店内を忙しなく動き回るウェイトレスの締まっていそうなお尻を眺めつつ、俺はテーブルに広げられた複数社の新聞を広げていた。カフェ『ボワール』の入り口あたりに置かれている今日付けの新聞全てだ。

 この四日ほどの間、毎日午前中にボワールに来てはカフェラテを注文し、こうして各社新聞を眺めるというのが日課となっていた。もちろん、目的は五日前の夜に起こった首都高速で起きた事故についてである。

 各社とも、すでに事故についてはなかったかのように扱い、一切それらしい記事は載っていなかった。あれだけ大きな事故であったというのに、わずか一日で掲載が取りやめになっているだけでなく、そもそも記事の扱いも非常に小さいものだった。

 当然ながら、翌日のニュースでもそうした事件が起こったことすら報道されていない始末であった。こんなことがあるだろうか。答えは否、だろう。少なくとも深夜の高速で、大型トラックが横転し、少なくとも運転手が死んだというのにそれ以後、全く追加記事がないのはおかしい。

 一応、それとなりに俺もまずは事件の概要を追ってみようとして、この四日ほど毎日このボワールに来ては新聞を広げるという行動を繰り返しているわけだ。だが、一向に何かに繋がるような記事、情報は出てきそうになかった。

 そこで俺は、餅は餅屋というように知り合いの記者をここに呼び出し、これを待っていた。昼前には来ると言っていたので、そろそろ正午近くなった今が頃合いのはずだが、注文していたカフェラテはすっかり冷え切ってしまっていた。

 このように完全に手持ち無沙汰になっていた俺は、仕方なしにウェイトレスたちの形の良さそうなお尻を眺めているわけだ。この店の店長なのか、オーナーなのか知らないが、女の趣味は悪くない。今時珍しく、ちょっとだけ際どいミニスカートが制服なのがこの店の売り、ということだ。

 しかし、彼女たちに手を出すわけにもいかないので、その魅力的なヒップラインもそこそこに、大きな欠伸が出たところで彼女たちのいらっしゃいませの言葉に、ようやく待ち人がやってきたことを察した。

「悪いなウルフ、ちょっと仕事が立て込んでた」

「構わんさ。それよりも、頼んでおいたことを」

「気の早い奴。コーヒーくらい注文させろよ」

 そういって待ち人――日潮新聞の本田はテーブルにつくと、接客のためにやってきたウェイトレスにブルーマウンテンを注文し、手探りにシャツの胸ポケットをまさぐりだした。

「ここは禁煙だぜ、本田」

「そうなんかよ。最近はどこも禁煙でたまらんよ」

「良いじゃないか。これを気にタバコなんざ止めちまえばいい。女房からも止めろと言われてるんだろう?」

「嫁のことなんざどうでも良い。そういうあんただって葉巻吸うじゃないか」

「俺は独り身なんでね。それに、ここで葉巻を吸いたいとは思わない。あれは落ち着いてる時にじっくり楽しむもんだ」

「けっ、いい加減三〇代もいい歳なのに身を固める気はないってか? 全く午前中だってのに、お高い喫茶店で優雅にコーヒー飲んでる今が落ち着いた時間じゃないとはね」

 普段はこんなではないのだが、今日はやけに突っかかってくる。プライベートか仕事かで上手くいってないことでもあるらしいが、それをいちいち突っかけたところで意味はないので無視した。女房のことをえらく当たっているように感じられたので、きっとプライベートの方だろうことはすぐに察しがついたが。

「まぁそういうな。コーヒーこそ飲んでるが鋭意仕事中だぜ、れっきとしたな」

「こうして我が社以外の新聞を読んでいることがか?」

 俺は苦笑して肩をすくめた。タイミングの悪いことに、日潮社の新聞は広げた他社の新聞に埋もれ、一番下になっていた。一応、本田という馴染みもあるので一番最初に手にしたのだが、何とも厄介な話である。

 そんな応酬を繰り返しているうちに、本田の注文したブルーマウンテンが運ばれてきた。本田もコーヒーに関してはうるさい男で、ブルーマウンテンを飲んでその店の腕を判断するという、確固たる信念を持っている。

 本田は早速カップに手を伸ばし、取り上げたカップから漂うコーヒー特有のアロマが、俺にもはっきりと感じ取ることができた。

「それで、頼んでおいたものは?」

「もちろんあるさ。お前さんは俺にとっても上客だからな、頼まれたことくらいはやるさ。やれる範囲で、だけどな」

 そういって本田はビジネス用のショルダーバッグから、ファイルを取り出した。俺は俺でテーブルに広げていた新聞を戻して、そのファイルに目を通した。

「毎度思うが、あんたの依頼はいつもおかしいものばかりで困る」

「仕方ないだろう、調べてみないことには分からんことがあるんでね」

 本田もその通りだと相槌を打って、ブルマンに口をつけた。じっくりと味わい、味や香りのニュアンスまでしっかりと吟味している。

「……それでウルフ、今日はなんだってこんなに新聞を広げてたんだ?」

「ああ、まぁ野暮用でね」

「そうかい」

 そういって本田は再びブルマンに口をつけて、ほっと一息漏らすと、おもむろに口を開いた。

「当ててやろうか。五日前の夜にあった高速での事故だろ?」

 ファイルに目を通していた俺は、思わぬ答えにファイルから顔を上げた。本田は真顔でこちらを見据えている。

「なぜそう思う?」

「分かるさ。あんたは生粋のトラブルメーカーだからな。どうせ、また厄介事に首を突っ込もうとしてるんだろう? で、一昨日になって突然おれに調べてほしいことがあるだなんて連絡よこすんだもんよ、近時で何かあったとすれば、それくらいしか思いつかないよ」

「記者ってのも、伊達じゃないな」

「もちろんだ。こちとらこれで二〇年以上食ってきてるんだ。それで? あれ、本当は何があったんだ。正直なところ、おれもあの事故の取材はどこもお断りにされてて、首が回らないんだ。あんたなら何か知ってるんじゃないのか」

 全くもって本田の言う通りだった。記者というのは中々に侮れない。特に、この本田の情報収集能力については思わず舌を巻く。

「まぁ、大したことじゃないんだがな。あの事故現場近くに俺もいたってだけだよ」

「ほーう、高速の近くにかね?」

 しまった。迂闊なことを言って、この男に探りを入れられるのも困る。俺は慌てないように、やんわりと首を振りながら続けた。

「まあ聞けよ。ちょうどあの近くを通ってたら、突然爆発が起きたんだ。するとどうだ、突然高速を怪しげなバンが二台出てくるのを目撃したのさ。こりゃ、何か事件性がある、そう直感したってわけだ。なんせ、二台とも猛スピードだったから余計にな」

「うーん、そういえば近辺を黒いバンが通ってたって目撃情報があったというのは知ってたが……」

「そりゃ、俺が流した情報だぜ」

 俺はニヤリと唇を吊り上げて笑う。本田は、しまったと表情を歪めて天を仰いだ。

「マジかよ……」

「だが、もちろんいくつか知ってることもある。あんた、岡部運送という運送会社を知ってるか?」

「あんたに頼まれるまで名前すら知らなかったよ」

「だろうな。そこの社名が入ったトラックが、そのバンに襲撃されたんじゃないかっていう話だ。爆発前に、銃の連射音のようなものも聞こえたから、多分銃撃されたはずだ」

「おいおい、マジかよ。そんな情報、初耳だぞ。あれは事故だとは聞いてたが、すぐに情報開示がされなかったただけじゃなく、目撃者も中々見つからないと、おかしな状況だったのはそういう理由か……」

「そういうこと。お上から報道規制がかけられたに違いないと踏んでる」

「あり得る。事故のあった翌日には早くも上司からあの事故に関してはもう終わったと、突然告げられたから混乱してたんだが……こりゃ、相当な事件になるか?」

「俺の仕事ぶりが少しでも理解できてくれたのなら幸いだ」

 そういって俺は、再びファイルに目を落とした。察しの良い男だから、本田もこれ以上嫌味や皮肉をいうことはないだろう。上から報道規制をかけられるような大事に関わっているかもしれない俺に、これ以上何か文句を言おうはずがない。下手に口出しすれば厄介事に巻き込まれかねないだろうし、自身のキャリアを棒に振ることにもなりかねない。

「そ、そうか。いつものこととは言え、よほどの事件に首を突っ込んでるんだな、あんた……」

 まぁ、実際はまだそういうわけではないが、勝手にそう思ってくれたのならこれはこれで好都合だ。思う存分、本田にはそう勘違いしておいてもらいたい。

「それじゃ、おれはもう行くよ。仕事もあるんでな」

「ああ、報酬はまた後日、ということで」

「いや、今回はサービスということで良い。それよりもウルフ……死ぬなよ」

 挨拶もそこそこに本田は席を立った。先ほどまでコーヒーの一杯くらい所望していたというのに、えらい転身ぶりで思わず苦笑した。

「まだコーヒーが残ってるぜ。いらないのか?」

「ああ。あんたの分も支払っておくよ」

「そいつはどうも」

「そういやウルフよ」

 半ば慌てるように立ち、手にテーブルを離れようとした本田が思い出したように言った。

「ここ数日、吉野組傘下の六道会の動きが慌ただしい。ちょうど、事故のあった前後からだ。今のところ大きな動きは見せてないが、ちょうどこの前後に何度も会長である大野のところに、実働隊らしい連中が出入りしてたって目撃証言もある」

「六道会か。久しぶりに聞く名だ。あの爺さん、まだ元気にしてるんだな」

「……ヤクザの名前を聞いて何ら動揺しないあたり、本当に肝の座った奴だな、あんた……」

「褒め言葉として受け取っとこう」

 そういうと、本田は渋い表情をして肩をすくめ、伝票を持って会計を済ますと足早に店を出ていった。俺はそれを見計らい、景気付けにまだゆらゆらと湯気の立っているブルマンのカップと、冷たくなったカフェラテとを取り替える。

 それにしても、六道会が動くとはこれは何かありそうだ。六道会とは、吉野組という日本最大の広域指定暴力団の傘下にある武闘派会派である。もう何年も前に、こことは一度揉めたことがあり、それ以来だったのだがまさかここで連中の名を聞くことになろうとは。

「まぁとりあえず、ここに行くとするか」

 六道会のことは一旦置いて、俺は目を通していたファイルにある、岡部運送の本社がある所在地に向かうことにした。




 ボワールを出た俺は、地下鉄を乗り継いだ先でタクシーを乗り捨てて、本田が調べてくれた岡部運送の本社がある所在地近くまでやってきていた。本社とはあるが、なんてことはない、どこにでもある倉庫二棟とオフィスのある二階建ての建屋が一棟という、運送系の中小企業のそれだった。

 タクシーから降りた俺は、それとなく岡部運送を外からぐるりと見て回り、その様子を窺ったが特に問題は無さそうだった。再び正面にやってきたところで、俺は守衛もおいていない正面玄関を抜けた先にあった事務受付の窓口の前に立った。

「何か?」

 突然入ってきた俺に、受付で事務作業をしていた中年の女が怪訝そうに、太いフレームのメガネを押し当てながら言った。

「ああ、いえね、ちょっとした取材です。社長をお呼びしていただきたい」

「取材の方ですか? ……そのような連絡は受けておりませんが、お名前は?」

「ああ、極めて個人的なことですんでね。とりあえず、探偵とだけ名乗っておきますか」

 素性の怪しそうな俺のことを頭の天辺から、じろじろと見ていた女はまともに本名すら名乗らない俺を、警戒すべき対象として認識したようだ。警備を、などと言ってきたのである。

「まぁ警備を呼ぶなら好きにすりゃ良いが、五日前の事故についてだと言えば、社長も分かるんじゃないか?」

 すると、女は怪訝そうな表情から一転、気まずそうな顔になり、ようやく社長室への内線を繋いだ。

「初めからそうしろ」

 彼女には聞こえない小声でそう言った俺を、女は社長から連れてくるよう指示され、俺の案内役をすることになったようだった。中年女のくたびれた尻を眺めながら社長室へと向った俺は、難なく岡部運送の社長、岡部総一と対面することができた。

「ご苦労、あなたは下がって良いですよ」

 そういって岡部総一は案内した中年女を下げさせると、俺を革張りのソファに座らせて早速、と言わんばかりに反対のソファに腰をかけて実に横行な態度で言った。

「私にお話があるのだとか。何でも我が社の事故について、でしたか? ええっと……」

「大神、大神ウルフです」

 岡部総一は四〇を過ぎたばかりの若い社長だったが、どうもそれ以上に若作りしているのが一目見て分かる。身に着けている服の趣味も、まだ二〇代後半のそれと比較しても遜色がないものだった。最近は男でもエステ通いする者もいるそうだから、この男もそういう類なのかもしれない。

「ああ、大神さんね。ウルフとは変わったお名前で」

「よく言われます。それでお聞きしたいんですが、五日前の事故の件、御社はどうなさったんです?」

「大神さん。我が社の事故についてということですが、おかしいですな。我が社はこの十数年の間、事故など起こしていないのですけれどね」

「それこそおかしい話だ。俺は確かにこの目で見たんですよ、あの夜、あの首都高速で起こった事故をね。そして、そのトラックにあった岡部運送という会社の文字をね」

「単なる見間違いでは?」

「いや、それはあり得ない。確かに岡部運送という社名は全国に数社ありますが、先程倉庫の方を拝見したとき、作業していたトラックにあった社名のプリントとデザイン、あれは間違いなくこの会社のものですよ」

 俺は断言した。岡部はこれまでの慇懃とした態度から、目付きの鋭い、強面のそれへと変化した。笑顔も言葉も消え沈黙だけになると、なるほど、こいつが中々のやり手であることを窺わせた。

「それはどういう意味でしょうか、大神さん」

「そのままの意味ですよ。ここまで言えばおたくは分かってるんじゃないですか、あの日、人に知られたくないようなものを運んでたんだと」

「いえ、我が社はそんな物騒なものを運んでなどいない。それは全くの想像でしょう、大神さん、あなたのね」

「どうでしょうかね? だが、そのトラックを銃撃した者がおたくさんのトラックを大破させ、中の積荷を運んだ。そんなことまでされて警察にも届け出ていない。何を運んでいたにしろ、健全なものならそれはおたくんとこの商売にも関わることだ。警察に届け出ていないなんて、それこそおかしな話じゃないですかね」

「……大神さん、もう一度言いますよ? それはあなたの見間違いです。我が社は、もう何年も事故車両など出していない。ましてや銃撃されたなど、そんな暴力団のような輩との関わりはありません。これ以上お話がないようでしたら、どうぞお引き取りを」

 社長室に沈黙が降りた。岡部の刺すような視線は、明らかに敵意に満ちており、これ以上何か言おうものなら、即用心棒でも登場させてきそうな目だ。俺はじっとその敵意に満ちた視線を正面から見据えていた。

「しょうがない。あんたがそこまで言うのなら、こっちもお暇させてもらうしかないようだ」

「ええ、どうぞ。お引き取りを」

 俺は茶も出ない最低な対応だなと内心思いながら、岡部に踵を返した。岡部は客人が出ようというのに、全く微動だにせず、完全に俺を快く思っていないことが明白の態度を貫いた。

「あ、そうそう、岡部さん。お手数かけたお詫びに、耳寄りな情報を一つ。襲撃したのは、吉野組の六道会ってとこがやったらしいですよ。では」

 部屋を退出する間際、岡部を一瞥して言った俺に奴はピクリとも眉一つ動かすことはなかった。ドアを閉めたところで、俺は肩をすくめて建屋を出た。倉庫には、相変わらずあの晩俺が見たトラックと同じ種類のものが二台、止まっている。俺はそこで作業している連中の元に歩み寄って声をかけた。

「どうも。お忙しいとこ悪いんだが、少し聞きたいことがあるんだ。今いいですかね」

「なんだ兄ちゃん、取材か?」

「まぁそんなとこです。このトラック、何台くらいあるのかなと思ってね」

「あー、五台ってとこか? 今三台出払ってるが」

「なるほど。ここ数日、仕事に差し支えるようなことはなかったですか」

「差し支えるようなこと? いや、特にはなかったな。まあ、いつも何の荷物を運ばせられてるのか分からん時もあるってくらいか」

「例えばどんな?」

「さあな。そういう時に限って、中身を教えてもらえない事が多いから分からん。ただ、港に行く時に多いな」

「港か……どうも」

 会釈して倉庫から立ち去る俺を、遠くから見つめる視線があるのに気付いた。その視線が誰のものか、分からないはずがなかった。敵意剥き出しのその視線に、思わず苦笑せざるをえなかった。

 近々、楽しいことが起こり得ることは避けられそうにないことを予感しながら、俺は教えてもらった港の場所へ向かうため岡部運送を後にした。



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