3
日付の変わった深夜〇時半――。俺は現場でクレオと一旦別れ、独自に調査を開始した。今度のケースに、特別捜査官直々の依頼とあれば、場末の探偵といえども動かざるをえない。
必要な手続きは全て向こうがしてくれるというから、そこらへんは心配いらないのは心のつっかえがなくて良い。そろそろ貯金も切り崩し始めているという財政事情なので、俺としては今度の依頼はしっかりと働かざるを得ない状況でもある。
一文無しでやっていくには息をするにも苦しいこの世の中だから、今は働けるこの状況をありがたい気持ちで進めていく他、道はない。
「さて、どこから攻めるべきか」
何よりも情報が第一だ。そこで俺はまず、こうしたきな臭い事件や裏情報を売りにしている情報屋を当たってみることにした。金にガメつい男で、正直あまり関わり合いになりたくないのだが、商品には信頼がもてる。俺はあまり気が進まない自分の気を保ちつつ、その情報屋の元の向かった。
地下鉄を乗り継ぎ、東京の端、もう千葉県の県境にほど近い住宅街の一角にそいつの塒はあった。住宅街の一角、とはいうがそのままずばり、近隣の住宅の中に溶け込む一般的な住宅である。
ただ、その大きさは辺りでも少々目を引く程度に大きく、庭にプールと小さなオアシス付きという、いわゆる成功者のそれを呈しているものだが。俺はその家のインターホンを押し、奴を呼んだ。
『はい。どちらさん?』
「ウルフだ。開けてくれ」
奴には大神と名乗るよりも、ウルフと呼んだほうが通りが良い。しかし、同時に俺が訪問者だと知ると無言になり、インターホン越しでありながら明らかな嫌悪感を滲み出した。
『……帰れって言っても、あんたは強引に入るんだよなぁ』
「よく分かってるじゃないか。家の物を壊されたくないなら、早く開けるんだな」
インターホンの向こうで一際大きいなため息が聞こえた。しかし、それが最後の抵抗で、すぐに正面玄関の門が音もなく開かれた。ボタン一つで、家の門や玄関扉はもちろん、窓ガラスとシャッター、ガレージの開閉すらも自動だ。
この男のことだから、もしかするとボタンではなく声紋認証式にでもしている可能性もある。ともあれ、こうして何の造作もなく俺は情報屋である神崎の自宅へと踏み入った。
「……つけられてないだろうね?」
「ああ。いつもの通りさ。そこら辺はお前も良く分かってるだろ」
玄関扉が音もなく開けられたかと思うと恨めしそうに出てきた男、神崎は、扉に手をかけながら周囲を窺っていた。全く、この男はいつも何かに怯えて、世間を斜め上に構えているから、今ひとつ好きになれない。
「まあ、君のことだから大丈夫とは思うが、万一ということもあるんでね……大丈夫そうだな、良し入ってくれ」
そんなに周囲を警戒したいのであれば、こんな肉眼ではなく監視カメラでも付けておけば良いと思うのだが、神崎曰く、いくらそれをしようとも、機械を通した映像は必ず欺くことができるから信用しきれない、のだという。
それでも、警戒に警戒を重ねてじろじろと周囲を長く玄関から窺っていては、それこそ敵に見つからりやすいだろうに。まぁ、この男の考えだから、いちいち突っ込んでも始まらないが。
「それで? 今日は何を聞きに来たんだ」
俺を家に押し込むやいなや、神崎は開口一番にそう言った。陰気な上、不機嫌そうに疑うこと以外のことを知らない口調だ。
「ちょいと、おかしな事件に首を突っ込んじまってね、情報が欲しい。あんた、数日前に首都高で起きた事故について知ってるか」
「……もちろんだ」
身長は俺よりもほんの数センチしか低くないはずなのに、神崎は瞳を見上げさせて、まるで蛇に睨まれているような気分になる。
「それについて情報を売ろう」
「……いや、いい。あれは事故じゃないことは明らかだ。投稿されたSNSなどからはすぐさま火消しされたが、あれは事故ではなく、何者かによって襲撃されたことは間違いない」
俺は黙って頷いた。やはり、この男の情報は信頼できる。ほとんど表沙汰にならなかったのに、限りあるごく僅かな情報から確実にそれを言い当てたのだ。
「実はその事件についてなんだが、調べてるうちに警察のお世話になっちまってな。証拠の類を没収された。まぁ、必要な情報は頭に叩き込んだんで良いんだ、その事件、襲撃されたのは岡部運送という会社のトラックなんだが、何か怪しいんで調べてほしい。
実際にそこんとこの社長と会ってきたんだが、門前払いに近い扱いを受けて情報らしい情報は全く手に入れられなかった。その会社のトラックが襲撃されたってのに、全く何もないなんて言うんだ。絶対に何かあるに決まってる。そこで何を隠してるのかつついてみようというわけさ」
神崎は俺の話している間、一度も瞬きすることなくじっと見上げるような目つきで見据え、黙っていた。それが余計にこの男を陰湿な奴に思えてきて、こちらの気が滅入る。
「……そうか、岡部運送という会社のトラックだったのか。どこのトラックなのか、それだけが気がかりだった。良し、いくら出す?」
相も変わらず、興味が湧いた途端、俄然商魂逞しくなる奴だ。俺は内心で苦笑しながら、とりあえず十万を提示した。
「えらく羽振りが良いな」
「羽振りの良い依頼人なんでね」
後で必要経費として落ちるものだから、これくらいふっかけておいても問題ない。国の税金をこんな突拍子もなく使うなんて気が引けなくもないが、難なく使えるという点では官僚が何の気兼ねもせず、羽振りよくしている気持ちも分からなくはない。
「……少し待て」
そう言うと神崎は奥の書斎へと足早に引っ込んでいく。俺はその後を追って、奴の仕事ぶりを見学することにした。
奥の書斎は、俺には頭が痛くなるくらいに仰々しいコンピュータールームと言っても過言ではなかった。壁一面に張り巡らされたモニター類は十面以上、手元のキーボードは三つあるが、それぞれがどこからしらのモニターと繋がっている。
しかも、薄暗い部屋には全く日が差し込めなくされているのに、その画面からのブルーライトのせいで照明が必要ないくらいに明るい。画面の灯り自体が照明代わりになっているのだ。
そのコンピューターの城塞の中に、唯一奴専用の椅子がちょこんと置かれているという光景は、初めて目にする者なら、誰しも思わず圧倒される。まるで玉座のようだ。
「モニターは全部で一二、見るなとは言わんが口外はしないでくれ」
玉座のごとくコンピュータの城塞の前に鎮座する椅子に腰掛けた神崎は、こちらに目を向けることなく言った。俺は小さく肩をすくめてその玉座の側に立った。
「コンピュータにゃ疎いんで良く分からんよ。まぁ、あんたは俺に有益な情報さえ提供してくれりゃ、なんだって良いさ」
すると、言うが早いか神崎はもうそれらしい情報をキャッチした。まだ腰を落として三分と経ってないのに、本当に仕事の早い男だ。
「……出たぞ。なるほど、これは随分と酷い」
神崎が眼前のモニターに引っ張り出してきたのは、あの夜俺が目にした岡部運送のトラック――の残骸だった。スクラップにされようとしていたトラックと牽引していた岡部運送の文字がプリントされた荷台に、銃撃された痛ましい痕があった。
「どこから拾ってきたんだ、これは」
「……今時、監視カメラの付けてない場所なんて少ない」
俺は再び肩をすくめた。要はハッキングでもしたのだろう。そんな技術などない俺だが、それでもそれくらいの頭はあるつもりだ。
「ここはどこだ?」
「O区のスクラップ工場だな。しかし、こんな朝早くにやるなんて、随分と急ごしらえだ」
スクラップ工場といえど営業時間はある。大抵は朝八時から夕方まで、残業があってもせいぜい夜の八時、九時だろう。にもかかわらず、神埼の拾ってきた画像を見る限り、録画された時間は早朝の五時前というから、これは人目を憚って行ったと考えるべきだろう。
俺は映像のスクラップ工場の住所等を念のために頭に入れて、さらに事件の夜、付近を不審なバンが移動していたことを伝えると、神崎はすぐにあの事故の直後、周辺にそれらしいバンがないか検索にかけだした。
別のモニター画面で、その日撮られたに違いない映像がひっきりなしに高速で表示されては消えてを繰り返している。ついでに、このトラックがどこからやって来ているのかも、追跡させた。
「……面白いな、本当にバンが二台、走ってるぞ。それと、トラックの方は確かに岡部運送から出発してるようだが……変なところで一時停止してるな」
「変なところで、ってのは?」
「変なところってのは変なところだよ。地図を確認して見ると、特に何かあるような場所じゃないのに止まってる。周囲に信号などもないようだが、これがおかしくないはずがない」
「確かにおかしいな。止まった辺りには何がある?」
「地図を見る限り、あるのは葬儀屋くらいだな」
「葬儀屋?」
あの晩、トラックが高速に乗る前に立ち寄ったのがまさか葬儀屋だというのか。それは随分とおかしな話ではないか。普通、葬儀屋に用事のある車両といえば、霊柩車か葬儀を行う親族の車くらいではないのか。
もちろん、葬儀に必要な道具などの手配も葬儀屋は行うので、それらの運搬という可能性もある。しかし、それらを運搬するにしても、わざわざ夜の九時を回る時刻に行うようなことだろうか。第一、だとしてもこんなにも大きなトラックを使う必要はないはずだ。
仮にも運送屋なのだから、こんな大型のトラックを使えば、その分経費もかかることくらい経営者が考えないはずがない。不必要な経費を使うわけにもいかない経営者が、そんな凡ミスを犯すとは考えにくい。
「……このトラックでないといけない理由があったのか」
だとすれば、相当にでかい荷物ということになる。そんな荷物を営業時間外に寄越し、何をやっていたというのか。
残念ながら、この問に答えようもないが、少なくとも俺はあの夜、このトラックが何を運んでいたのか知っている。死体だ。葬儀屋ともなれば、その日死体の一つや二つ安置していたところで不思議はないが、トラックに死体となれば事情は変わる。
おまけに、トラックは初め岡部運送の本社のある倉庫から出発したことは判明したので、このことから例の死体を収容したのは、この葬儀屋からだという仮説は成り立つ。ならば問題は、なぜ死体なんぞのためにこんな大きなトラックを必要としたか、だ。
そして、その死体を積んだトラックを襲撃したバン。少なくともバンの連中は中の死体を必要とする側だが、襲撃しなくてはいけない理由とはなんだ。この襲撃の理由が分からない。
目的は死体であることは、あの襲撃事件を目撃した俺が良く知っている。だが理由は何だ。襲撃したくらいだから、岡部運送側にとっても襲撃した連中とは敵対関係にあると考えても良い。控えめに言っても、良い関係とは言えない相手だろう。
それに岡部のあの対応もそうだ。あの男は何かを知っている。もちろん、大抵の場合は荷物がまさか死体だなんて思いもしないだろうが、あの男の態度はあの晩運ばれたろう荷物の中身を知っていたと考えてもおかしくない。
死体だから、知っていても知らないと言うしかないし、そんなのを運んでいたと知れれば、警察の介入、世間からのバッシング、その他諸々失うものがあまりに多すぎる。仮に知らなかったとしても、そこに繋がる何者かからの執拗な叱責くらいはあるに違いない。
だから、俺が訪れた時もあんな態度をとるしかなかった、これは間違いない。つまり、奴にとっても今度の襲撃は、予想外の出来事だったであろうということも分かる。ヤバいことに足を踏み込んでいるのか、あるいはそうでなくとも会社の損失についてにしろ、である。
だが、当然俺は前者だと考える。でなければ、おかしなことが多いのだ。会社の損失だけなら、警察に素直に捜査してもらったほうが世間的にも良く思われるだろう。最悪、売名行為とすら考える可能性だってある。
だが、警察の介入もさせず、翌日には取材を取り止めにされた本田の話もある。そうなると、あの日、トラックが荷台に積んでいた死体を調べてみる必要がありそうだ。
これだけの目撃例と状況証拠が重なると、さすがに単なる偶然と片付けるわけにはいかない。それもどちらも同じ日に起こったのだ。しかも、時系列別で見ても、この仮説を説明するには十分だ。
おそらく襲撃した連中も、前もってその情報をキャッチしていたからこそ、あそこまで大胆な行動に出ることができたはずだからだ。あのバンの行動も、単なる報復行動とは思えないほど綿密な行動であった。
突然上から取材を止めるよう言われたという本田は、もっと上からの圧力があったからと言っていたので、その何らかの勢力が、どうしてもあの死体を欲しがったということでもあるだろう。
その連中からしても、警察やマスコミを抑えるくらいの実行権を持ちながら、あんな強権を発動させたということは、極力人目を避けたかった何らかの事実があるからに違いない。
やれやれだ。館科かおりの件から始まった、世間を賑わしている吸血事件も然ることながら、今度も謎めいた死体を取り巻く勢力を相手取らなくてはならないとは。事件屋ウルフの冥利に尽きるというものではないか。
しかも俺の直感は、先程目にしたあの殺害現場と、昨日港で出会った、人間のようで人間とは思われない謎の怪人物の存在が、どうもこれらの事件と関わっていると告げていた。
そう、この事件を追えば、また奴に出会うであろうと。奴を追えば同時にこの事件も収束するであろうと。
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