三節 朝日、森に射して
時は移り、明くる日の早朝。
エルレイム皇都・サフィーロの大通りから少し外れた、薄らと朝日に照らし出された森林に、二つの馬蹄の音が響く。
「アレスさん....もう戻りましょうよ、ね?」
そう声をかけたのは、亜麻色の髪の少女。身なりは整っていて、中流程の貴族だろう。仕立ての良い絹のローブを纏っている。彼女のブローチに添えられた勲章には、「エルレイム王家直属侍女」との称号が刻まれていた。豊かな髪は赤いリボンで一つに束ねられ、それによって露になった丸い輪郭がいささか彼女を幼く見せているが、だれが見ても「可愛い」と言える顔立ちだ。
彼女はアディラート=ナイト=ラディッキー。中流貴族、ラディッキー家の長女だ。王家との盟約のため幼い頃から皇子付き侍女となり、最初こそ憧れの王子様に付ける喜びに心躍らせていたのだが———。
「いいじゃないか。ほら、もっと早く早く!」
目の前を歩く青年は、この国の「第二皇子」、アレアス皇子。短い金髪を青い宝石のサークレットで留め付けた、そのまま「王子様」を絵に描いたような容貌の青年だ。青年なのだが…。
彼女の声に応えて、皇子が全くの的外れな返事を返した。嬉し気に輝く蒼い瞳。間違いなくわざとだ。そのいたずらっ子然とした笑みといったら。優しげで端麗な容姿と、国民に向ける外面からはとうてい想像できたものではない。
「…こんなはずじゃなかったんだけど」
ぼそっ、と彼女が呟いた。深い溜息と一緒に吐き出された本音は、ほぼ確実に主君への言葉だ。
「あれ?何か言ったかい、アディ?」
目ざとく振り向いたアレス皇子に、この国の女性達を虜にする完璧な笑顔を向けられ。侍女———アディは言葉をつまらせるしかなくなった。
悔しいところだが、どうあがいてもその表情には何か目を奪われるものがある。美しく爽やかで、どこか仄かな色気を含んだ笑顔。
まあ八割型碌なことは考えていないのだが。
国政となれば別だろうが、それ以外のこととなれば彼は徹底的に自分の行動と思考を優先するのが彼という人だ。悪く言えば自己中心的とも例えられる程。
ただ、身内や近しい家臣以外に見せる外面は非の打ち所がないほど完璧だし、恐らく皇子は彼らからの評価を打ち消してしまえるほどのカリスマ性を持ち合わせているのだろう。全く、とんでもない皇子がいるものだ。そんな
「イェンスの家に遊びに行くなら、表通りをいけばいいじゃないですか…」
ぼそっと呟いてみる。朝早くに呼び出されて有事かと慌てて飛び出せば、まさか友人の家に遊びに行くからついてこいだなんて。侍女兼皇子の幼馴染のアディからしてみれば、幼い頃から変わらなさすぎる彼に呆れ返るばかりだ。
しかし、冒険したいとか訳の分からない理由で森に入った彼は、ご機嫌そうに鼻歌を歌い続けている。調子はずれで音も滅茶苦茶だが、ぎりぎり国歌には聞こえた。本当に、ぎりぎりの境界だ。あ、やっぱりこの人音痴だ、と彼女は腹いせのように呟く。無論、追撃が怖いので心の中で。
「どうかした?」
威圧感。重い。酷く
「....なんでも、ないです」
悪魔だ。鬼畜だ。この人は人間じゃない。
精一杯の避難を込めて何度目かの不機嫌アピールをかけてみるものの、当然と言うべきか皇子には届かない。
しかたがないな、と諦めモードに入った彼女は、黙って馬の手綱を握りなおした。質素な厚手のワンピースが馬上で揺れる。
無言の時間をどう熟するものかと考える途中、力を入れそこなってぽーんと蔵に腰を突き上げられ。一瞬馬から放り出されそうになった彼女は、涙目で綱に縋りつく。
(うぅ、助けてルヴィスさまぁ....)
意味などなさないだろうに、アディはそうやって少しだけ女神に願ってみたりして。足取りも軽い皇子を追いかけた…。
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