十三、星空の下で

 二階、日向の部屋にはベランダがある。普段は洗濯物を干す為に使っている。見晴らしはいいが、目の前が住宅地なので景色は良いとは言えなかった。


 窓を開放し、星月夜はぱっと両手を広げる。夜の風がさぁっと流れる。頭の後ろで結ばれた髪がなびき、龍の尾のように揺れた。


 薄暗い部屋の中でうっすらと白い肌が見えた。


「電気……つけるか?」


「いえ、全部終わるまではつけないでください」


 部屋の電気をつけようとした日向を星月夜はそう言って制し、ひらひらとした袖から一枚の符を取り出した。


「あの化けもんと戦っていた時も思ったけどさ、わざわざ符を仕込む為にそういう服を着てんの……?」


「う……。そ、そうですよ。や、やっぱり陰陽師と言えば袖からしゃきーん! と符を出した方がカッコいいじゃないですか!」


「分からん」


 きっぱりと答えると星月夜は、ふぇえっと真っ赤な顔になる。なんとなく小さい子の夢を潰すのと似たような罪悪感があった。


「こ、こほん……わ、私のこだわりはいいんですよ」


「わりとしょうもない理由だったしな」


「ぐぬぬ……だ、だってかっこいいじゃないですか」


「さっさとしてくれ」


「は、はぃ、ただいま!!」


 ぶつくさ言う星月夜に、やや凄んでみせると星月夜は涙目になりながら符を宙へと投げた。重力に従って落ちるかに見えたそれは空中で留まり、淡い光の円を映した。円上に五つの光点が浮かび、互いに繋ぎ合せるように線が伸びて行く。


「な、これは……」


 五芒星――セーマンと呼ばれる陰陽師の印だ。


「影法師よ、包み隠したまへ、我らの身を――急々如律令」


 五芒星から薄っすらとした影法師が二人、ぬっと現れ、一人は星月夜の身体に、そしてもう一人は日向の身体に張り付いた。


「わ、な、なんだ、これ!?」


「影法師という式神を使った隠形の術です。霊感の無い人から姿を隠す時に使うんです。えっと、私の姿は見えますか?」


 星月夜の姿は薄っすらとだが見える。まるで幽霊にでもなったかのように、色彩が無くなっていた。それは日向自身もそうだ。手をかざしてみると薄いカーテンのように向こう側が見える。


「では、空に……は日向君はまだ行けませんから、屋根の上にでも登りましょうか」


「……登る意味は」


「あります」


 自信満々に言う星月夜に、日向は溜息を吐いた。この状態でもしも屋根から落下したりしたらとか、考えたくもない。


「脚立持って来ようか」


「いいえ、その必要はありません」


 と、星月夜は軽やかな足取りで跳んだ。いや、正確には地に足がついていない。星月夜の身体はふわっと空へと浮かんでいた。そのまま屋根の上へと着地する。


 呆気に取られている日向へと星月夜は手を伸ばした。静かに応じる。柔らかく仄かに甘く香るその手がぐいっと身体を屋根へと持ち上げ、日向も屋根を掴んで屋根へと乗り上げた。


「お前……意外と馬鹿力なんだな」


「馬鹿!?」


 酷い言われように、星月夜はショックを受けたような顔で反応した。コロコロと表情が変わって面白い……と言うのは流石に酷い気がしたので、心の中にだけしまっておく。


「それで、次はどうすればいいんだ? ここからジャンプでもするのか?」


「ち、違います!! ぜ、ぜったいやらないでください!」


「はいはい」


  やっぱり面白い等と思っていると、星月夜は不審がるような目でじーっと日向を睨め付けてくる。流石にからかい過ぎたなと思ったが、日向はどこを吹く風といった顔で、「で、何をするんだ?」と訊ねる。


「上を見てください。夜空を」


 星月夜はすっと上を指差した。言われるままに空を見上げる。


 そこには、ぼんやりと輝く美しい月が出ていた。そして、夜に溶けこむように小さな星々が点々としている。尤も、ここは都会であまり星が綺麗に見えるような場所ではない。


 ――その筈なのだが。


「……あれ?」


 それは違和感。いつもそこにあった筈なのに、見落としていた物。誰かに教えて貰って初めて気づかされる……ぽっかりと空いた記憶の穴。


 光の膜が尾を引きながら煌めいていた。


 星とも違うそれは、目にしているだけで、心の底から何か、得体の知れない不安を掻きたてる。同時にそれは心を引き付ける輝きでもあった。


 それが、箒星もしくは彗星と呼ばれるものであることに気づくのに、日向はたっぷり数秒は掛かった。


「はは……彗星か。ニュースか何かでやってたっけな……」


「いいえ、あれは『此方の世界』の星の輝きではありません」


 現実を受け入れられない日向に、星月夜はきっぱりと告げた。流石にもう慣れたので、驚かないが、思わず溜息が出た。


「……説明よろ」


「はい。と、箒星にまつわる話って、日向君は聞いた事ありますか?」


「不吉の象徴だとかって事は……なんとなく知ってる」


「その通りです。古来より箒星が尾を曳いて現れた時、それは凶事の前触れとされています。ですが、それが何故凶事の前触れなのか、その因果関係を知っている者は殆どいませんでした」


 言い伝えや伝説には少なからずオカルト要素が入るものだ。そこに「どうしてそうなるのか」とか「どんな条件が揃うと」そうなるのかといった因果関係が曖昧な事象は多い。


「よくわかんねぇけど、あれを見てると不安になるのは確かだ」


「なぜだか、わかりますか?」


 そう言って、星月夜は箒星を指差した。


「なぜ?」か等、分かる筈がないじゃないかと日向は反射的に返しそうになるが、星月夜があえてこう聞くということは、何か因果関係があるのだろう。改めて夜空に輝く箒星を見る。


 光の膜をはためかせるように箒星は夜空に漂っているように見えた。じっと眺めていると、段々それが生き物のように見えてくる。いや、「ように」ではない。まさか、と思った。


「あれは生きているのか……?」


「生き物の定義にもよりますが、あれは星にあって星にあらず。『彼方』側から来た霊魂の集合体です」


 日向は言葉を失い、呆然と箒星を眺めた。星月夜はさらに続ける。


「千年に一度……と言われています。夜空に箒星が妖しく輝き、その光が地上に落ちると同時に、地上は魑魅魍魎で溢れ、人々に災いをもたらす……と」


「ちょ、ちょっと待ってくれ。魑魅魍魎って妖怪だとか怨霊だとかの集まりの? そんなのが溢れたら大パニックに――」


「ですが、普通の人間には見えません。目の前で『彼方側』の魑魅魍魎達が人を殺したとしましょう。誰の目にも見えないのですから、不審死にしかなりません。勿論、それが続けば、大騒ぎにはなるでしょうが、ただの人間にそれを解明することはできません。中には人間の霊魂を丸ごと食べて存在を消してしまう者もいます。存在を消された人間はいくら探しても見つけることは出来ませんから……、『失踪』或いは――」


「『神隠し』に遭ったと騒がれる、か」


 日向の言葉に星月夜は頷いた。これは彼にも理解できた。日向自身、幽霊が目に見える。そして目に見えるが故に霊を引き寄せやすい。それ故の危険性を正春に何度か耳にたこが出来る程聞かされた覚えがあった。


 ――彼らは普通の人間には見えない。だから、悪さする霊は、『此方』の人間を連れ去ったり、今じゃ殆ど姿も見ないが恐ろしい妖怪は、人間の魂そのものを喰らって隠してしまうんだ。だから、そういうやつには出くわさないよう気を付けるんだぞ、と。


「そんなやつらが地上に溢れたら……」


「千年も前にも、箒星が出現した事がありました。丁度今と同じように――ねぇ?」


 ふと星月夜は日向の瞳を真っ直ぐ見据え、そっと近づく。鼻孔をくすぐる甘い香りと少女の瞳に、どぎまぎとしながら後退る。


「……流石に、もう思い出しませんか?」


「…………何を?」


 途端、星月夜はその場に崩れ落ちるようにしゃがんだ。


「え、ちょ、ちょっと!」


「こ、ここまで説明したのに、記憶の欠片も呼び覚ませないなんて……ふぇぇ」


 ……本当に申し訳ないが、さっぱり訳が分からない。ともかく、落ち着かせないと、としゃがもうとし、


「あ」


 足を滑らせた。ぐわんと視界がゆっくりとひっくり返り、勢い余ってベランダを飛び越してしまい、全神経が凍り付く。何かが身体に抱き着いた。星月夜だと分かり、思わず「馬鹿野郎」と叫ぶ。


 ほんの刹那の事だった。


 頬を風が切り、重力に従って叩きつけられるその直前、身体が浮き上がった。


「え」


 思わず、目が点になった。日向は星月夜の小さな腕に抱きかかえられながら、夜空を飛んでいたのだ。恐る恐る下を見ると土御門家も、街もみるみるうちに遠ざかっていく。はっきり言って恐ろしい。


「な、な、な、危ないじゃないですか!」


「う、うっせーな! そもそも屋根の上なんて危ないとこに登るのが悪い!」


「うぅ、しかもバカヤローって! なんでバカヤローって言ったんですか!」


「はいはい、すみませんでしたね! お前が空飛べるなんて知らなかったからな!」


 ぎゃあぎゃあ言い合いながら、ふと日向は思った。



 ――これ、どこに向かっているんだろう?

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