四節 玄関先にて

商人で賑わうルヴィス通りから少しだけ外れた、王宮兵士の住まう簡素な住宅街にて。


白馬の皇子とその侍女である少女は、細道に建てられたレンガ造りの家の前に佇んでいた。


ツタの這う赤茶色のレンガが印象的な家———というか、広さで言えばほぼ小屋———は、彼らの友人のものだ。正式に言えば、国から支給されたものなのだが。


「やっぱり、表から行ったほうが近かったじゃないですか」


哀れ、暗い早朝の森に連れ込まれていた可憐な従者は、主君へ不満をぶつけてみるものの。


当の皇子は気にもしていない様子である。


「おかしいなぁ....いつもだったらすぐに出てきてくれるのに」


愛馬を宥めながら、考え込むような声音でアレスが呟いた。アディの方もとうとう諦めたようで、疲れの滲む声で答える。


「そうですね....イェンスはまだしも、タクトがいるならすぐ出てきてくれるのに」


そう言いつつ、アディが質素な鉛のノッカーを持ち上げた…瞬間。慌ただしい足音が近づいてくる。


「…来ましたね」


「うん、来たね」


予想通り。どんどん足音は近付いてくる。数秒後、最高潮に音が大きくなったその時。


盛大な爆音をあげて木扉が開く。


開け放たれたドアの奥から現れたのは———


「うわあタクトどうしたの」


家の主ではなく、その親友である騎士のほうだった。


戸惑いのあまりひどい棒読みでアディが言う。


何せ、顔を出した彼の髪はボサボサで、いつもなら皴一つなく着こなすはずの軍服もかなり気崩れていたからだ。


折角軍内屈指の女性人気を誇る二枚目も台無しである。


本人に自覚はないので、何を言っても無駄なのだが。


「いや、まぁ....人を、預かったものでな、俺も訪ねてきた」


彼がバツが悪そうに目を背けた。生真面目な彼のことだ、屋敷を抜け出してきたことを気に病んでいるのだろう。


「それぐらい気にしなければいいのに」


「アレスさん、何言ってるんですかあなたは」


小声で王族の自覚ゼロの発言をする主君を肘で小突き、アディは大きくため息をついた。目の前の領主の息子はこれだけ堅物だというのに、当の皇子はこの有様。全く、この方が第一王位継承者でなくて良かった、と密かに思った。…結局、何だかんだ彼女は皇子を信頼しているのだが


まだ気難しい顔をする緑眼の騎士の背後に、ぬっと長身の青年が顔を出す。


彼がこの家の主、イェンスだ。


タクトに比べ、顔立ちは特別整っている訳ではないものの、涼しげな切れ長の瞳が妙に印象に残る。今日の出で立ちはいたって普通で、地味な若葉色をした立襟のシャツが、彼の赤い髪によく映えた。


「しかも女の子だぜ」


緊張感のないへらへらとした笑顔で、彼が言った。嫌な雰囲気こそないが、どこか少しだけ嘘くさい。それも、イェンスの「傭兵」という職業の所存だろうが。


この場には彼を昔から知っている者たちしかいないから、それが自分たちを警戒している徴だ、なんて邪推は一切しない。


それよりも。そんなことよりも先に、皇子が、今日初めて笑顔を消し、顔をこわばらせる。本気で警戒している表情だった。


「え、イェンスが女の子なんて預かっちゃって大丈夫なの」


…いつもの柔らかな作り声ではない、素で出た声。


「私もそう思います」


「そうだな、俺もそう考えたんだが」


アディとタクトも即座に同調する。がくっ、という音が聞こえてきそうなほど分かりやすく彼が崩れ落ちた。


幼馴染みからの信用のなさを嘆き、イェンスが脱力したように額に手を当てた。


「....お前ら俺をなんだと思ってんだ」


「女にだらしない男かな」


「アレスてめぇ」


今にも端正なその顔に正拳突きを食らわしそうな勢いのイェンスを、いつも通り爽やかスマイルのアレス皇子が「まあまあ」と軽く流す。


舌打ちを交えつつ矛を収めた彼を見届けてから、アディがタクトに話を振った。


「で、タクト。女の子はどこにいるの?」


「無視かよ」という不機嫌そうな男の声をこれまた華麗にスルーして、肩にかけたカバンを探り出す彼女に、タクトが「まあ、取り敢えず入ってくれ」と促した。


もう、大分日は登ってきている。

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