変異体

「……あれは……」


 ゴブリンの住処である洞窟前では、ゴブリンたちが篝火かがりびをたいて夕餉ゆうげを採っているところだった。

 さながら酒宴の様相を呈しており、ゴブリンたちは酒の注がれたジョッキを掲げ、下卑ていながらも楽し気に笑いを声を発していた。

 

 そこに伺えるゴブリンの数は大よそ20体。

 大きく輪を書くように、思い思いに地面へ座り込んで飲み食いしていた。


 そこに、一際異質を放つ存在がエルスとシェキーナの目に映ったのだった。


 他のゴブリン同様、自然体……なのだが、その滲み出る“強さ”は尋常なものでは無く、それを隠そうともしていない。

 明らかに集団のボス的存在なのだが、エルス達が感じるその強さは人界で見るゴブリンのそれを明らかに凌駕していた。


「……魔界からやって来たのか……? でもあんな個体、魔界でも見た事は無かったな……。と言う事は……」


変異体ケッツァー……かもな」


 エルスの呟きを次いで、シェキーナが考えたくも無い可能性を口にした。


 変異体とは、その名の通り突然変異として生まれて来る亜人種の呼称である。

 主に魔族で多く見られるそれは、その殆どがあり得ない程強力な力を宿している。

 元の種族がゴブリンである以上、如何に変異種であろうともその強さが今のエルス達に脅威となる事は少ない。

 それでも油断はできない。

 変異種は、その能力が大きく向上しているケースが殆どであると同時に、特殊な技能を身に付けている事もあるのだ。


 つまり……如何にゴブリンと言えども、油断が出来なくなったと言う事だった。


「……っ! エルス、あそこが見えるか?」


 夜目の利くシェキーナが指差す方向にエルスが目を向けると、ゴブリンたちが作る輪の中央、そこにロープで縛られた3人の子供が地面に横たえられている……様に見えた。


「……ああ、見えた。子供達は……まだ無事なんだろうか?」


「……ここからでは分からない……」


 エルスの呟きに、シェキーナは簡潔にそう答えて彼を見つめた。

 その瞳には、「これからどうするか?」を窺う意味が込められてる。


「……突っ込もう」


 もっとも、シェキーナには彼の答えが分かっており、今更聞くまでもないとも思っていたのだが。

 エルスは、殊更に無謀な性格をしていると言う事は無いが、熟考する質かと言えばそんな事は無い。

 即断即決、果断速攻を旨としており、考えで歩みが止められると言う事は無い。

 そして、そんな彼の考えに捕捉を与えて行くのはシェキーナやメルル達の仕事であった。


「そうだな。奴らは油断しているし、急襲すれば奴らを蹴散らす等造作も無い事だ。……問題があるとすれば……」


「ああ……。子供達の安否と……あの、変異体ケッツァー……だな」


 ゴブリン達を襲うに際し、一番の懸念は子供達に危害が及ばない事。

 そしてもう一つは、言うまでもなくゴブリン変異体の存在だった。

 ただ強いと言うだけでは無い。

 どの様な特殊能力を駆使して来るのか、ただ見ただけでは分からないのだ。


「俺が……変異体ヤツを殺る。シェキーナは、他のゴブリン雑魚共を頼む」


 エルスが、ある意味いつも通りの指示を出す。

 しかし、シェキーナはそこに、いつもと違う違和感がある事に気付いた。


 エルスに、普段は余りある自信が感じられなかったのだ。


 何かを危惧している……不安に感じている。

 シェキーナには、彼の言葉からそれらを読み取っていた。


 だが、エルスが決めた事に反論しようとは思わなかった。

 今までも、常に彼は皆の前を行き、彼女達はその後を付き従って来た。フォローして来たのだ。

 それが必ずしも正しかったとばかりは言えなかったが、それでも今まで何とかする事が出来、そして現在の彼女達があるのだ。

 シェキーナはその事実を信じたのだった。


「……行くぞっ!」


 シェキーナに声を掛け、何よりも自分に気合を入れる様に声を出したエルスは、腰に差した愛刀を抜き放ってゴブリン達に突撃を敢行した。




「エルスッ! 無事かっ!?」


 ゴブリン達を一掃したシェキーナがエルスと合流する。

 エルスの方はと言えば、ゴブリン達から変異体を大きく引き離す事に成功するも、予想以上に手強いゴブリン・ケッツァーに攻めあぐねていたのだった。


 急ぎゴブリン達に攻撃を仕掛けたエルス達だったが、結果は最悪だった。


 捕まっていた子供達は、3人共胴から首が切り離された状態で放置されていたのだった。

 大体の場合で、ゴブリンが捕まえた人族を即座に殺すと言う事は無い。

 奴隷宜しく、下働きとしてこき使うか、遊ぶように嬲り殺すのが常であり、それも少しずつ……1人ずつ行う習性があった。

 捕まえたその日に殺害する等、今までにない事だった。

 それは偏に、変異体の性格に依るところだろうと想像出来た。


 そしてその変異体は、中々に厄介な能力を有していた。

 その能力と言うのは……稀有な魔法であった。


「……魔法かっ!?」


 シェキーナの問い掛けにエルスが答えるまでもなく、ゴブリン・ケッツァーは無数の炎塊を出現させた。

 ゴブリンが魔法を使うと言う事は、然程珍しい事じゃない。

 しかし今、目の前のゴブリンが使おうとしているほど高火力の魔法を使う者は、中々お目に掛かれないだろう。

 有無を言わせず、ゴブリンが炎弾をエルス達に向けて放った。


「……ふんっ」


 それを、眉一つ動かさずにシェキーナが迎撃する。

 弓矢をサッと構えたシェキーナは、飛来する炎弾に向けて矢を放った。

 魔法で作られた炎塊を矢で迎え撃つと言う事自体が不可思議な行動だが、放った矢も1本だけだと言う事が更に不可解だった。

 たった一射しただけでは、到底全ての炎弾を叩き落とす事など出来ない。


 だが、その理由はすぐに明解となる。


 シェキーナの放った矢は、そのすぐ後に眩い光を放った。

 そして、そこから更に無数の光弾を……光の矢を放ち、それぞれが向かい来る炎弾を迎え撃つ。


 シェキーナの得意技、その一つである「星明りルークステラエ」。

 数種の精霊を矢に宿らせて放つ、一種の精霊魔法であった。

 放たれた矢は精霊の力を借りて、魔力を宿す無数の矢を実体化させる。

 そうしてその矢は、対象が実体非実体を問わずに射抜く事が出来るのだ。

 

 無数に出現した光矢は、たがう事無くことごとく迫り来る炎弾を射抜き、消滅させていった。

 それだけに留まらず、残る光弾がゴブリン・ケッツァーへと迫ったのだ。

 

 光の矢が命中した……と思われたその時。


「これが、お前が手古摺てこずっていた理由か」


 シェキーナの矢はゴブリンの身体を擦り抜け、その背後にある地面へと突き刺さったのちに霧散して消えたのだった。

 

「ああ……奴は……魔法で幻体イルソンを作り出しているようだ」


 幻体イルソンとはその名の通り、自身の幻を作り出す魔法だ。

 分身や幻術と違う所は、攻撃を受けるその瞬間まで、実体はそこに在ると言う事。

 攻撃を受けた瞬間、作り出した幻体だけをその場に残し、本体を一時的に異界へと逃がす高位魔法である。

 幻影を残すと言うよりも、残像を残すと言った方が表現としては適切かもしれない。

 実体が別の場所にある訳でも、何処かに本体が隠れている訳でもないので、攻撃がすり抜けると分かっていても、それに仕掛ける以外にないと言う部分が厄介なのだ。

 そして、実体が異界へと回避するのは一瞬。

 攻撃を回避した後で、即座に反撃出来ると言う点でもこの魔法は優れている。

 “次元魔法”に位置し、使用者は人界でもメルルくらいであった。

 

「だが……対抗策が無いわけでは無いぞ」


 再び矢をつがえるシェキーナ。

 それを確認したエルスが、一気にゴブリンとの間を詰めて攻撃を繰り出した。

 エルスの振るう剣は虚しく空を切るも、ゴブリンも連続攻撃に晒されては魔法を使用する事が出来ない。

 炎弾を放てないゴブリンが、右手に持つ短剣でエルスに反撃を試みた。

 ゴブリンと言えども変異種であり、攻撃力も然る事ながらその動きも目を見張る物がある。

 更にエルスは、攻撃がすり抜けると言う現象にどうにもタイミングがずれ、体勢が崩れがちになっていた。


「ぐっ!」


 ゴブリンの短剣が、エルスの肩を貫く。

 苦悶の表情を浮かべながらエルスはゴブリンの胴を薙ぐも、その剣はやはりすり抜け、ゴブリンは短剣から手を放して距離を取った。


 直後、シェキーナから矢が放たれる。


 光を纏うその矢は、先程とは違い一本のままゴブリンへと向かう。

 不意を突かれたゴブリンはその矢を躱す事が出来ずそのままゴブリンを貫いた……と思われたのだが、やはり矢はゴブリンを擦り抜けて地面に突き刺さった。


「グギャッ!」


 しかし先程までと違ったのは、ゴブリンが悲鳴を上げ、そしてその右肩には深々と矢が突き刺さっていたのだった。


 これもまた、シェキーナの持つ弓術……その一つ、「月明りルークスルーナ」。そのバリエーションであった。

 本来は、実体の影に放った二の矢を異次元へと移し、一の矢を躱した標的の死角から狙い撃つと言う技であった。

 だが今回、シェキーナは二の矢を現界へと戻す事をしなかった。

 その結果、異次元へと逃げ込んだゴブリンを見事射抜いたのだった。


「せいっ!」


 深い傷を負ってしまっては、高い精神力を必要とする高位魔法を使う事など出来ない。

 武器も手放してしまったゴブリン・ケッツァーは、即座に肉薄したエルスの斬撃を無数に受け、敢え無く絶命したのだった。

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