第六節 王宮にて

「あ、アレス皇子がお帰りになられたわよ」


一人の侍女の言葉に、大広間に集っていた女達が色めき立った。



甘いマスクに優しげな佇まい。

誰もが認める剣術の腕と、皇族に相応しい教養の豊かさを持ったエルレイム第二皇子・アレアス=レイガー=エルレインは、全国民...もとい全女性の憧れの的である。



的である―――のだが。



(わあ、今日も皇子の人気すごいなー)



一身に歓声や憧憬の視線を浴びる皇子の傍ら、王付き侍女長という最も羨ましがられ、最も(主に恋愛的な意味で)疎まれる立場にある子爵令嬢アディラート=ナイト=ラディッキーは肩身の狭い思いで彼の跡に続く。


今日も相変わらず刺さる、幼馴染みの中流令嬢に対する嫉妬の視線と陰口。その事実を察してか、アレスの青い瞳は笑っていない。


(アレスさんったら、猫被るの上手いんですよね…)


目の前で、仕事の手を止め手を振る女性たちに笑顔で応える『第二皇子』の表情は、はっきり言っていつも彼女や二人の幼なじみと話すときと、別人と言っていいほどかけ離れたものである。


こんなに甘い顔はしないし、優しい言葉もかけない。どちらかといえば、この笑顔を浮かべながら耳が痛い言葉を延々と吐き続けるタイプだ。


だから。だから断じて、彼は憧れの王子様ではない。幼少より親交の深い貴族の一人として気に入られ、共に過ごしてきた彼女は声を大にして言いたいと思う。



「あ、アディ。ありがとう、今日はもう自室に戻るから、また明日」



そうこうしているうちに深紅の絨毯が途切れ、三階へと上がる階段にさしかかった辺り、アレスが大袈裟に声を上げた。


…真っ赤な嘘である。


また窓から抜け出す気でもいるのだろうか。その白々しすぎる演技に呆れつつ、「はい、また明日」と侍女が笑顔で返す。


まあ、これも完全に芝居だ。


にこにこしあったまま二人は恐ろしく素早い動作で踵を返し、そそくさと自身らの部屋へと戻っていく。


「ねえね、アディラートさん!アレス皇子とはどういう関係なの?」


いかにも、純粋に興味があるかのような口調。鬱陶しいなあと心の中で毒づきながら、さっきと変わらない微笑みで振り返る。相当早く歩いている筈なのに、尚ついてくるのは噂話が生き甲斐だと有名な他部署のメイドだ。確か、公爵の令嬢であると聞く。


「アレス様と、私が?いいえ、そんな恐れ多い…」


出来るだけ避けたい。

ただでさえ派閥争いを背負うアレスに、むやみな噂話で苦しんでほしくないとアディは思うからだ。


「そんなあ、何もない訳ないでしょ?ずーっと一緒にいる幼馴染みなんだとか…」


「いいえ。私、他にお慕いしている人がおりますので。アレス皇子とは…」


「へっ?ちょ、待っ…」


予想外だったらしい言葉に、メイドが目を白黒させた。


その隙に、彼女はほぼ走るような早さで廊下を駆け抜ける。


(だって私が想うのは、一人だけですもの)


もうすぐ。あと少しで会える。


幼少期に孤独を救ってくれた青年を想い、布の上履きで駆け抜けるこの瞬間には。


彼以外の人間の感情など、アディラートにとってどうでもよいことであった。

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