第3話 目覚め

「柚ちゃん!柚ちゃん!」と遠くで柚の名前を呼ぶ声が聞こえる。


 なんだか聞き覚えのある声だなと思い柚がパッと目を開けると、そこには真っ赤に目を泣き腫らした温泉宿の娘であり、柚の親友でもあるかえでが顔を覗いている。


 あまりにも近い顔に柚は驚き「わあっ!」と声を出すと、楓が柚へ思い切り飛びついた。


「よがっだぁー」と泣きながら柚の体に顔を擦りつける楓を、柚は「くすぐったいよ」と言いながら抱き締め「心配かけてごめんね」と続けざまに言う。


 暫くして落ち着いた楓が顔を上げ「椿さん呼ばなきゃ」と思い出したように言った。


「楓、ちょっと待って!心の準備が」と柚が言い切る前に、楓が動きだし「椿さん!柚ちゃん起きたよ!」と柚の部屋のドアを開けて叫ぶ。

 

 すると居間の方からバタバタと物音がして柚の部屋のドアが音を立て開き、なんとも言えない表情の椿が顔を覗かせた。


 柚が慌てて布団の上に正座すると、椿の表情が崩れ柚の前でわっと泣き出す。


 その様子を見た柚は慌てて椿の体に飛びつき「ごめんなさい…ごめんなさい…」と何度も繰り返した。


 暫くすると落ち着いた椿が顔を上げ、柚へ「生きていてよかった」と語りかけ優しく抱きしめる。


 その様子を眺めていた楓も「うんうん、よかった」と頷きながら二人の傍へ寄り添った。


 暖かく優しい時間が刻々と過ぎていくと、ふいに柚のお腹から虫の鳴く音が聞こえる。


 椿が笑いながら柚を体から離し「お腹空いたでしょ?ご飯にしようか」と言うと、柚は紅潮した顔に笑みを浮かべながら「うん」と元気よく頷く。


「女将さんへは連絡しておくから、楓ちゃんも家で一緒にご飯食べていって」と椿が言うと楓も嬉しそうに「はい!」と返事をした。


 そして三人は柚の部屋から出ると居間へ向かった。


 椿が台所に立つと、楓が「何か手伝いますか?」と椿に声をかける。


 椿は首を横に振り「ありがとう楓ちゃん。気を遣わないでゆっくりしていて」と楓に言う。


 柚と楓が居間で寛いでいると、思い出したかのように楓が柚へ尋ねた。


「柚ちゃん。寝ているときに凄く魘されていたみたいだけど、何を見ていたの?」


 その質問待っていましたと言わんばかりに目を輝かせ、柚が返答する。


「えっとねー夢の中でね。お父さんと会ったの!」と柚が勢いよく答えると、楓は一瞬驚いた顔をして顔を伏せる。


(うーん……柚ちゃん……真剣に話しているけど、これはちゃんと向き合うべきなのかな……)


 顔を伏せて考えていた楓の様子を察したのか、柚は少しムッとした顔をし「ちゃんと聞いてくれなきゃ話さないよ!」と楓に言った。


 それを聞いた楓は顔を上げ困ったような笑みを浮かべながら手を合わせて「ごめん、ごめん」と話を続けるように柚を諭す。


 その言葉を聞いて、話す気になったのか柚は話を続ける。


 少しずつ纏めながら続ける柚の話は徐々に信憑性を増し、最初は半信半疑で聞いていた楓もいつしか柚の幻想的な夢の話に引き込まれていく。


 柚が話を終えたあと、楓は「助けてくれた人の名前は聞けたの?」と柚に尋ねる。


 すると柚は楓の質問に驚愕の表情を浮かべ「えへへ…忘れちゃった」と言いながら楓の背中に回り脇をくすぐって茶を濁した。


「もう柚ちゃんってば、肝心なところで抜けているんだからぁ」と楓が笑いながら言うと更に続けた。


「実はね、柚ちゃんが寝ている間に私のお母さんと柚ちゃんのお母さんが話していたんだけど、柚ちゃんを助けた人って男の子なんだって!それでさっきね…夢の話で出てきた柚ちゃんのお父さんが、助けてくれたのは男の子だって言っていたから私びっくりしちゃって……柚ちゃんが倒れていたところで、柚ちゃんのお母さんとうちのお父さんが柚ちゃんを助けた男の子を探していたみたいなんだけど、結局その男の子見つからなかったみたいなんだ」と楓が話終えると、楓が驚いていた以上に柚が「本当だったんだ!」と目を丸くする。


 そして柚は真剣な顔をして呟いた。


「どうすれば助けてくれた男の子を見つけられるのかな」


 その言葉に楓がどう返答していいものやら考えていると、柚が再び呟き始める。


「もう一度飛び込めば…」と柚が言った途端「それは駄目!」と楓が制止した。


 ああでもない、こうでもないと二人で暫く話合っていると、椿が料理を持って居間に入ってくる。


「二人して難しそうな顔をして、どうしたの?」と椿が話に割って入ると、二人は「うーん…」と消化不良気味の表情を浮かべて黙り込んでしまった。


(何やら、大人には話せない事情があるのね)と物分かりの良い母親を演じ「さあ、食べようか」と二人に声をかける。


「まずは、お父さんに挨拶してからね」と椿が言うと、柚が楓においでおいでと手招きをする。


 仏間に入り三人で並ぶと、それぞれ感謝の思いを善二に伝え居間へ戻る。


 居間のテーブルに並ぶ豪勢な食事に楓は驚き「柚ちゃんの家の夕食っていつもこんな感じなんですか?」と椿に尋ねると、椿は首を横に振り「今日は楓ちゃんがいるから、腕によりをかけて作ってみたの!それと柚が起きるまで待っていてくれたお礼の気持ちもあって」と答える。


 それを聞いた楓は嬉しそうな顔をして「ありがとうございます。いただきます」と椿の作った料理を口に運ぶ。


 そうこうしているうちに楽しい時間が過ぎ「そろそろ帰らなきゃ」と楓が呟いた。


 それを聞いた椿と柚は「送っていくよ」と楓に言って、表へ出る。


 温泉宿に辿りつくと、椿と柚は温泉宿の女将に改めてお礼の言葉を言った。


 女将と椿が話を終え、椿が頭を下げる動作を見ると、柚は楓に「また明日ね!」と手を振り椿とともに温泉宿を後にする。


 土産屋へ戻る道中に柚が何か言いた気な顔をしているのを見て、椿が「どうしたの?」と柚に投げかけると、柚は「帰ってから話すね」と口を噤んだ。


 帰宅後、就寝準備を椿がしていると、柚が枕を持って椿の部屋に入ってくる。


 普段は自室で寝る柚なのだが、この日ばかりは色々なできごとがあったため、椿に甘えたいのか「一緒に寝てもいい?」と椿に尋ねる。


 それを見た椿は(いつまでたっても自分の子どもは可愛いなあ)と思い、おいでと手招きをして自分の布団に招き入れる。


 寄り添うように二人で横になっていると、柚が唐突に「えっとね」と話し出す。


(帰り道で話したかったことかな?)と椿が考えていると、柚が話を続ける。


「寝ているときに夢を見たんだけど、その夢の中でお父さんと会ってね。たくさんの話をしたの、それから最後に私を助けてくれた男の子の話をしていたんだけど、結局男の子の名前とかも聞けなくて……」


 柚を助けたのは男の子だったという話を事前に知っていた椿は、楓と同様に驚き、柚に話を続けるよう促した。


「それでね!私もう一度お父さんと話したいの」と柚が話を締めくくると、椿が思い出したかのように話始める。


「柚がまだ小さかった頃にしていた話を柚は覚えているかな。お父さんの仏壇に一つ少し大きめの石が置いてあるのを覚えている?あれにはね、お父さんの魂が入っているの」


 にわかに信じ難い話なのだが、真剣に話す椿に柚は何も言わず頷く。


「この地で命の終わりが近い人がいるとね、切り立った崖に突然石が現れるの。その石が落ちると、命の終わりが近い人が亡くなってしまうのだけれど、お父さんが亡くなる前にね、突然家にやってきた人がいて、落ちる石には魂が吹き込まれるって私に言ったの。故人と話をしたいなら私を訪ねてくるといいと言い残して、その人はどこかに消えてしまったのだけれど、柚が本気でお父さんともう一度話をしたいのなら、その人を探してみなさい」と柚に優しく語りかけた。


 その話を聞いた柚は「ありがとうお母さん!少し時間はかかるかも知れないけど私頑張って探し出してみるよ!」と椿に言って目を閉じた。

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