八、隠し事

 急ぎ早の足音と矢継ぎ早に交わされる言葉が頭の中で反響していく。今の日向にとっては音の波でしかない。


 頭の中では先程の光景が頭の中で何度もリピート再生されている。理解が追い付かないわけではない。


――その全く逆。


 人は誰しもその家特有の何かに影響を受けるものだ。


 例えば、職業。両親が医者ならば、エンジニアならば、教師ならば、研究者ならば、料理人ならば、保育士ならば、運転手ならば、小説家ならば――。


 その子どもが同じ職を取るとは限らない。子どもには子どもの将来を掴む権利があるのだと、社会は謳う。そして、そうあるべきだと誰もが思うだろう。


――だが、あるのだ。と、日向は信じていた。


 医者の子どもが、病人や怪我人を前にして、大人よりも冷静に対処してみせたり、教師の子どもが、年下に対してとても面倒見が良かったり、エンジニアの子どもが妙に機械に強かったりと――。


 遺伝的に能力を引き継いだからだけではない。知らず知らずの内に感覚が研ぎ澄まされていくのだ。



 陰陽師の子も同じ。



 血筋だけではない。陰陽師の家で父親を陰陽師を持つ子どもとして、不可視である霊的な存在を幼い頃から目の当たりとし、その存在の全ては、見間違いでも聞き違いでもない――と、教わってきたからこそ、感覚は研ぎ澄まされ、他人から見ればどれも同じである超常現象を事細やかに分析し理解することが出来るようになったのだ。


 溜息と共に顔を覆った。


 彼の困惑は理解のその先にある。


 指と指の間から覗くやつれた瞳が、困惑の諸元である少女に注がれる。


「あ、あ、あ、ぁ、えっと、のののののの飲み物……で、です」


「…………お前さ。あの怪物と戦ってた時と本当に同一人物?」


「い!? そ、そうですよ、い、いちお……」


 せめて、そこは自信を持てよと、呆れ顔になりつつ星月夜の手からカップを受け取る。


「あっつ」


 ホットココアだった。夏にホットココア。どこで売っていたのだろうか。


「あ、ご、ごめんなさぃ……」


「何故、ホットにした――と、問い詰めたいのは山々なんだが……さっきのアレ。アレはなんだったんだ」


 星月夜はすぐには答えなかった。


「どっから説明しようかって顔だな。俺も陰陽師の……安倍晴明の子孫の末端だ。一家纏めて、幽霊が視えるし、親父は胡散臭い奴だけど本物の霊媒師で何人もの怨霊を浄化させた話を聞かされたし、この目で見たこともある!!」


 それでも、星月夜は答えなかった。


「だから……だから、分かるんだよ。さっきの光景の異常さが。スケールの違いが!!」


 突然の濃霧、空に空いた穴、殺意に満ちた少女の霊。


 乱れ舞う幾千の霊符、限界まで研ぎ澄まされた怨念。


「日向君……」  


「なぁ、あの化けもんはお前が来たから現れたのか? お前に引き寄せられたのか? お前ならあいつら倒せるんだよな? なぁ――」


 気が付けば、星月夜は静かになっていた。日向が喋るのを止めても微動だにしない。


 とても哀しい眼をしていた。


「悲しいですね……あなたはあの頃から、なにもかも変わってしまったようです」


 星月夜の声はどこか遠い。記憶の奥底にこだまする。思い過ごし程度に感じていた違和感が、得体の知れない実感へと変わっていく。


――「どこか」で出会ったかではなく、


――あるのだ。


 二人はかつて出会った事があり、そして再び出会う事が決まっていた。



「悲しい、悲しいです――」


「――お前」


「悲しいです――それに、私の名前は『お前』じゃないです――えぐ」


「!?」



――出会いを運命づけられていた相手の少女を、泣かせてしまった。



「って――な、な、く、な……!」



 血の気の引いた顔でげっそりとした声を絞り出し、日向は星月夜を宥めた。周りを見ないように顔を伏せたが、視線がちくちくと背中に刺さるのを感じた。


「す、すびばせん」


「とりあえずティッシュ」


 ティッシュを手渡すと星月夜はちーんとティッシュで鼻をかんだ。それで日向もホッと一息つき、星月夜から渡されたココアを飲み干す。


「な、なぁ、さっきのどういう意味なんだ。あの頃っていつ頃だ? 俺達前にもどこかで会った事があるのか?」


 また泣きだしたりするのではないかと冷や冷やしつつ、日向は訊ねた。星月夜はまだ哀しそうな顔だったが、今度は涙を流す事なく、


「……それは」と意を決したように、口を開いた。


 と、その時、二人の間に誰かが割って入った。


「はーい、おふたりさん、お待たせー」


 菊里だった。いつもと変わらない、のほほんとしたマイペースな調子で、二人の顔色を窺う。


「どこ行ってたのさ」


「んー、病室?」


「え。まだ、診察中じゃないの?」


 医者が言うには、軽い脳震盪だろうとのことで、今、念のために精密検査を受けていると日向は聞かされていた。「だろう」とは言っていたものの、本当のところは医者にも分からないだろう。


 日中に突然発生した霧。そして、亡霊の少女。


 街中で騒ぎが起こってもおかしくはないのだが、街はいつもと変わらず、世界は何事も無かったかのように廻り続けている。


――怪奇現象


 誰かがあの光景を目撃していれば、そう結論づけたことだろう。


 仮に目に見えたとすれば、だが。


 古来より、「霊」「鬼」が見えるのは、霊感がとりたて強い者。


 あるいは、何かを犠牲にして、霊感を手にした者。


――『今昔物語』にも、

――『宇治拾遺物語』にも、


 普通の人間には見えない者達の存在が描かれている。


 そして、彼らもまた普通ではない存在なのだと。


「そうねぇ。でも、診察しても何も分からないと思ったから、ちょっとでしゃばってみたの」


「それは一体どういう……」


 ふと、姉の手に握られている物を見た。呪符。星月夜が持っていた物と同じだ。姉の顔を見、再び呪符に視線を落とす。なんと声を掛けたらいいのかと考えていると、菊里はふふっと悪戯が見つかった子どものような笑みを浮かべて呪符を掲げた。


「秘密を抱えた戦う女の子的な……?」


「あ、いや、姉ちゃん、もう女の子って年じゃ――あ、なんでもありません」


 一瞬、姉の顔に黒い影が通ったのを見て、日向は口をつぐんだ。全く気が付いていない星月夜は「か、カッコいいと思います!」と目をきらきらとさせていたが。


「こほん。日向に黙っていたのは悪かったと思ってるわ。……まぁ、黙っていたのは私の意志じゃないんだけどね。それもこれも、全部土御門本家のせいってことで」


「…………えーっと、つまり、うちの姉ちゃんは妖退治ができる戦う女の子ってこと?」


「イエス」


「……それで、診察室行って、何をでしゃばったんでしょーか」


「冬馬君が抱えている心の負荷を少しだけ和らげたの。大分怖い思いをしたみたいだからね」


「その……記憶を丸ごと消すとかは出来ないのか?」


 それこそ妖退治だの、怪物と戦う話では、都合よく一般人の記憶を消す事が出来るものだが……そんな都合のいいことが出来そうにないのはなんとなく理解できた。


「無理ね。人の記憶というのはその人が思っている以上にデリケートなの。たとえ、それがどれほど恐ろしい記憶でもね。消したりなんかしたら、後々になってもっと酷い結果が返ってくるの」


 ちらっと星月夜を見やる。暗い影のある表情だった。


「姉ちゃんがあそこにあのタイミングで駆けつけられた。それは偶然じゃないよな? 何かが起きるのが分かっていたのか?」


「そうね……偶々じゃない。今日一日ずっとあなた達の事を遠くから見てた」


 異様ながらも平和で穏やかな日常が、言葉を重ねるごとに崩れていくような気がした。全ては星月夜が来てから――いや、実際にはそれよりもずっと前から、なのだろう。日向が過ごした日々は、彼が見てきた姉の姿は偽りの物だったのか。


――そうは思いたくないが。


 菊里の口元にふわっとしたいつもの笑みが浮かぶ。


「ふふ、楽しそうに、お買い物してるの見て少しほっとしたわ」


「……質問の答えになってない」


「いいえ。これはとても大切な事なの。だって――」


 再び言葉を紡ぐ菊里の口元から微笑みが消えていく。


 日向は知らなかった。姉から笑みが消えると、こんな顔になるのだと。


 肌は雪のように白く、氷のように冷たい面持。どこか哀しく儚い印象を人に与える。


「――あなた達二人は世界最後の希望、なのだから」

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