シェキーナ

『……フフフ……自分の置かれた立場も忘れたのか、辺境の村でゴブリン退治とはな……』


 夜の森を歩く事……半刻。


 エルスの耳に突如、囁く様な……それでいて、周囲から聞こえているかの様な声が飛び込んで来た。

 その言葉を聞いたエルスは、驚くよりも先に「しまったっ!」と言う考えが脳裏をよぎったのだった。

 

 エルスには、聞こえてきたその声に覚えがあった。

 そして、この不可思議な現象にも……。

 

「……シェキーナか……。もう見つけられるなんて、とんだだったよ……」


 そう……声の主はデルフィトス=シェキーナその人であった。

 そして、エルスに声を掛けたのは彼女の“精霊魔法”「言伝ハムス」であった。

 森の聖霊に自身の声を託し、離れた相手に話し掛けると言う魔法。

「言伝」と呼ばれてはいるものの、実際は会話が可能な魔法だった。


 エルスの考えでは、最初に彼を見つけ出すのはゼルだろうと踏んでいた。

 何と言っても彼は、世界中にネットワークを持つ「盗賊」の一員なのだ。

 盗賊は、その殆どが犯罪者であるがゆえに、で強い仲間意識を持ち、身を護る為の情報共有を旨としていた。

 

 因みに……「特殊」と言うのは、金銭で繋がる関係……なのだが……。


 兎に角、お金さえ出せば、間違いのない情報を得る事が出来る集団……それが盗賊なのである。

 ゼルが、数日中にエルスの情報を得るだろう。しかも……かなり正確な情報を……である。

 逆に言えば、それまでは「安全」だとも考えていた。

 そしてそれが、彼の“油断”に繋がってしまったのだ。


 もっとも、これは“油断”の部類には入らない。

 エルスも、シェキーナの「言伝ハムス」……それ自体を忘れていたのだった。





 初めて……そして、最後にこの魔法を、エルス達が「エルフ郷」を訪れた時だった。

 

『……何も言わず、何事も考えずに、くこの場より去れ』


 その時に、エルス達に掛けられた「伝言ハムス」は、周囲の空気を震わせ、使用者の殺気をも再現しているものだった。

 許し無く「エルフ郷」に近づく者へ、それは最終警告であったのだ。

 

 シェキーナは、エルフ郷に住むハイエルフ……そしてハイエルフたちを束ねる族長の家系であり、次期族長候補の女性であった。

 知勇に秀でており、特に精霊魔法と弓の腕前は、同族間で他に並ぶ者が無い程であった。


 そんな彼女は、エルフ郷を出る気など無かった。

 ただ郷を護り、民を護る事だけを考えていたのだった。


 だが、魔王にそんな想いは通じない。

 魔王は“世界”を奪い取ると宣言したのだった。

 そして“世界”とは、何も人界だけを指しているのではない。

 精霊界や幻獣界、果ては神界にまで手を伸ばすつもりだったのだ。

 当然、エルフ郷だけが例外等と言う事は有り得なかった。


 シェキーナが郷を出て、エルス達と行動を供にする事を決めたのは、それが偏に郷を守ることへと繋がるからに他ならない。


 もっとも、彼女を強く後押ししたのは、その事では無かったのだが……。


 エルス達と……いや、エルスと接する内に、彼に惹かれ、彼に興味を持ったからに他ならなかった。

 シェキーナから見て、エルスは他の誰よりも……「人間」だった。

 喜怒哀楽の感情がつぶさに表へと出て来て、それを隠そうともしない。

 確固たる信念を持っているかと思えば、その行動原理は合理性が大いに欠けていたりする。

 シェキーナにとって、正しく彼は伝え聞く「人間」そのものだった。


 ただし……「正の感情」のみを持った、恐ろしく稀有な存在……なのだが。


 シェキーナは注意深くエルスを観察したが、彼の中に「負の感情」を読み取る事が出来なかったのだ。

 それに気付いた時、彼女の中に在る「エルスへの興味」は更に増大した。

 そしてその想いは、彼女の義務感をも上回る事となったのだった。

 そうしてシェキーナは、溢れる想いを抑える事が出来ず、エルス達と同行する事にしたのだった。

 もっとも、それが人界でどの様に言われる感情なのか、この時のシェキーナには知る由も無かったのだが。



 

『……顔も見ないでは会話も儘ならないな……。待っていろ、今そちらへ行く』


「え……? こっちに来るって……そんなに近くに居るのか?」


 エルスの反問に、シェキーナは何も答えなかった。

 その代り、エルスにも分かるで返事としたのだった。


 エルスの眼前に、小さな光が出現する。

 暗闇に包まれた森の中に在って、小さくともその光は眩い程の存在感を放っていた。

 そしてその光は、ゆっくりと下方へと移動する。

 その軌跡に沿って、空間に光の線が引かれて行った。

 上方から下方へ、正しく一文字に引かれた光線に沿って空間が……割れた。

 いや、裂けたと言うべきだろうか。

 左右に開かれた空間の中には、また別の空間……異空間が覗いている。

 そしてそこから……先程の声の主、シェキーナが現れたのだった。


「……何を呆けた顔を晒しているんだ……だらしない」


 開口一番、シェキーナはエルスの顔を見るなり、呆れた表情でそう言った。

 しかし、エルスが呆然としてしまうのも無理からぬ事。

 エルスは、空間を裂いて現れると言う魔法を、初めて目の当たりにしたのだった。


「シェ……おま……どうやって……」


 余りの驚きに、エルスはまともに質問する事も出来ない。


「ああ……お前は“疏通ヴェーク”を見るのは初めてだったか? なに、別に魔法でも何でもない。精霊界を通り抜けただけだ」


 ろくに質問も出来ないエルスを見て、彼が何を言いたいのか見事に汲み取ったシェキーナが種明かしをした。


「せ……精霊界……!? でも……どうやって……?」


 シェキーナの回答を聞いて、エルスには更に疑問が浮かび上がった。

 

 エルフであるシェキーナは、精霊界を行き来する事が可能なのだ。そんな事は、エルスでも知っている。

 ただし、人界と精霊界を結ぶ接点は、この世界に殆ど無い。

 故に、“エルフ郷”を訪れ、あまつさえ戻って来る事の出来た人間は殆どいないのだ。


「私はハイエルフだぞ? その気になれば、何処にでも“聖霊回廊への門”を開く事が出来る」


 エルスの疑問に、シェキーナは別段特別な事をしたと言う風もなくそう答えた。

 あっけらかんと話すシェキーナだが、エルスにとっては初めて見聞きする事ばかりだった。


「おま……そんな事、初めて聞いたぞ? それに、今まで一度だってそんな事をしなかったじゃないか?」


 若干落ち着きを取り戻したのか、エルスが考えを捲くし立てた。


「……ふむ。使う機会が無かったからな」


 そしてシェキーナの答えに、再び唖然としてしまったのだった。

 答えを聞けば成程、その通りかもしれない。

 使う機会が無かったのなら、それを披露する事も出来なかったのだろう。

 質問されなかったのだから、その事について説明する事も、ましてや話題に上る事も無かったのだ。


「……それで……いつから……どうやって俺を観察してたんだよ?」


 納得できたかと言えば、決してそうではないだろう。

 だが一旦割り切ってしまえば、エルスはズルズルと後を引かない性格をしている。

 そして、今は色々な意味でのんびりと話している場合では無かったのだった。


「……ん? …ああ……お前があの村に立ち寄る前位からになるか……。私は樹の声を聞く事が出来る。……もっとも、世界中の樹々から声を聴いていたから、結構時間がかかったがな」


 シェキーナの返答に、エルスはまたまた声を失った。

 確かに、エルフは木々の声を聴く事が出来る……と言われている。

 しかしエルスは、シェキーナがそんな事をしている姿を見た事も無かったのだ。

 更にはその能力が、世界の樹々にまで及ぶなど、初耳も良い処だった。


「そんな話、初めて……あっ!」


「うむ……聞かれなかったし、使う機会も無かったからな」


 先程と全く同じやり取りに、エルスは大きく溜息を吐きだした。


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