急変する仲間達

「そんなアホなっ! エルスがっ!? なんでやっ!?」


 ―――ここは、王都に程近い聖霊由来の古城……その一室。


 アルナを始めとする勇者パーティ一行の前に再度出現した聖霊ネネイの言葉を聞いて、最も大騒ぎをしたのはメルルであった。

 ネネイは一行にこう説明したのだ。


―――勇者エルスは魔道へと堕ちました。彼は魔王復活……若しくは自らが魔王となる方法を求めて、再び旅に出ました……と……。


 当然、そんな言葉を俄かに信じる者など、この場には何処にもいなかった。

 ただ、一笑に伏す事も誰一人出来なかった。

 聖霊ネネイの言葉なのだ。


『なんちゃって―――! 残念でした―――!』


 等と言う“オチ”でも付けられない限り、聖霊ネネイが嘘を吐くなど今までに一度たりとも無かったのだ。


「ネネイ殿。あの後……エルスと二人になった後、どの様な話をしたのだろうか?」


 些か険しい表情のシェキーナが、射る様な視線でネネイにそう問いかけた。いや、もはや質問では無く、詰問と言って良い。


「そうや、そうやでっ! エルスが……あのエルスが魔族に……しかも魔王になろうなんて考える訳あらへんっ! 何かの間違いやでっ!」


 シェキーナの言わんと……いや、聞かんとしている意図を察したメルルが援護射撃を行う。


 シェキーナはネネイとエルスの間に、何か密約があるのではと推察したのだ。


 そしてメルルは、エルスの過去を鑑みてネネイの言葉を即座に信じられずにいたのだった。




 月並みだが、エルスの両親・姉妹は、エルスの目の前で殺されている。

 その時目覚めた「勇者の力」で、まだ幼かったにもかかわらず、魔族軍の分隊を全滅させた過去があったのだ。

 エルスはその事を語らないが、以前エルスの過去から、メルルはその事を知っていたのだった。


 二人に疑惑の視線を向けられた聖霊ネネイだが、その表情も雰囲気すら、一向に崩れる事は無い。

 他のメンバーは静観している。

 動じる事も無く、ただ結論が出るのを待っていると言った様相だ。


 ―――ただ一人……そのどちらでもない人物が……いた……。


 言うまでもなくそれはアルナであった。

 彼女は聖霊ネネイの報告を聞き、一言も声を発する事無く絶望の表情を浮かべたまま、その焦点の合わないまなこを地面へと向けて微動だにしなかった。

 

「……と言ってもねぇ―――……私は何も……。彼には新たに『クエスト」が言い渡されていたの……。そのクエストについての説明には、魔族や魔王が大きく関わっていて……。ただ彼が、そのクエストについて質問してきて、私はそれに答えていると―――……突然彼が変貌して……ただ、魔王になる―――……と……」


 勿論、嘘である。

 話を持ち掛けたのも、質問に答えたのも、全てネネイの方であった。

 ここに来て……この土壇場に来ての”嘘”は、誰にも見抜けない。

 

 ただし、彼等に告げた話……これに偽りはない。

 また、所々に真実が織り込まれ、それが彼女の“嘘”をぼかしてしまっている。


 そして今この時に措いて、間違いなくエルスは魔道へと堕ちており、魔王復活を求めて旅に出ているのだ。

 

 ―――本人の望む、望まざるを考慮しなければ……だが。


 聖霊ネネイは神の眷属であり僕である。

 その存在は、疑う事無き「善」に属している。

 しかし、神の如き厳しい戒律の中で存在し、一言一句、嘘偽りが無いかと言えばそうではない。

 冗談も言えば、揶揄からかいもする。必要ならば、嘘もつくのだ。

 そして今回の“嘘”は、メンバーにとって絶望へと突き落とすに十分な破壊力をもったものだった。


「聖霊ネネイ。そのクエストの内容とは……」


「それは言えないの―――。ゴメンね」


 更に詰め寄ろうとしたシェキーナに、ネネイはウインクして軽く舌を出し、早々に回答を拒否した。

 間髪入れないその返事に、シェキーナは喉を詰まらせる以外になかった。

 元より、ネネイがエルスにした話とは「神託」なのだ。

 エルス以外にその内容を話す必要がない事は、当然シェキーナも分かっていたのだった。


「……それで? 俺達にどうしろって言うんだ?」


 次に口を開いたのは、腕組みし瞑目したまま話を聞いていたカナンだった。

 彼の顔には焦りも困惑も無い。

 まるでいつもの様に……と言って良い、あくまでも冷静沈着、平常心とでもいう様な自然体でネネイへと質問した。

 確かに、ネネイはエルスの現状を伝えただけで、だからどうしろと言った事は一切言っていない。


「別に私の口から、あなた方に何かを指図する様な事はございませんよ? ただ、今起きている事実だけをお伝えしたにすぎません」


 カナンの冷めた視線を受け止めて尚、ネネイはシレッとそう返答した。

 彼もまた、ネネイの挙動に不審な点を見出す事は出来ず、再び目を閉じて思案に耽り出した。

 

 こういった時、果断即決を行って来たのは誰でもないエルスだった。

 彼自身に、何事にも正しい決断を下す能力がある訳ではないが、パーティが行き先を惑うような場合には、必ず即断していた。

 それが元で、危機に瀕する事も少なくはなかったが、メンバー全員、その事に不満を漏らした事は無かったのだった。


 事の成否が問題なのではない。停滞する事こそが問題なのだ。

 人は、思考に嵌れば動けなくなる。

 時間が経つごとに状況は変化し、選択肢は無限に増えて行く。

 自身の命、仲間の安全、目的の遂行を考えれば、慎重になってしまうのも仕方の無い事で、即座の決断など誰にでもできる事では無い。


 だが、エルスはそれを笑顔で行って来た。

 そしていつでもパーティの先頭に立ち、笑顔で苦難を乗り越えてきたのだ。

 そんなエルスに、パーティメンバーから向けられる信頼は絶大だった。


 しかし今、そのエルスはいない。

 

 正しく、パーティは結論の出し様が無い難題に直面し、次に取るべき行動を起こせないでいたのだった。


「……ほんじゃあ俺は、報告にいってくるぜぇ―――……」


 沈黙が支配していた場を動かしたのは、驚いた事にベベルであった。

 最も決断に程遠いと思われていた男の声に、メンバー全員が驚き、誰もそれに応えられずにいた。


「どちらへ?」


 そして答えたのは聖霊ネネイであった。

 

「んああ? 俺は俺の役目を果たしに、ちょっくら王の元へ……な……」


 まるで散歩にでも向かうかのような答えに、やはりメンバーの誰もが声を出す事が出来ない。


「そうですか。宜しくお願いします」


 そんなベベルに、ネネイは優雅な礼を交えて返答する。


 ネネイはこの後、王族達にも報告を行おうとしていたのだ。

 を、彼女は当然の事ながら知っていた。

 だが、その事をこの場で言うつもりはない。更に言えば、この場にいる者達の素性や考えについて、何かを言うつもりなど微塵も無かった。


 故に、誰も何もアクションを起こさなければ、自らが動くつもりだったのだ。

 ベベルが動き出した事で、彼女の仕事が一つ減る。

 ネネイにとってはそれだけの事であり、ベベルに何も言うべき事など無かったのだった。


「……我等も……動き出す必要がある……」


 考え込んでいたシェラが、ベベルの行動を見てそう提案した。

 いずれは……いや、早急に行動を開始する必要があると言う事を、メンバーは全員心得ている。

 ただ、どの様に動けば良いのか、決する事が出来ないのだ。

 

 エルスを追う。

 

 これが一番、彼等の採るべき行動としては自然であろうか。


 では、もしエルスに再会して、一体どうすると言うのか。

 

 聖霊の話では、エルスは最早、魔族の一員として魔王復活に動いていると言う。もしくは、自身が魔王にならんとしているのだ。

 そんなエルスに、何と声を掛けるのか。


 そして、こちらの方が問題なのだが、


 ―――もし対峙する様な事となれば、一体どの様な行動を取るべきなのか?


 と言う事だった。

 

 エルスと戦うのか?


 それとも、エルスと行動を供にするのか?


 彼に会い、話をせねば何も始まらないが、その時の「答え」は少なからず用意しておかなければならない。

 勿論その中には、彼と……エルスと戦うと言う選択肢も含まれるわけだが……。


みな、提案なのだが……」


 思考の迷路に嵌り込んだメンバーを見て、シェキーナは口を開いた。


「今夜一晩、各々が考えて結論を出すと言うのはどうだろうか? エルスを追うのも勿論だが、何を以て彼を探すのかと言う事を明確にする必要があると思う。明日、もう一度集まり、各々の結論を確認し合おう。……それに……」


 そこまで話したシェキーナが、気遣う様な視線をアルナへと向ける。


「……そやな……。アルナには休養と、考える時間が必要やわな……。もっとも、タップリと時間が取れるっちゅー訳やないけどな」


 メルルがシェキーナの後を継いで、そっとアルナの元へと歩み寄り、優しく彼女の肩を抱いた。それでもアルナは、一向に微動だにしない。

 そんなアルナの姿を見たメンバーは、無言で首肯して賛同の意を示した。


 一同は、それぞれ寝所に割り当てられた場所へと向かい部屋を出た。

 アルナはメルルに抱えられるように連れ出されていったのだった。


 その様子を、ネネイは満足そうに見つめていた。


 そしてもう一手、エルスに苦難を課す為に、静かにその姿を消したのだった。




 ―――そしてその夜、運命を決定づける『宣託』が、ある人物の元へと齎されるのだった……。

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