二、胡散臭い男が一人、彼こそ陰陽師

「おー、日向、ただーいまー」


 にかっと笑う親父こと土御門正春。烏帽子に狩衣、野暮ったい眼鏡と見るからに胡散臭い感じのする親父だ。背は高いし鼻筋も通っているので、「普通の恰好」で「普通にしていれば」いい男に見えるのだが、それを求めるのはとっくの昔に諦めている。


「親父……これ……いや、“こいつ”はなんだ」


 日向が指さした先で、菊里が犬でも撫でるかのように頭を撫でている。それは人間のようだった。いや、元は人間だったのかもしれない。なんとも形容しがたい……人の姿らしきものの輪郭が、ボウっと宙に浮いていた。


 目と口に当たる部分もぼんやりと見え、その顔は笑っているようにも泣いているようにも見えた。


「こいつはなんだとは、また変な日本語を――」


「じゃあ、どう表現すればいいんだよ!!」


「これ」というのは引けるし、かといって「誰」と言える程の概念が残って無さそうな霊である。

 幽霊の中にはユウコさんのように会話が通じる者も稀にいるのだが、結局の所「幽霊」というのは生前に人が残していった強い思念でしかないわけで、意思疎通が取れないのが普通なのである。


――だから、霊媒師という職業があるわけで。


「いやなぁ、地縛霊のお祓いを頼まれて行ったんだ」

「うん」

「でまぁ、この人というか霊と話してるうちに意気投合しちゃって……?」

「酒場で仲良くなった飲み友達みたいなのりで言うなっ!」


 一体どんなやり取りがあって、そうなったのか聞く気にもなれなかった。地縛霊なのに、祓わずに家に連れてくる霊媒師がどこにいるというのだ。全く以て度し難い。


「あぁ、食事はいらんそうだよ。少量のアルコールさえあればいいって」

「……まじでただの飲み友達じゃねーか。まさか、ここに住まわせるの……?」


 んー、と悩むふりをする親父。目線をそれとなく菊里に合わせるのを見て、イラっとした。こうなると、結論はもう出ているようなものだ。


「このお爺さん、まだこの世に未練があるんでしょう? でも、ずっと住んでいた場所で居ると、生きてる人達を驚かせてしまうし……、だったら未練が無くなるまで家に置いてあげるのはどうかしら」


……お爺さんなんだとか思いつつ、ぼんやりとした霊を見据える。ここに住みつく……というか移住してきた地縛霊は、これが初めてではない。


 道端にぼうっと浮かんでいるのから、海辺でぷかーと浮かんでいたものまで、おっさんが趣味で集めてきたガラクタか何かみたいに、連れて帰ってきてしまうのだ。霊媒師なんだから、連れてこずに祓えよと思うのだが。


 因みに、その地縛霊達も、何日かすると勝手に消えてしまう。理由は分からないが、正春曰く、「この家にいると満足して、成仏するんだろ」との事だが……。

 そして、腹立たしいことに、親父が言っている事も理解できなくはなかった。誰とも話す事も、目に映ることさえなく、何かの拍子で見えてしまえば、恐れられて。この家では少なくとも人間だったころと同じように接して貰えるのだから。


「ち、まぁ、いいか……」


 別に呪われるわけでもないしとか、思いつつ。幽霊を前にしてこれだけ冷静に接していられるのは、異常なのかもしれないが、日向にとって、これが日常なのだ。


――土御門家と聞いて、ぴんと来る人は少ないだろう。安部晴明の末裔の家……と言えば、分かるかもしれない。正確には陰陽師安倍有世(晴明の14代目の子孫)の末裔であり、室町時代の頃から、晴明の末裔の人達が名乗り出した家名であるらしい。


 日向の家はそんな陰陽師の末裔の人達なのである。と言っても、本家ではなく、分家の筋であるらしいのだが、日向にとってはどうでもいいことだった。


 正春が、霊媒師なんていう資格も要らなければ、学歴も必要ない、「突然頭の中に~法師様の霊が降りてきた」なんていう胡散臭い理由でもなれるような職業で、稼げてるのはこの家柄によるところが大きい。


 安部晴明の末裔であるという他にはないアドバンテージを正春は最大限に利用し、時として尊大に、時として気さくに、そしてまた、相談者に寄り添ったりと、相手に合わせて変幻自在に話し方、聞き方、距離感を考えて、巧みに心に侵入してしまうのである。


――なんというか、やり方が詐欺師っぽいよなぁ……。


 そんな父親のやり口を見てきた日向は、正春が普段、本当の所はどう思っているのか、どう考えているのか、全く分からなかった。それがイライラの根源なのかもしれないが。


「んで、こいつ、どこに置いとくんだよ」

「物扱いとはひど」

「物扱いじゃない、地縛霊として扱ってんだよ。間違っちゃいねーだろ」


 基本的に地縛霊は人に憑いた状態でしか動くことが出来ない。ここまで運んできたということは、正春に憑きながら移動してきたのだろう。当の本人(?)である地縛霊は、じーっと目の前の空間を凝視しているだけで、一言も発さない。


「そうだなぁ……玄関だとマズイし、庭の方に連れて行くか」


……家の中じゃなくていいのか。


「それじゃあ、行きますよ、ほいっと」


 正春が腰を落とすと、地縛霊はするすると、正春の背中に乗っかった。怪談にでも出てきそうな光景なのだが、正春がやるとどうにもほんわかした雰囲気になる。そのまま、正春は本当に居間を通り越し、庭の方に行って、地縛霊を下してやった。地縛霊はじーっと庭の向こうを見ている。


「うむ、じーさんも満足そうだな」

「あ、そう……」


――庭に地縛霊か。これでますます家に誰も近づかなくなるな。


 時々、近くを散歩していた犬にわんわか吠えられたり、どことなく、人を寄せ付けない雰囲気が伝わるのか、この家の周りの道だけ極端に人気が少ないのである。


――親父が胡散臭い霊媒師で、家がお化け屋敷だったら、そりゃ近づかないだろうな。


 日向は高校一年生。青春真っ盛りの少年としては、友達を家に呼んでバカ騒ぎしたりとか……後、彼女を呼んでみたりとか、一瞬でも夢見るものである……が、この家の現状を直視すると、途端に現実に引き戻されるのである。


――なんか、虚しい……。


 正春はそんな日向の悩みを知ってか知らずか、にこにこした顔で庭から戻ってくる。そして、「あ」と何か思い出したように、ポンと手を拳で叩いた。


「そうだ、日向。今度家にな、本家の方から家に遊びに来たいという子がいてな」


「……それはちゃんと生きてる人なんだろうな」


「あぁ、うん。生きてるぞ。それに女の子だ」


 父親の言葉に、日向は思わず「へ?」と答えてしまった。

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