五節 青の少女

そして、小綺麗に整えられたベットの上には、一人の少女が横たわっていた。


「ここだぜ」


すっかりいつものノリに戻ったイェンスが、少々面倒くさそうな声音で告げた。


「タクトが王から預かったんだとよ。信頼されてるのは結構なことだが、まーああのお堅い親父さんが許可しなかったそうだ。で、俺が預かってやったわけだ」


大きく溜息を吐いた彼が、革のブーツを微かに鳴らして、何やら赤色の薬品が入った小瓶を手にしたアディを通す。元は騎士団の医学班で活動していた彼女だから、この四人の中では一番病に学があるはずだ。


二つの寝台の真ん中に立った彼女は、静かにため息をついた。


「本当に綺麗な女の子ですね」


感心したような声音。


興味深そうに、アレスも少女の顔をのぞき込む。寝顔でもその端正さと繊細さが十分すぎるほど分かる。


なるほど、下手な令嬢より全然可愛らしいじゃないか。


失礼極まりない言葉を呟き、またアディに小突かれながら。これはタクトも心配になるわけだ、と声には出さず皇子が納得した。


「それにしても」


イェンスが、アレスに続いて少女に目を滑らせた。


「綺麗、だな」


下心のない、純粋な言葉だった。それにはさすがのアレスも同意して、「そうだね」と頷いた。


少し波を打った蒼い髪と、人間離れした繊細で端正な顔立ち。羽のように長い睫毛はさらさらとそよ風に揺れるほどで、人形のようにうつくしい肢体をしていた。


「しかし、どうして王命が下ったんだい?兄上がそんなことで身内以外を呼び出すのは珍しいけど」


さら、と金の髪を耳にかけながら独り言のようにアレスが言った。無駄に絵になるのがむかつく、というどうでもいいイェンスの呟きは、当然のように無視されたが。


「あぁ、それは———」


タクトが言いかけた瞬間、うぅ、とうめき声が上がる。


慌てて一同が声がした方向を見やると、少女が薄目を開けている。


「....こ、こ、は....?」


朧気な意識の中で、少女が問うてくる。


歯と歯の間から押し出されたようなそれは、今にも消えてしまいそうなほど透明で儚げな声であった。


「ここはエルレイム皇国です…あ、ちょっと待ってください!」


さらに混乱した様子の彼女を見るや、アディは手に提げていた鮮やかな赤の巾着を探り、透明な瓶を取り出す。コルクの栓を開けた瞬間、独特なハーブの薫りが立ち上った。


少し顔をしかめる少女に「ごめんなさいね」と詫びを添えて、瓶の口を形のいい桜色の唇にあてがう。


「救護班の精力剤です。少しだけ体は楽になると思うんですが…。」


一通り説明を終えたアディに変わり、アレスが気さくな口調で繋いだ。


「いきなりで悪いね。一応聞いておかないと送り届けることができないんだ」


「わたしの、居場所…?」


少女が、王子を凝視する。


半身を起こしながら、開ききらない瞳で。


瞳の色は、予想通りの濃いサファイア色。


透き通るような眼差しに、さすがの彼も動揺した様子で息を呑む。


「私の居場所はどこ....私は?私は....」


ブツブツと呟き始める少女に、タクトが少しだけ慎重に問いかける。強ばった顔つきで、最悪の事態を予測して。


「あなたの、名前は?」


空気が凍りつく。永遠にも思われる一瞬が流れた。女の子の表情が、みるみる崩れていく。絶望に、虚無感に。昂りきった感情に、思わず顔を伏せたと同時、少女が叫んだ。


「何も、思い出せない!」


絶叫に一同がひるんだ瞬間、女の子はぐったりと倒れ込んでしまう。危うく転げ落ちそうだったところを、慌ててイェンスが抱えあげる。


「---っと、危ねえ」


すっかり脱力した少女を両腕に収め、寝台へともう一度寝かせた。


「まあ、一時的なショック症状かもしれないし、しばらく様子見、といった感じかな」


寝台に手をついたまま、アレスが呟いた。


医学的なことは全くわからないタクトだったが、ある程度多岐にわたる知識を持った彼が言うのだから、きっと判断は正しいのだろうとぼんやり考える。


「俺もそろそろ行かなきゃならないし、集合は今日のここで解散と行きますか」


少しの間だけ続いた沈黙を打ち破るように、認可傭兵が立ちあがった。


「私も」


黙って立ち上がった皇子に、アディも続く。


「お前は残ってその子達の様子見だからな」


イェンスに釘を刺され、タクトがああ、と返す。


「君にまかせると何をするか分からないからね」


「てめえいい加減に」


「あーはいはい」


さっきからあいも変わらず小突きあいを繰り返す二人を出口に押しやりながら、


「よろしくね」とアディがタクトに微笑む。


キィー、バタン。


古い木戸が軋んで、閉まった。


のこされたのは、二人の少女と生真面目な王宮の騎士だけ。


むなしい静寂が、二人を押し包んで、やがて消えた。

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