思惑の戦場
図らずも、エルスとアルナを中心にしてその周囲ではカナンとシェラ、シェキーナとベベル、メルルとゼルの戦闘が始まった。
そして、一向に動き出さないエルスとアルナは、さながら戦場で戦う両軍の総大将であった。
そしてそれは、二人が直接戦わなくとも、周囲の結果次第では勝敗が決すると言っても過言では無かった。
シェキーナとベベルは、激しさを増す周囲の剣撃音や魔法障壁音を余所に、ピクリとも動かずに睨みあいを続けていた。
冒険を共にした長い期間で、互いに手の内を知り尽くし、その性格までも把握している二人である。
ある意味トリッキーであり、何をして来るか予測のつかない二人だからこそ、余計に相手の出方を窺い、どの様な奇策にも対応出来るように身構えていたのだった。
……いや、やはり曲者同士とでも言おうか。
シェキーナは睨みを利かせながらも周囲の樹木に働きかけ、その末枝を、蔓を、ベベルを絡めとる為に忍び寄らせていた。
そしてその気配を
「全く……食えない男だとは思っていたが、ここまでとはな……」
自らの目論見が悉く防がれ、シェキーナは呆れる様にそう零した。
彼女は何とか微笑を作ろうとしていたが、その試みはどうにも失敗している様だ。その眼はどうにも笑えていない。
「お前さんこそ、中々の狐っぷりだね―――。お前さんが植物に働きかける気配は、全く感じられなかったぜ―――」
飄々として答えるベベル。その口ぶりは、先程までの暗闘が無かったかのようだ。
「お前なら、アルナの行動も、エルスの考えも分かっている筈だな。それなのに何故、そちら側に付く? 何故、アルナを野放しにするんだ?」
シェキーナの問いに、ベベルは頭を掻いて恍けた仕草を取った。
まともに答えようとしないベベルに、シェキーナの苛立ちは高まって行く。
そしてそのダメ押しが……これだった。
「別に……お前さんには関係ないだろう?」
「ベベルッ!」
ベベルの答えに、シェキーナが吠えた。
それと同時に、周囲の樹木から夥しい数の手が伸びる。
まるで森自体が生き物となったかのように、その枝が、草が、蔓が、ベベルへと襲い掛かった。
ベベルは手にした槍を回転させて結界を作り、それらを悉く切り刻んだ。
「……お前達にはどうにも出来ない事が、世の中には幾らでもあるってこった」
そしてその中心で、ベベルはシェキーナにも聞こえない声でそう呟いた。
月並みと言えば月並みだが、ベベルには家族がいる。
父母が居り、妻が居り、子供も2人いる。
エルスのパーティでは唯一の妻帯者。しかしその事を知る者は……いない。
ベベル自身がそれを明かしていないのだから、それも仕方がない事だった。
もっとも、メルルだけはその事を知っているのだが、彼女もその事を明かしていない。
彼の家族は、王都に招聘されてそこで暮らしている。
表向きは、ベベルが勇者パーティに同行する事への報酬。そして、家族を政府が守ると言う事になっているが。
―――その実、体の良い人質を取られているに過ぎなかった。
統一政府の面々は、勇者の同行……何よりもその考えや冒険の結果が気になって仕方ないのだ。
だが、その事を勇者に知られる訳にはいかない。勇者に不信感を持たれてはならないのだ。
そこでその人選に打って付けだったのか……ベベル=スタンフォードであった。
実力も申し分なく、家族が居り、彼自身にも欲がない。
勿論、政府の申し出をベベルに断れる筈もなく。
更に言えば、ベベル自身に断る理由も無かった。
彼にしてみれば、家族と自分が一時でも平和に過ごせる地があれば、それで良かったのだ。
世界の平和も、魔王も勇者も関係ない。
魔王が人界を征服しようとする企みには全力で抗ったが、それ以外はどうでも良い事だった。
この戦いも然り。
エルスに肩入れするつもりもなければ、アルナに勝たせようとする気概も無い。
故に、ベベルにはこの戦いにおいてシェキーナに勝とうと言う気も無い。
それが、彼と彼女の戦いが長引いている最大の理由だった。
ゼル=ナグニスには野心があった。欲と言っても良い。
それは、誰もが持ち得る至極普通と言って良い野心……欲望。
―――名声が欲しい。
―――金が欲しい。
―――人々から誉めそやされたい。
トロッポ族に生まれ、盗賊となり下がったからこそその想いは強くなり、強烈な願望となって彼の中に在り続けている。
元々、彼はベベルの雇った密偵の内の1人だった。
世俗に精通しているベベルは、情報を得る事の必要性をエルス達に説き、ゼル達盗賊集団を雇う事にしたのだった。
そしてその中で、頭角を現したのがゼルだった。
彼の、盗賊としての高い能力。
そして……そこから目覚めた“
エルス達のメンバーに迎えられたゼルは、その能力を如何なく発揮して彼等の力になったのだった。
しかし、ゼルの中に「仲間意識」と言う感情は殆ど芽生えなかった。
エルスの事は認めている。
分け隔てなく、そして屈託なく笑い掛けるエルスに、ゼルも少なからず安らいだ気分にはなっていた。
だがそれでも……彼の心は満たされる事は無かった。
そして彼の欲望は、魔王を倒した事で……より強くなった。
魔王を倒してより僅か数日……市井では魔王討伐の噂が広がり、勇者エルスとその一行を讃える言葉で賑わっていた。
しかしその言葉の中に、「暗殺者ゼル」の名前は上がっていなかった。
勿論、国民の殆どが、勇者エルスの乱心を知らない。
政府は、国民に動揺が走らない様に発表のタイミングを計り、情報統制を行っていたからだ。
それ故、国民は訪れた平和に酔いしれ、勇者「エルス」、聖女「アルナ」、気高きエルフ「シェキーナ」、剣匠「カナン」、大賢者「メルル」、極戦士「シェラ」、双槍使い「ベベル」の名を声高に叫んでいた。
莫大な報酬を約束されていたゼルだが、彼にはそれだけでは物足りなかったのだ。
そして……エルスの討伐が秘密裏に下される。
更に多くの報酬は勿論、この混乱を治めれば間違いなく救国の英雄として扱われるのだ。
自らの手でエルスを討ったなら、その功績は比類ないものとなる。
魔王亡き今、ゼルはこの「チャンス」に賭けていたのだった。
『悪ぃな―――メルルゥ……。俺の為に……お前達には死んで貰うぜぇ―――』
メルルを相手取ったゼルが、野心の籠った声でメルルに語りかける。
「あんたが何考えとったんか、ウチは良―――ぅ知ってんでぇ! こうするって事もなぁ!」
見えないゼルの一人語りに、メルルが啖呵を切って答えた。
それでも、それが強がりだと言う事をゼルには見抜かれている。
それが証拠に、ゼルは相も変わらずメルル相手に遠隔攻撃のみを行っていた。
決して近寄らず……姿を見せず……。
彼の言う「死んで貰う」攻撃にしては、随分と消極的だった。
それでも、彼の使う武器はメルルにとって厄介極まりない代物だ。
―――
魔法による障壁を破る“呪紋”が施されている武具……。
暗殺を生業とする暗殺者には、どんな魔法障壁にも効果があるこの武器は正に打って付けと言える。
彼の持つ短剣「殺」と「滅」はそのプロトタイプに当たり、その効力は非常に高い。
今、ゼルの投げているナイフはそこまでの能力を持たなくとも、同じように呪紋が施されており、魔法使いには脅威に違いない。
そしてそれは、メルルほどの魔法使いであっても同様であった。
僅かの油断で、その投擲ナイフはメルルの障壁を食い破ろうとするのだ。
お蔭でメルルは攻撃に転ずることも、魔法で眼に特別な視野を与える事も出来ずにいた。
如何なメルルと言えども、ゼルの姿を捉えない事には攻撃に転じる事も出来ない。
「……ここで決着付ける気ぃ―ないって事か」
ゼルの攻撃を防ぎながら、メルルは彼の考えを違う事無く捉えていた。
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