姉妹、別離

 事の次第をラフィーネから聞き知ったエルス達に言葉は無く、ただ沈黙が周囲を支配していた。

 そして3人の脳裏を過っていた事は、正しく三者三様であった。


 エルスには、この場で何か言う事など出来なかった。

 本心を言えば、傷心のラフィーネを気遣ってやりたかったのだが、彼にはその資格がないとも自覚していた。

 何故なら、その惨劇を引き起こした遠因は、エルスにあると言って良いからだ。


 アルナは、エルスを追ってこの地に来た。

 魔王……エルスを追って……。

 エルスが、「魔王の卵」を受け取り「魔王を孵す」等と言う神託クエストなど引き受けなければ、アルナがエルスを追うと言う事も無かったのだ。

 そして何より、この郷を護っていた老竜をアルナが屠ると言う事も無かっただろう。

 自身の選択が……行動が……そして何より、アルナの蛮行が……エルスに少なからず罪悪感を与えていたのだった。


 シェキーナには、更に複雑な想いが渦巻いていた。

 ただそれは、アルナに対しての怒りやラフィーネに対しての同情とは、ややおもむきが異なっていた。

 どちらかと言えば、彼女の中にはラフィーネを始めとしたエルフ族の不甲斐なさに対する苛立ちと、エルスへ向けた対応についての怒りが少なからず含まれていたのだった。


 今のエルフ族は、アルナへの「恐怖」から、「人族」に従属していると言える。

 当初は従うよう要求して来たアルナ達だったが、老竜との戦いを終えて、何ら契約を交わす事無く去っている。

 勿論、エルスを迎え入れない様に釘を刺した訳だが、それに対しての返事はまだ済ませていない。つまり、彼女達の要求は無効……と捉えられなくも無いのだ。


 エルフは気高い種族である。

 長き年月を生きる彼等は、それだけに様々な事を知識として持っており、だからこそ自分達を高尚な種族だと意識している。

 シェキーナも勿論、その考えの基に生きている。

 彼女程、エルフとしての自分を誇りに思っているエルフはいないだろう。

 だからこそ、「人族」の庇護下で命を長らえると言う選択など、到底認められる訳がなかったのだった。


 だがラフィーネは、アルナに恐怖し、彼女の要望を実行しようとしている。

 それが彼女の苛立ちに変わっていた。

 老竜グリーンドラゴンは、戦ってこの世を去った。

 シェキーナの思い描く「生きる」と言う事は、正しく戦いなのだ。

 そして、老竜は彼女の願う理想の最期を遂げた……と考えている。

 自らの信念に基づき、最後まで強大な敵に抗って散ったのだ。


 しかし、ラフィーネ達はどうだ。

 彼女達の行動も、そしてその選択も、シェキーナには全く認められない事だった。


 そしてその結果が、彼女が認め慕う、世界の功労者たるエルスを拒絶する事なのだ。

 この仕打ち、そして不甲斐なさに、彼女が怒りを持つのも仕方の無い事かも知れない。

 やや……危険な方向に思考が傾いているとも言えるのだが。


「それやったら、これはチャンス……丁度えーんちゃうん?」


 ラフィーネの話が終わり、この場にいる者の中で真っ先に声を出したのはメルルだった。

 3人の中でも、彼女の思考はかなり独創的かつ……現実的であった。


「……チャン……ス……? チャンスとは……一体……どういう事ですか?」


 話し終えたラフィーネに、当初の気丈さは残っていなかった。

 彼女は自身が話した数日前と同じ様に、見えない何かに怯え、やや声を震わせてメルルにそう質問した。

 そしてその問いは、エルスとシェキーナも同じ様に抱いたものだった。


「だって、そうやろ―――? すでに此処にはアルナが来た後や。しかもご丁寧に、脅しまでして行きおった。それやったら、当分此処に来るって事は無いんちゃうか?」


 スラスラと、さも当然と言った態で話すメルルに、その場の誰も言葉を挟めなかった。

 だが、彼女の言う事は事実であっても、あくまでも可能性の問題である。

 今……この時にも、アルナが戻って来る可能性は十分考えられるのだ。


「で……でも、それは……」


 当然、再び矢面に立たされるエルフ族……ラフィーネには、大いに異論がある筈であり、十分な時間を掛けて漸く声を出せるようになった彼女が異を唱える。


「可能性―――……とか、確率―――……なんて、しょーもない事ゆわんといてや―――。そんなんも考慮に入れた上で、提案してるんやからな―――」


 そんな反論もメルルは織り込み済みな様であった。

 そして、彼女がそう考えを導き出した理由を、更に語り出した。


「アルナがウチ等を探すとして、その範囲はどれくらいになると思う? ウチ等は、この世界の殆ど……んで、様々な異界にも行ってきたんやで? ここだけに囚われとったら、生きてるうちに全部周れんやろ。アルナ達あいつらに、何かしらの確信でもあるっちゅーんやったら話も変わるけど、あいつらには正確にウチ等の居場所を探る能力はないみたいやからな―――。此処に来る確率は……かなり低い。 少なくとも、1年やそこらでは来―へんのちゃうか?」


 考えを一気に、そして殆ど話し終えたメルルは、大きく深呼吸した後溜め込んだ空気を鼻から勢いよく吐き出した。


 それを聞いたラフィーネは……、

 信じられないと言った表情でメルルを見つめていた。

 彼女の考えとしては、再びエルフ村を巻き込もうと考えるメルルの思考こそが信じられなかったのだった。


 それを聞いたエルスは……、

 流石に諸手を上げて賛成など出来なかった。

 長い付き合いである。エルスにしてみれば、メルルの言った言葉にはどれも根拠を感じられる、信じられる意見に変わりはなかった。

 しかし、再びラフィーネの語った惨劇を、この場でアルナにさせる訳にはいかない。

 そうなったのなら、結果はどうあれエルスにとっては居た堪れなくなるのが火を見るより明らかだったのだ。

 これ以上、自分の責任でこの村に迷惑を掛けたくない。

 端的に言えば、そう考えていた。


 そしてシェキーナは……、

 最早怒りを通り越して呆れ返っていた。

 メルルの考えはもっともであり、恐らくはきっと彼女の考え通りになるだろうとシェキーナは確信していた。

 何故ならば、彼女がアルナの立場ならば、自分もその様に動くと考えたからだ。

 世界は広い……。その事を彼女は、郷を出て痛感していた。

 そんな広い世界を、僅か数人……いや、ベベルやゼルには使える人員がある。

 それでも、アルナ達でしか赴く事の出来ない場所があり、それらを周るだけでも随分と時間を浪費する筈なのだ。

 逆に、エルス達が彷徨い遭遇する事を考えれば、この地に潜む方が現実的であった。


 それにも拘らず、そんな事に思いを馳せる事も出来ずに、自分達の立場ばかり強調するラフィーネ達に、シェキーナは嫌悪すら抱くようになっていたのだ。


 それぞれの思惑……。


 この場に留まって欲しくない……。


 この場に留まりたくない……。


 そして、


 この場に居たくも無い……。


 そんな想いが交錯する中、意見が出ない事に痺れを切らしたのか、メルルが更に言葉を続け出した。


「だいたいな―――……。あんた等、何を思い違いしてるんか知らんけどな―――……」


 勿体ぶった様なゆっくりとした物言いに、全員の視線がメルルに注がれる。

 そしてメルルはそれが分かった上で、意地の悪い……嫌らしい笑みを浮かべて続けた。


「ウチ等が……アルナよりも弱い―――って……思ってないか―――?」


 その言葉に、最も畏怖を露わにしたのはラフィーネだった。

 彼女は、アルナと言う脅威に思考を奪われ、目の前の集団が世界で最もと言う事を失念していたのだった。


「ウチ等は……魔族やで―――? アルナとちごて、この郷を強引に従えるんも、滅ぼすんも自在なんやで―――」


 ―――悪ノリである。


 ラフィーネの煮え切らない態度に、メルルは早々に結論を出したのだろう。

 理解と協力を諦めて……そして、この地を去る駄賃として、彼女は悪ふざけを敢行したのだ。

 エルスとシェキーナはその意図を理解したが、最高の脅しを掛けられたラフィーネはそれ処では無い。

 アルナと同等か、それ以上の力を持った「魔族」が3人……目の前にいるのだから。


「……もう良い、メルル。止めてやれ」


 そのを止めたのは、既にエルフの郷に興味を無くしていたシェキーナだった。

 メルルのを止めたシェキーナだったが、去る前にどうしても言わなければ収まらない事もあった。


「……ラフィーネ……私はお前達に……失望している」


 シェキーナは射竦いすくめる様にラフィーネを見つめ、その視線を受けたラフィーネは息を詰まらせてシェキーナの顔を見つめた。

 それは、ここを訪れた時のような図式であっても、その内容には雲泥の差が生じていた。


「盟友たる老竜が殺られても、その無念を晴らそうともしない。自らの平穏を望むあまり、他種族の要求を素直に受け入れる。お前達に、エルフの矜持を感じる事が出来ない」


 シェキーナの言葉は、そのどれもが辛辣でありまた……真実だった。

 完全に気勢で上回れられているラフィーネは、それでも反論を試みた。


「ね……姉さんには分からないわっ! 郷を護る事っ! 民を護る事っ! それは族長に課せられた使命であり、私にはその責任がありますっ!」


 ラフィーネの反論は、あくまでも建前であった。

 それが真実であっても、本音をぶつけるシェキーナに対しては明らかに力の無い言葉と言わざるを得ない。


「エルフ族は、学者の一族に非ず……狩猟を主とする種族だ。そして、エルフ族には古より抱いている矜持がある。これを蔑ろにする等、種族が滅んだに等しい」


 何よりも冷たく……どこまでも深いシェキーナの声音に、ラフィーネはもう反論する気力すら奪われていた。


「そんな……何も持たない、全てを無くしてしまった種族に、私は何の感情も覚えない。……忘れるな。例えこれより生き永らえたとしても、いずれ魔族である私がお前達を滅ぼしに来るだろう。それまで、お前達の望んだ……選んだ“平和”とやらを満喫しておくんだな」


 それだけを言い残し、シェキーナは先頭を切ってこの場を後にする。

 エルスは、どうにも申し訳なさそうな思いで彼女に続き、ラフィーネ達を一瞥したメルルが最後にこの場を後にしたのだった。


 共に過ごしていた時は、他者も羨むほどの姉妹仲であった。

 協力すれば、歴代の族長をも上回る統率力を見せるとさえ言われた二人であった。


 だがそれも実現する事無く……。


 決して交わる事の無い道を進む事となってしまったのだった。

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