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警察の世話になった翌日のことだった。その日、日付も変わった深夜午前三時頃にようやく塒に戻った俺の耳元で、けたたましくスマホのアラームが鳴り響き、仕方なく目を覚ました。
着信はクレオからだった。釈放などに必要な手続きを全て終えたこと、必要になるであろう調査費用を前金で百万、口座に振り込んだという。こんなことを言うために、わざわざ連絡を寄越してくるのが実にクレオらしいことだった。
ともあれ、これで完全に容疑も晴れて自由の身となったことだけは確かだ。その点は実に晴れやかな気持ちで、しかも、前金で百万という金が入ってくるというオマケ付きである。もっとも、この百万から早速、十万を支払わなくてはならないとボヤいたところ、その分も別途向こうから渡すということだから、丸々百万円が手元に転がり込んできたことになる。
しかし、浮か浮かしていられないのも事実で、クレオの奴は何を思ったのか、もう俺の塒近くにまでやってきているということだった。来るなと言っても、もう塒が見えているとまで言われた日には、こちとら働かざるを得ない状況になるので、俺は仕方なく、まだ重たい瞼を擦りながらこうして目を覚ました次第だった。
「機嫌、悪そうですね」
「ああ。これでせめて美女のお出迎えとありゃ、朝からテンションだだ上がりだったんだがな」
「分かりました。今度からは美女をお連れします。あなたに見合うような美女を知っていますので、彼女にお出迎えをしてもらいます」
「はっ、冗談だってのに今日はえらくノッてくるじゃないか。まぁいい。クレオがそういうのなら期待せずに待っとくよ」
茶化した俺に、クレオは妙に自信有りげな笑みを浮かべた。どうやら、よほど俺の耽美眼に合いそうな美女を連れてくる気らしい。そこまで自信満々なら、こっちとしても少しの期待がないわけでもない。
「で、わざわざ迎えに来たってことは進展があったんだな。まさか単なるモーニングコールのためってわけじゃないだろう」
「ええ。昨日、あなたが現場で見つかけた血溜まりの死体、その主がはっきりしたのでその報告です」
「分かったのか」
思わず身を乗り出した。助手席のクレオは、顔を前に向けたまま淡々と報告してくれた。
「死体の主は小倉真奈美、二一歳。両親とは長く疎遠で、風俗で働いていたようですが、この数日出勤しなくなり、自宅のアパートにも帰っていなかったので、風俗店の店長が捜索願を出していたことから発覚したようです」
「行方が分からなくなったのは」
「一週間前です。死体のDNAから以前にも軽犯罪を犯していたので、すぐに判明しました」
「風俗店か。今日はそこに行ってみるってわけだな」
「すでに捜査官が向ってます。我々は別口ですよ。この男をご存知では?」
そういってクレオが差し出した一枚の写真には、確かに俺も知る人物の顔が写っていた。それも、つい最近見知った顔だった。
「岡部総一……岡部運送の社長じゃないか」
「そうです。あなたが拘束された時、その証言を元に彼を調査してみたら、この男が小倉真奈美の勤めていた風俗店に通っていたことが判明したんです。それも、岡部は小倉の失踪する前日、彼女を指名していた。風俗店の店長によればその後三名に指名されたそうですが、体調が良くないとこれを断ったそうです」
「つまり、岡部が最後の客ってわけか」
なるほど。そうなるとこれが無関係であるとは考えにくい。岡部には、例のトラックの件もある。ただ、かといってあのトラックにあった死体と小倉真奈美の失踪と死が、うまく結びつくのかは俺にもまだ分からない。
しかし、数日前起こったトラック襲撃の直前に小倉が失踪したとすると、全くの無関係と考える方がどうかしている。仮に無関係だとしても、つついてみたくなるというのが性というものだろう。
「岡部とこの女の関係は」
「少なくとも、ただの風俗嬢とこの風俗嬢目当てで通う客、というわけではないでしょう」
「軽犯罪で警察の世話になっていたと言ったな。それが原因で、岡部から強請(ゆす)られていた、なんてことはないか」
「まぁありえない話ではありますが、岡部はすでに財を成していますし、今更彼女から何十万単位の金を強請ろうなどとは考えにくいですよ」
「違いないな」
「ですが小倉真奈美は、過去に暴力団と関係していたことがあるので、そこから何か探れるかもしれません」
「暴力団?」
「ええ。吉野組の六道会だというのは判明しています。店長の話では、近藤茂夫という人物の使いで、彼女を店に紹介してきたのが彼だと言っていました」
「近藤茂夫? あいつが六道会の幹部だって?」
「ご存知なんですか?」
「ああ。昔ちょっとな」
思わず口元が吊り上がるのを堪えられなかった。近藤茂夫とは十年ほど前、強請などで稼ぎをしていたチンピラだ。その後、度々顔を合わすことになったが、初めて会った時、債務者であった女を強姦紛いに襲っていたところを、ブチのめしてやった以来の付き合いである。
その後は、顔を合わす度にその時の恐怖を思い出すのか、俺と顔を合わす度に蛇に睨まれた蛙のように縮こまるので、つい俺もおもしろ半分に可愛がってしまった。ただ、生活に困窮していたので、少しばかしの援助をしてやったこともある。
しかし八年ほど前、もうチンピラ家業を止めて真っ当になろうとしていたところ、とばっちりで六道会の連中と揉めたところを助けてやったのだが、それが茂夫との出会った最後だった。あれから茂夫がどうなったのか、俺は全く知らない。
「あの野郎、結局足なんて洗えてないじゃないか」
俺はそう吐き捨てながら、シートに深く背凭れた。俺に助けられて最後には涙まで見せた男だったが、あれは嘘だったというのかあの野郎。もちろん、俺にだって似たような経験のの一つや二つあるが、だとしてもそこで泣いてまで演技するなんて情けないことはしない。
「良し。じゃあ今日は久しぶりに近藤と顔を合わせに行こうじゃないか。ついでに小倉と岡部についても聞いてみよう。俺のやり方で構わないな」
「ええ。どの道我々がああだこうだ言ったところで、あなたは自分のやり方を貫き通すのは分かってますので、お任せしますよ」
クレオは予めこうなることが分かっていたのか、早くも車を近藤の事務所が構える所在地に向けて走らせていた。
「ところで、俺が見つけたあのコンテナ、どうなったんだ」
「あれはもちろん、一時回収してあります」
「この際なんで聞くが、あのコンテナの中に死体はどうなった」
「もちろん回収はしました。しましたが……」
クレオは言い淀んだ。いつもはっきりと物申す奴なのに、なんだか珍しい態度だった。
「どうした」
「いえ、これは決して貴方の落ち度ではないので……」
「まどろっこしい。はっきり言え」
俺に強く言われると、どうにもクレオは断りきれない性格だった。……まぁ、これもそれだけ俺を信頼してくれているという証拠だと言い聞かせてはいるが。
「分かりました。あなたは口も固い。ですので、今から言うこともきっと黙ってもらえるはずだ。実は、昨日回収したコンテナの死体、あれこそが小倉真奈美である可能性が高いのです」
「ちょっと待て。そりゃどういう意味だ。今コンテナの死体は回収したと言ったろ」
どうも雲行きが怪しい。詰問しようとする俺を制止するように、クレオは事情を説明した。あの日、コンテナの中にあった死体はそもそも小倉真奈美のものだった。ところが、その死体が輸送中に消えていたらしいのだ。検死のために運ばれたにも関わらず、到着し車から運び出そうと中を見たら、回収したはずの死体がそっくりそのまま消えていたというのだ。
もちろん、こんなことは論外といって良い事態だ。そんな話、俺だって聞いたことが無い。だが、その話を聞いた直後に俺の脳裏には、あの事故の晩の出来事が浮かんだ。続いて、あの死体のような冷たさを持つ男のことも。
「そして、昨晩のあの死体。それがまさか小倉真奈美ということ自体、あってはならないことなのです」
そりゃそうだろう。消えた死体が全く別の場所で見つかり、おまけにその死体が残骸のようにぶち撒けられて、体の大部分を失っていたなど誰が信じるというのだ。
「DNA鑑定により、あのコンテナ内の血液と昨夜の殺害現場の血液とが一致したため、ともに小倉真奈美の死体であったことが判明したわけですが……正直、消えた死体がなぜあんな場所で無残にもバラバラにされていたのか、謎は深まるばかりです」
「それを解決するのが本来、お前らの仕事だろうよ。だが、片足突っ込んでる俺も気にならないといえば嘘だ。それについては少しばかり心当たりがないわけでもない」
「本当ですか」
クレオはまたも珍しく驚いた表情を見せた。実にポーカーフェイスの上手い男である上、半ば神がかった造形をしているこの男のこんな表情を見れるのも、俺くらいなものかもしれない。
しかし確証がない上、心当たりがあるといってもあまりに薄い可能性なので、自信がないと告げた。いくらクレオだろうと、死体野郎のことを話した所で流石に信じないだろう。逆に言うと、そのために必要な別の証拠をかき集めなくてはいけないという、実に面倒な作業があるからだった。
これが本格推理小説なら、きっとあれやこれやと奇想天外なトリックでもありそうなもんだが、俺という存在そのものが半ば奇想天外なので、今度の死体移動についてはネタやトリックなど存在しないとも断言できる。
しかしその半面で、どうやっても理解し難いことがないわけでもない。死体が突然消えたこのカラクリだけは正直なところ考えさせられる。
さらに厄介なのは、輸送中だったというからどうやったのか、それを解かないことにはあの死体野郎との関連性をより強く結びつけるのは困難だ。なんとか、奴からその辺りの事情を何かしら聞き出したいところではある。
「……分かりました。本来あってはならないことですが、その辺りはあなたに一存します。カラクリは分かりませんが、貴方はこの手の事件では右に出るものがいないほど優秀だ。それこそこちらが舌を巻くほどに。ですが、逐次報告はお願いします」
「ああ。まぁ、その辺りも込みで近藤をつついてみようじゃないか。大量に埃が出てきそうだ」
思わず口元がニヤけてしまった。どうにも、こういう荒っぽいことを好む傾向にある自分が嫌になる。平穏を望むわりに、いざ行動を起こすといつもこういう問題にぶち当たる生粋のトラブルメーカーとしての自分に辟易してしまうのだ。
そんな俺ではあるが、このおかげでこういう面白い事件にも首を突っ込めるのはある意味で役得なのかもしれないが。ともかく互いに話し終える頃に、やがて車は吉野組系六道会の幹部、近藤茂夫の事務所のすぐ手前まで乗り付けた。
六道会幹部、近藤茂夫の事務所は前衛的な外観のビルの最上階に構えていた。地上一〇〇メートルにはなるビルのインフォメーションには、きちんと受付嬢まで置いており、エントランスの端ではパートであろう清掃員が作業する様子も見られる、中々に立派な表構えだった。
だが、このビルの所有者が六道会系のフロント企業が有しているとあって、あくまで表向きだ。俺は受付嬢のいるフロントにまで行き、最上階にいるであろう近藤に繋ぐよう言った。
こんな手を使う必要もないのだが、あくまでスマートにいってやろうという俺なりの心遣いのつもりだった。正攻法でいって、向こうがどんな手でくるか、その反応を楽しもうという趣でもある。
「申し訳ございません。現在近藤は外出しておりまして、何か言伝などがあれば……」
「では、今日一三時に例の場所で待つと伝えてくれ。それで十分向こうも理解できる。ウルフが来たと言えば向こうもすぐに分かる」
「ウルフ……様、でございますね。承知いたしました」
「分かった。だが今すぐにも伝えておいてくれよ。こんなところで隠れてたって無駄だってね」
見透かしたように、俺は受付嬢の顔を見据えながら言った。完全に外出などしていないことを見抜かれて、向こうも表情にかすかな動きがあった。それ以上に敏感な俺の鼻は、彼女のアドレナリンの分泌が多くなったことを見逃すはずがなかった。
つまり、彼女は俺に近藤がいないなどと嘘をついたわけだ。普通ならすぐに諦めるであろうところを、完全に嘘だと見破ってそう言われたら彼女もタジタジだろう。
そんな捨て台詞を残して、俺はさっさとエントランスを後に、クレオの待つ車へと乗り込んだ。
「ここらでランチタイムといこう」
俺はわくわくする思いで、待ち合わせ場所へと車を出させた。
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