力なく暗闇を進んだ俺は、手探りに奥にあったドアを探し当てた。金属の冷たい無機質さが、この暗闇の中でも妙にありがたく感じてしまうのは、普段何気ないところでも目にかかるものだからだろう。

 俺はドアノブを回してドアを開けようと試みたが、うまく開かなかった。引いても押しても、あるいか横にスライドしようにも全く動かない。つい今しがた感じられた強力な命の灯火によって燃え盛った力も消え、今は再び単なる新月期のそれへと戻っていた。

 疲労感もあるので、そのためかとも思ったがそうではなかった。あまり頭に考える力がなかったのか、ようやく、ドアが簡単にはこじ開けられないよう隙間なく打ち付けられていることに気がついた。

 その様は有り体に言って、偏執さすらも感じられるほどのもので、何をここまで熱心に隙間なくドアを動かないようにしたのか、逆に興味が湧いてしまうほどだった

 俺の背後には動かなくなった男の死体が転がっているが、こんなことをしたのは奴ということだろう。以前も近くを訪れた際、あの男の死臭が感じられたのでそれは疑いない。ならば、こんなことをしたのはなぜか。

 そもそもこんなにも暗いというのも、おかしく思わないでもない。ここは、住宅街から外れていることもあり、光というものが大凡届かないほどなのに、こうも隙間なく覆っていると、昼間でも光などほとんど差し込まないのではないか。

 俺は、ふと、ある疑念が沸いて死体のある後ろを振り返った。夜だと言うのに、相変わらず外の明りが一切差し込まない倉庫の中。この状況が、あの館科かおりの死体が見つかった河川敷の管理小屋と同じなのだ。

 この倉庫と河川敷の管理小屋。両者は広さは違えど、人気無く、しかも明りが入らないよう執拗に隙間を覆ってあるのと、全く同じなのだ。あの管理小屋も、偏執的なほどに外界から光が差し込まないよう工夫が施されていた。あの時は、カーテンを閉めていることもあって光が入らないようにして、その場で寝るためなのかとも考えたが違ったのだ。

 もっと言えば、寝るためなのは違いないが、それは昼間差し込む光を意味しているのではないか。つい今しがたも、あの男が言っていたではないか。吸血人間を信じるか、と。吸血鬼伝説は本当なのではないか。

 あの男が自分で語った通り、一度死んで再び起き上がった人間は、まさしく吸血鬼伝説のそれそのままではないか。もしそうなら、この倉庫の一切光を差し込ませないような徹底して隙間を無くしているのにも、あの管理小屋の異様なバリケードについても説明がつく。

 死体の男と港で初めて会った時も、あの男は食事中だと言っていた。死肉を漁るのもそうだと。これらはまるまる吸血鬼の有様そのものだ。ならば、最後は吸血鬼が日光に弱いというのも、決しておかしなものではない。

 もっとも、これについては実証せざるを得ないが、幸か不幸かそれを確かめる術が今この場にある。俺は、思い立ったように死体の男の元へと歩み寄り、手探りで男の死体を探り当てると、それを引っ張っていき倉庫を出た。

 新月期で月明かりなどないので、頼るのは遠くから届く外灯の明りだけだが、それでも倉庫の外までやってくると、それまでの暗闇からは打って変わり、十分に夜目の利く範囲にまで明るさを感じた。

「ようやくご対面だな」

 引っ張ってきた物言わぬ死体の男を見下ろしながら言った。死体である男は、相変わらず半裸の状態で、鳩尾から背中まで大穴で穿たれていた。そこからは、そぞろになって半固形と液体状のものの中間のような液体がとろりと流れ出ている。

 その大穴が、俺の突き出した腕によるものであることは明白だが、まさかここまで大きな穴になっているとは思わなかった。それも、まさか背中にまで突き抜けているとはなおさらである。

 しかし、このおかげで男は死んだらしかった。死体に死んだとはおかしいが、とにかくそうだ。

 死体の男はまだ三〇前後の青年で、無駄な筋肉らしい筋肉もなければ脂肪もない、痩せぎすといって良い体型をしていた。大凡、人間には出せないほどのパワーとスピードを兼ね備えているとは思えないほどの体型だ。

 薄っすらと開かれている瞼からは、通常の人間の死体と変わらないほど、虚ろなものであの港で見た赤い瞳とは縁遠い。ただただ、痩せこけ人生に疲れた人間の死に顔ののようだった。

(そういえば……)

 あの港で会った時、この男は迸る赤い瞳をしていたのに、ここに入った時はそうでもなかった。ところが、闘いの途中で突然赤い瞳をしたのはどういうことだろう。

 男がこうなった以上、それを確かめる術などあるべくもないが、やはり感情によるブレがあの赤い瞳を出現させたのかもしれない。そもそも人間でもないが、港で会った時はえらく凶暴でずっと赤い目をしていたから、そうであるように思われた。

 凶暴さという点ではさっきだって同じだが、少なくとも港と違って最初は随分と落ち着きを持っていた。声も最初と違って嗄れていなかったし、動きの速さも力も全てが最初とは違っていた。むしろ、今回の方が本調子に近い状態だろう。

 そう思うと、この死体の男も俺とどことなく似ているように思われた。俺だって、なぜか月の満ち欠けで体調のコンディションや、能力にまで深く関わりがあるように、奴らにも自分の体力の高下や感情の変化で赤い瞳になることがあっても、なんら不思議はない。


 俺はずるずると倉庫から死体を引き摺りだすと、一旦その場に置いて車に戻った。引き摺っていくよりも、車をここまで持ってきたほうが遥かに楽な作業だ。

 死体を持ち運ぶため、死体の手前で車を停めてトランクを開けた。改めて直に触れると良く分かるが、男の死体はさっきまではまだだったのが、今は確実に腐り始めているような臭いに変わっていた。

 つまり、これがこいつの完全な死を意味しているのだ。元ある場所に戻ると思えば、やはり死体が動くというのは自然的ではないのだと改めて思った。

 こうして、死体をトランクに詰め込み終えて運転席に腰を据えると、ようやく深い溜め息が漏れた。まるで殺人を犯し、その死体をどうすべきかてんやわんやする殺人者のような気持ちだった。

 ともかく、俺の中で確信めいている吸血鬼伝説を裏付けるには、朝、日の出を待つ以外にない。ここまでのところ、ほぼ吸血鬼の体を成している状態だが、吸血鬼を吸血鬼たらしめるであろう、日光に弱い、日光を浴びると溶ける、もしくは灰になるということを実証しない限りは伝承通りとは言えない。

 俺はブルーバードのエンジンをふかし、ジャリジャリと音立てながら来た砂利道を戻って、アジトへの帰路を急いだ。




 完全に気が緩んでいた、そう後悔してもおかしくなかった。そろそろ日付も変わった深夜の一時頃、俺はアジトに運転するブルーバードで乗り入れた。

 ところが、戻ってきたアジトの様子がなんだかおかしいことに眉をひそめること数秒、その訝しみを何かが起きたと察するのに、数瞬たりともかからなかった。

 乗り入れたブルーバードから降りて、地下へと足早に階段を降りていくとその答えが明白となった。寂れて殺風景だったアジトの地下室は、思ってもいない異常事態になっていたのだ。

 まず、椅子に座らせていた大野の爺と岡部の二人がいなくなっているのだ。監視のために置いておいたクレオもいなくなっていた。つまり、アジトは俺が空けていたほんの二時間か三時間足らずの間で三人がいなくなってしまっていたのだ。

 俺は訳が分からず、呆然と無人になったアジトを眺めるだけだった。もとより無人のアジトなので、本来の姿になったといえば間違いないが、今無人になってしまっていては困る。

「……どういうことだ?」

 クレオもいないということは、二人を連れてどこかへ行ったというのだろうか。いや、そんなことはあるまい。だとすれば、初めからそちらへ連れて行く方が合理的だ。一時的な理由でも、何の連絡もなしにクレオが二人を移動させることはしない。あいつの性格を考えても間違いない。

 ならば考えられるのは二つだ。一つは、人質二人がクレオの気が緩んだのを見計らい襲撃して逃走、その際にクレオも連れ去った可能性。大野と岡部に縄抜けの技術と、痛めつけられ体力を奪われた状態でこういう荒事にも向いているクレオを襲撃できたのか、という二点をクリアできるかが鍵となるが。

 結論は無理だろう。片やみっともなく肥えきった八〇代の老人で、片や完全に恐怖で竦み上がり、体力的にもあまり自信のなさそうな中年とではクレオの相手じゃない。しかも、クレオを運ぶには、あの二人ではあまりに非力で役不足だ。

 とすれば考えうるのは、第三者がここを襲撃したという可能性だ。そして、現場に残された遺留品から、その可能性が極めて高いこともすぐに判明した。

「拘束が解かれてやがる」

 そうなのだ、二人を縛り付けておいた拘束具が、何者かによって鋭利な刃物によって切られていたのである。これは、明らかに第三者が二人の拘束を解いたということに他ならない。

 さらに確かめるため、俺は地下室の奥へと向かう。ここは地下なのだが奥には通気口があり、そこからは地上の排気口へと繋がっているため、侵入経路はそこであると考えられるのである。

 案の定、かつてビルの通気管理などを司っていた管理室に入ると、見事にその通気口の蓋が外されていた。しかも、今入ってきたこの部屋のドアはきっちりと鍵が閉められているのに、難なく入れたのは鍵が破壊されていたからだ。

 クレオがわざわざそんなことをするはずがないので、もう答えは一つしかない。つまり襲撃者は、地上の排気口を通じてこの通気口へと至り、アジトに侵入した。その後、二人への監視を怠らなかったはずのクレオの背後から襲い、二人を助けたということになる。

 となると、二人を救出し、かつクレオを攫った考えれば襲撃者の人数も自ずと分かってくる。二人を担ぐなり先導するなりで、少なくとも四名はいたと考えるべきだろう。もちろん一名でも可能でないとは言わないが、複数であると俺の勘は言っていた。その方が効率が良いためだ。

 乗り込んだのは一人でも、迅速に行動するためには一人で行うよりも侵入する者、その手助けをし、かつ一人目である侵入者の後に中を制圧するために最低でも二名以上、それに連中と人質を運ぶための車両に運転手と、最低四名だ。

 だが、それは極最低の人数と言って良いだろう。現場を見る限り、ほとんどといって良いほど争った形跡が見られない。襲撃者による救出作戦は、鮮やかなものだったことを物語っている。同時に実に手慣れた行動は、連中がこの手のプロであることも示唆していた。

 だが、そうなるとクレオが危険な目に遭っていることでもある。今すぐにもあいつを助けなければならない。連中の手口から見ても、人を殺すことも任務の中に入っていないとは言い切れないからだ。

 いや、むしろそれを前提に考えるべきだろう。二人を襲撃した俺達が、凶悪な誘拐犯であることを知った連中が、こういった荒事向けの部隊を差し向けたことが何よりの証拠といっていい。

 俺は舌打ちしながら管理室を出た。何か、連中の後を追えそうな証拠がないか、それを探した。しかし、都合よくそんなものが見つかるはずもなく、俺は途方に暮れそうだった。

 そもそもこのアジト自体、俺が無断で所有しているものだが、そこに勝手に押し込み、誰にも口外していないのだから、アテなどあるはずもないではないか。クレオにしたってそうだ。今晩の押し込みだって、警察に頼らないと俺が頑固に主張したことが原因だった。

 どうする……。俺は壁に背をもたれさせ片手で頭を抱えた時だった。突然、閃いたようにもたれかかった壁から身を離して叫んだ。

「そうだ……こんな単純なことになんで気づかなかったんだ。どうして連中は、ここに人質がいるということをこうも簡単に知ることができたんだ」

 いずれは知られる可能性がないわけでもない。だが大野たちを拉致してきたのは、ほんの何時間か前の話なのだ。そうなると、自ずと選択肢が限られてくる。

 俺は思い出したように地下室を出て階段を駆け上がった。ビルに併設され、わずか五台分しかない駐車スペースに収まっているブルーバードを、念入りに調べた。

 どこか、どこかにあるはずだ……。そんな一心だった俺に、幸運の女神が微笑んでくれた。

「あった」

 ブルーバードの車底に、ガムのような粘着質なものと一緒に、小さな発信機が取り付けられていたのだ。こんなものがあったんでは、こちらの行動など筒抜けではないか。何のためにクレオだけを連れて二人を襲撃したのか、まるで意味がない。

 発信機を見つけたものの、実に苦々しい気分になった。こんなものが付けられているとも知らず、得意気になっていたのだ。やはり、新月期に入った俺は駄目だ。もっとも、満月期でも似たようなものだが、あっちではこんな失態はすぐにでも取り返せる分、新月期ではこういうのも手痛い失敗としか映らない。

 俺は、発信機を地面に落として踏みつけた。超小型の発信機は、衝撃にも弱いのでこれだけで簡単に壊れる。とにかく、クレオを助けなくてはならない。今度は向こうが依頼主という立場だから、なんとしても助けなくては寝心地が悪くなる。

 俺は大きく深呼吸して、まずどうすべきか考える。この発信機がいつ付けられたものか、それを考えてみても始まらない。少なくとも、発信機は押し込んだ大野邸にいた段階ではすでに取り付けられていたに違いない。

 そうなると、初めからこうなることを予測していたということになるが……。俺は思考の深みにハマる前に頭を振った。今はまず、発信機を取り付けた奴の正体を暴くことが先決だ。それは必然的に、三人を連れ去った連中と直結しているに違いないからだ。




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