大きな池に周囲を柳が風流な料亭で、俺は目の前に並ぶ豪勢な肉の会席料理を楽しんでいた。閉められた襖の向こうの廊下で、にわかに女中たちが慌ただしくなったのを感じつつ、俺の耳にも、かすかに奴の名を呼ぶ声が聞こえてきていた。

 その声と数人の板張りの上を歩く足音が、こちらに向って近づいてきた。そして、それが俺の待つ室間の襖の前で止まる。俺は向こうがどう出るか、それを楽しみながら豪勢な食事に舌鼓を打った。

「大神さま、お待ちの方がお見えです」

 女中の声で襖が開かれると、そこには約八年ぶりに再会した、あの情けないチンピラの面影を遺したヤクザが部屋に入ってきた。のしのしと随分威勢のよい歩き方だった。

「久しぶりですな、大神さん」

「久しぶりだな茂夫。随分と出世したらしいな」

「ええ。おかげさまで」

 会話が途切れる。俺の座る反対の席に、近藤茂夫はどすんと胡座をかいで座った。俺はその様子をちらりと一瞥するだけで、黙々と食事を続けた。

「俺をここに呼んだ理由は何です? 忙しいので手短にしていただきたい」

「まぁそういうな、久々の再会だぜ? まず食事でもどうだ」

「遠慮しておきます。それで用件は」

 なんだか俺の知っている茂夫とは随分印象が違っていた。俺の知る茂夫は、もっとビクビクと怯えるのがお似合いの奴だったが、今目の前にいる六道会幹部としての肩書を持つ茂夫は、まるで風貌が違っていた。

 どうやら、六道会と揉めた後、随分と修羅場をくぐってきたようだ。ならば、手加減することはない。そういう連中を相手にする体で対応すれば良いわけだから。俺は箸をおいて、口を拭うと単刀直入に切り出した。

「茂夫、お前、小倉真奈美という女を知ってるだろう」

「小倉真奈美?」

「とぼけなくていい。お前の使い走りって奴の紹介で風俗に沈められた女だよ」

「ああ、そんな女もいたかもしれません。ですがそれがどうしたんでしょう」

 昔のこいつなら、そこまで言ったら途端に表情が変わったので面白おかしくつついてみたところだが、今のこいつはこの程度ではまるで動じる気配がない。俺はさらに続けた。

「その小倉真奈美が失踪したというのも当然知ってるな」

「いえ、初耳ですな。それがどうしたんです」

「そうか。まだシラを切るっていうんだな。なら、彼女が死んだっていうのはどうだ」

「死んだ?」

 ようやく茂夫に変化があった。しかし、怪訝に思う程度のもので、人間の一人死んだくらいでは動じていない。なるほど、よほどの修羅場を潜り抜けたということの裏返しだろう。人の死の上で、今の地位を築いたというところか。

「ああ。それもつい昨晩の話だ。一週間も前に失踪した女が死体となって発見された、まぁ良くある話かもしれないがどうもきな臭い話でね」

「と、いうと」

「なんでも、小倉真奈美は数年前に吉野会系六道会のチンピラと何か揉めたって話だ。警察の調べじゃ、強請られてたってことなんだが、何か知らないか茂夫」

 俺はそこでようやく茂夫の目を見据えた。今は月齢がどんどん進んでいる頃だから、しっかりと相手を見据えなければ、正確な相手の心理状況や匂いを失いがちになる。俺の鼻は、奴から分泌するアドレナリンの臭いをかすかに嗅ぎ取っていた。

「もう一度言うぜ、茂夫。お前、小倉真奈美と何があった。俺の特技を知らないわけじゃないだろう。下手に隠し事をするなら、裏で待ってる警察連中がすぐにも踏み込んでくるぜ」

「……ご冗談を。警察もまさか確実な証拠もなしにこっちを捕まえようだなんて思うはずがない。いくら、疑っていようとね。それくらいは心得てますよ、大神さん」

「やれやれ、あくまでシラを切るってわけだ」

「いいえ、シラなどではない。小倉真奈美のことは確かに知っていました。だが、俺だって風俗に沈めた女の一人を、いつまでも覚えちゃいませんよ。そんな女は何人も知ってる」

「じゃぁ思い出せるよう、こいつを見てくれ」

 俺はクレオを通じて、風俗店の店長から提供された小倉真奈美の顔写真を茂夫に見せた。写真を手に、しげしげと見つめた茂夫は興味などまるで感じさせずにそれを返した。匂いがかすかに強くなるが、それ以上の変化が見られない。

「ああ、確かにいましたね。もう何年も前の話ですんで忘れかけてましたが……」

「じゃあ、もう一つ。これも一週間近く前の話だが、首都高速で起こった事故、知ってるか」

「高速での事故など、さほど珍しくないのでは?」

「ああ。単なる事故ならな。俺の言ってる事故ってのは、あるトラックが横転したって事件だ。ついでに、そこにどういうわけかな、六道会が関わってるってネタを掴んだ。まさか、そのことまで知らないってのか」

 茂夫は答えない。ビンゴだった。俺は獲物を追い詰めるように、さらに畳み掛けた。

「知らないはずはないよな。なんたって、俺はその事件の目撃者だ」

 そういうと、初めて茂夫は大きく反応を示した。まさか、俺がその襲撃を目撃していたなど、想像もしなかったろう。

「ついでに、襲撃されたトラックの運送会社である岡部運送にも行ったよ。何も知らないって追い返されたがね。だが、社長の岡部は間違いなく何か知ってる様子だったぜ。

 それにだ。その岡部がこの小倉真奈美と知り合いだっていうんだが、それと六道会との関係は何もないっていうのか。自分たちが回収できるはずの資金を一円だって無駄にしないというヤクザもんのやり方からしたら、おかしな話だな。

 そこに関わったはずの岡部運送の社長についても、お前らは何も知らなかったっていうんだな」

 茂夫は沈黙を保ったままだった。表情こそ知らぬ存ぜぬを貫こうとしていたが、徐々にそのメッキが剥がれてきているのが分かる。興奮により分泌するアドレナリンの量が増してきているのがそれを裏付けていた。

「でだ。俺が一番知りたいのは、何故そのトラックの積載物から死体を運びだしたのかってことだ。そもそも霊柩車でもないのに、トラックに死体があったってのも十分謎だがな。

 まだある。その死体を狙った理由はなんだ。あの死体に何がある? お前らは一体何を隠してるんだ」

 沈黙が続いた。アドレナリンを振り蒔く茂夫の態度は、明らかに黒だ。これまではグレーの可能性も十分にあったが、もう隠しようがない。あくまで平静を装っちゃいるがピクピクとこめかみ辺りが脈動し、目は泳ごうとするのを必死で堪えているといった様子だ。

 その態度は俺のような特技を持っていなくても、たとえ鈍感な人間でも気付かないほうがおかしいと思えるほどだ。俺は沈黙のまま、ただ据えた瞳で茂夫を見つめた。

「……あくまで知らない振りを続けるっていうんだな」

「……ええ。なんのことか知りませんからね。あなたが本当はどこまでこの事件について知ってるのか知りませんが、あなたのことだ、きっとそれなりのところまで勘付いてるんでしょう。ですが、あなたのやり方は現行犯でもない限り捕えられない。いくら、警察と仲良くしてようがね」

「言うようになったじゃないか。ま、否定はせんがな」

 再び沈黙が降りた。この男とここまで重々しい雰囲気になったことは、かつて一度もない。それだけに少々勝手が悪いのは否めない。だが、向こうがその気ならこっちにも考えがある。

「これ以上……話が無いようでしたら、そろそろお暇しますよ大神さん」

「ああ、好きにしな。ただ覚えておけよ、俺はお前が今度の件に絡んでると思ってることを」

「……いくらあなたであっても、出来ることと出来ないことがあるというのを学ぶべきだ」

「そうだな。肝に銘じておこう」

 そういうと、俺は置いた箸を手に食事を再開した。そんなこちらの様子を見ていた茂夫は立ち上がり会釈すると、一瞥することもなく襖を開けて部屋を出て行く。廊下の途中で、茂夫と出くわした女中が忙しげにあいつの後を追う足音を耳に、俺は再開した食事の箸を止めた。

 やれやれ、昔から肝っ玉があるようでない奴なのに、妙な所で強情なところは変わってない。ただ、何が何でもシラを切ろうと頑なに意地を通そうとした辺り、少しは成長したらしい。

「これから忙しくなりそうだ」

 俺はすっかり冷めてしまった昼食をかっ喰らい、勢い良く箸を置くと、すぐに立ち上がって会計を済ませた。都会のど真ん中にある料亭というだけあって、法外な値段だった。だが、今度の事件にかかる経費は全てクレオが持ってくれるそうなので、景気良く会計を済ませて店を後にした。

 正面玄関近くには、クレオの待つ車が脇に停まっている。俺はそれを見つけると、小走りに近寄っていき乗車した。さすがに大物になっただけあって、奴は店の裏口から出入りしたらしく、クレオたたちが気づくことはなかったようだ。

「どうでしたか、近藤茂夫は」

「幹部になったというだけあって、中々に口を割らなかったよ。ま、嘘なのはバレバレだったがな。茂夫の奴、多分内心じゃ結構焦ってたはずだ」

「では……」

「茂夫のことはお前に任そうと思う。俺は少し別口で用事がある」

「送っていきますよ」

「いいや、一人で十分だ。やり方は任せてくれるんだろう?」

 分かりました、と言ったクレオの表情が心なしか暗くなる。……なんなのだ、俺に否定されたからと言って寂しい面見せるのは。なんだか悪寒がして俺は、冷静さを務めながら車を降りた。いくらクレオとの仲であっても、いつまでもべったりというのは勘弁願いたい。

「多分、茂夫の奴すぐにも行動するぜ。俺が警察と一緒と言ってもまるで動じてる様子がなかったから、フカシだと思ってるはずだ」

「分かりました。では我々は近藤を追います。お気をつけて」

「ああ。何かあったら連絡してくれ」

 ついでに、と昼食代の領収書をクレオに渡して、俺は颯爽と車から離れた。茂夫の奴がどう行動するのか、ここは高みの見物といこうではないか。もっとも、ほぼ予想通りだと思うが、そこら辺はクレオたちに任せておけば良い。

 俺は一先ず、昨日の殺害現場周辺に行くことにした。俺の予想通りであれば、きっと痕跡が残されているはずだ。さらに、深夜に訪れた神崎から得た情報もある。今日はやることが目白押しだ。


 そんなわけで、まず小倉真奈美の死体発見現場周辺にやってきた俺は、テープで仕切られている現場を尻目に、その奥のビルへと入っていった。向かうのは屋上だ。

 向かいのビルは警察官が現場の検証のために入っているが、反対の向かいのビル、つまり今俺がいるこっち側には警察官が入っている様子はない。もちろん、見ないだけでどこかでうろついている可能性もあるが、今のところ大丈夫そうだ。

 エレベーターを最上階まで上がり、奥の階段で屋上へとやってきた俺は、辺りを探索する。俺の予想通りなら必ずここらに、下の現場に残されていた壁を潰したような凹みと、似たような跡が見つかるはずだった。

「あった」

 それを見つけて、思わず口に出た。予想通りだった。下の現場の塀に残されていた跡と、同様のものが屋上の床にもあったのだ。五本の指らしいものが床を強く穿つように、コンクリートがひび割れて凹んでいた。

 俺はそれをまじまじと観察し、そっと触れた。大きさ自体は並の人間と大して変わらない。俺がその跡に手を充てがって確認してみても、やはり人間サイズ以外のなにものでもなかった。

 しかし、この跡はコンクリートの床を穿つほど、強靭な握力が指先にまでかかっていることを意味する。しかも見たところ、たった一度だけこの床に着地し、そこから一気に飛び上がっていったと考えるのが自然だろう。

 特に俺が注目したのは、親指と人差し指部分に当たるであろう、二ヶ所の穿たれた跡だった。指という構造上の問題もあるが、どちらも向って同じ方向にコンクリートが凹んでいる。つまり、その凹みに向って思い切り力を加えた証拠であり、その方向とは反対に向って飛び上がったのだ。

 俺ならこんな証拠など見つけないようにするところだが、この跡を残した主はそんなことはお構いなしらしい。まぁ、それに気付かれた所で人間にどうこうできるような問題でもないので、放っておいても構わないのは確かだが。

 そして、なんでも嗅ぎ分けることが出来る俺の特技と組み合わさって、人海戦術を基本とする人間組織の情報力を上回るアドバンテージを持つことが可能になる。その跡にかすかに漂う死臭、その臭いは間違いなく先日あの港で嗅いだ臭いと同質のものなのだ。

 これで、判明した。下の現場を作りだしたのがあの死体野郎と同じであることが。後は、この臭いを辿っていけさえすれば、奴と再会のお目見えというわけだ。

 俺は跡にしっかりと残された、凹み具合から奴が跳んでいった方向を割り出し、次のビルへと向った。地道な作業になるが、じわじわと獲物を追いかけ追い詰めていく、狼としての習性を大いに活用できるこの状況を楽しまなくては損というものだ。

 凹みから手を離し、奴が跳んでいったに違いない方を向いて、俺は不敵な笑みを浮かべた。



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