二節 王命


バァン、という重々しい音に、つい数秒前にはあれほど五月蝿うるさかった室内に、静寂が降りる。


「タクト殿!騎士団長、タクト殿はおられるか!」



扉の縁に息を切らしてもたれかかるのは、かなり軽装備の鎧をまとった男。バイザーで隠れて目元は見えないが、全体の印象からして恐らくは若い男。マントの色から図るに、夜勤めの衛兵だろう。彼は何やら焦った様子で懐から文書を取り出し、掲げる。高価な羊皮紙の手紙に捺印捺印されたのは、ユリの輪に盾———紛れもなく、彼らの仕えるエルレイム王家の紋章。旗印や勲章、領地に届く報告書では見慣れたものだが、こうして私的な手紙に描かれているのはあまり見たことがない。


「タクトは俺だが、どうした」


「騎士団長タクト」というと、恐らくエルレイムには彼しかいない。酒の入った小さな木樽を机に置き、緑眼の騎士が腰を浮かせた。それを確認するや否や、青ざめた唇を震わせながら衛兵が飛びついてくる。


「デューク将軍から言伝です。皇帝が、今すぐ謁見えっけんの間に来いと」


「ディスティア陛下が?」


ディスティア、といえば。


先王が病に伏せり、政治の執権を譲られた皇太子。統治の才には優れるが、人を道具のように扱うとまで噂される不愛想な若皇のことだろう。弟皇子や先代の優しい容貌に比べ、厳めしい顔が仇なして、正直民からの評判は良くはない。まあ、外交関係について目立った亀裂は入っていない為、大きな批判には至っていないのだが。


そんな彼から直接文書を手渡されたとなれば、男が震え上がるのにも納得がいく。「あーあ、気の毒に」とうそぶく友人の声を聴き、タクトは密かに相槌を打った。


タクトは、背後のイェンスを振り返る。求めたのは許可なのか、それとも助言か。もしくは、何も求めてはおらず、ただただ困惑したのか。


どちらにせよ、彼は肩を竦め、「行ってこいよ、騎士団長さん」と軽くあしらうだけだった。


「わ....分かった、いまそちらに行く」


背後から向けられる憐憫の視線。大方、なにか失態でもしたな、とでも推し量っているのだろう。とくにあの皇帝に睨まれたとなれば、同情されるには十分すぎるだろう。


しかし、当のタクト自身さえ全く謁見の理由を察せずに居た。何か不始末をした覚えもないのだから、皇帝の怒りに触れるような行動、となると尚更心当たりがない。手渡された不可解な手紙に、ただただ首を傾ぐばかりだ。


「さ、さあ。急ぎましょう。王命となれば———」


そう呼びかける兵の顔は蒼白で、死人のようだ。「できるだけ早く」という付け足しが鮮明に聞こえるようだ。よほど怯えているのだろう、いよいよこの若い兵士が哀れになってくる。取り急いで外套を羽織り、粗末な木の机に立てかけられた豪奢な長剣を手に取った。


「行くのか」という親友の問いに「ああ」と短く答えてから、大股に扉の方向へと歩み寄る。王命であることも勿論、これ以上自分の持つ騎士団について、厄介な噂を広められる前にも。騒ぎが大きくならないうちに、ここを立ち去っておいたほうがいいだろうとの結論を導き出したからでもあるのだ。


「承知した。ではすぐにでも向かおう」


できるだけ冷静な声で答え、「上手くやれよー」という友人の声を聞きながら、騎士団長・タクトはようやく騒々しさを取り戻し始めた酒場を後にして。夜の閑静な貴族街へと出向いて行った。


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