十七、彼女の声

 影がゆらっと揺れたと思った次の瞬間には目の前に迫る。認識に身体が付いてこず、剣を振るう間もない。星月夜が抱き着くように体当たりをかます。


 風が舞い、烏羽が散る。迫る亡霊の影が伸ばした手は空を切る。日向と星月夜の二人は、霧の中を文字通り飛ぶように駆ける。星月夜は額を汗でぐっしょりと濡らしていた。傷は跡形も無く消えたが、先程のように戦うだけの力は残っていないのだろう。足取りも不安定で、精細さが欠けていた。


「な、おま」


「戦う術も思い出していないのに、敵を煽らないでください!!」


「……ご、ごめん。って、お前さっきから何を怒って」


「それと……!!」


 言い訳がましくなる日向の言葉を人差し指で遮る。


「星(せ)月(つ)夜(な)です。せ・つ・な! お前じゃないのです!」


「……すまん」


 思えば、ちゃんと星月夜の名を口にしたことがなかった。


「星月夜……あいつを倒すにはどうすればいい?」


「あなたが持っているその剣、それは破敵剣(はてきけん)と言います。剣圧のみで、百鬼を退散させる程の力を持っているのですが……今の日向君では」


 そこで星月夜は言い淀む。だが、言いたい事は伝わる。今の日向ではその力を引き出す事は出来ないというのだろう。


「……あぁ、くそ、折角、格好つけて覚悟完了したって言うのに」


「いえ……こんなことならもっと説明しておくべきでした。本当は私の護身剣を先に――」


「来るぞ!!」


 ざわっと森がどよめき、星月夜の足が鋭くターンする。ぐんと急降下する。直前まで飛んでいた空間を、何人もの亡霊の影が波のように押し寄せて流れた。星月夜の回避に合わせて、亡霊達は弧を描き、腕を伸ばしながら迫る。


 非業の死を遂げた亡霊の叫びが日向には聞こえてくる。


 ――けど。


 日向に肩を貸し、未熟な彼に代わって足となっている星月夜を見やる。


 ――いや、まさか。


 再び背筋がぞくっとする。地獄の釜を開けるが如く、二人を引きずり込もうと地面から伸びた何本もの手が迫りくる。悍ましい叫び声に、全身が稲妻のように反応した。


「……っ!」


 無心で薙ぎ払う。


 漆黒の刀身に沿うように、金色に刃が煌めいた。握った先からごっそりと力を抜き取られるような感覚。放たれた剣撃、その圧力のみで亡霊の手は大地に押し潰され、そのまま浄化された。


「あぁ、潰れる。潰されちゃった私の愛した人達……ふふふ」


「ふ、ふざけやがって」


 肩で息をしながら、日向は吐き捨てた。自分が起こした事に、呆気にも取られていた。剣を握る手がびりびりと震えていた。



 予想外の行動に、星月夜もまた目を丸くさせたが、それも一瞬。日向を地面に降ろし、隙の無い構えで、周囲に視線を向ける。


 周囲を亡霊と霧が覆っており、その奥の宙に幽=霊はぷかぷかと浮かんでいた。カタカタと震える亡霊の頬を愛おしそうに撫でる。死体を愛でる異常者のような振る舞いに全身の毛が逆立つ。


「日向君、さっきの攻撃。もう一度できますか?」


「……分からねぇ」


「できなければ私達二人ともここで終わりです。私達だけならば……それでも良いのですが」


「んな、悲しい事言うなよ……分かった。やればいいんだろ? つってもこいつら全部倒すのは……」


 二人がここで倒れれば、この怪物はもっと多くの人間を殺し、下僕とするだろう。正直な所、先程の一撃もまるで身体が勝手に反応したかのよう、何かに憑かれていたような動きだった。それをもう一度、意識してやれと言われて成功するかどうか。


「……かますのは一発だけで大丈夫です」


 星月夜の全身から銀色の霊力が放出される。胸の前で複雑な手印が、何度も、何度も、高速で組まれていく。一つに結ばれた髪が龍の尾のように弧を描き、発せられる霊力が半円状に膨らんでいく。


 ――結界。


 陰陽師が魔除けに張る事で知られるが、もはやそれは身を守るという域を超えていた。触れた先から亡霊が押し潰されていき、尚も膨らんでいき、幽=霊が展開した霧をも浄化していく。


 幽=霊は身を護るように、背中から生えた鎌を身体の前で交差させる。結界がぶつかった。それまでふざけた調子だった幽=霊から表情が消えた。


 陰と陽の圧がぶつかり合いせめぎ合う。


「かはっ」


 同時に、星月夜の口から血の塊が吐き出した。怯む日向に、星月夜は口から血を垂れつつも、「あいつを!」と叫ぶ


 結界は幽=霊を浄化することは出来なかったが、配下である亡霊達を排し、幽=霊の動きすらも止める事に成功していた。


「おおおおおっ!!」


 破敵剣を大きく振りかぶりながら、幽=霊に向けて駆ける。


 星月夜のように華麗さがあるわけでも、超人じみたスピードがあるわけでもない。一歩一歩がとてつもなく遅く感じる。だが、それでも、日向は足を止めない。


 破敵剣が、再び金色に輝く。


 幽=霊の目の前に足を踏み込む。「やれる」と全身で確信したその時、


 ――たすけて。


 誰かのすすり泣く声に、振り下ろす剣の勢いを殺される。肉を切り裂く感触がした。幽=霊の肩に刃が食い込んでいる。が、その刃からは金色の光が消失していた。


「今のは……」


 誰かの助けを求める声に、攻撃の手が緩んだ。頬を汗が伝った。幽=霊はうつむき、長い髪が表情を隠している。引き裂かれた肩からどす黒い霊気が血のように噴き出、蛍日のように浮かび、消えて行く。


「日向君!」


 星月夜の声に日向は我に返る。


 不意に、幽=霊の手が破敵剣の刃を握る。指の間から霊気が血のように噴き出すのも構わず、破敵剣を引き抜いて後退した。


「……うっふふ」


 小さな口を薄く広げて幽=霊は笑っていた。


「そう、あなたも心配してくれるんだ」


 その言葉に、日向は再び剣を構えた。が、先程見せた勢いが無い。それを見透かすように幽=霊はわざとらしく「ぁ」と呟いた。



「待ち合わせしてたの思い出しちゃったわぁ。あなたによく似た男の子と」

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