第4話 決意新たに

 椿の部屋で寝ていた柚が目を開けると、朝食のいい匂いが周囲に漂っている。


 柚を起こさないよう、そっと布団から抜け出してくれた椿の些細な気遣いに、ほんの少し顔を綻ばせると柚は布団から体を起こし居間へ向かう。


 いつも通りの日常がやってくることに感謝の気持ちを感じながら、仏壇に手を合わせていると椿がやってきていつものようにお供えをした。


 土日休みが終わり、慌ただしい平日の朝を迎えると、柚は朝食を食べながら学校へ行く準備を始める。


 心なしかいつもより嬉しそうな顔をしている柚に、椿は「あらあら、なんだかご機嫌ね!」と微笑みながら語りかけると「休みの間に生死の境を彷徨っていたからね!」と柚が笑いながら返事をする。


 それを聞いた椿が冗談じゃないという顔をしながら「こらっ!」と言って柚を嗜めた。


「えへへ、ごめんなさい」と柚が返すと、椿は「楓ちゃんと千鶴ちづるちゃん、少し前に外を歩いていたのを見たから、柚も早めに行きなさいよ」と柚へ急ぐように言った。


「はーい」と返事をした柚は、急いで朝食をたいらげると支度を整え「行ってきます」と言って土産屋を出た。


 柚が住んでいる町は交通の便が悪く、バスはおろか電車すら通っていない。


 そのため学校へ向かうための手段としては、自動車で送って貰うか観光用として現在も運行しているSLに乗って行くかの二つに限られる。


 椿は自動車の運転免許証を持っていないため、柚が学校へ行くにはSLに乗らなければならない。


 SLの運行サイクルはゆっくりで、柚の住んでいる町から、学校や買い物などができる施設の多い隣町を二時間かけて往復しており、始発は七時と遅めのスタートだが、始発に乗り遅れると次の便が九時のため確実に遅刻をしてしまうのである。


 柚が小走りでSLの停留所に向かうと、楓と食事処の娘である千鶴が柚を待っていた。


 柚が二人へ向けて「おはよう!」と声をかけると二人も「おはよう!」と返事をする。


 三人が並んで車両基地からSLが出てくるのを待っていると、千鶴が「楓から聞いたよ!柚、池に落ちたんだってー?阿呆だねー」と笑いながら柚を茶化した。


 柚が千鶴の言動に対して少しムッとしていると、それを察した楓が「もう!千鶴ったら、そういうこと言わないの!」と千鶴の脇腹を突く。


 楓の言葉に「へへーん」と返し、全く反省をしない千鶴に柚は「楓!」と号令をかけると楓が黙って頷き、千鶴の体を後ろから抱え込み身動きができないように固定する。


 体が固定されたことを確認した柚は「悪いのはこの口か!」と千鶴の頬を両手で挟んでから脇腹を全力で擽り「ごめん!ごめん!私が悪かった」と千鶴が謝るまで手を動かし続けた。


 暫く三人が戯れていると車両基地から汽笛を鳴らしSLがゆっくりと近づいてきて、停留所に止まる。


 三人同時にSLに乗り込み、運転席から一番近い席に並んで座ると、SLの運転士に「おはようございます」と一斉に声をかける。


 すると逆方向を向いていた運転士が身を翻し、汽笛のように響く声で「おはよう!」と威勢よく三人へ挨拶を返す。


 通学や通勤時間の憂鬱な気持ちを吹き飛ばすような、さわやかな挨拶に他の乗客も顔を上げ、車内の雰囲気が明るくなったことを確認した運転士はリズミカルに汽笛を数回鳴らし、レバーを倒してSLをゆっくり動かし始めた。


 学校付近の停留所までの道中、三人が仲良く談笑をしていると、千鶴がある異変に気がついた。


「そういえば柚、いつもの髪留めつけてないねーどうしたのさ?」と柚に聞くと、柚は「それがねーいつの間にか無くしちゃって……」と答える。


 それを聞いていた楓が「池に行ったときは着けていたの?」と聞くも「わからない」と答えるだけで、柚のお気に入りの髪留めの話はそこで終わってしまった。


 停留所に到着すると、三人は「行ってきます!」と運転士に声をかけSLを降り、少し高台になっている停留所の階段を下る。


 階段を下った先にはアーチ型のトンネルがあり、そこを潜って三百メートル程進むと学校の校門がある。


 校門を潜ると、いつも眼鏡を微妙にずらしながらかけている教頭と、挨拶当番の生徒が数名立っていて、次々と登校してくる生徒に声をかけていた。


 いつも通り三人は「おはようございます」と挨拶を交わし、下駄箱に靴を置いて上履きへ履き替えると教室へ向かった。


 実はこの三人、入学してから現在まで一度も教室が別になったことはなく、同じ地域に住んでいて仲が非常に良いため、教師や他の生徒達から『温泉町三人衆』と呼ばれていた。


 柚と楓と千鶴の三人がともに行動をしていると何かが起こると恐れられており、実際のところ柚と楓は大人しい方なのだが、千鶴が飛びぬけて腕白で、トラブルが起こるときは基本的に千鶴が絡んでいた。


 火消し役の柚と楓なのだが柚は元より天然なため、火に油を注ぐ形となり、二人のしわ寄せを受けるのは決まって楓であった。


 今日も今日とて理科の実験で、試験管をくるくると回しながら遊ぶ千鶴に「危ないよ!また怒られるよー」と楓が注意をした瞬間、試験官が千鶴の手から離れ宙を舞い、たまたま上向きだった水道の蛇口にすっぽりとはまり、それを見た柚が「ピタゴラっぽい!」と目を輝かせ、笑いながら試験官を抜きにかかると、柚がよろけて蛇口を捻ってしまい、勢いよく発射された試験官が落下して割れ粉々になり、実験室が水浸しになる事件が起きたのだ。


 罰として昼休みに三人で実験室の片づけと掃除をしていると、放課後に何をするかの話になった。


 千鶴が「うちへ遊びにおいでよ」と二人を誘うと、楓が「いいよー」と即答するのに対し、柚が「うーん……」と返答に躊躇している。


 普段と違う様子に気づいた千鶴が「珍しいねー柚が考えごとなんて」と言った。

 すると柚が「話せば長くなるんだけど」と前置きをし、楓と千鶴へ話し始める。


 細かく事情を知らない千鶴のために、池に落ちたところから説明し、池に落ちたあと見た夢の話、夢の中で会った父親の話、池で助けてくれた男の子の名前を知りたいという願い。


 父親にもう一度会うことができれば男の子の名前がわかるかも知れないこと、更に椿から聞いた魂の宿る石の伝承、その石と会話ができる人物が存在することを話した。


 柚が「今日はできれば学校の近くにある図書館に行って、この地域の伝承を調べてみたいんだ。できれば二人も協力して欲しい」と更に続ける。


「数少ない友達のお願いだから、聞いてやろうじゃないか」と千鶴が嬉しそうに言うと、楓も合わせて「うんうん」と頷いた。


 昼休みが終わって残りの授業を受け、帰りのホームルームが始まると、早く学校から解放されたいのか千鶴がそわそわし始める。


 その様子を見ていた柚と楓も煽られて、ホームルーム終了の合図とともに礼をすると、三人は争うようにして教室を出た。


 千鶴が「図書館に誰が一番早く着くか競争ね!」と言うと、廊下を思い切り走り始める。


 その様子を見ていた担任が「お前ら!廊下は走るなよ!」と声を張り上げる。


 柚と楓が(これは明日また怒られるな……)と考えをシンクロさせていると、離れたところから千鶴の「のんびりしていると、おいていっちゃうよー!」と言う声が聞こえる。


 図書館の入り口に三人が到着すると、言わずもがな一番乗りだった千鶴に、柚と楓が称賛を送る。


 息を切らしながら「どうだ!」と嬉しそうに何度も言う千鶴に「はいはい、わかったから」と楓が言って「お願いだから、中では騒がないでね!」と付け足す。


「さてと、じゃあ探そうか!」と柚が言うと、三人は図書館の自動ドアを潜り、地域や伝承の本が置いてある棚へまっすぐ向かった。

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