暗影との対顔
「……エルス。何処か当てがあって行動しているのか?」
ベベルと別れてから更に2日後……。
日も暮れた森の中で、野営の準備を終え狩った獲物を火で炙りながら、シェキーナが抱いていた疑問を口にした。
「……いや……兎に角、南へと向かってるだけなんだが……」
この2日……シェキーナはエルスに何も聞かず、彼の行く道を付き添って来た。
だが、どうにも目的地がある様には感じられず、この問いをするに至ったのだった。
シェキーナの質問に、エルスは頭を掻きながらそう答えた。
そしてシェキーナは、小さく溜息を吐いてエルスを見やった。
柔らかな沈黙が周囲を包み、何処からともなく夜鳥の声が響き渡る。
夜の森と言えば、どんなに熟達した狩人でも入る事を躊躇するものだ。それ程に、どんなアクシデントに遭遇するか分からない。
夜は、特に獰猛な夜行性肉食獣が活発になる事で知られている。
視界が悪く、四方周辺が全て死角となっている為、安全を確保するのが困難なのだ。
しかしそれも、エルフが一緒であれば例外となる。
森の一族、エルフが同行していれば、死角が死角とはなり得ない。
周囲の樹木が結界の役目を果たし、近づく存在を教えてくれるのだ。
余程の事が無い限り、エルフと共にいる森の中は、危険どころか一種の安全地帯となるのだ。
『こんな所で野営とは……少し不用心なんじゃないか―――?』
そんなある種の安堵感を嘲笑うかの如く、暗闇より更に暗い声が響き渡った。
「なんだとっ!?」
エルスとシェキーナは鍛え上げられた戦士としての反応を以て、即座に手元の武器を引き寄せて戦闘態勢を取る。
だが、この声に動揺しているのは、エルスよりもシェキーナの方であった。
彼女にとって森の中は、様々な意味で安心できる場所である。
自身が生まれ育った場所であると言う事も然りだが、何よりも“外敵”に対して、もっとも信頼出来る結界の役割を果たしてくれているのだ。
森に入った者を容赦なく襲う猛獣も、逆に言えば外敵が森へ侵入するのを躊躇させるものだ。
勿論、森の木々に侵入者の存在を感知したならば知らせる様に言い聞かせてある。
暗闇より滲み出ない限り、森の木々に知られる事無く侵入する事など不可能に近いのだ。
しかし、声の主はそれをやってのけたのだ。
そして……その声にエルスとシェキーナは覚えがあった。
「ゼルだなっ!? どこだっ!?」
エルスとシェキーナは、互いに背中合わせとなって周囲に視線を巡らせる。
唯一の光源が焚火の灯りだけでは、入り組んだ樹海ではそう遠くまで見渡す事が出来ない。
今となっては、周囲に群生する樹木が死角となり、ゼルの居場所を知らせないのだった。
だが……。
「おいおい……俺はここだぜ―――?」
エルスの正面より、まるで染み出る様に現れたのは“暗殺者”“音無”ゼルだった。
彼の出現に、エルスとシェキーナは静かに息を呑む。
共に行動していた折には、彼の隠密行動には幾度となく助けられてきた。
しかし、いざ相対したならば、その恐ろしさには息を呑むより他なかったのだった。
なにせ……目の前にジワリと現れると言う技を目の当たりにしたのだから……。
「ゼル……お前……どうやって……?」
驚愕の表情で、シェキーナがゼルにそう問いかける。
森の結界……それを
誰かがこの森に足を踏み入れれば気付かぬはずはないし、誰一人この場所に近づける筈も無い。シェキーナにはその確信があったのだが……。
「どうって……俺は森の入り口から普通に入って来ただけだぜ―――?」
それに対してゼルは、事も無げにそう返した。
「お前……まさか……気配を
人の気配を感じられなかったのなら、気配を偽って侵入した以外に考えられない。
人の気配には神経をとがらせていたシェキーナも、小動物クラスの気配には気を配っていなかったのだ。
「俺は盗賊であり暗殺者だからな―――……。気配を消す事も、変える事も得意なんだぜ―――。知らなかったかよ?」
そんな事は、エルスもシェキーナですら初耳だった。
彼が気配を消す事を得意としているのは良く知っている。
だが、気配を消すだけではシェキーナの結界を素通りするなど出来よう筈も無かった。
ゼルは正しく、自身の気配を違う物に変容させていたのだった。
「お前もエルスを追って来たのか!?」
だが、今は彼に得意技能の説明を求めている場合では無い。
シェキーナの聞くまでもない問いに、ゼルは
「……おいおい……アルナの言う通り、本当にボケちまったのか―――シェキーナ? あの時、俺達は目的をハッキリとさせて
その言葉に、シェキーナは顔を赤くして言葉を詰まらせた。
それは別段、恥ずかしい想いをしたからでは無く。
ゼルの言いようが、どうにも神経を逆なでするものだったからだ。シェキーナは、逆上する気持ちを堪えたのであった。
「……アルナ……アルナも……俺を追っているのか……?」
もっとも、ゼルの言葉をエルスは、違った形で捕えていたのだった。
アルナの話題は、今までエルスとシェキーナの間で持ち上がらなかった。
それは、エルスにしてみれば聞きにくく、シェキーナにとっては言いにくい事であるからに他ならない。
2人共避けていた話題を、今、この時に暴露された形となった。
「ふぅ―――……おいおい、シェキーナ……。お前、何にも話してないんだな―――……」
お道化た態度を取りそう言い放ったゼルに、シェキーナは殺気の籠った視線を向けるも、当のゼルはどこ吹く風であった。
今までエルスには、精神的にダメージを負う事が立て続けに起こっていた。
今の彼には、もうこれ以上気持ちに負担の掛かる事を告げるべきでは無いとシェキーナは考えていたのだ。
恐らくは事情を知らないゼルが、然して何事も考えずに口走った事であろうが、今のエルスにダメージを与えるには十分すぎる話だった。
「今、アルナの奴は……」
「黙れ……ゼル」
何も口を開かないエルスに、更なる言葉を綴ろうとしたゼルを、シェキーナがその一言で閉口させた。
さしものゼルも、今シェキーナが放つ凶悪な殺気を軽口で無視出来るものでは無かったのだ。
殆ど無意識に、ゼルは後方へと僅かに飛び退いた。
「ゼル……お前を殺す」
静かに重い殺気を放つシェキーナが、ただ一言そう呟いた。
その直後、何時放ったのか数本の矢がゼルへと迫る!
気配に関して……気配の動きに敏感なゼルであっても、余りに早業なシェキーナの攻撃には、僅かに躱すだけで精一杯であった。
「くおっ! い……いきなり殺す気の攻撃かよっ!」
そう毒づいたゼルもまた、腰に差した2本の短剣を引き抜いた。
「お前もエルスを殺しに来たのだろう? ならば殺されても文句は言えまい?」
殺意以外の籠らない瞳を湛え、シェキーナが冷徹にそう言い放った。
盗賊として……暗殺者として様々な修羅場を潜り抜けてきたゼルであっても、その迫力には気圧され、知らず冷汗が彼の頬を伝った。
「……ゼル。お前も……俺が勇者だろうと魔王だろうが、関係ないって言うのか……?」
そんな彼に、エルスが力なく問いかける。
エルスにしてみれば、仲間に襲われると言う事実はどうにも耐えがたいものだったのだ。
「ああ。そうだぜ―――」
エルスの問い掛けに、ゼルは間髪入れず、迷いなく答えた。
「何故だっ!」
そう吠えたのはシェキーナだった。
彼女の声には、これ以上ないと言う怒りが封じ込められていた。
「何故って、お前……そりゃ―――……金だろ」
先程の様に気圧される事も無く、下卑た笑みを浮かべたゼルは、なんら悪びれた様子もなくそう答えたのだった。
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