人々の為に

 突きつけられた、正しく究極の選択。

 

 ―――勇者であり続け、人族同士の争いに巻き込まれるか……?


 ―――それとも、魔王の卵を孵す為に、人族と敵対する道を取るか……?


 どちらを望んでも、エルスにとって安息とは程遠い道が続いている。

 究極の選択と言うならば、これ以上に究極はないだろう。

 漸く勝ち得たと思った平和。

 しかし、それは新たな争いの火種になるものでしかなかったのだった。

 聖霊ネネイの言う事を全て是だと捉えれば、彼がこのまま人界へと戻っても、己のせいで争いの火種が起こってしまう。

 さりとて、このまま姿を消した処で、程なく人族同士の争いが起こってしまうと言うのだ。

 そしてエルスに、その争いを静観する事は出来ないだろう。

 程なく介入する事となり、今度は魔族では無く、人族をその手に掛けなければならなくなるかもしれない。


「うふふ……帝王エルスと言うのも……悪くないかもね―――」


 心を覗き見るネネイが、エルスの考えを読み取って楽しそうにそう呟く。

 そんな彼女を、エルスはキッと睨み付けるしか出来ないでいた。

 自分の想いはどうであれ、もしも人族同士の争いに介入すれば、遠からずそうなってしまうのはエルスにも想像出来たのだった。

 だが、エルスにはその様な野心など微塵も無い。

 では、ネネイの言う通り、「魔王の卵」を孵化させるのか? 

 それも彼の立場としては即座に選ぶ事の出来ない選択だった。


 何と言ってもエルスは勇者である。

 そしてつい先ほど、正しくこの場で、エルスは魔王を倒したばかりなのだ。

 この数年、魔王を倒す事だけを考え、その為に尽力して来たエルスにとって、魔王とは忌むべき存在である。

 そんな魔王を、彼自身が守り、そして育てるなど……。即座には決め兼ねる案件であったのだった。


「さぁ、エルス。選んで頂戴?」


 しかし彼に残された時間は多くなく、聖霊ネネイはエルスに決断を迫った。


「人の世に戦乱が起こるのを甘んじて受け入れるのか……?」


 エルスはネネイの差し出す「魔王の卵」を食い入るように見つめ続けた。

 

「それとも、『魔王の卵』を持って、魔王を孵化させるのか……?」


 選択を拒否すると言う選択肢はない。

 ここに至っては、彼に残された道は……一つしか無かった。

 

 エルスは、ゆっくりと……躊躇いがちに……聖霊ネネイの差し出す「魔王の卵」を受け取った。




「さぁ、これで晴れて、あなたは『魔王の卵』を持ち、孵化させなければならないんだけど……」


 掌で淡く光る卵を見つめるエルスに、ネネイは説明を開始した。


 ―――と、その時だった。


「な……なんだ……!?」


 突然、エルスの足元がぐらりと揺らぎ、彼は数歩よろめいた。


「あら……? 説明する前にもう始まっちゃったのね?」


 そんな彼の様子を見た聖霊ネネイは、可笑しそうに微笑んだ。

 軽い眩暈めまいの様な錯覚を覚えたエルスは、怪訝な表情で彼女に視線を向けた。


「この卵を育てる為には、勇者である力を注がなくちゃならないの。あなたの持つ『勇者の力』を吸収して、この『魔王の卵』は育ってゆくのよ」


「な……なんだって!?」


 先程の眩暈が手に持つ卵が原因と知って、エルスはマジマジとその卵を見つめた。


「あなたの力は、徐々に……ゆっくりとこの卵に吸収されて、この卵の養分となる。必要量の力を得た卵は、そこで漸く孵化する事が出来るの」


「俺の……力を……」


 エルスとしては、既に「魔王を倒す」と言う目的を達しており、今更勇者の力に未練はない。

 ……そう考えていたのだが……。

 

「あなたはこれから、その卵を襲い来る『人族』から守らなければならない。いえ、人族だけじゃないわね。魔獣や猛獣は勿論、場合によっては魔族からも守らなくちゃならないかもね」


 ネネイの付け加えた説明を聞いて、途端にこの「ラスト・クエスト」が難易度の高いものだと思い至ったのだった。

 

「しかし、俺が『魔王の卵』を得た事は、未だ誰も知らない筈だろう? 何で襲われるなんて……」


「私が人族にそう伝えるもの」


 エルスの言葉は、悪びれた様子も見せずにそう言ったネネイの言葉で最後まで言い切る事が出来なかった。

 

「何故そんな無益な事をわざわざするんだっ!?」


 それを聞いたエルスは、思わず大声を出してネネイに噛みついていた。

 エルスにしてみれば、言わなくても良い事をわざわざ伝え、平治に乱を起こす行為に思えたのだった。


「何故って……。あなたが魔王側に付いたと言わなければ、魔王の存在も、人族の敵もハッキリとしないでしょう? それじゃあ、人族は纏まらないもの」


 だが言われてみれば、確かにその通りだった。

「魔王の卵」が一体いつ孵化するのかは分からないが、それまでの間にも人族は争いを始めてしまうかもしれない。

 人族の世界も、前魔王との戦いで随分と疲弊しており、即座に魔王討伐へと動く事は難しいだろうが、それでも一致団結を維持しておく必要があるのだ。


 エルスは、協力者の必要性を感じていた。

 自身の能力がドンドンと低下して行く事を考えれば、今後は必ずしも安全な旅路を行く事が出来るとは言い難い。

 アルナを始めとした仲間達に相談して、何とか魔王が孵るまでの護衛を頼むしかない……そう考えていた。


「あ、それから、誰にもあなたが『魔王の卵』を育てていると言ってはダメよ?」


 しかし彼の考えは、まるで見透かされたかのようにネネイによって釘を刺されてしまったのだった。


「な……何で……」


「人類の敵が、元勇者パーティの力を借りてどうするのよ? 彼等の意志は尊重するけど、でもわざわざこの事を話す事は禁止します。もし破れば、即座に魔王の卵を滅し、人族の王にその事を告げます」


 こうなると最早脅迫だった。

 エルスは、ネネイの示したルールで踊り続けなければならない。

 少なくとも彼はそう観念した。


「……分かった……。この事は、決して誰にも言わない……。それでいいな?」


 半ば睨み付ける様にネネイを見ながらそう言ったエルスに、彼女はこれ以上ないと言った笑みを浮かべて鷹揚おうように頷いた。


「それじゃあ、エルス。あなたをこれから、人族のある場所へと転移させます。そこから何処を通って、何処へ逃げようと自由です。ですが、必ず生き延び、魔王を孵化させなさい。……良いですね?」


 そう言いながら、ネネイは再び光の輪郭を持つ異界洞を出現させた。

 エルスは内心悪態をつきながら、小さく頷き異界洞を潜った。

 そして彼の身体は、光と共に消え失せ、何処いずこかへと転移させられたのだった。




「人類の為には……人々の平和の為には……敵が必要なのよ……エルス。あなたは……そう……うふふ……人類の為の人柱と言った所かしら……」


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