十四、思い出せない事

「あ、あのさ、これ」


「い、今は話しかけないでください!! こ、これ操作が!!」


 ――えぇ……。


 これ、いつまで続くのと聞こうとした日向は心の底から呆れた。自宅、土御門家はもう影も形も無い。時間帯が夜であるという事、そして星月夜が掛けたという影法師の術のおかげで、誰からも目撃される事はなかったが、それは日向達も同じだった。


「ひ、日向君! 何か見えますか!?」


「暗くてなんも見えねぇよ! バカ!!」


「ふわぁん!! またバカって!!」


 まさに大パニック。星月夜にも告げた通り、下は家の灯りがちらほら見える程度で、何があるかさっぱり分からない状態だった。一体どの位、飛びあがったのかは分からないが、落ちれば死ぬ程の高さであることは分かる。


 日向の腕はがしっと星月夜の腰に抱き着いている。恥ずかしいとかなんとか言っていられない程に切羽詰まっていた。


「ちゃんと降りられるのかよ!?」


「だ、大丈夫です!」


 取り乱し、わなわなと口を震わせながらも星月夜は瞳をしっかりと開いて答えた。凄まじい風によって髪があらぬ方向に激しく揺れる。


 すっと深呼吸、そして星月夜の足が宙を蹴った。途端にふわっと鳥が空を飛ぶように、身体が軽くなったような気がした。


 はらりと、何かが下に落ちるのが見えた。黒い羽のように見える。


 朧月の下、宙を蹴り、夜空を少女が駆ける。その光景は幻想的な絵になっているに違いない。しがみつく日向はそれどころではないが。


 すっと階段を駆け下りるように、星月夜は地上……住宅街から離れた小山へと降り立った。鬱蒼と茂る雑木林、あちらこちら手入れされずにぼうぼうに伸びた叢になっている。


 日向はその場にへなへなと崩れ落ちた。足が生まれたての小鹿のように震えていた。しばらく立ち上がれそうにない。


「……ほんと、なんだったんだよ」


「て、烏天狗の高下駄という霊具です。普段は御札になっているのですが」と星月夜は自分の足元を指差した。よく見ると星月夜の背が五センチ程伸びていた。足には桐の木を使った綺麗な高下駄を履いている。天狗や修験者が履くようなイメージがあるが、高下駄自体は古来から術の道具として使われている。


「……天狗の高下駄か……似合っているな」


「な!? それは私がちびだと言う事ですか!?」


「そゆこと」


「むぅううう!!」


 容赦の無い返しに、星月夜は目を三白眼に、顔を真っ赤にして怒った。高下駄と相まって本物の天狗のようで、余計に笑いを誘った。


「……今笑いましたね」


「ぐふっ、わ、笑ってない笑ってない」


「絶対笑った」


「い、いやぁ、笑ってマセンコトヨ?」


 口元が思わず緩んでしまうのを隠しつつ、こんなことをしている場合じゃないよなと、辺りを見回す。星月夜は下駄があるからいいが、日向は裸足だ。更に最悪な事に携帯と財布は家に置いてきてしまっている。幸いにしてこの小山は見覚えがある。家から思った程遠くはなさそうだし、術が掛かったままなので、帰ろうと思えば誰にも見られずに帰ることは出来るかもしれないが。


「……あなたはいつもいつも……昔からそうです。私の事をそうやってからかって」


 ぽつりと星月夜が呟いた。それはまるで長年一緒に過ごしてきた友、家族――いや、もしかしたらそれ以上の存在に対する呼びかけだった。


 たぶん、こう返すのはとても残酷な事なんだろう。それでも。星月夜の気持ちをこれ以上傷つける事になるのだとしても、聞かなければいけなかった。


「……なぁ、俺とお前ってやっぱりどこかで会った事あるのか?」


 星月夜はぐっとこらえるように胸の前で拳を握った。胸の中で異物が引っ掛かっているかのようにぐっと身体を硬直させ、目尻を潤ませながらも、


「じ、自分で思い出してください! どうせ……私が説明しても、信じてくれないでしょ?」


「……っ」


「わ、私は、私は……」


 今にも泣きだしそうな顔で、だが一粒の涙も落とさずに拳を握りしめ、キッと日向を見据えた。その眼光に、日向は思わず怯んだ。


「あなたが思い出すまで、ここに置き去りにします!」


「それはヤメテ!!」


 流石に洒落にならない。だが、逆上してしまっている星月夜に言葉は届かない。すたすたと小山を降りて行こうとする星月夜に、日向はハッとある事を思い出して叫んだ。


「というか、お前帰り道分かんの!?」


 ぴたっと星月夜の動きが止まった。すすっとビデオの巻き戻しのように戻ってきた。ものすごく不服そうに頬を餅のように膨らませていた。


「分かりません……」


「いや、その……悪かったよ。ほんとに。からかったり、あんなこと聞いたり……」


 なんでこんなことになったんだか……と、日向はどっと疲れて何気なく空を見上げた。樹木の間から星が見えた。そして、あの箒星も。


 霊感のある人間にしか見えないという忌々しい因果の象徴。それがふと輝きを増した気がした。ざわっと全身に悪寒が走る。樹木がにわかに風に揺れた。地面を冷たい黒い霧が覆い始める。


「日向君!」


「くそっ、まさかあいつか!?」


 星月夜の呼びかけに日向は瞬時に立ち上がる。だが、勿論彼に出来る事は何も無い。


 空から降り注ぐ光、立ち込める霧。陰と陽が歪に混ざり合っていく。その中心から、少女の影がぬっと躍り出た。


「あらあら、こんなところにいたのね。お家に行っても誰もいないものだから、お姉さんとても寂しかったのだわ。焦らすのは好きだけど、焦らされるのは嫌いなの」


 幽=霊。

 どこの学校のものか、真っ黒なセーラー服の少女は現れるなりそんなことを告げた。その手に持っていたものを地面へと放り投げる。


「こ、これは――!?」


「あっ……」


 赤面する星月夜とは逆に真っ青な顔になる日向。それは薄い本だった。夏に……冬馬と一緒に家族には内緒で買いに行った――本。


「お兄さんの趣味よねぇ。いやん、エッチ」


「だ・ま・れ!!」


 ぷるぷると額に青筋を立てて震える日向は、ふと物凄いオーラを感じ、恐る恐る――なんで恐れる必要があるのかとか考える余裕も無く――隣を見た。


 酷薄な瞳。頭の天辺から火でも噴きそうな勢い。


「日向君。記憶が戻る前に、一度お説教しましょう」


「あ、はぃ……」


 思わず気圧されていた日向を星月夜は、そのまま突き飛ばした。そんなに怒らなくても……等と呑気な事を考えたのも一瞬。


 真っ黒な髪が生きた刃物のように動き、日向のいた場所に突き刺さった。


「うぅん、ターゲットは二人って……でも、正直そっちの子はエッチなだけであんまり強そうに見えないわねぇ」


――エッチ言うなと叫びそうになったが、星月夜に再び睨まれたので心の中だけにしておく。


 幽=霊は本当に明確な殺意があるのかどうか……非常に分かり辛い。彼女が亡霊つまりは死んだ人間の霊の類であることはなんとなく感じ取れた。話も出来るし、話しぶりからして時代もあまり離れているようではない。


 分からないのは、何故これ程の力を、そして、星月夜と――恐らくは、――自分をどうして狙うのかということだった。


「そ・れ・と・も。隠された力がまだ開花していないとかかしら。だとしたら、目覚める前に――」


 幽=霊の髪が持ち上がり、瞳は真っ赤な血の色に染まった。亡霊はうふっと妖艶に微笑んだ。



「食べちゃおうかしら……」

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