八
加藤は本社の都市整備用FWU研究チームの分析報告を取り寄せて読んだ。前の報告と同じく、FWUは独自の行動を発生させ、伝達している事が確認された。季節柄、雪道の歩行方法や、身体に付着した雪の処理など、雪に関する動作の変化が目立った。各地方で試された行動の内、良質な物が伝わっている。それらはほとんど積雪のない地方にまで届いていた。知識の地域間での差は無かった。
人に対しての行動にも同様に変化が見られていた。導入当初に多く見られた、好奇心や知識不足から来るロボットへの危険行為やいたずらに対応するため、安全停止する基準を変更していた。
「Pタイプにはまだ伝わっていませんが、今後問題になるかも知れません」
佐々木に同じ資料を送り、注意を促した。
「安全基本命令は変わっていないようですが、どのような問題を予想されていますか」
「基本命令の独自解釈の幅が拡がりすぎて、事実上無意味化されないかと考えています」
資料は、都市整備用が安全停止距離を状況に応じて自主判断で変更し始めた事を示していた。混雑している歩道を歩く時は数センチまでに縮まり、時には、すれ違う時にまるで人間のようにごく軽くかすめていく事例が記録されていた。他の作業でも人が接近しにくい場所や深夜では安全停止距離を数ミリとしており、実際上はゼロと言ってよかった。
「これによって作業効率は上昇していますが、安全を軽視する判断に結びつかないか懸念されます」
「しかし加藤さん、繰り返しますが、安全基本命令は変わっていませんし、むしろどのような状況でも一律の安全距離を保ち続けるほうが非効率でしょう。それにPタイプには伝わっていないのであれば、我々は静観してはどうでしょうか」
首を振った。
「佐々木さん、Pタイプと都市整備用は運用は別ですが、強く結びついています。両者の命令群は容易に混合します。その時に警察業務基準の安全基本命令を持つPタイプがどのような行動を取るようになるか、今から考えておかないといけません」
「それはそうですが、不安定な要因が多すぎます。こればかりは注意深く兆候を見守り、大事になる前に修正をしていくのが実際的な運用ではないでしょうか」
「後手で穴をふさぐ運用はきびしいです」
「理解します。犯罪と同じで予防できるならそれに越した事はない。でも、具体的な行動を見てから手綱を取らないと効率を落としかねません」
加藤は提案のメモを送った。
「そこでですが、Pタイプに限り、安全基本命令からの逸脱を制限してはどうでしょうか。今送ったのはあくまでメモですが、基本命令を解釈させずに行動に直結するように変更すれば不安定要素を取り除けます」
メモに目を通している。
「上と相談してみます。効率低下を招かないのであれば検討の余地があるでしょう」
メモから目を上げる。
「済みません。これはこれとして、ちょっと別の話があるのですがよろしいですか」
加藤が頷くと、佐々木は新年会を予定していると言った。遅すぎるが、以前一度顔を合わせたきりで忘年会もしていない。年も明けたのでまた飲みませんかという誘いだった。
「仕事じゃありません。よろしければ場所と候補日を送りますが、引き合わせたい人もいるので出席頂ければ嬉しいです。あ、今度は私が出します」
「はい。送って下さい」
通信が終わった後、業務メッセージとともに『観梅の宴』という件名のメッセージが届いた。霞が関の料亭で、画像では庭の梅がライトアップされていた。候補日の内都合がいい日に順位をつけて返信した。
当日の夜、料亭では佐々木と大学の同期だという男女二人が待っていた。座敷に通され、お互いに自己紹介を済ませた。男性は警察庁に、女性は防衛省に勤めていると言った。
庭側のみが一面窓になっており、梅の紅い花が照らされているのが見えた。香りがするような色だった。
食事が進み、四人全員にほどよく酒がまわった。防衛省の女性は弱いらしく、一番頬を染めている。
「ええ、大丈夫ですけど、お茶にしますね」
動きを意識させない仲居が、もうその手元に茶を置いていた。
「加藤さんは、休日はどう過ごされてるんですか」
ハイキングが趣味だという警察庁の男性が聞いてきた。
「散歩したり、本を読んだりです」
「どんな本です?」
「明治から昭和初期の小説や随筆ですね」
「面白いですか」
「ええ、今と全く違う暮らし方や考え方が不思議な感じがします。お風呂に入るのが外出だった時代ですから」
「そうか。内風呂を当たり前みたいに思ってた。そうすると、考え方なんかどう違うんですか」
面白がっている。じっと加藤の顔を見た。
「大きな社会よりまず自分や家族がある感じで、自己が強い感じがしますね。それは作家だからかも知れませんが、市井の人も今日は家の行事だからと言って子供に学校を休ませる事があったようです」
「しせい?」
防衛省が聞く。
「市場の市に井戸の井と書きます。街の事です」
「家の行事優先か。そもそも行事の日なんかなかったな。祖父の所もなかった」
染まった頬で遠い目をしていた。佐々木が肴をつまんで言う。
「変な話だけど、ネットワークで相互に繋がった機器なんかなかったか、あっても一般まで届いていない時代でも高度な社会は作れてたんだな」
「何? 急に」
警察庁が佐々木の方を向いた。
「自分の生まれるずっと前ってさ、色がないか、解像度の低い荒れた世界だって思ってたから。子供の頃は」
「私も思ってた。色があってものっぺりしててざらざらで、ちょっと遠くにいるだけで人の顔も分からなくなるって」
「そうそう。距離があると看板の文字が読めなくなるのが不思議だった。情報量がなさすぎて補間が効かなくなってくるから」
防衛省と警察庁が同意し、子供の頃に思い込んでいた勘違いを披露し始めた。加藤は笑って聞いている。
「ロボットだって、市井にはいなかったしね」
防衛省がそう言うと、佐々木が横を向いて軽く頷いた。仲居は窓の覆いを閉めてからお辞儀をして出ていった。
「加藤さん、ここの座敷は秘匿構造にできるんです。ちょっと話に付き合って頂いてよろしいですか」
曖昧に頷いた。置いていった茶を佐々木が皆に淹れた。
「別に大した話じゃありません。我々若手で私的な勉強会を作ろうかと思っています。そこに民間の加藤さんにも参加頂きたいというお願いです」
「どういった勉強会ですか」
「国防や治安維持の自動化についてです」
「大したお話ですね。私などお役に立てそうにありませんが」
佐々木は抑えるような手振りをした。
「まあ、そう仰らずに聞いて下さい」
佐々木は勉強会の説明をした。警察庁や防衛省は黙っている。
「今の日本の状況では遠からず国防と治安維持の自動化は避けられないと見ています。世論は任務遂行中の死傷に対して、ますます厳しく指弾するようになるでしょう」
茶を一口飲む。
「しかし、加藤さんもご懸念の通り、ロボットが判断を誤って人を殺してしまったら、それこそ大臣クラスやCEOの首が一つ二つ飛ぶ程度では済みません」
加藤の顔を見る。
「避けられない自動化を受け入れて頂くためにはロボットに人間と同等、あるいはそれ以上の判断基準を与えなければならないと考えています」
「『倫理』ですか」
佐々木の顔を見返して言った。
「そうです。ロボット用の『倫理』です」
「最初の話に戻りますが、なぜ自動化は避けられないと考えておられますか」
「経済面からです」
「経済のみですか」
「重要です。金の不公平な配分は伝染病と同じで、多くの人々を殺します。平均寿命は八十九、健康寿命は八十二ですが、いずれも富裕層と貧困層では八年以上の差があります。これを放置しておくのは無責任です。そこで、解決策のひとつとして、公共サービスは可能な限り自動化したいのです」
「国防と治安維持をですか」
「それが我々に出来る事だからです。他の省庁でも同様の動きがあります。私達も明日すぐに実現できなくても、こうして集まって研究を進めておきたい」
「なぜ、私なのですか」
「加藤さんは常に慎重で懐疑的な視点を保ち続けておられるからです。CMSの方であるにも関わらず、FWUの自己組織化や自律については抑制的です」
「ブレーキ役ですか。私は」
「そう考えて下さって結構です。同じ思想の者ばかり集まって尖鋭化するのは避けたいですから。この勉強会が目指すのは急激な改革ではなく、変化に気づかせない程の軟着陸です」
加藤は頷いた。
「ご参加頂けると考えてよろしいですか」
「はい。で、早速ですが懸念点があります」
三人は注目した。
「創発している生体回路のスピードにどこまでついていけると思っておられますか」
「CMSさんは制御可能としていますよね」
警察庁が口を開いた。
「そうですが、修正しきれなくなったら回収して初期化するつもりの荒療治を制御可能だと言っているだけです」
「生体回路の研究はしました。他社製品に比べてユニークな特性を持っていますが、失礼ながら、そこまでの心配は不要でしょう」
防衛省が言った。加藤はそちらを見た。
「単体や小集団ではその通りです。しかし大集団で創発しています。佐々木さんに気象庁の時間を借りてもらって試算した結果はご覧になったと思いますが、仮想新宿区で人を引っ張っています。転倒させ得る程の力と勢いでした。それでもロボット達にとっては合理的判断だったのです」
「その点は修正されています。現実世界では発生しない」
佐々木が指摘した。
「そうですね。安全基本命令は厳守されるように修正されました。警察官が目視している場合を例外としてですが」
「今後、勉強を続け、明確な方針を作って行かなければなりませんね」
仲居が入ってきて窓の覆いを開けた。紅が空気の色を変えた。
帰り道、タクシーの窓から外を眺めていると、千代田区から新宿区にかけての国道沿いではFWUがほぼ等間隔で作業をしていた。緑の光は生物発光とは言え、さっきの梅に比べると人工的すぎるように感じられた。
「加藤さん。お久しぶりです」
昼を摂っていると岬がトレイを持って立っていた。微笑んで隣を指差す。
「ほんとに久しぶり。どう、調子は」
「色んな所まわってばかりで、朝起きたらどこにいるか確認する癖がつきました」
「そっか、岬さんは置き換えの担当か」
岬は麺をすすりながら、買収した会社を回り、栄養液を安く効率的に生産できるよう自動化を進め、可能であれば生体回路に置き換える仕事の話をした。
「大変じゃない?」
「でも、現場の人は技術者ですから、効率化については分かってくれますよ」
「今は何してるの」
「次行く所の事前準備です。情報収集とか。加藤さんは?」
「警視庁とあれこれ。Pタイプの調整」
「じゃ、私なんかより大変ですね。苦情ばかりで」
「そうでもないよ。苦情処理そのものはしてないしね」
「群れたら独自行動しますか。やっぱり」
「する。予想以上にする」
スープを全部飲んでしまうと、蜜柑をむいて加藤にも差し出した。
「ありがと」
「加藤さん、生体回路の新型の話、新情報とか持ってないですか」
首を振る。岬は失望した様子だった。
「じゃ、ただの噂なのかな」
「噂よ。研究中だけどそう簡単には実用にならないと思う。大幅な能力アップが見込めない割に扱いが難しすぎる。私は脊椎動物の神経細胞にこだわる必要はないと思ってる」
「癌化させて増殖の天井をなくせばどうです?」
「それは実験室レベルの話だし、今の、『黴と粘菌』方式を改良した方が楽で早くて儲かるよ」
「動物は儲からないか」
「どうしたの。こだわってるけど」
端末を見せてきた。書きかけの論文で、ざっと目を走らせると脊椎動物の神経細胞を用いた生体回路用の開発ツールがテーマだった。いくつかメモをつけて返す。
「これは続けた方がいいと思う。実用化が遠くても意味はある」
嬉しそうな顔をして蜜柑を頬張る岬と端末を交互に見ながら、加藤は言った。
「開発ツールの研究なら応用範囲も広いしね」
「ありがとうございます。話せて良かった」
昼が終わり、加藤と岬はそれぞれのフロアに別れた。
ひと足早く満開の桜が立ち並ぶ部屋に戻ると、画面を全てFWUの分析データに切り替えた。都市整備用の変わった行動が報告されており、最近目立ってきていたので独自に情報を集めていた。
特に注目すべき行動として、交通不便で災害の多い地区での備蓄行動が挙げられていた。自治体が災害に備えて作った倉庫をCMSも利用させてもらっているのだが、そこに栄養液や駆動液、補修部品を中央の頭脳群が判断した割り当て以上に蓄えている。災害の少ない隣接自治体から融通を受けており、その調整役が新たに生まれていた。
ロボット自体は配置された自治体の境を超えないが、栄養液や部品の受け渡しは可能だった。それを利用して災害多発地区を周囲の地区が援助する体制を発達させている。
また、調整に用いるため、近距離通信を遠距離通信にする工夫をしていた。晴れた夜間に山上の展望台などに数体が上り、同期して発光通信を行っている。照明の多い都市部では見られない行動だった。さらに、以前無効化された発光通信命令を再有効化し、発光器官全体を光らせて光量を増大させていた。これにより遠距離に即座に届く通信が実現され、自治体の境に縛られない補給体制の構築を容易にしていた。
他には国道や県道と言った主要な道路沿いに等間隔に並ぶ現象が観察されていた。急ぎの作業の無い個体が、都市部では数十メートルから数キロメートル、地方でも数キロから十数キロメートル間隔で列を作っていた。通信線を作っている可能性や、巡回補給車と効率よく接触する目的だと分析されていたが、詳細は不明だった。
しかし、本社は修正は行わないと決定した。いずれも独自の判断に基づく行動だが実害は無く、作業そのものは仕様通り実行されており、時間と費用をかけて修正するには及ばないという理由だった。
さらに、比較導入を行っているヨーロッパ諸国では他社より優秀な成績を納めており、それも修正不要の判断を後押ししていた。
「完全無人自動運転を認める州が増えました。北米大陸横断が可能になりましたよ。CMSさんと他二社が競っています」
勉強会『春告草』の集会場で佐々木が教えてくれた。
「昼の発表、見て頂けましたか」
防衛省が聞いてきた。
「見ました。もう仮想モデルが出来上がっているとは思いませんでした。早すぎませんか」
警察庁が答えた。加藤と佐々木も頷いた。防衛省が言葉を続ける。
「ええ、私のような末端でははっきりとは分からないのですが、CMS絡みの開発はかなり進んでいたようです。非公表で。皆さんも心当たりはないですか」
不安げな口調だった。
「今後のFWU導入を見越して追加装備を警視庁と揃えようと言う動きはあります。さらに車輌に生体回路を搭載する計画です。これは公表済みですが」
警察庁が答え、佐々木が続く。
「それはこちらも同じです。Pタイプとの連携をもっと強く深くします。車輌や交番の知能化です」
「それらの計画はCMS以外も候補に入っていますか」
加藤が聞いた。
「入っています。しかし、生体回路の経済性と効率性は超えられないでしょう。他社は値下げで勝負に出ていますが、無理が見え透いています」
根拠となる公報を示しながら佐々木が返答した。その脇では表示されたままの仮想の強化歩兵から線が伸びて各部を説明していた。
「極論を言えば、どこの会社がどのような装備を納入しようとかまわないんです。オン・オフスイッチを握っているのが人間の責任者なら」
警察庁がそう言いながら昔の漫画の画像を表示した。巨大な電子頭脳にぼろぼろの服を着た若者が爆弾を投げつけようとしている。他の三人は苦笑した。佐々木が言う。
「警察がテロ行為を推奨するのは穏やかじゃない」
「今は大丈夫です。少なくともCMS製品のスイッチは運用責任者が握っています」
加藤はそう答えたが、すぐに防衛省に反論された。
「運用責任者はFWUや生体回路の専門家ではありません。結局CMSさんに判断させるでしょう。その時、自社利益と公共の福祉が天秤にかかります。信頼できますか」
「それはこの『春告草』で決める事ではないでしょう。我々に出来るのは公表された事実を分かりやすく説明する事です。決めるのは有権者です」
佐々木が腕を組むアニメーションを表示させた。
「加藤さん、具体的にお願いします。どうしますか」
「公開の集会場を持ちましょう。『春告草』で勉強した結果を市井の人と共有しましょう」
加藤が手を動かし、その週の内に原型が出来上がった。集会場は『国防と治安維持の自動化を考える』と名付けられた。
運営者は立場を明らかにすべきだと主張したのは加藤と防衛省だったが、議論の末、個人情報は伏せて開始すると決まった。
開いてすぐはあまり話題にならなかった。ただの技術解説になっていた事と、公開された情報のみを根拠としていたため、独自取材をする報道関係や、噂でも取り上げる所に比べると面白さも刺激性も劣っていると自己分析した。
しかし、公開情報を寄せ集めて分析し、自己組織化したFWUの創発した行動の事例を元に人々に問いかけを発信していると、徐々にあちこちで議論が発生した。
また、問題点ばかり取り上げないようにもした。都市整備における人手不足は解消されつつあり、経済的には良い影響を与えている。治安面でも人の住む所で目が届かない地域はほとんど無くなると予想される。それも公報を元にして発信した。
「いい出だしじゃないですか」
佐々木が集会場の利用分析結果を見て言った。
「傾向としては、集会場を訪れてくれるより、一つ一つの論説が引用される方が多いようですね」
加藤が指摘し、皆軽く頷いた。
「特にこれ、『一社集中の是非』が注目されていますよ」
次々と反転強調される表を一時停止して警察庁が言った。防衛省が議論を蒸し返す。
「そろそろ我々の立場を明らかにしましょう」
「それは困る。睨まれます。はっきり言って古い体質の所ですから」
警察庁が本当に困っているような口調で返事した。
「公開情報のみを元に分析しているのにですか」
「意見を公にする事そのものを嫌います。うちもそうです。個人が強調されてはいけないのです。警察は」
反論する加藤に佐々木が言った。ため息のアニメーションがついていた。短い議論があり、結局公開せず今のまま運営を続けると決まった。
「それはそれとして、公報出たんですが、チップの件、解説必要ですよね」
警察庁がその公報を示した。ペイント弾に極小の追跡チップが加えられる。染料は無害だが、微粉状の追跡チップが目に入ったり、吸入されたりした時の健康被害が問題視されている。公報でも無害と言い切っておらず、顔面に多量に付着するなど状況によっては速やかな洗浄が必要とあった。それでも衛星追跡や遠距離からの追跡が可能になり、利点は大きいとしていた。
「警察官による直接の実力行使は昔からあり、社会的にも認められていると言えますが、これはどうでしょう。Pタイプが使うとなると反発が大きいでしょう」
「警察としてはどうです。反発が小さければ導入したいですか」
加藤が聞くと、迷ったように頷いた。
「追跡用の機器が使えるのは大きい。何とか無害に出来ないかと思います」
「この公報には医学的な情報が無いので何とも言えない。害と言ってもどのくらいなのか。例えば目に入ったとして、かゆみ程度か失明してしまうのか。それで世論も変わるでしょう」
防衛省が言うと佐々木も同意した。
「チップの大きさと材質から言うと非常に細かい砂くらいですね。洗浄すれば大丈夫だけど、強くこすったら視力に影響あるかもですし、多量の吸入は喉を痛めるかも知れません」
「導入の目的は公報にある通りでいいですか。追跡を容易にするためで」
さらに加藤が聞いた。
「ええ、地方での展開には不可欠と言えます。警察官が少なすぎるのをカバーできます」
「無人交番問題、解決できそうですか」
「それどころか、Pタイプが歩く交番になり得ます」
佐々木が最新のPタイプ開発ロードマップを表示した。CMSの社章も入っている。
「とりあえず、これは記事にしましょう。無害とは言えないが大いに役に立つ追跡チップの導入について、ですね」
加藤はさらに続けて言う。
「網の件もありますし、世論は実際に動く所を見てから反応するでしょう。仕様通りに動作した網を見てすらあの反発ですから、チップが害を与えたらどうなる事か読めません」
集会場で発表すると、意見は分かれた。警察官が実力を行使するのとどう違うのか、多少の怪我はやむを得ないだろうとする賛成がある一方で、都市整備用の行動を引いて、人間の予想のつかない使用方法を編み出したらどうするのか、これまでと同じく、わずかでも有害な装備を人間以外に行使させるのは不安だと言う反対もあった。
この議論がきっかけになって、警察庁は追跡チップに関する市民説明会を開き、集会場にはかなりの視聴者が集まった。しかし、警察庁はPタイプと同じくすでに導入が決まっている物だとする立場は崩さなかった。その説明会は言葉通り説明のみの会だった。
加藤は私的な時間を使って記事執筆と反応の分析を行っている。勤務時間が厳密に定められ、休暇も確実に取得できるせいで、いつの間にか運営者兼主筆のように扱われていた。
休日、久しぶりに空いた時間が出来たので散歩に出かけると、空気が緩んで来ているのを感じられた。冬服はまだ片付けられないが、木々の若芽が目に暖かい。
FWUは年中変わらない様子で活動している。暑さも寒さも関係ない。そういう風に作られていた。都市整備用の個体ごとに異なる色がくすんだ景色に鮮やかに映えている。Pタイプの白は冬の晴れた空のせいか、影に入ると青みがかって見えた。
冷えてきたので新宿駅から地下道だけをたどって百貨店に入り、春秋の薄いセーターを買ってからコーヒーを飲んだ。朝から端末を見ていない。今日は起床した時に思い立って十二時間ロックをかけていた。朝七時から夜七時まで入ってきた通信以外見ない。
店の看板や装飾は通り過ぎる度に何かを勧めてくる。性別や年齢から最も消費する階層だと判定しているようだ。鏡画面の中のマネキンが美化した加藤に変身して服やバッグを身に着けた。
眺めていると後ろをFWUが歩いていった。人混みをすり抜けているとまるで人間だが、前後がないのでそれまでと逆方向に進む瞬間に人と大きく違う動きになり、それが人々からFWUを浮き上がらせていた。
けれど、観察しているのは加藤くらいなもので、皆意識すらしていないようだった。街灯や歩道の柵のように、そこにあると分かっているが、いちいち注目しない物品だった。新宿は長く試験をしていたので特にそうなっていた。
ゴミを拾い、掃除をし、時には道案内をしたり、撮影の邪魔にならないように横にどいたりしている。Pタイプも数は少ないが、繁華街では目の隅のどこかにいた。
歩き出した時、悲鳴が聞こえた。若い男女が喧嘩をしている。女がバッグを振り回し、男が殴ったがふざけているようで、傍目に見てもどこか本気が感じられなかった。
Pタイプが急行して間に割って入り、片手で女を、もう片方で男を押し留める身振りをした。制止命令に関わらず、男が脅すように声を張り上げている。周囲の緊張は解け、にやにや笑う者もいた。
その時、男が腕をかいくぐってPタイプの腰の装備に手を伸ばした。次の瞬間、男は突き転ばされた。起き上がると意味の分からない声を張り上げてポケットから何かを取り出した。加藤の位置からはよく見えなかったが、人々が驚いて下がった。女が聞き取れない大声を出し、男は中腰で小さい尖った物を構えている。
囲む人々をかき分け、三体の都市整備用が現れたかと思うと、二体が素早く横から男の腕と腰のベルトをつかんで尻をつかせた。一体は女の前に立って動かないよう指示した。その速さは明らかに制限解除していた。Pタイプは再度制止を大音量で命令し、周囲の人々には解散するよう指示した。
警察官が到着し、男女は取り押さえられた。一人がその場でFWUをチェックし、念の為だろうか、記録ユニットのデータを手元の機器に保存した。
事件が終わり、人々のざわめきが静まっていく。加藤もその場を去った。背を丸め、胸をかばうように腕を組んだ。
少し歩いた所でベンチを見つけると腰を下ろし、パズルを解いて端末の十二時間ロックを解除した。今の事件のメモを取り、休みが明け次第行う事を思いつくままに書いた。
本社の研究チームは、都市整備用がPタイプの援助をしたのと実力行使したのは仕様の範囲内であると回答してきた。緊急時に徴用され警察業務を行っただけだと言う説明だった。
「徴用は誰が行ったのですか。警察官は現場におらず、到着は後からでしたが」
「Pタイプからの緊急連絡を受け、遠隔監視していた警察官が徴用しました。問い合わせのあった行動は正しい立場の人間の命令によるものです」
チームリーダーが言った。
「状況記録を頂けますか」
送られてきた記録は、本社研究チームの主張を裏付けるには不十分だった。
「もっと細かい時系列記録があるはずですが」
「いいえ、こちらから公開できる記録はそれだけです」
「しかし、これでは行動に先立って人間の命令があった証拠にはなりません」
返事が遅れた。
「加藤さんは、都市整備用の独自判断だったと考えているのですか」
「可能性はあります。ただ、証拠に基づいて結論を出したい。それだけです」
チームリーダーが横の画面を見て一言二言話し、加藤の上司が映った。
「済みません、割り込みます。加藤さん、今回のケースですが、都市整備用がPタイプへの援助を独自に判断していたなどと言う疑いが拡まるだけでも、ヨーロッパでの製品展開に影響が出るかも知れません。CMS社員として大局を見、冷静に行動するよう求めます」
「分かりますが、我々は世に送り出した製品について責任を負います。顧客に説明した仕様通りの動作かどうかもっと慎重な調査が必要です」
「それはあなたに教えてもらう必要はありません。我々は顧客の役に立ち、安全な製品とサービスを提供します。しかし、過剰品質は不要です。費用をかけてまで仕様をはるかに上回るような性能は今や誰も求めてはいません」
上司は深呼吸した。
「申し訳ありません。声を荒げるつもりはありませんでした。しかし、加藤さん、FWUは両タイプ共に日本社会に溶け込みつつあります。利益化の見通しも明るいものです。このまま一緒に頑張れればと思っています」
そう言って一方的に通信を切った。チームリーダーも簡単に挨拶すると通信を切った。急に暗くなった画面に写る自分の顔を見て、加藤はため息をついたが、すぐに佐々木を呼び出した。会議中で折り返すとの事だった。
「お待たせしました。新宿の件ですか」
「はい。現場にいました。そちらの現状を知りたくて」
「そうだったんですか。会議はその件でした。新宿と、青森、大分の事件です」
佐々木は言ってしまってから、あっという顔をした。
「青森と大分の件はここだけの話でお願いします。夕方の報道までは」
「分かりました。何があったのですか」
「備蓄倉庫に侵入しようとした者達を都市整備用が止めました。メディア向けの資料です」
青森では盗みに入ろうとした者がFWUによって警察官到着まで倉庫内に閉じ込められていた。大分では泥酔した若者三人が、こちらはふざけて侵入し、同様に閉じ込められていた。
「人間には触れていないのですね」
加藤はその点をまず確かめた。
「はい。しかし、青森では自動車をパンクさせ、大分では自転車三台のチェーンを切断しています」
「閉じ込める、とはどうやって?」
「両事件とも、備蓄倉庫の搬入口兼出入り口を二体で押さえていました。警察官到着まで三十分弱です。他の開口部や窓はありませんが、換気は十分でしたので害はありません。それと、移動手段は閉じ込める前に破壊しました」
「Pタイプの存在なしにそのような行動を取ったのですか」
「会議でもそこが問題になりました。事態の性質が新宿と異なるのか同じなのか。CMSさんは詳細な記録の公開を渋っているように感じられました」
佐々木は苛立っていた。
「新宿について、警視庁側の徴用の指示記録と防犯カメラ映像のタイムスタンプを突き合わせるとどうでしたか」
加藤は感情を抑えて聞いた。
「微妙です。どちらが先とも言える感じなのです。CMSさんから都市整備用の記録、できれば生データを提供頂かないと。青森と大分も同じです。公開頂いたデータでは行動の理由が分かりません。警察庁と県警は私以上に苛立っています」
佐々木は画面の向こうから加藤をじっと見た。
「加藤さん。推測で結構です。FWUに何が起こったと考えられますか。また、この三件の枠組みは同じなのですか」
「多分……。いいえ、済みません。この件については根拠のない憶測で無用の先入観を与えたくありません。私の立場で出来る限りの調査はします。情報は共有しましょう」
失望が佐々木の目に浮かんだように見えた。
「失礼ですが、加藤さんはどこまで知り得るお立場ですか。事は市民の安全に関わります」
何も答えられず、佐々木に別の通信が入ったので会話は終了した。
夕方の報道と同時にCMSのメディア発表があった。
新宿の件は加藤に説明したのと同じで、徴用による行動であるとし、仕様通りであると強調していた。
青森と大分の件については、FWUの自己保存命令が過度に発現した行動であり、備蓄倉庫内の補修部品なども自己保存の対象としたため、侵入警報に過剰に反応したと説明した。自己保存の基準は低くし、物品の破損については謝罪と補償を行ったと発表した。
また、いずれの件においても人間に対する安全基本命令は厳守されているのでFWUの運用や予定に変更は無いとした。
しかし、詳細な記録の公表を求める報道陣に対し、CMSはすでに情報公開法に定められたデータの公表は行ったとして拒否し、押し問答になると発表は終了した。
警察庁と県警は、CMSとさらに密な情報交換を行う体制を構築したいとしたが、Pタイプ導入についてはCMSの発表と同じく予定に変更は無いとした。
加藤はFWUの生産状況を呼び出した。すでに百五十万体が生産され、各大陸の倉庫に積み上がっている。日本には二十万体が割り当てられる予定で、内五万体がPタイプだった。
栄養液を始めとした消耗品の生産体制は出来上がりつつある。岬のような転換担当による生体回路への置き換えは予定通り進んでいた。
逆に、巡回補給車の完全無人自動化は一向に進んでいない。運輸や自動車メーカーなど業界の抵抗が予想以上に激しい上、車については保守的な世論が大勢を占めている。CMSの分析でもこの方面への影響力の行使は地ならし程度に留め、他へ注力した方が良いと結論されていた。
「全国へのPタイプ展開に伴い、栄養液補充に関しては都市整備用と連携を取ります。加藤さんには専用の命令群の作成をお願いします」
計画書の中の加藤が担当する部分を強調しながら言った。上司はウェストミンスター寺院を背負っている。FWUがゴミを拾っていた。
「都市整備用をPタイプのタンク役にするのですか。徴用なしで」
「そうです。東京だけならそこまでは不要なのですが、地方の場合は巡回補給車だけでは不足します」
資料の中の人口密度と都市分布の図が光った。大都市と地方の差は明らかだった。これをカバーするように巡回補給車や補給所を増やした場合の経費が表示される。
「栄養液補充のみとは言え、タイプによる区分がなくなります。命令群が混ざらないようにかなり強い壁を作って分離するようにします」
「あまり強い壁は不要です。計画書の末尾にありますが、管理費用をさらに節減するため、消耗品の共有化を行います。栄養液以外も共有させますのでそれを見越して開発して下さい」
首を傾げた。
「両タイプは本来全く別の役割を持つはずです。しかし、この計画では統一を目指しているように思えますが、方針変更と言う理解でよろしいですか」
「そう……、ですね。そう考えても良いでしょう。本当の所、日本支社のFWU開発への投資は非常に多額でした。膨大と言ってもいい。それを許してきたのは我々ですが、株主は見返りを要求し始めています。製品の性能を保ちつつ利益を上げなければなりません」
「顧客は納得しますか」
「日本では競合他社の影響力は小さい。納得して頂く事は容易でしょう」
加藤は上司の背後が切り替わり、老夫婦の家の前で雪かきをしているFWUの宣伝映像になったのを見ながら言う。
「そうでしょうか。とにかく命令群は作成します。顧客対応はお願いします」
「結構です。政治は本社の人間にまかせて下さい」
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