血煙に霞む聖女 1

「聖女アルナは……ここへ来るなり、我等に従属を勧告しました……」


「なっ!?」


「なんだとっ!?」


「……なるほどな―――……」


 エルフ族次期族長ラフィーネの告白に、エルスとシェキーナは絶句し、メルルは何かを推察して深く頷いた。


 聖女と呼ばれているだけあり、アルナに自ら争う様な考えはない……筈である。

 勿論、相手が魔族であったり、明確な神敵であったなら話は別であるが、例え異種族であったとしても、理由なく戦いを仕掛ける様な真似はしなかったのだ。

 そんな彼女が、碌な論議を行う事も無く従属を強いるなど、彼女を良く知るエルスやシェキーナには想像もつかない事だったのだった。




「なんだ―――? 随分と大勢でのお出迎えね―――?」


 シェキーナやメルル、カナンと別れたアルナが、「極戦士」シェラを伴って真っ先に訪れたのは此処……エルフ郷であった。


「先程、聖霊様がお見えになりました。事の次第は、その時に聞き知っています」


 エルフ郷の門よりわずかに離れた、この郷への入り口を示す双大樹。

 そこには、老竜エルダードラゴンたるグリーンドラゴンと、数人の戦士を従えたラフィーネが、アルナとシェラを相手に対峙していた。


「知っているんなら話は早いね。あんた等は、あたし等の要求を聞きな。それなら手荒な真似なんかするつもりも無いからさ」


 アルナの後ろに付き従う位置で立っていたシェラが、対峙する全てを威嚇する様にそう言い捨てた。

 歴戦の勇者であるシェラの気勢は、その場にいる者達をすくみ上らせるのに十分だった。

 それでもラフィーネは、それに気圧される事無く堂々と立ち、怯んだ様子を一切見せなかった。

 彼女はエルフ族を治める次期族長であり、エルフ族の興亡は彼女の手腕にかかっているのだ。

 長である彼女が、外から来た者の威圧に怯んだとなれば、それは郷の存続に大きな影を落とすのだ。


「……それについて、聖霊様は何もおっしゃられていません。精霊様から聞き及んでいない以上、その要求はあなた達の願望と言う事になり、私達は即座に受け入れる事など出来ません」


「……ほう……」


 気力を込めたラフィーネの言葉に、シェラは感嘆の声を上げた。

 彼女の声にすくみ上る事無く、あまつさえ言い返す等と言う事は並の胆力では出来ない。シェラはそれを知っており、だからこそ感心したのだった。

 

「勇者エルスについても、その処遇は彼と相対してより決めます。我等は訪問者をゆえなく遠ざける様な真似はしません。如何に聖霊様の言葉であっても、勇者エルスの功績を考えれば、その判断は本人と相対してより決めようと思います」


「勇者……エルス……だと?」


 ラフィーネの口上を聞いていたアルナとシェラだったが、ラフィーネの話に度々登場する「勇者エルス」と言う言葉に終に我慢しきれなくなったのか、まるで地の底を這う様な声を発した。


「勘違いするなっ! 『魔王エルス』だっ! それは聖霊様も、そして我が神も認めている事なのだっ! 奴は我等の信頼すら……想いすら裏切って、私欲に走ったのだっ!」


 まるでラフィーネに噛みつくかのように、アルナは敵対心も露わにそう叫んだ。

 その余りの迫力に、それまで何とか平静を保っていたラフィーネも僅かに数歩、後退った。

 

「今後この地に、魔王エルスが立ち寄ることも考えられる。この地には、例え私達であっても簡単には来られない。この場所に居を構えられたら、厄介この上ないのよ……分かるでしょう?」


 瞳に妖しい炎を宿し、それでもアルナは声音を和らげてラフィーネにそう問いかけた。

 まるで猫なで声のその声は、彼女元来の声音も相まって甘く、そして妖艶にラフィーネへと絡みつく。

 

『エルフの娘よ。正気を保つのだ』


 まるで催眠に掛かったかのように呆けてしまったラフィーネを現実へと引き戻したのは、それまで傍らで控え微動だにしなかったグリーンドラゴンであった。

 低く重い、唸るような声を掛けられ、ラフィーネは即座に意識の手綱を引き絞った。


「ふん……。畜生風情が、私と彼女の会話に割って入るな!」


 その結果を見て取ったアルナが、吐き捨てるようにそう言い放った。


『……彼の者を我の敵と認識しよう』


 アルナのその態度を見止めた老竜だが、別段怒った様子も見せずに、静かにそう呟いた。


「……グリーンドラゴンッ!」


『下がっていよ……エルフ達。我はこの娘を排除する』


 老竜を気遣うラフィーネに、グリーンドラゴンは静かに、優しくそう告げた。

 その声を聴いて、ラフィーネは全員に村まで下がるよう告げ、自身は僅かに離れて事の成り行きを見守ることとした。


「……まったく……。神の御心も理解出来ない魔獣如きが、いちいちとかんに障る事をするわね……」


 ラフィーネとグリーンドラゴンのやり取りに手出ししなかったアルナが、溜息交じりにそう独り言ちた。

 その間にも老竜は戦闘態勢を取り、今にも飛び掛からんとする気迫を放ち出している。


「……良い機会かもしれないわね……。私の力……ちょっと試してみようかな。シェラ、ここは私に任せて、少し下がっててくれない?」


 そんな老竜の行動などどこ吹く風、アルナはシェラにその様な指示を与えた。


「……しかしアルナ。相手は老竜エルダードラゴン、中々の相手だ。僧侶のお前一人では手に負えないのではないか?」


 シェラの杞憂は、至極当然のものだった。誰が考えても、僧侶が老竜と単騎で戦うなど無謀にもほどがあるのだが……。


「……ああ? 五月蠅い。黙って見ていろ」


 老竜に向けるべき殺気をシェラへと向け、アルナは彼女の意見を口封じする。

 そして、歴戦の勇者たるシェラを以てしても、アルナの狂気とも言うべき気勢を向けられて閉口してしまったのだった。

 そしてシェラは、それ以上何も口を挟む事無く、静かに後方へと下がり控えた。


『……何とも禍々しき気力オーラよ……』


 その成り行きを見つめていた老竜が、そう呟いたと同時に巨大な尻尾を槍の様に放った。

 老竜の攻撃に対して、口端を歪に吊り上げたアルナはゆっくりと右手を上げ、まるで掴む様な仕草を取って迎える。


『笑止』

 

 グリーンドラゴンがそう呟いた直後、老竜の尻尾はさながら巨大な槍の様にアルナの右手へと吸い込まれ、そのまま右掌より粉砕しながら肩口の所まで突き刺さった。

 

『そのような細腕で、我の尾を止めようとは……此奴、気でも触れておるのか……?』


 当然と言える結果を見つめ、老竜は溜息でもきそうな声音でそう呟いた。

 事実、老竜の攻撃は半端なく、アルナの腕力ではよくも肩口までで止まったと言わざるを得ない。

 これがシェラ程の筋肉を携えた者だったならば、その結果も頷けるものだったであろうが、どちらにせよ無傷では済まされない攻撃であった。

 自身の腕が粉砕され、本来ならば泣き叫ぶなり動揺するなりの行動を取る処であるのに、アルナにその様な素振りは見られない。

 それどころか、顔に張り付いた笑みを更に醜く歪めていた。


『……なんとっ!?』


 そして逆に、老竜の方が驚愕の唸り声上げた。

 ズタズタに引き裂かれて使い物にならなくなったはずの右手が、グリーンドラゴンの尻尾を確りと掴み、更には引く事を許さないのだ。


「なんだ―――? この程度の攻撃で、私をどうにか出来るって、本当に思っていたのかしら―――?」


 老竜の目にアルナは、今や死を齎す存在にしか映らなかった。


幾星霜のエテルノ・煌きを以てヴィア・ラクテア彼の敵をカースス・撃ち滅ぼさんっイニミークス! 龍輝センテュリオ・ドラグ星っ・シュテルン!』


 老竜は、この世界に存在するどんな言語とも違う言葉で呪文を唱えた。

 それこそは「龍言語魔法」と呼ばれる、上位龍族だけが使う魔法であった。

 どの属性にも属さないこの魔法は、アルナやメルルの使用する魔法では防ぐことの難しい、非常に厄介な魔法として知られている。

 それでもアルナ程の高僧ならば、ダメージを軽減する魔法を幾つか持っている筈なのだが。


『……むうっ!?』


 老竜の予想に反して、アルナは何ら防御策を取らず、向かい来る光の槍を躱す素振りすら見せずにいた。

 グリーンドラゴンに手心を加える気など毛頭ない。

 元より、彼女の姿に危機感を募らせている老竜に、手加減すると言う思考すらなかったのだ。

 直撃すれば致命傷は免れず、またそれが分からないアルナでは無い筈であった。

 そんな思惑など無視して、老竜の放った魔法はアルナの周囲に着弾し、そのいくつかが彼女の身体を貫いた。

 そのどれもが彼女に少なくないダメージを負わせており、僅かな時間を置かずに行動不能とせしめる物ばかりだった。


 即ち……致命傷である。


「ア……アルナッ!」


 堪らずシェラが後方より声を上げる。

 手出し無用と言われてはいても、目の前で味方の惨劇を見せられればそうも言っていられない。彼女は武器を手に飛び出そうとしたのだが。


「……騒ぐな……シェラ」


 先程と何ら変わらぬ声音で、幾本もの魔法槍に貫かれたアルナが、浮かんだ笑みを絶やす事無くそう口にした。

 勿論、彼女の身体は血だらけであり、貫かれた部分からは血が溢れ、彼女の聖衣を血に染めている。

 吊り上がった口端からも血液が溢れており、明らかにダメージを負っている状態であった。

 それでもアルナに、その事について動じた様子はなかったのだった。


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