よそ男性の目を引き付けるに不足ない素質をシェラは持ち合わせている。

 それでも、彼女が気を回す事は無い。

 彼女の関心は、常に自分を高める事、相手を倒す事、ただ強くなることに向いているのだ。

 それ故彼女の全身は、女性にはとても似つかわしくない筋肉と言う鎧に覆われている。

 彼女の顔には、幾筋もの傷跡が白い筋を残していた。

 それでもシェラはその事を気にするどころか、寧ろ誇らしくさえ思っていたのだった。


 辺境の戦闘部族に生を受けたシェラは、幼い事から戦闘訓練を受け続けていた。

 この村では、男女問わずに成人すれば村を離れ、戦闘技能を生かして様々な職種につき、村に仕送りしなければならなかったのだった。

 周囲を荒涼とした大地に囲まれ、食物の育成に恵まれない土地に生まれては、その運命も仕方の無い事だろう。

 そしてシェラは、そんな部族の中でも特に秀でた……戦闘の才能を持った子供として、村中の期待を一身に受けていたのだった。


 だが、世の中は不思議なもので。


 そんなシェラは、心優しく……それどころか、臆病な程の性格をしていた。

 本来ならばその様な考えの元では、彼女の生活する環境で生き長らえる事は難しい。

 それに、そんな心構えでは闘う為の技術が上達しようもなく、周囲の大人達から更に過酷な訓練を受ける事となるだろう。

 しかしシェラはその類稀なる能力で、然程努力をする事も無く「強さ」を身に付けて行った。

 本気を出す事無く他者を圧倒し、誰を傷つけなくとも周囲の者が納得せざるを得ない結果を見せつけたのだった。

 シェラの考え方、そしてその行動には大人たちも大いに疑問を持ったものだが、それを抑え込むだけの力を示されては異論を挟む余地もなく。

 何ら強制を受ける事も無く、彼女は彼女のままで成長していったのだった。


 そして……運命の出会いが、彼女の心を大きく揺さぶる事となる。


 シェラが15歳となった時、彼女は大人たちに連れられて街へと向かう事となった。

 勿論、見物に訪れた訳では無く。

 彼女も一人の戦力として駆り出されたのだった。シェラの部族は街で様々な依頼を受けて糧を得ているのだ。

 そして今回の仕事は、戦場での護衛任務だった。

 戦いの場に赴き、傷ついた者を癒し、助からぬ者には安らかなる最期を。

 光の神を崇める宗派、その一旅団を警護し、極力危害の及ばない様にするのがシェラ達の任務だった。

 一団を護る事は当然として、各人にはそれぞれ担当する人物が割り当てられる。

 そしてシェラには、特に年が近いと言う理由で、最年少の少女を担当する様に言い渡される。


 ―――それがアルナ=リリーシャ……。当時12歳であった。


 長く美しい髪と、それと同じ色に見紛う碧眼を持つ彼女は、シェラから見ても到底自分より3つも年下だとは思えなかった。

 凛とした面立ちは12歳とは思えないほど美しく、ともすれば自分よりも年上かとさえ思われたのだ。

 だがシェラが驚いたのは、そんな外見的な事ばかりでは無かった。

 




「アルナッ! もう、ここを離れようっ! ここは危険すぎるっ!」


 シェラは周囲を警戒しつつ、アルナに危害が及ばないよう細心を払った。

 

 向かった先の戦場は、正しく地獄絵図と化していた。

 交通の要所に築かれた砦を巡る戦闘。

 両軍とも大軍と精鋭を送り込み、それに比例して倒れる者が増大していった。

 夥しい数の死者が大地を埋め、それを埋葬する事も、ましてや片す事さえ出来ない状況だった。

 戦場全体には、火薬と燃焼、血と鉄と死者の放つ腐臭が充満していた。

 この世の最悪を体現した世界で、白の一団……アルナ達光の神の旅団は異彩を放っていた。

 最前線へと出向いた彼女達は、倒れて行く者達を介抱し、魔法によって傷を癒し、致命傷の者には神の元へと恙無つつがなく辿り着けるように祈りを捧げたのだった。

 

 敵にしてみれば、如何に神職集団と言えども厄介極まりない存在である。

 倒した敵兵を回復されては、一向に戦線が終息しないどころか自軍の被害が増すばかりなのだ。

 戦場においては異質な集団。ましてや彼女達の衣服は白で統一されている。

 当たり前の様に、アルナ達の旅団は敵軍の標的となった。

 シェラ達護衛集団も奮戦するが、一人また一人と倒れて行く。

 気付いた時には、戦場に残る旅団員はアルナ一人。そして護衛の兵もシェラを残すのみとなっていたのだった。


「あなたはこの場を離れて下さい。ここまでありがとうございました」


 切羽詰まるシェラの呼びかけに、アルナは驚くほど静かな物言いで答えた。

 その余りに穏やかな声音に、シェラは目を見開き、戦場である事を忘れて動きを止めてしまったのだった。

 この絶望的な戦場に合って、僅か12歳の少女に怯えた様子は伺えない。

 それどころか、自らの命を賭して、その使命を全うしようとしていたのだ。

 シェラは彼女の姿に自分には無い物を見出し、心が震えるのを抑えきれなかった。


「そ……そんな事が出来る筈無いだろっ!」


「あっ!?」


 その場に留まろうとするアルナを無理に抱きかかえ、シェラは脱兎のごとく戦場を後にしたのだった。



 


「お……下ろしてください!」


 随分な時間を駆け、戦場の叫喚きょうかんが一切聞こえなくなっても尚走り続けるシェラに、漸くアルナが声を掛けた。

 

「あ……ああ……。そうだな」


 その声に我を取り戻したシェラが走る事を止め、その場にアルナを下ろした。

 そして向かい合う二人。


 アルナは―――。

 シェラに、自分を残してその場を離れるよう指示したアルナだったが、もしそのまま残っていれば自分がどうなるかは安易に想像出来、如何に自身の判断が冷静で無かったか、今更ながらに痛感し恥ずかしく思っていたのだった。


 シェラは―――。

 アルナの指示を無視し、更には彼女を抱きかかえて逃走すると言う選択を取った彼女も、衝動にかられた自身の行動に恥ずかしさを覚えている。それと同時に、違う感情が芽生えている事も自覚していた。


 そこには、どうにも気まずい様な雰囲気が流れていた。

 

「あ……あの……ありがとう……ございました」


 照れ臭さを滲ませて、アルナが小さな声で口を開いた。

 そこには、先程の様な凛とした姿など微塵も感じられない、年相応、等身大の彼女が立っていた。


「……いや……気にするな」


 短く答えたシェラだったが、新たに感じた感情が急速に育ってゆく事を制御できなくなっていた。


「何故、あんな無茶をする? あのままあそこに留まればどうなっていたか、お前にも分かっていただろう?」


 シェラに湧きあがる新しい気持ち……それは、怒りだった。

 アルナの行動……そしてあの時の言動は、自分の命など顧みない無謀なものだった。

 彼女の姿が凛々しかっただけに……そして今見える彼女の姿が、如何にも幼さの残る少女の立ち居振る舞いなだけに、あの時の無茶な言動には腹立たしさを覚えていたのだった。


「私は……神の僕です。神の望まれるまま、お示しになるままに行動し、その身を捧げるだけなのです」


 如何にも聖人君子然とした答えを聞いて、シェラの怒りは一気に高まった。

 それが人生を十分に経験した者の言葉ならば、そこに重みも生じよう。

 しかしアルナの言葉は、いつかどこかで聞いた、まるで判を押した様に模範的な回答と言って良いものだったのだ。

 反射的にシェラは、アルナに大声で怒鳴りかけた。

 大きく息を吸い込んで声を発するその直前、彼女は思い留まる事に成功した。


 ―――アルナの変化に気付いて。


 澄んだ声音で、一切の迷いなく答えたアルナの声には、恐れや恐怖など感じられなかった。

 だが、凛とした表情を前に向け強い眼差しで言い切ったアルナの頬には、涙が筋を作っていた。

 それだけでは無く、彼女の身体は小刻みに震えていた。

 

 怖くない訳がない。


 12歳の少女なのだ。

 ましてや、従軍する事が初めてのアルナにとって、あの戦場は“初陣”に等しい。

 そして、とても少女の見る光景だとは言い難い場所でもあった。

 涙を止める事の出来ないアルナは、それでも背筋を伸ばして真っ直ぐ立ち、確りとした視線をシェラへと向けていた。

 それを見たシェラに、最早何かを言う事など出来なかった。




 それから5年の歳月が過ぎ、シェラも部族を出て独り立ちする事となった。

 彼女が真っ先に向かったのは、以前行動を供にしたアルナの元だった。


「……シェラ……さん?」


 5年の歳月が、随分とシェラの風貌を変えていた。

 努力をしなかった彼女だったが、アルナと出会ってより人一倍の鍛錬を積んだのだった。

 戦いにおいても、無茶とも無謀ともつかない戦いに身を投じ、幾つもの傷を負った。

 それもこれも、全ては……この日の為に。

 そんなシェラを、5年ぶりの再会だと言うのに、アルナはすぐに言い当てた。


 シェラから見て、アルナも随分と変わっている。

 美しさには磨きがかかり、聖女か天使も斯くやあらん……と言うに不足ない程であった。


 そしてシェラは確信した。


「……アルナ。あたしを……あんたの衛士に取り立ててくれ」


 アルナの前にひざまずき深くこうべを垂れるシェラの姿は、格好は兎も角、正に聖女と騎士の一枚絵を再現したかのようだった。


 シェラは、アルナの中に見つけたのだ。

 

 自身の運命を。


 そして、彼女には持ち得ない、彼女とは違う強さを。


 故に、シェラはアルナを疑わない。裏切らない。


 如何にアルナが変わろうと、アルナがどの様な行動を取ったとしても、シェラはアルナと共にあるのだ。

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