こいつは、俺が事件に巻き込まれることになった経緯についてだ。一応自己紹介をしておくのが紳士の嗜みというやつだそうだから、名乗っておこう。

 俺は大神神(おおがみ じん)。名に神の字が二つ、まさに神の二つ名を持っている。一〇代の時分はこの名前のせいで、珍走な連中に喧嘩を売られることも少なくなかった。

 流石に成人して久しい今はそんなことは滅多となくなった。ところが、たまに俺のことを気に入らない連中に、頭の沸いてる奴がいた時なんか神の字を二つも持つなんて不謹慎だとか、どういう神経をしているのだとか訳の分からんことを抜かす奴もいる。

 もっとも、俺のことを知っている奴らからは何故かウルフと呼ばれることが多い。後は、大神神の名をもじって”大明神”と名付け、明の字を当てて勝手に「アキラ」と呼ぶ奴もいる。ある一人からは、神の名が二つつくよりも、こっちの方が理解しやすいから、という理由らしい。

 そのへんの思考が理解できないが、とにかくこんな感じで色々とあだ名がある。これ以外にもあるが、まぁその辺りはおいおいで良いだろう。最近じゃ自分でも説明が面倒になってきているので、大神神か大神ウルフかのどちらかで通すようにしている。

 職業は探偵。この手の主人公としちゃ、ありきたりと思われるかもしれないがこれはあくまで、一応俺の身分を説明するためのもの、つまり便宜上のものでしかない。この辺りもおいおい触れていくことになるだろうが、実のところ、俺自身も本気で探偵だなんて思っちゃいない。

 自分の本質というのを知っているから、そのようにしておいた方が身のためだからである。また、自分の「仕事の都合上」、探偵を名乗っておいたほうが良い時もあるからに過ぎないのだ。訳が分からんだろうが、その内にこれも理解してもらえるだろう。

 そうそう、俺がウルフと呼ばれることについて、もう少し分かりやすい説明をしておきたい。俺には狼並の嗅覚……絶好調の時はそれ以上になるという、そこらの人間にはできない能力が備わっているからでもある。なぜそんな能力を持っているかについても、機会がある時に順次説明していこう。

 そして、他人が俺を一言で評するのならこういうだろう、生粋のトラブルメーカーだと。望んでそうなったわけじゃないが、この辺りについては性分としか言いようがない。人間、いやあらゆる生物が考えることもなく呼吸をし、体が動くのと同様に、何もしていなくてもトラブルが勝手に舞い込んでくるのだ。

 だから、今度の事件についても同じだ。俺はただ、狼並みの嗅覚でもって、興味津々にそっちに行ったが最後、あっという間に事件に巻き込まれてしまったという具合だ。信じられないだろうが、それが真実なのだ。

 その晩、遠くからけたたましく鳴り響くサイレンの音に、俺は気が立って仕方なかった。別にその音に何か特別な意味があるわけではない。もちろん、この音を聞いて気が触れてしまうなどということもない。だが、どうにもこの音は俺の持つ本能を焚き付けてくるように感じられて仕方ないのだ。

 どうせまた、どっかの誰かがヘマをやらかして死んだりしたのだろう。もしかしたら、通報されて警察にでも追い掛け回されているのか。いずれにしろ、そいつはヘマをやって警察の世話にならざるを得なくなった、という事実に変わりはない。

 そのどっかの誰かのせいで、珍しく俺はずっと気が立ちっぱなしだった。もし、その誰かに出会うことがあれば、相手が誰だろうと一発お見舞してやるところだ。こっちの気を立たせっぱなしにした罪を償ってもらうには十分だろう。

 そして、もう一つ。もしかすると……いや、いつも以上に俺の気が立ってしまっているのはむしろ、こっちの方が理由としては大きいかもしれない。

 死臭だ――。

 気が立ってどうしようもなくイライラしていた俺が夜の散歩と洒落込んでいたところに、ふと漂ってきた死臭。それも、動物の――もっと言えば、人間の死臭である。腐乱死体かと思われるだろうが違う。まだ腐ってはいない、”死にたて”の臭いだ。

 人口一千万人を超える東京で、いくら嗅覚の鋭い俺であってもよほど研ぎ澄まさなければ、何キロも先にある特定の臭いを嗅ぎ分けるのは難しいが、それでも何百メートル程度の距離であれば、例え眠っていたとしても嫌でも目を覚ましてしまうような、強烈な死臭だった。

 まぁ、実際には街を歩いていると、たまに死者とお目見えすることがないわけではない。それほどに俺は鋭い超嗅覚の持ち主なのである。だからこそ、すぐにその死体が人間であることを察したし、何か起きているとそちらに向った次第である。

 ところがだ。その死体はどういうわけか凄まじいスピードで、俺にしか分からない死の臭いを振りまきながら、どんどん遠ざかっていくように感じられた。放っておけば良いものを、どうにも好奇心を抑えられなかった。今が、月齢十六日目ということも関係しているのだが今は置いておこう。

 ついでに言うと、俺の身体能力は極めて高い。例えば、調子の良い今日のような日は、たった一蹴りで、オリンピックの金メダリストでも足元に及ばない跳躍ができる。

 軽く地面を蹴った俺は、瞬く間に周囲の家々よりも高く飛び上がり、わずか数秒で一〇〇メートル近い距離を移動した。圧倒的なこの身体能力こそが俺の最大のウリだ。この能力の高さについても、きちんとした意味がある。

 ともかく俺は移動しているらしい死体を追った。いくら高速で移動しているとはいえ、今のところはまだ俺の移動速度の方が上回っているようだから、余計に急ぐ必要があった。おそらく、車に乗って移動しているのだ。まだ地道を行っているというところだろうが、もし高速道路になど入られようものなら、さすがの俺でも追いつけなくなる。

 この臭いを嗅ぎつけて、ほんの一分かそこらで早くも俺は死臭を振りまく発生源を発見した。狼並の嗅覚を持つ俺には、なんの造作もないことだ。

 狼は自然界において最も高い嗅覚と、体格に見合わないほど強靭な身体能力を併せ持っており、対象の匂いを覚えると例え二〇キロ先であっても、獲物の匂いを嗅ぎ分けることが出来る。なんせ、人間ならコンピュータにかけなければ分析できないようなことすら、狼は嗅ぎ分けるわけだから、これくらいは訳ないことが分かってもらえるかと思う。

 そんなわけで、俺は難なく死臭を振りまくその発生源を発見した。首都高速へと入る高架沿いの道を、赤信号で足止めを食っている一台のトラック。俺はそれを十数メートルある電柱の上から見つめていた。もちろん、それが何かおかしいというわけではない。もちろん傍目には、だ。

 だが、人間は騙せても俺の鼻は誤魔化せない。そのトラックから確かに死臭が漏れ出ているのだ。人間なら気付けない俺にだけ許された芸当だった。

 しかし妙だと思ったのは、なぜ一般のトラックから死体の発する死臭がするのか、ということである。俺は怪訝にそのトラックを見つめ、どうすべきかを考える。

 ここでトラックを足止めさせて、強引に中を覗くという手もないではない。もちろん、今にも走り出そうとしているトラックの荷台に飛び移るといった芸当もできるので、それも可能だ。

 だが、解せなかった。普通死体を運ぶとすれば霊柩車だろうから、これがそういった車両なら理解できる。だが、あのトラックは変哲もない一般運送用のトラックなのだ。そのトラックに何故死体が乗っているのか、それは確かめずにはいられないというものではないか。

 トラックは大きな荷台を牽引しており、荷台の両側面には『岡部運送』という社名がペイントされ、表向きはどこにでもいる何ら変哲もない大型トラックなのだ。

「岡部運送?」

 あまり聞き馴染みのない運送屋だ。もちろん、運送屋など全国にゴマンとあるので、不思議でもないのだが運んでいる物が物だけに、その会社自体も実に興味がそそられる。俺の心は決まった。

 赤信号から青信号にが変わり、徐々に動き出したトラックの荷台の上に、そっと飛び移る。しなやかな動きで、着地にわずかな衝撃もなかった。これなら、運転手も気付きはしなかったろう。

 ぐんぐんと速度を上げていくトラック上は、さすがに風の煽りをもろに受けてしまうのですぐに荷台に伏せてへばりつく。這い蹲りながら、俺は匍匐前進でトラック後方へと這っていく。

 その頃にはトラックは首都高速へと入ってしまった。ますますスピードが上がり、トラック後方にへばりついたままの俺は、足の方から吹き付けてくる猛烈な風に逆に拐われてしまいそうだった。

 しかもトラックは何を考えているのか、大型の牽引車である自覚というものがないのか、とんでもないスピードで高速を走るのである。そこらの普通自動車などあっという間に追い抜いていく。

 とんでもないスピード狂の運転するトラックの荷台の上にいる俺は、今にも風に煽られて振り落とされそうになるのを踏ん張るだけで精一杯だ。畜生め、このドライバーは何を考えているのだ。

 そんなんじゃあっという間に免停を食らって、即仕事に差し支えるだろうに……そんな悠長なことを思っていた矢先だ。後方から、このトラックすら追い抜きかねない凄まじいスピードで、二台の黒塗りのバンが猛追してきていた。

 夜の首都高速は、スピード狂たちによるロードレースでも開催されてるのかと言わんばかりだが、二台のバンがトラックに並ぼうとする直前に、窓が開き覗いたそれを見て俺はぎょっとした。

 銃だ。それも紛争地帯などでしかお目にかかれない機関銃だった。銃口がトラックに向けられたかと思うと、間もなくその銃口が火を吹いた。これが皮切りとなり、二台から覗く銃口、合計四挺の機関銃による一斉掃射だった。

 まずい、そう思ったのは一瞬だけだった。相当に強力な機銃らしく、掃射が始まったかと思うとすぐにトラックがバランスを崩しだした。分厚いトラックのタイヤに着弾し、損傷したのだ。

 がっしりとしがみついていた俺の身体は、徐々に倒れだした荷台から後方へと放り出される。時速一〇〇キロは優に出ていたはずの大型車両から放り出される恐怖に、俺は顔面を引きつらせていたに違いない。

 タイヤを何箇所も損傷させたトラックは見事に横転し、聞くに堪えない甲高い壊滅音をさせながら大破していった。トラックが大破させながら何百メートルも進んでいくのに合わせ、バンも徐々に速度を緩めていった。

 俺はといえば、その何十メートルも手前で放り出されてしまい、身体のあちこちをコンクリートやアスファルトの地面に打ち付けながら転げ回っていた。その背中を、高速道路の壁に打ち付けたところでようやく止まった。

 俺が相当なタフガイだからこそできる芸当だ。これが普通なら死んでいるところだが、俺は投げ出された瞬間に身を捻り、道路を後退しながら転げ回ることで極力少ないダメージに抑えることができたというわけだ。

 それでも危うく死にかけたことは間違いなく、動悸が激しかった。俺はのろのろと事故が起こったトラックの方へ顔を向けると、そこではまた異常な光景が繰り広げられていた。横転し、火の手が上がっている荷台後方のリヤドアが”内側”から開けられている光景だった。

 つまり、あのトラックの荷台に”誰かがいた”ということである。荷台も大きく損傷しているというのに、中から開けて出てこようなんてとんでもなくタフだと思った。俺のように、凄まじく悪運の強いやつなのか、あるいは……。

 二台のバンからも黒服の男たちが三人、合計六名飛び出してきてそのの様子を窺っている。全員が大きな機関銃を携え、開かれているリヤドアへ待ち構えていた。

 中から、何かが出てきているのが見えた。だが火の上がる周囲の熱によってなのか、俺の位置からは詳細が分からない。しかし、不思議なのは俺の鼻には「生きている人間の匂いなど全くしなかった」ことだ。

 確かにあの荷台からは死臭しかしなかったはずだ。なのになぜ中から生きた人間が出てくるのか。この矛盾に答えなど見いだせるべくもなかったが、黒服の連中は出てきたそれに向って再び銃をぶっ放した。

 何十メートル以上も離れていても容赦なく響き渡る連射音。銃による掃射がもたらす結果を嫌でも知っている俺は、何十何百の弾丸を撃ち込まれるそれに対して、憐れみの念で顔を歪めた。

 なんてひどいことを。そう思ったのも束の間、連中は掃射を止めるや否や、それを大きな袋に急ぎ詰め込むと、バンへと引き摺って放り込む。そして何事もなかったかのように去っていった。

「くそっ、一体なんだったっていうんだ……」

 俺はまだクラクラする頭を振りながら、ようやく立ち上がってその光景を見つめているだけだった。呆然と燃え盛るトラックから漏れ出すガソリンに、引火して一際大きく爆発したトラックからの熱波に思わず手をかざし、顔をそむけた。

 全く、一体全体どういうことなのか。俺は訳も分からず、死体の臭いが消えた辺りから一先ず退散することにした。後方からは続々と車が押し寄せては往生する車が停止し、眼前の大事故に目を向ける者が増えてきていた。

 遠くからは目撃者の誰かが通報したのだろう、サイレンを鳴り響かせながら徐々にこちらに向ってきているのも分かった。俺は彼らが一斉に目を向けている最中、渋滞する車の中をすり抜けると人知れず高速道路を飛び降りた。



 

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