魂の交わり
「さ―――て……。戻ってきた訳やけど……」
精霊界より人界に戻って一番、メルルが2人に振り返り口を開いた。
その口ぶりには、
そしてその通り、メルルにはある程度この結果が予想出来ていたのだった。
聖霊ネネイが暗躍しているのだ。
エルス達が立ち寄りそうなところには、
そしてそれが、エルフ郷のみ例外だ等とは思っていなかったのだった。
昨夜、シェキーナが提案した折、メルルは即座にその事を口にしようとした。
そしてシェキーナも、朧気ながらその事に気付いていたのかもしれない。
しかし、シェキーナはその事に……エルフ郷が聖霊ネネイの思惑に
彼女とて、自身の故郷を信じたかったのだ。
そしてメルルもまた、そんなシェキーナの想いを優先させたのだった。
「……そんなに落ち込むなよ、シェキーナ」
「べ……別に私は……落ち込んでなど……」
エルスもまた、先程より一同の最後尾を……少し遅れて歩くシェキーナへと振り返りそう声を掛けた。
そんなシェキーナは、少し拗ねた様な顔をし顔を真っ赤にして、唇を尖らせ上目遣いに反論した。
シェキーナとしては、ラフィーネとのやり取りなど既に歯牙にも掛けていなかった。
それよりも、自らの発案でエルフ郷にまで赴いたと言うのに、なんら収穫が得られなかったと言う結果が2人に申し訳なく
もっとも今、彼女のエルスに対する姿は、まるで子供が失敗を見咎められた……若しくは悪戯を見抜かれた幼子の様であるが。
そんなシェキーナの姿は、先程ラフィーネに対して怒りを露わとし、殺気すら放っていた姿には程遠い。
「それで……次は何処を目指すって言うんだ?」
トボトボと……ともすればモジモジとしているとも言えるシェキーナを横目に、エルスはメルルに次に取るべき行動……目的地を聞いた。
彼等にしてみれば、この人界にゆっくりと過ごせる場所は殆ど無いのだ。
アルナ達もエルス達を捜索している以上、何処に居ても落ち着いて腰を据える事など出来ない。
「あ―――……それな―――……。それはとりあえず、カナンと合流してから話すわ。あんまりあいつを放ったらかしとったら、追っ手側に寝返るかもしれんからな―――」
メルルには目的地について腹案がある。それは、シェキーナがエルフ郷に向かう事を提案した時に知れている事だった。
だが彼女はその目的地を明らかにせず、それとは別の事を口にしたのだった。
メルルはカナンが“寝返る”から、彼を待つ事を提案しているが、実際の処はそんな事は無い。
例えカナンを放って安全な地へ向かったとしても、彼がエルスに相対する事など……有り得ない。誰もそんな事になる等、思ってもいないのだ。
カナンがエルスと会ったのは、エルスが魔族討伐の旅を始めて数年後の事だった。
既にメルルは勿論、アルナとシェラを仲間に加えていたエルス達の前に、流浪の剣士だったカナンが現れたのだ。
そうはいっても、別にエルスの命を狙っての事では無い。
カナンは、当時破竹の勢いで各地の魔族を掃討して回っているエルス達の噂を聞いて、彼の前に現れたのだった。
勿論、魔族の刺客で……等と言う事は無く。
純粋に一人の剣士として、当時すでに人界最強だったエルスに勝負を挑んでの事であった。
人界に点在していたカナンの種族……獣人の部族も、魔族の脅威に晒されて存亡の危機に瀕していた。
一騎当千を標榜する獣人であっても、強大な魔族軍の侵攻にその存在は風前の灯だった。
そんな中で、カナンはそんな事を気に掛ける事無く、ただ只管に自身の剣を磨く旅に出ていたのだった。
「お前が……勇者を自称している人間か?」
エルス一行の前に立ちはだかったカナンは、既に抜身の剣を右手に所持している。
それはともすれば、すぐにでもエルスに斬りかかりそうな雰囲気であった。
そんなカナンにエルスは、
「自称じゃないっ! 俺は勇者だっ!」
気後れする事の無い啖呵で答えて見せた。
そしてそれはそのまま、戦いの火ぶたを切って落とす事となった。
「エルスッ!」
一足で間合いを詰め切りかかって来たカナンを、エルスは目にも止まらぬ速さで剣を抜き、彼の斬撃を防いで見せた。
その攻防を見たアルナが、不安を滲ませた声でエルスの元へと駆け寄ろうとして、その行動をシェラに防がれたのだった。
「退いてっ! 退いてよ、シェラッ!」
自分とエルスを遮る大きな背中に、アルナはポカポカと拳を叩いて抗議するものの、その巨壁はビクリとも揺るがなかった。
「……彼に任せておいて、この場は問題ないよ」
静かな……そして冷静なシェラの答えに、アルナは抗議する事を止めて彼女の背後から戦いを覗き見た。
「そうやで―アルナ。ウチから見ても、エルスの方が数段上や。多分、誰も怪我せんで終わるやろ」
シェラの考えを、メルルも補足して肯定した。
そうは言ってもカナンの斬撃は、アルナから見ても空恐ろしい程の速度で繰り出されている。
高速かつ正確に、全ての攻撃が急所を狙う必殺の一撃だった。
防ぎ損ねれば、即命に関わる事は目に見えて明らかだった。
しかしエルスはその攻撃を、余裕の伺える表情で全て受け切っていた。
それはまるで、剣の師が弟子に稽古をつけているかのように、一方的に攻めるカナンの方が余裕の無い程であった。
「おおっ!」
焦りを滲ませるカナンが吠えた。
カナン自身にも、攻めている自分の方が分の悪い状況だと理解したのだろう。
そして、手の内を温存している場合では無いと言う事も。
カナンは、もう一本帯刀していた剣を抜き、二刀流となって猛撃を繰り出した。
瞬間的に、エルスの防御をカナンの攻撃が凌駕する。
様々な角度から、カナンの剣はまるで生き物の様に派生してはエルスに襲い掛かる。
「おおっ!?」
カナンの猛威に晒されて、エルスから初めて声が洩れる。
だがその声音は喜色ばんでおり、どこか喜んだ……面白そうにも感じられるものだった。
剣撃を躱し、受け流し、エルスは後退りしながらも、それらを全て受け切って見せる。
一連の攻撃を全て捌かれて、カナンは大きく距離を取り仕切り直すよりなかったのだった。
「……何故……攻撃してこないんだ?」
これまでの攻防……と言うよりも、一方的にカナンが攻めているだけの状況に、彼は素直な感想を口にした。
カナンの剣技もさるものだが、それでも攻撃を防がれる中で少なくない隙を晒していた。そしてその事をエルスが気付かぬはずはない。
それにも拘らず、エルスはカナンを攻撃しなかった。
出来なかったのではなく、明らかにしなかったのだ。
問答無用で襲ってくる相手に気遣う理由など無く、切って捨てられてもおかしくない。
それでもエルスは、カナンに最後まで付き合いきったのだった。
「んん……? 何でって……。あえて言うなら、殺気が無かった……とか?」
疑問形で括られても、カナンとしては応えようもなく。
そして何よりも、カナン自身はエルスに対して「本気」で向かって行った。
殺意があった訳では無いが、それでエルスが死んでも考慮しない。そんな全力の攻撃を仕掛けたのだ。
それでもそれがエルスの言う「殺気が無い」と言う事ならば、そうなのだろう。
しかし、本気の気勢と殺気の違いを、刹那に判断できるものだろうか。
それをエルスは理屈では無く肌で感じ、その事に疑問を持っていないとカナンには伺えたのだ。
それが勇者……それが強さと言う事なのだろうか。
カナンには……少なくとも今は、何とも判別の付かない疑問だった。
「ふ……ふふ……。何だよ、その理由は……」
狼の頭部、その口端が吊り上がり、実に楽しそうな声が洩れ出した。
既にカナンには戦闘意思はなく、持っていた剣も腰に差している。
「いや―――……何って言われても……」
エルスも剣を仕舞い、頭を掻きながらそう答えた。
空いている腕に、素早く駆け寄ったアルナがしがみ付き、対峙するカナンにキッと鋭い視線を向けていた。
「お……俺も、勇者の旅に同行させてもらっては……ダメか?」
その気迫に違う意味で若干気圧されながら、カナンは頭を掻きながら、どこか恥ずかしそうにそう切り出した。
「あなたっ! エルスに剣を向けておいて、何て……モガガッ!」
カナンの言葉に、真っ先に噛みつこうとしたアルナだったが、それはエルスによって遮られた。
「……何故お前は、エルスとの同行を望む?」
アルナの代わりに質問を口にしたのは、静かにエルスの背後へとやって来ていたシェラだった。
彼女の鋭い眼光がカナンを射抜き、彼の言動に一切の虚偽が無いかを吟味している。
「俺は……剣の道を突き詰めたいと考えている。その過程で、勇者の手助けや魔王討伐が加わったとて、俺には何の不都合も無い」
カナンの話した理由を最後まで聞き、シェラは視線の威圧を緩めた。
彼の言葉には、何ら含むところなど無かったのだ。
「まぁ……え―んちゃうか? 旅は道ずれってゆーしな。……なあ、エルス?」
ニシシと無邪気な笑顔を携えたメルルがエルスの隣まで進み出て、何とも軽くエルスにそう告げる。彼女もまた、カナンに悪意や邪気を見止めなかった様だった。
唯一反論したいアルナは、エルスに口を抑えられて声を出せない。
「ああ、そうだな。俺はエルス。宜しく頼むよ」
シェラの態度とメルルの意見を受けて、エルスも笑顔でそう答えた。
「俺はカナン……カナン=ガルバだ」
それだけを簡潔に返したカナンは、エルスの空いている手と握手をしたのだった。
それからの二人は、正しく水魚の交わりとも言える関係を築く。
互いに本気の剣を交えて分かりあった者同士、相通ずるところがあるのかもしれない。
カナンはエルスの強さと、その器の大きさに感銘を受けており。
エルスはカナンの実直さと、その剣の素直さに絶対の信頼を置いていたのだった。
それ故に、カナンは裏切らない。
例えエルスが魔道に堕ち、世界を滅ぼすと断言しても、カナンはシェキーナやメルル同様エルスに付き従うのだと言う事を疑う者などいないのだった。
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