安住の地は?
暖を取る為に焚いている
「……ん……? 目覚めたか、エルス?」
すぐ近くで腰を下ろしていたシェキーナが、覗き込む様にして彼の顔色を窺った。
「……あ……シェキ……ナ……」
目覚めたと言ってもすぐに全快とはいかず、エルスは何処か気怠そうに彼女の名を呼ぼうとした。
「まだ起きたらアカンで―――。此処ら一帯はシェキーナが目―光らせとる。あんたはもう少し眠っとき―――」
そのまま体を起こそうとするエルスを、火を挟んで座っているメルルが静止した。
「し……ししょ……」
「メ―ル―ル―や。その呼び方は止め―ゆーてるやろ」
眼鏡越しに半眼でギロリと睨んだメルルが、エルスの言葉を強制的に終了させた。
「あ……ああ……。ありがとう……メルル」
エルスは苦笑を洩らしながらもそう応え、再び体を横たえた。
メルルはそんなエルスに、プイッとわざとらしくそっぽを向いて見せ、そのやり取りを見ていたシェキーナも思わず笑みを溢す。
先程のやり取りでも分かる通りメルルは……エルスの師である。
だが、厳密には……それだけでは無い。
メルルは、エルスの育ての親であり、姉であり、先生であり、師匠であり……彼の初恋の相手でも会った。
およそ10年前……。
エルスの村は、魔族の一分隊に襲われて壊滅した。
彼の両親姉妹も悉く殺され、彼自身も命の危機に瀕していた。
その時、彼の中で眠っていた“勇者の力”が目覚めたのだ。
その力は強大であり、それまで何の訓練もしてこなかったにも関わらず、下級魔族を一掃せしめたのだった。
動くものが一切居なくなった燃え盛る村で、エルスは力尽き気を失った。
そこへ現れたのが……メルルだったのだ。
この時すでに、メルルは今と寸分違わぬ姿をしており、世界で最も知識を有する存在であった。
もっとも、この時のメルルは半ば世捨て人であり、世俗との関りを一切持っていなかった。故にその存在は誰に知られる事も無かったのだが。
メルルがエルスの倒れている村に立ち寄ったのは……まさに戯れだった。
魔族に襲われたと思しき村が全滅し、そこで息のある者は意識を失った少年だけである。そんな不可思議な状況に興味を惹かれたからに他ならなかった。
そして、メルルがエルスを保護したのも、当然……戯れである。
ただただ知的好奇心に惹かれた……それだけであった。
だがそれでも、彼女は未来の勇者を助けた事となる。
そして、人を助けると言う事は、共に生活して行かなければならないと言う事にもなったのだ。
メルルにしてみれば、興味を満たした後は単に煩わしい存在でしかなかったエルスだったが、彼にしてみればこの世で唯一の保護者である。
彼女に好かれる様に振る舞い、努力し、働いた。
そんなエルスに、メルルも次第に心を開き、様々な事を教え、また教わっていった。
エルスは何時しか、学術、魔術の先生であったメルルと、殆ど同年代と思われる年齢にまで成長する。
思われる……と言う表現になるのも致し方ない事で……。
メルルは、一切年齢を重ねないのだ。
長寿……と言う訳では無い。
シェキーナの様なハイエルフの様に、圧倒的に緩やかな刻を生きる訳でもない。
比喩でも何でもなく、メルルは歳を取らないのだった。
成長したエルスは、唯一の異性であったメルルに……恋をする。
だが、それまで親であり姉であり先生であった彼女に、エルスはその気持ちを伝える事など出来なかった。
そしてそれは、メルルも同様であった。
更に年月が過ぎ、エルスは魔族を討伐する旅に出る事を決意する。
各地で猛威を振るう魔族の悪行も聞こえて来ていたが、何よりも魔族は彼の家族を殺した、正しく仇と言って良い存在である。
メルルにそれを止める事など出来ず、彼女は同行する事で彼を護る事にしたのだった。
そしてやがて、エルスはアルナに出会い、二人は恋に落ちた。
メルルはそれを、複雑な気持ちで見守るしか出来なかったのだった。
「エルスはそのままで聞いとき―――。シェキーナ……あんた、何処かに行く当てとかあるんか?」
メルルはエルスでは無く、シェキーナに意見を求めた。
いきなり話を振られたシェキーナは、目をぱちくりとして即座の返答など出来なかった。
「どーせエルスに聞いたって、ろくに何も考えてないんやろ―――? 考えるよりも先に、行動するんがこの子の性格やからね―――。だからこうゆー時は、こっちから案を出さんとアカンのや」
火に薪をくべながら、メルルは溜息を交えてそう付け加えた。
その説明に、シェキーナも意を同じくしたのか、深く頷き返答とした。
もっとも、軽くディスられて居心地の悪くなっているのはエルスで、彼はそのまま何も答えず狸寝入りを決め込んだのだが。
「以前から考えていたのだが……“エルフ郷”に向かうのはどうだろうか? あの地は侵入も困難だが、何よりも私の故郷であり、そして私の力が最大限発揮される場所でもある。例えアルナ達が来ようと、人族の軍勢が来ようが、あの地に居れば何とでもなる」
シェキーナの案を、メルルは目を閉じて深く思案しながら聞いていた。
「……シェキーナ。あんた、“エルフ郷”にその事聞いてるんか? ウチ等が行って、問題なく受け入れてくれるんか?」
目を瞑りながら、メルルが再度質問を返した。
その問いに、シェキーナはすぐに返事を返す事が出来なかった。
「……いや……特段、ラフィーネには連絡を入れていないが……」
言い淀んだシェキーナは、そのまま口を閉ざして考え込んでしまったのだった。
デルフィトス=ラフィーネは、シェキーナの妹であり、彼女無き後のエルフ郷を纏める、次期族長の座についている。
既に病床にある現族長を考えれば、実質今のエルフ郷を治めているのはラフィーネであった。
シェキーナがエルフ郷で暮らしていた頃、彼女とラフィーネは仲の良い姉妹だった。
正しく気の置けない間柄だった二人であったので、シェキーナもわざわざエルフ郷に連絡を入れると言う発想には至らなかったのだが……。
シェキーナがエルフ郷を発つ折、彼女はエルフ郷との
今やシェキーナは、エルフ郷に何の権限も持たない、他人と言っても良い立場なのだ。
メルルに指摘され、シェキーナはその事を思い出していた。
それと同時に、よもやラフィーネに拒絶されるなどと言う考えなど持っていなかった事にも気付かされたのだった。
「……ま―――えーわ。とりあえず、シェキーナの案に乗ってみようか―――。それでアカンかったら、ウチが別の提案をするわ」
メルルには他に腹案があった様だが、この場はシェキーナの案を採用する事で話はまとまった。
一先ず……と言わず、終の棲家とするのに、確かに“エルフ郷”は打って付けであったからだ。
年中花が咲きこぼれ、季節と言う概念の無い穏やかな地“エルフ郷”。
人々が夢見る桃源郷の如き地であれば、エルス達と暮らすに申し分のない事は疑い様が無かった。
シェキーナは、自身の中に起こった一抹の不安を抑え込んで、エルフ郷へと向かう事を決心した。
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