十二、己が役目

 日向は絶句した。

 星月夜は真っ直ぐに日向を見据えたまま、同じ言葉を繰り返した。如何なる感情も挟まない事実のみの伝達。


「私達二人は人の子――つまり人間ではないのです」


「え、は……? 人間じゃないってお前、は……?」


 返す言葉が見つからなかった。日向には家族がいて、家族との生活があった。それが偽りの物だと宣言されたショックも受け入れがたいが……。それ以上に理解が追い付かない。


 ――俺が人間じゃ、ない……?


 自分の両手を思わず見下ろす。そこにあるのは当然人間の手だ。身体もそこに流れる血も紛れもない。人間のものだ。


「お、おかしいだろ。人間じゃないとしたら、俺たちは一体……」


 ――一体、なんだと言うのか。


「私達は剣です。陰と陽、この世に流れる二つの力を分けた二本の剣」


「『剣』……だって? あの切ったり、刺したりする……武器の剣?」


 ここぞというときに、自分の語彙力の無さを日向は痛感する。


「そうです。とはいっても、この世に存在する鉄の剣とは定義が異なります。私達は霊力を刃とし、その身を鞘とするのです」


 淡々と、だが日向が言葉を理解は出来ずとも、聞き取れる早さで星月夜は話を続けていく。


「昼間に見た怨霊……覚えていますよね」


「あぁ……。あんな恐ろしいやつは見た事が無い」


 一面を覆う霧、脚の無い人形のような顔立ちの少女。今思い出しても寒気が全身に走る。普段見慣れている幽霊達とは明らかに違う。明確な殺意の念の宿った霊だった。


 だが、それ以上に。


「怨霊の話は……聞いた事がある。人形の首が落ちたりだとか、怨んでいる人間の前にはっきりとした姿で現れて、発狂させたりとかすると聞く。だけど、昼間の奴は違う……直接殺しに掛かってたよな」


「霊は……、この世の者でなくなった魂は、直接こちらの世界に関与する事は出来ないのです。だから、日向君が言った通り、強い念でこちらの世界に干渉はしても、直接手を下すことは出来ないのです。彼らは――彼方あちらの世界、ここではない別の世界の住人となってしまったのですから。その逆もしかりです」


 別の言葉を用いるならば、黄泉の国、あの世、幽世だろうか。幽霊と同居するにあたって、正春から聞かされた事があった。


 ――私達には幽霊に触れるだけの力があるし、会話もできる。この世に未練のある幽霊のちょっとした話し相手になって慰めてやったって罰は当たらないだろう。だけど、これだけは覚えておくんだ。彼らの行くべき世界、『彼方側』について尋ねてはいけないよ。


 どうして、やってはいけないのか。それを正春は語らなかった。それは陰陽師にとっての『忌み事』なのだと、星月夜の話を聞いて今更ながらに理解する。


「『彼方』からも様々な霊が流れて来ます。多くはこの世界に辿り着くことが出来てもその存在は消滅してしまいます」


 ふと星月夜は言葉をそこで区切った。二人以外誰もいなくなった部屋に視線を配る。その行動の意味を日向は鋭く察した。


「幽霊の二人は食事後には大体いなくなるんだ。聞いてないと思う」


 それを聞いて星月夜は「そうですか、良かった」と少しだけ表情が解れた。


「……こちらの世界で存在を維持するためには、この世の何かに定着するか、この世にあるものから『霊気』――と言って分かるでしょうか? 魂を心臓とするならば、霊気は魂に流れる血液のようなものです――その『霊気』を啜り、魂を喰らう事で存在することができるのです。これは、幽霊となって『彼方』の存在になった者も同様です」


「ちょ、ちょっと待ってくれ。うちにも亡霊がわんさかいるけどさ」


「……一緒の卓を囲んで食事をしておいて言うのは大変心苦しいですが、亡霊と一緒に生活するなんて、本当はとても危険な事なんですよ。……まぁ、正春様が連れてきた霊なら危険性は皆無だとは思いますが、それでも……」


 心底呆れたというように、星月夜は首を振ったがそれ以上は何も言わなかった。日向もそれに関しては何も言い返せなかった。


「まぁ、いいでしょう。ユウコさんにせよ、レイちゃんにせよ、いずれは本当に消える……もしくは彼方の世界へと行く日が来る。それだけは理解しています、よね?」


「……分かってるよ」


 正春がよく霊媒のおまけのように幽霊を拾っては家に連れてくるその割に、家が幽霊だらけにならないのは何故か。今まで、日向は彼らがこの世に満足して成仏したからだと、思っていた。勿論、その認識で間違いは無かったのだろうが、たとえばやろうと思えば、そこで生活している人間から霊気を啜り取る事も出来たということだろうか。


「それと、この家の人達が今まで襲われなかったのは、正春様が連れてくる幽霊達が大人しい霊だからというのもありますが、あなたの力に逆らえないから……というのも理由です」


「なぁ……やっぱり理解出来ないんだけど、俺がその……剣だっていうの? だって、俺は……そりゃ、幽霊が見えて触れる事が出来るなんてやつそうそういないだろうけど……それにしたって…………!」


 人間として生まれ、人間の家庭で生まれ育った筈なのに。


「あなたは私よりも幸せです……私には――いえ、やめておきましょう」


「……?」


 一瞬、星月夜の瞳の奥に強い感情が見えた気がした。


「それよりも、剣についてです」


「あぁ……そうだな。説明遮って悪い」


「多くの霊魂、死によって『彼方側』の者になったもの、『彼方側』から流れてきたものも、多くはこの世界での存在感を維持するだけで力を使い果たしてしまいます――強い念を持つ怨霊であっても、それは同じです。が……例外は存在します」


「幽(ユ)=霊(リン)って名乗っていたあいつか」


「はい……彼女もその一つです。しかし彼女の霊魂を滅して倒したとしても、それで終わりではないのです」


 他にもまだあんなのがいるのか、或いはゲームやアニメの世界のように、その上の存在がいるのだろうか。背筋が凍るような思いになる日向に、星月夜は哀し気な表情で続ける。


「『此方』の世界、そして『彼方』の世界。二つの世界が何らかの要因によって交じりあい接触する事があるのです。太陽と月が重なり合うように、二つの世界が重なり合い、闇が光を覆う……」


「まるでファンタジーの世界の話だな」


「そんな呑気な事を言っていられると思いますか? 昼間に見た怨霊のような存在が力を持ち、人々は為す術もなく蹂躙され、殺され、やがてこの世界は『彼方』の世界の一部になってしまうかもしれないのに。今、こうしている間、私達の手の届かない場所で彼らは誰かを喰らい、血を啜っているかもしれないのですよ?」


 星月夜の言葉は研ぎ澄ましたナイフのように鋭い。そして、ここまで聞いた日向はなんとなく『剣』とはなんなのかが分かって来た気がする。けれど、星月夜が見せたような力は、自分にはないし、今まで、自分が人間ではない何かであったなど、考えもしなかった。


 再び声が震えた。声も情けないが、振り絞ろうとする言葉も我ながらとても情けないと思いつつ、それでも口に出すしかなかった。


「俺にあんなのと戦う義務がある……とでも言いたいのか? 俺はただの人間だし、あんな怪物と戦う力なんて持っていない!」


「本当に覚えていないのですね……――いいでしょう、来てください」


 星月夜が何気なく日向の両手を握った。真っ白で柔らかく少しでも力を入れると傷つけてしまいそうな程に細い手が、日向を導くように立ち上がらせる。


「どこに行くんだ?」


「少し、夜空でも見に行きませんか?」

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