十八、女王様の教室
†††
幽霊。中国においては死人の魂を「鬼」とも言うらしい。
冬馬があの時見た、「彼女」は紛う事なき「鬼」そのものだった。
容姿は生前と全く変わらなかった。どこか浮世離れした雰囲気も、何を考えているのか分からない笑みも。けれども、冬馬は見た。彼女の背後に差す暗い影を。彼女の心から血のように溢れる負の気を。
どす黒い感情が血肉を持ち、化け物の影となるのが彼には見えた。
いや、見えたという表現は適切ではない。冬馬は彼女と同じ学校で同じ時間を過ごした。彼女がどのような経緯で死に至ったのかを、彼は知っている。
彼女の中にある感情という怪物を、彼は他の誰よりも知っている。実際にとり憑かれ、身体の中へ彼女の感情が流れ込む感覚を、彼は知っている。
陰陽師の手で、彼女の魂は冬馬から出て行き、彼の世へと送り出された。
――……その筈だったのに。
ずっと忘れていた。忌まわしい記憶と共に中学を後にし、友達になってくれた陰陽師の息子と馬鹿馬鹿しくも、かけがえのない日常を過ごすうちに、彼女の事も、彼女の気持ちも、最期に残した言葉さえも……忘れて生きてきた。
全て終わったのだと、自分に言い聞かせて。
――あいつは俺に助けを求めた。他の誰でもない、俺に。
たぶん、彼女に何か出来るのは自分だけ。自惚れは無いが、彼女とまともに向き合おうとしなかった。その分の責任位は感じていた。
だからこそ、こうして誰にも何も告げず、自分一人で彼はここに来た。
――思い出の地と言うにはちょっと華やかさが足りないか。
そこは冬馬とそして同級生――十六夜 佳乃の「避難所」だった。
漫画喫茶「抹茶」
個人で運営されている店で、都会にある漫画喫茶と比べるとアットホームな雰囲気があり、小学生や中学生でも気軽に利用が出来る場所だった。その為かは分からないが、閉店時刻は8:00と早い。
冬馬は中学を卒業して以降、ここに来る事は無かった。誰にも、悪友である日向にさえ教えたことはない。中学の登校路は勿論、クラスメイト達が住んでいる地域からも離れている。
嫌な事があった時、クラスメイトに嫌がらせされた時、ここに二人はよく来ていた。ただただ無為な時間をそこで過ごし、傷を癒す。クラスメイトにも教師にも干渉されない場所で。
――……また何か嫌な事でもあったのか?
ふとそんな言葉を頭に浮かべながら、漫画喫茶のドアの前へと進む。
「つーか、どうやって入れと……」
言い終える前にドアが開いた。冬馬は何も考えずに中へと入った。日向とやったホラーゲームなんかでは、入った瞬間に閉じ込められるものだが、そっと振り返ってみてもドアは開いたままだった。
――逃げたければ、いつでも逃げて構わないとでも言いたいのか。
再び前を向いた瞬間、心臓が止まりそうになった。
「来てくれたのね」
「佳乃……やっぱりお前なのか……?」
すっと差し出された手は透けていた。同じように差し出した手はするりと抜けて握る事はおろか、触れる事すら叶わない。
「あら、あらら? 私の顔忘れちゃったのかしら? お姉さん悲しいわぁ」
「……俺の記憶が正しけりゃお前と俺は同い年なんだけどな」
――生きていた頃と同じノリだ。
掴みどころが無く、本気なのか、冗談なのか、素なのか……、ヨヨヨと泣いている彼女の姿からはまるで想像もつかない。
冬馬は深い溜息を吐いた。今も昔も変わらない。悪友に振り回される時の癖。
――全く……。
「相変らず、面白いやつだよ。お前は」
「あら嬉しい」
「褒めては無い……筈なんだが」
あの頃と何も変わらない、そんな気がした。それが幻想に過ぎないのだとしても都合が良い事だとしても……「今ならまだ戻れる」という気持ちにさせられる。
「ねぇ」
佳乃は微笑みながら訊ね、
「私の復讐、手伝ってくれる気はなぁい?」
冬馬を絶望の淵へと引きずり込もうとする。
「っつ……。相変わらず、とんでもない事をさらっと言いやがる」
「刺激的でしょう?」
「刺激的過ぎて心臓に悪い」
胸を抑え、どうにか動悸を整える。ここで昼間のように気を失うわけにはいかなかった。ここで彼女を止められるのは彼一人なのだから。
「……誰に復讐したいんだ」
「質問には答えてくれないの?」
「お前がそれで気が済むって言うなら、俺は協力はしたい。だけど、その……手段と目的次第だな」
「あら、とても平和的なやり方よ? 皆で一緒になるの」
それのどこが復讐になるのかと訊ねようとして、固まる。佳乃は笑っていた。薄い刃物のような笑みを浮かべ、前髪の影の中で瞳が半月のようにうっすらと光る。
「皆一緒、素敵じゃない? 虐めも、見て見ぬふりも――嫌な事ぜーんぶ、皆一緒になれば、無くなるのよ」
そのまま、喫茶の中へと入っていく佳乃、ややあって冬馬もその後へと続く。
「ごめん、言っている意味がよく分からない」
「あなたはいっつも察しが悪かったわね」
「悪かったな」
ぶっきらぼうに答える。肝心な事が何一つ聞けない。完全に彼女のペースだ。生きていた頃と何一つ変わらない。そう、生きていた頃と。
何をするつもりなのか、佳乃は冬馬に教えてくれなかった。佳乃は漫画喫茶の奥、パソコンが並んでいる場所へと辿り着いた。パソコンの前に座り、佳乃の手が画面に触れる。真っ黒な画面に赤い字が浮かびあがった。
沢山の名前、沢山の書き込み、沢山の……。
「皆好きだったわよねぇ、〇〇からの命令、特別なメール、裏サイト」
『女王様の教室』という名のタイトルの裏サイト。
完全招待制であり、女王様からの招待状を受け取ることにより入る事が出来るというもの。入る事が出来た人間は女王様の力を目の当たりにする事が出来、一つだけ願いを叶えられるとある。
――女王様には絶対服従。
それが絶対条件。
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