三、人生初、女の子来訪

 カッと照り付ける日差しに、彼女はそっと手をかざした。じめっとした熱気に思わず咳き込みそうになり、道路のアスファルト上で、もやっと揺らめく陽炎に頭がくらっときた。


 このままでは融けてしまうと思った。


 自分は大バカだということはとっくにわかっている。誰でもいいので、助けて欲しいと願いつつも、道行く人に話しかけるのは、とてつもなく緊張する。

 

 目の前からママチャリが走ってくる。


「ぁ、ぁの……」


 そして、通り過ぎて行った。声を掛ける間もない。あまりの切なさに泣きたくなった。自分の声が小さすぎて聞こえないのはよく分かっていた。


 右を見ても左を見ても家、家、家、時々マンション。


 どこを見ても同じような風景で、目的地に近づいているのか、遠ざかっているのか分からず、落ち着かず、不安になってくる。


 迷った……と、もう十分程前から明らかになっている事実が、沸騰しそうな頭の中で湯気のようにぼんやりと浮かんだ時だった。


 目の前を一人の少年が歩いてくる。自分と同じ位の年頃。焦点の合わなくなってきた視界の中で、彼女は少年に向けて腕を伸ばした。


「ぁ、ぁの、土御門正春さんの御宅はどちらでしょぅぁ……」


 譫言のように呟いて、彼女はばたりと力尽きてしまった。


「……お邪魔しまーっす」


 お昼過ぎ、日向の友人、渡辺冬馬が遊びに来た。ゲームしたり、漫画読んだりと、ダラダラ、ゴロゴロと時間を浪費して過ごす予定だった。


「やべぇ……すっかり忘れていた」


 正春が地縛霊を連れてきたり……はもう慣れているのだが、本家から女の子が来るよと何の脈絡も無く告げて、「わけがわからん、ちゃんと説明しろ!」と問い詰めると、これまた唐突に荷物をまとめて、


『うん、そう、女の子。本家から来るから三日程、適当にもてなしておいて欲しいんだ。本家で重大な会議があってなー。あ、その子、今日のお昼には来るから』


などと言い出し、『なぜ、そんな重要な事を今言うんだよ!!』とツッコむも返す間もなく出て行ってしまい、色々な意味で置いてけぼりをくらってしまった。菊里の方は、能天気な様子で、

「まぁ、楽しそうね。賑やかになりそう……あぁ、でも私今日バイトだったわ。あ、女の子と二人きりだからって変な事しちゃだめよ? まぁ、日向君なら大丈夫だとお姉ちゃん信じているけどね、あ、冷蔵庫に麦茶入っているし、お菓子はぽてちが戸棚に――」


とかなんとか言っている。


「本家での会議」などと宣ってはいるが、どうせ、大人だけで旅行にでも行こうとしているのだろうなどと、日向は邪推している。それにしても、本家――親戚に女の子がいるなんて、初耳だった。


――まぁ、二人きりだと気まずいし、いっか。てか、女の子の方は、いつ来るんだろうなどと考えながら玄関を開け、思わず固まった。


「え、どうしたの、そ……の人」


 思わず、今朝と同じ流れで「それ」と言いそうになってしまったが、冬馬の肩に担がれているのは少女だった。冬馬は肩幅が広くがっしりとした身体つきで茶髪と、見た目はヤンキーっぽいのだが、人柄は温厚もとい、お人好しである。


「あー、なんか道端でいきなり倒れたから、連れてきた」


「だ、大丈夫なのかよ!?」


 冬馬の説明に、日向は急いで二人を家にあげた。冬馬は少女を肩に担いだまま、居間まで運んで行き、ソファの上にそっと降ろした。容態を確かめようとして、日向は思わず息を呑んだ。


後頭部で1つに結われた長く艶やかな黒い髪、ほんのりと熱を帯びた白い肌、桜色の唇。まるで人形に命を吹き込んだかのように整った顔立ちだった。


 どくんと心臓が跳ねる。なぜだろうか、表現しがたい胸騒ぎに襲われる。


「ふぁ……、流石に人一人運ぶのは疲れたぜ……て、おいおい日向、大丈夫だって。軽い貧血……か熱中症だと思うから。濡れたタオルとかあるか?」


「あ、あぁ……待ってろ」


……今のが、正春の言っていた「女の子」なのだろうか。そういえば、名前も言っていなかったなクソ親父めとかなんとか思いつつ、タオルを箪笥から出す。冷水で濡らして、よく絞ってから持って行く。


「お、さんきゅー。この子、ここの家探してたみたいだが、お前の知り合いか?」


 冬馬がタオルを受け取り、少女の頭に優しくのせながら、訊ねる。


「親戚、かな」


「かなって……お前」


 呆れるような友人の視線に、「いや、俺にも分からんのだよ……」と返す。そもそも親戚との付き合い自体日向自身はあまり無い。親父である正春が時々、本家に出向き、その土産話を聞かされるくらいである。


 しかし、その土産話の中に少女が出てきたことは無かった。


「深くは聞かんが――と、これ、その子の荷物だ」


 少女の眠る傍らに置かれたキャリーバック。着替えでも入っているのだろうかと思ったのだが、


「いや、しかし、お前の家の親戚だと聞くと妙に納得できるな、御札だらけで何かに憑かれてるのかと思ったぜ」

「はぁっ!?」


 思わず、二度見した。そういう柄なのかと思ったが、よくよく見るとキャリーバッグの外側にはびっしりと護符が貼りつけられていた。


鬼 惡 厭


 悪鬼を厭(いと)つ。悪霊退散の意味を持つ護符だ。和紙に墨で書かれており、文字の一筆一筆が芸術的で生き生きとしている。それがびっしりと張り付いていたものだから、そういう模様なのかとも見間違えるのも無理は無い。


 しかし、改めて見るとオカルト染みていて不気味だった。


「何びっくりしてんだよ。お前家、幽霊だらけだろう」


「俺は好きで幽霊と同居してるわけじゃねーんだよ……」


 冬馬は日向の家に幽霊が大量に棲みついている事を知っている。彼は幼い頃、霊に憑かれていた事があり、正春に祓って貰った事があった。その時の記憶は全く無いらしいのだが、霊感だけはずば抜けて強くなってしまったらしい。


「土御門の本家から女の子が来るからお世話よろしくーって親父に頼まれたんだよ……」

「ほーん」

「でもさ、俺本家に女の子がいるって今までに一度も聞いた事なかったんだよ」

「へぇ」

「お前、興味無さすぎだろ」


 生返事に対して、じとっと睨み付けると「まぁな!」と楽しそうな悪友の返事が返ってきた。


「んで? 肝心の親父さんは何しに本家行ったんだ?」


「俺も知らん。というか、今までだって何度か行った事あったのに、こんなこと頼まれたのは……」


 霊関係の訳ありだろうか……しかし、それにしてもよく眠る女だと日向は思った。さっきまで気分が悪そうだったのが、ソファに寝かせてからは、緩みきった幸せそうな表情で寝ている。


「んで? このまま寝顔見て一日過ごすか? それはそれで楽しそうだが」


「おま……ただの変態だろ。いや、普通にいつも通り過ごす。何があろうとな」


 父親のトンデモない事情に、付き合わされるのはうんざりだった。自分の楽しみを邪魔するようなものなら猶の事。今日は意地でも遊んでやる。荷物に札びっしりのオカルト少女など知った事か。


――よく見ると可愛いかもしれねぇけど。


 などと思ってから、ぶんぶんと頭を振ってその思いを打ち消す。「大丈夫か?」という顔で冬馬が見ている。


「外でも行くか?」


「暑いから家で遊ぼうぜって言ったのお前だろ。大体、家に見知らぬ女の子を残して行けないだろ」


「じゃあ、2階でゲームでもするか……? 実況、最近全然できてねーしさ」


「再生回数が3桁も行かねぇ実況なんて、いつやっても同じだろ」


 日向と冬馬の二人は下手の横好きで、時々ゲーム実況をしている。生声、ぐだぐだ、身内にしか分からないネタのオンパレードな為、視聴者は、ほぼいない。

 彼らが初めて貰ったコメントは「クソつまらん」である。


「あぁ、でも」と冬馬が何かを思いついたように呟いた。


「この子も一緒なら面白くなるんじゃないか?」


「はぁ!?」


 少女がぴくりと動いたのに、二人とも気づかなかった。冬馬は「まぁまぁ」と日向を諫めつつも、自分の発言がとてもいいアイディアだと思ったらしい。


「ほら、二人での実況よりも三人の方が賑やかだし、何よりネタも広がるだろ?」


「いや、待て! こんな素人を!」


「お前も俺もど素人に変わりないだろ……せめて再生回数が四桁に達成してから言うんだな」


 ギャーギャー騒ぐ中、少女がソファーの上でもぞっと動いた。「あ、ほら、ちょっと本人に聞いてみよう」と冬馬がするりと身を翻し、少女に近づき肩を揺さぶった。


「おーい、もしもし。一緒にゲームしませんかーっと」


 止めようとしたが、遅かった。冬馬に揺さぶられて少女が何かを呟く。


「ぁ……く」


「ん?」


 がばっと起きあがった少女の指先が宙に踊る。


「惡 霊 退 散!」


 眩い閃光が部屋に満ちる。



――降り注ぐ星の光、鼻孔を突く煙の匂い、肌に染みつく血の感触。

 


一瞬、ここではない遥か遠くの光景が、自分の物ではない記憶が、脳裏をよぎった。


「え……」


 日向は何が起きたかも分からないまま、吹っ飛んできた冬馬の背中に押し潰された。

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