血煙に霞む聖女 2

「聖炎を纏いし神槍よ。我が敵を貫き……焼き払えっ! 神炎槍っファイア・ジャベリン!」


 シェラを留めたアルナは、空いている左手で中空に印を切り呪文を唱え、幾つもの炎を纏う槍を出現させ老竜へと放った。

 

 直後、耳をつんざく音が周囲に響き、老竜の身体に炎の槍が何本も突き刺さった。


『ゴッ……ゴオオォォッ!』


 堪らず老竜が咆哮を上げる。

 距離を取りたくとも、空に逃れたくとも、尻尾を掴まれた状態ではその場から動く事など出来なかったのだった。


 一般に、「僧侶」は「魔法使い」の使う様な魔法を使えない……と認識されている。

 攻撃魔法は「魔法使い」の領分であり、僧侶の得意とする処は回復と防御だとされるものだ。

 しかしそこには、大きな語弊がある。

 僧侶が攻撃魔法を使えない職業なのでは無く。

 僧侶と言う職業が、攻撃魔法を使う事に忌避感を示しているだけに他ならないのだ。

 争いを嫌い、自らの益を求めて力を振るう事の無い僧侶と言う職業柄、攻撃だけが目的の魔法は必要なく、必然的に使用する……使用出来る魔法が偏ってしまう。ただそれだけに過ぎない。

 そして逆もまた然り。

 魔法使いもまた、その者が望めば回復や防御の魔法を使う事が出来るのだ。

 

 人の一生は短く、習得に掛かる時間を考慮すれば、どちらかを突き詰める方が効率も良い。

 そのような理由から、誰しも「魔法使い」となり攻撃魔法のスペシャリストとなるか、「僧侶」となって回復魔法に特化するかを選択するのだ。

 しかし、もしもどちらも覚えるだけの才能があれば、それらを考慮する必要等無い。どちらも覚える事が出来るだろう。

 そして勘違いされがちなのだが。


 ―――神聖魔法にも、強力な攻撃魔法は存在するのだ。


 炎の槍に貫かれた老竜が、悲鳴とも怒りともつかない咆哮を上げる。

 そして炎槍は青白い色へと姿を変えて、そのままグリーンドラゴンの身体を焼き尽くさんと包み込む。


「……ふん……。やはり炎への耐性は高いわね」


 その状況を見つめていた血まみれのアルナは、掴んでいた尻尾を放り捨ててそう呟いた。

 やがて、老竜を取り巻いていた炎は消え失せ、身体の各所から黒煙を上げるグリーンドラゴンの姿が露わになった。

 既に鱗の一部は焼けただれ、背の翼もボロボロとなっており、飛んで逃げる事もあたわない。

 

『グ……グオオオッ!』


 老竜は大きく息を吸い込むと、そのまま豪炎を口より吐き散らした。

 ドラゴンのブレスにはさまざまな種類があるものの、どれも強力であり、防ぐだけでも手一杯と言う代物ばかりだった。

 とりわけグリーンドラゴンのブレスは高温であり、如何に防御魔法や防具で備えていたとしても、まともに受けたのならば少なくないダメージを受ける事は必然であった。

 だが、アルナはそのブレス攻撃を微動だにせず、魔法を展開する素振りすら見せずまともに受けたのだった。


『お……おのれ……此奴……魔神の化身か……!?』


 自らの攻撃が、アルナに何らダメージを与えていないと理解した老竜が、驚愕の声を洩らす。

 もっとも、その認識は大きく違っているのだが。

 

 老竜の攻撃は、どれもアルナに途方もない苦痛を与えていた。

 粉砕された右腕……無数に穴の開いた体……くまなく焼かれた全身……。

 そのどれもが、彼女に言いようのない痛みを齎していた。


 ただ……致命傷にならない・・・・・・・・だけだった。


「大いなる神……計り知れぬ加護……我は御子……神の御手に抱かれしいとし子を、どうぞその寵愛で慰め賜え」


 アルナが呪文を唱えると、金色に輝く光が彼女を包み、損傷していた体の部位全てを瞬く間に快癒させてしまったのだった。

 その光景は、正しく神の奇跡以外に例えようの無いものだった。

 対峙する老竜は勿論、シェラも、そしてラフィーネでさえ僅かな動きどころか、声すら上げる事無くその情景に見入っていたのだった。

 

「魔法に耐性があるなら……これでケリを着けないといけないわね―――」


 微動だにすら出来ない者達を意に介さず、アルナは背負っていた細長い棒を取り出し構えた。

 一目見ただけでは、それは僧侶が好んで用いる錫杖にも、魔法使いが持つ杖だとも思える。

 しかし金色を放つその棒杖の表面には、神聖文字と思われる梵字がびっしりと刻まれていた。

 そしてシェラには、それで老竜を倒せるとは到底思えなかったのだが、それが誤認だとすぐに思い知らされることとなったのだった。

 

 アルナの手に握られた細い棒……その一方の先端に光が集まり、瞬く間に巨大な物質を出現させたのだ。

 

 そのシルエットはそう……柄の細い……頭の巨大な……戦鎚だったのだ。


 見るからにアンバランス。

 そして、見るからに超重量。


 だがアルナは、それを片手で軽々と扱っていた。

 シェラの記憶に、アルナが怪力であるとか修道僧モンクであると言う事実はない。

 そんな彼女が自分と同等の怪力を披露しているのだから、その驚きは計り知れなかったであろう。

 そしてそれは、敵意を向けられている老竜も同じであった。


『オオオオオッ!』


 危機感に苛まれたのか、老竜は正しくけだものの様に咆哮し、巨大な尻尾を矢鱈めったらと振り回し、炎を撒き散らした。

 それはそのまま、アルナの接近を嫌っての……いや、恐怖しても行為に他ならない。


 ―――しかしそのどれもが……アルナには届いていなかった。


「……おいおい……本当に畜生かよ……。でも残念。そう何度も、ただで喰らってやる訳にはいかないわ」


 老竜の攻撃は、アルナの展開した強固な防御壁によって全て遮られていた。

 元よりアルナは、防御魔法、回復魔法のスペシャリストであり、この程度の芸当はそれこそ朝飯前なのだ。

 

 それでも、巨鎚を片手に迫られる老竜にはたまったものでは無い。


 そして遂に、老竜の攻撃が途切れる……。


 いや……最早万策尽きたと言った方が適切だろうか。


 怯えの浮かぶ老竜の瞳は、戦鎚を高々と掲げるアルナの姿を捉えて離さなかった。


「……おい、ラフィーネ」


 最上段に構えを取ったアルナは、そこで動きを止めて身動みじろぎできないラフィーネに声を掛けた。

 一連の攻防は、見ているだけだったラフィーネにも計り知れない恐怖を植え付けていたのだった。


「魔王エルスをかくまうと言うのなら……この郷のエルフも同族って訳よね。そしてその結末は……こうだ」


 返事を返せないでいるラフィーネにお構いなく、アルナはその手を振り下ろした。

 強靭な肉体を持つ老竜を、その手に持つ戦鎚は苦も無く押し潰し、それこそあっけなく息の根を止めたのだった。

 しかもそれだけでは無い。

 直後、白い炎が沸き立ち、老竜の身体を塵一つ残さず燃焼せしめたのだ。

 アルナが戦鎚を引いた後には、一切の痕跡が消し去られていたのだった。

 恐怖の余り目に涙を浮かべたままのラフィーネを残し、アルナはシェラを引き連れて、元来た道を去って行ったのだった。




「流石に……この『力』は……きついわね……」


 精霊界より帰還したアルナとシェラだったが、その途端アルナがよろめき、傍らにいたシェラに抱きかかえられた。


「……あれだけの力だ……体にも負担がかかるだろうし、何か代償リスクが発生しているんじゃないのか?」


 心底不安げな表情を浮かべるシェラに、アルナは無理に作り出したと分かる笑顔を向ける。


「強力な力には、代償リスクは付きものよ。そして、そのリスクに見合った力なら、私に不満なんてないわ」


 その理屈はもっともだとシェラも理解したが、その代償の内容によっては使用を控えさせなければならないとも考えていた。


 ……のだが。


「この力なら……エルスッ! 魔王エルスを打ち取れるっ! エルスがどれ程の力を付けようと、この力なら倒す事が出来るのよっ!」


 自答する様に……何かに囚われているかのように、アルナは目に狂気を浮かべてそう口にした。

 

 そして、それを見たシェラは静かに覚悟する。


 もう決して、相容れる事は無いと言う事を。


 もう決して、あの時に戻る事は出来ないと言う事を。


 そして。


 次にエルス達と見える時には、想像を絶する戦いが繰り広げられるであろうことを。


 その一端を間違いなく担う事となるシェラ自身もまた、来たる戦いに決死の想いを誓うのであった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る