新年の挨拶を済ませると、徹は制御卓についた。壁のCMS日本支社の社章だけが真新しい。電子的な物ではなく、あえて実物が掲げられていた。

「あれ、大迫さん、元日からですか。おめでとうございます。今年もよろしく」

「おめでとうございます。うん、栄養液生産とか急に始まったから。見届けないと」

 処理工場の担当者と気楽に会話する。

「じゃ、帰省はしないんだ」

「今年はしない。そっちは?」

「私は地元だから。あ、栄養液は問題なし。量も質も。このレシピ、よく出来てますよ」

 追加された栄養液製造設備の操作、管理手順が別画面に表示されっぱなしになっていた。

「そろそろ搬入?」

「ええ、今来ました。今年一杯目の残飯です。じゃ」

 通信を終わった。カメラを切り替えると目に鮮やかな食品廃棄物が処理タンクに投入されていた。

 画面上の手順の該当箇所が反転強調される。全量が栄養液の原料になるので、微生物のカクテルもそれ用に調整されており、撹拌速度や温度管理も細かく決められていた。

 徹は数値がふらつく度に修正指示を与えた。当たり前だが、食品廃棄物は原料としては品質が安定していない。

「大迫、どう?」

「いつもの残飯です」

「その割にふらつきがすごいな」

「基準が変わったせいでしょう。でも大丈夫です」

 班長は頷き、話題を変えた。

「なあ、生体回路詳しいか」

「詳しいって程じゃありませんけど」

「この仕事、できそうか」

 軽い口調だったが、目は笑っていなかった。

「はい。できると思います、すぐにでも。今までと違って経済的に成り立つ程度にできます。だから後五年ですかね」

「買収の時の取り決めなんて意味ないさ。いくらでも破る手はある。せいぜい三年かな」

「転職考えないといけませんね」

 笑いながら班長は徹の画面に文書を投げた。

「休み取れよ。CMS基準だと我々皆働きすぎだそうだ。有休は年度内消化で頼むよ」

「誰がタンクのお守りするんです?」

 そう言ってにやりと笑った。

「そういう事だよ。人手不足は生体回路で補いましょう。で、次は人手そのものを減らしましょう、だ。経費節減、利益最大化。上に言われたよ」

 タンク内の食品廃棄物は色を失いつつあった。次の手順が強調されていた。

 帰宅時、歩道の雪はすっかりどけられ、歩くには不自由なかった。道の脇の雪に光が反射するせいか明るく感じる。寮に着くまでにPタイプと都市整備用を一体ずつ見かけた。本番の運用に入り、区内の都市整備用の数は減ったが、街の中心部では実感しない。

 風呂に入って体を暖め、夕食をさっさと済ませて集会場に入った。少し前から問題になっていた、ある地方都市で道路清掃用機器を操作し、空き地に人種差別的な印を描いた者が吊るし上げられ、追放される所だった。

『年明け早々、大変だ』

『C#7r2か。久しぶり。あけましておめでとう。ま、愚か者はいくらでもいるさ』

 アルファが話しかけてきた。徹も挨拶を返した。

『あけましておめでとう。雪かきを利用するのは面白かったのにな』

『発想が良くて、技術もそこそこあったのに、何で表現がああなっちゃうんだと思う?』

『単純に愚かだから、とは言えないな。人種差別とはね。都市芸術連合も潮時かも』

 そう言うと、皆が寄ってきた。

『C#7r2もそう思うのか』

『思う。活動理念の『システムをその意図された動作から逸脱させる事により』って部分がそもそも実現不可能になった。侵入に成功するのは昔のまま運用されてる呆けた機器ばかりだし』

『ついでに言えば、『システムの牢獄』ってのも存在するのかな』

 誰かがつぶやいた。賛成と反対の意見が渦を巻く。徹はこうなった時のいつもの習慣で、身を潜めて聞くだけになった。

 ひとしきり議論が起り、静かになった所でアルファが言った。

『今後の活動について考えなければならないようだ。都市芸術連合は存続する価値があるかどうか投票をお願いする』

 否定が大きく上回った。徹も否定派だった。

『ありがとう。結論が出た。この瞬間をもって都市芸術連合は解散する。今までありがとう。さようなら』

 集会場は消滅した。残った者たちは消えたり、新たな集団を形成しようとしたりした。徹も誘われたが断った。

『群れでいる価値なくなった』

 そこから抜け、C#7r2アカウントを廃棄した。その隙間の空いた画面の背景には明治神宮の初詣の様子を伝える報道が映っている。神社に続く歩道にはクッションジャケットをつけたPタイプの姿もあった。

 その週の休日、徹も散歩がてら近所の神社に寄って手を合わせた。末社の狐の前には油揚げだけでなく、ナンやタコスが供えられていた。

 日陰に残った雪は、昼を食べ終わる頃には盛り塩くらいに縮んでいた。学生時代の友人と会って寄席に行って楽しみ、喫茶店で雑談をして別れた。

「じゃあな」

「おう、また。次会う時はパパだな」

 友人は照れ笑いを浮かべて地下鉄の階段を降りて行った。

 見送ってから寮まで歩いた。日が沈みきってキノコ人間が光っている。目立たないが、存在に気づかないほどでもない。歩きながら識別番号を確かめるとすでに振り直されており、桁数が増えていた。ただし、変わったのは番号部分の桁数のみで、地域を示すような略号はなかった。

 部屋でCMSやキノコ人間に関する報道を見る。端末が自動的に集めた情報の見出しが一覧になっている。余計な装飾や動きは切っているので文字だけが無機質に並んでいた。

 米国の一部の州と中国、インドが車輌の公道での完全無人自動運転を認めるという記事が目を引いた。責任は人間の操作時と同じく運用している者が取るとの事だった。CMSは他社と同様に自動車メーカーと協力し、自動運転用の生体回路を提供する。

 また、英、独、仏などヨーロッパ諸国は日本と同型のキノコ人間の導入を決定した。今年中に都市整備用、将来はPタイプを検討していた。しかし、ヨーロッパでは、日本のようにCMS製品が短期間に大量に出回って事実上の標準になってしまう事に懸念があり、他社のロボットも並行して導入するため、経済的には大きな効果は無いと予想されていた。

 CMSのメディア発表には、軍事関連の具体的な予定が含まれていた。戦闘用の兵器開発は行わないが、陣地構築、基地間輸送と連絡、警備などを生体回路を組み込んだ自動機械で実現し、開発ツール込みでパッケージとして売り込みたいとしている。そのイメージ映像には日本で稼働中のPタイプが映っていた。

 興味を引いた記事をひと通り読んで折り畳み、新宿区のボランティアのリストを表示させた。機器や端末操作が無く、体を動かす仕事に絞り込んだ。

 すると、神社の除草、清掃作業が数件出てきた。日付と場所が一番近い所に申し込む。募集の背景を説明した文書を読むと、宮司や氏子が高齢化かつ減少しており、収入も少なく草刈りすらままならない。かといって作業の自動化には抵抗感があるらしく、氏子の区域外の方であってもボランティアを募集するとあった。

 作業日の朝は昨夜から晴れたため冷えた。境内には十人程集まったが、徹は場違いなほど若かった。

 白い息を吐きながら高齢の宮司がにこやかに口頭で作業の説明をする。声は小さく、度々脱線して要領を得ない。枯れた雑草や落ち葉を掃除して残留性の除草剤を撒くと言うだけなのだが、感謝の言葉や、本来なら除草剤はもっと早く撒かないといけないのですが、などと一項目ごとに寄り道する。しかし、それを聞く方もにこにこと頷いていた。

 作業が始まった。徹は道具やゴミを運んだり、猫車を押す仕事を進んでするようにした。他の老人達はしゃがんだり立ち上がったりするだけでもゆっくりとした動作だった。比べてはいけないが、初期試験段階のキノコ人間を思わせた。

「お兄ちゃんいくつ」

「二十五、今年で六です」

「出身は」

「和歌山です」

「そうかあ、ちょっと言葉が違うなって思ったら」

 しゃがんで枯れた草を根ごとほじくっていると、親しげに話しかけてきた。歩くのに苦労するようだったが、逆に手は草取りに慣れていない徹より器用に動いた。

「ここらへんに住んでるの」

「ええ、会社の寮です」

 手は皺だらけで染みもあった。その動きを真似すると雑草がきれいに取れた。

「そっか、和歌山から出てきたのか。正月は帰ったの」

「いいえ、いつもは帰るんですけど、年末年始忙しくて」

「そりゃご両親寂しいでしょうに。ま、うちの子も帰ってこないけど」

「お子さんはどちらへ?」

 その質問が何かの引き金を引いてしまったらしく、中国で家庭を持ち、仕事をしている娘の話をずっと聞かされた。けれど、手は止まらない。地面を這うように草を取り、通過した後にはすっきりとした地面を残した。

「毎日顔見られるからいいけど、やっぱり一緒にお茶飲みたいね」

 十時頃休憩になり、配られた熱いお茶を飲んでせんべいをつまんだ。温かい湯呑が手に心地良い。

 神社の外をキノコ人間が通り過ぎていった。それを見て一人が言う。

「なんで人の形なんだろうな。どうしても馴染めない。夜にすれ違うとなんか怖いよ」

「街中で作業するには人型がいいらしいとか何とか聞いたけど、よく分かんない理屈だった」

「俺の若い頃は実用のロボットと言ったらキャタピラか車輪だった。足のもあったけど使い物にならなかったな。人型は映画とか空想の世界の物だったよ」

 大きく塩辛いせんべいを噛み割る音が境内に拡がって消えた。休憩は終わり、除草剤を撒くのでマスクが配られた。宮司の指示に従って顆粒をばらまいていく。

 それで作業は終わったが、皆残って仕上げに境内の掃き掃除をした。キノコ人間にやらせれば一体で数時間で終わる仕事を十人程で半日かけた。慣れない作業でいつもと違う筋肉を動かしたので背中や腰、太ももが張ったような感じがする。

 帰り道、徹は次のボランティア作業に申し込んだ。

 夜、寝転がっていくつもあるアカウントそれぞれに入ってくるメッセージを読むと、都市芸術連合の解散は過去の話題になっていた。キノコ人間に対する干渉は子供や若者によるいたずらばかりになっていた。

 周囲に立ちふさがったり、何かしようとしたところで制止の声をかけたり、矛盾を含んだ質問をしたりしている。

 しかし、それもすぐに対応された。困った状況におかれたキノコ人間は周囲の大人やPタイプに助けを求めた。

 興味深いのは、その際に肩をすくめるようにしたり、身を縮めるような姿勢を取ったりする事だった。どこでどの個体が始めたのか分からないが、自分を弱く、一方的な攻撃を受けているように見せており、それは突っ立ったまま助けを求めるより効果的だった。「いじめてはいけません」や「かわいそうでしょ」と叱る声がよく聞かれた。

 多くの群れが、他にも都市整備用の行動の変化を報告していた。人間に対して影響を及ぼす動作はすぐに共有された。それらは主に自分を弱い立場であると見せかける方向に進んでいると分析されていた。

 別のメッセージは警視庁の発表を伝えた。世論が落ち着いてきたとして、網の投射装置が装備として戻された。また、警察官との連携を強化するため、警察の特殊部隊や国防軍のハンドシグナルを参考にしたPタイプ用ハンドシグナルが開発され、設定された。これは初詣の警備時、命令や情報伝達に予想外の困難が見られたためと背景説明があった。

 なお、一部の政治団体は、このハンドシグナルの開発や訓練に国防軍が協力した点を重く見て抗議をしている。

 警視庁と国防軍の関係については徹は全く分からないので、そういう協力をするものなのかと雑談目的の集会場に公開質問を投げると、どうやら国防軍は装備の知能化、自動化を検討段階から導入へと進めるつもりらしいと言う情報が入ってきた。

『それはCMSの発表にあったけど、戦闘用の兵器開発はしないんじゃなかった?』

 徹がそう発言すると、別の者が答える。

『国防軍は人間の能力強化を目指してる。そりゃ、人殺しの判断は人間以外にはできないけど、判断のための情報収集や、判断後の実力行使をロボット化するつもりだよ。どこも人手不足だから』

『どういう意味?』

『要はロボットの皮をかぶった兵士。それによって筋力などの体力、知覚力を増強する計画。ハイブリッド。一人で十人分』

『そんなの、遠隔操作でいいじゃない』

『簡単に妨害される。軍には専門の部隊があるし。電子防御に手間がかかって信頼できない遠隔操作ロボット使うくらいなら強化した人間の方がいい』

『兵器開発ってそんな事になってたのか。参考になった。ありがと』

 礼を言った。その後も雑談が続き、技術が高度に進んでも人殺しの判断は人間が行わなければならず、そこに自律兵器の限界があるという話になり、徹は興味深く聞いた。

 けれど、Pタイプの運用データが兵器開発にも応用されると言うのは面白くなかった。治安維持は結構だが、都民を使った実験にもなり得る。そう言ったら返事があった。

『もう始まってるよ、国民も使った実験。CMSは都市整備用のデータも集めてるから。組織改編で出来た軍事開発部門に流れ込んでる』

『あいつら、何をする気?』

 誰かが口を挟んだ。

『総合的なサービス。通常は都市整備と治安維持。戦地では作戦行動の補助。戦後の復興。まとめて面倒を見るつもりなんじゃないかな』

『平時と戦時、どっちでも利益になるね』

 その発言から企業倫理についての議論が始まったので抜けた。

 翌朝、出社すると技術者を紹介された。岬静江と言い、ひとつ年上だった。業務を生体回路に行わせるために作業の分析を行うとの事だった。おとなしい、と言うか暗い人物だった。

「仕方ないよね、あの仕事じゃどこ行っても好かれないし。本人も分かってるみたい」

 休憩の時に同僚と話した。皆どう扱っていいのか迷っている。飲みに誘ってもいいものだろうか。

「まあ、止めとこうよ。お互い気まずいし」

 徹は曖昧に頷いた。

 しかし、班長はその週末誘った。班の数人は欠席したが、徹は出た。班長馴染みの居酒屋に行った。岬は班長と徹に挟まれている。

 最初はおとなしかったが、結構飲める方で、その内に口が滑らかになってきた。主に班長が話をした。

「へえ、岬さんはキノコ人間作ってたんだ」

「研究チームの下っ端ですよ」

 ゴミ識別アルゴリズムの最適化を担当していたと話してくれた。徹も程よく酔った所で話しかけた。

「生体回路って扱いやすい?」

「うーん、どうでしょうね。電子回路の方が枯れてて扱いやすいんですけど、生体回路は自分で育つから見てて面白いんですよ」

「なんだかイメージできないな。回路自体が自分を組み替えるなんて」

「それどころか、いらない部分は溶かしちゃいますよ」

「何それ、生きてるの?」

 皆も酔ってきたせいか、周りから普通に話しかけてきた。

「いや、生き物ではないですね。元にはなってますけど。生殖しないし」

「ちょっと高いよね」

「ええ、演算能力あたりでは高いんですが、結局は安くつきますよ。業務に合わせて回路自体が最適化されますから」

「おいおい、いつの間に商談会になったんだ。皆飲んでるか、肴足りてる?」

 班長が言い、話題が変わった。

「へぇ、大迫さんボランティアやってるんですか」

 休日何をしているかというお決まりの質問にそれぞれが答えていき、岬は徹が言ったボランティアに興味をひかれたようだった。

「最近始めたんだけど。神社の掃除とか、人手不足なのに自動化したがらない所ってまだまだあるから」

「だよな。宗教関係なんか特にそうだな。本当は信者がやってたのにもういないか年寄りばっかりだから」

 班長が感心したように言い、聞いてくる。

「何で急に信心深くなったんだ。大迫」

「いや、信心じゃないですよ。体動かしたかっただけ。でもスポーツは嫌だし、これはやった跡が分かりやすいから」

「端末とか使わない仕事か。良さそうですね」

「うん、手で草むしるのが新鮮。あれでもコツがあるってやってみて初めて分かった」

 仕草をやってみせる。

「こうすると無駄な動きばかりで草の上をちぎるだけになるから、こうやって根ごとむしらなきゃならないんですよ」

 岬も聞きながら同じように手を動かしている。

「後、竹ぼうきの使い方とかね。ちゃんと掃かないと落ち葉を散らかすばかりになっちゃって」

「誰か教えてくれるんですか」

「見様見真似。自分以外皆お年寄りで、そういうのって出来て当たり前って感じ。教えようって考えにもならないみたい」

「マニュアルなしの仕事ですか」

「ない。全くない」

 岬は笑い、徹も皆も笑った。

 お開きになった後、また飲み直す連中や駅に向かう人を見送り、徹は寮に帰った。

 週が明けると岬と班の距離は少し縮まっていた。けれど薄くなっても壁は壁として存在していた。そんな事を気にもかけていない様子で班長を通じてメッセージを飛ばし、業務の不明点や、マニュアルの記載と異なっている手順を確認してきた。それを生体回路用の命令に組み上げ、仮想工場で動かしている。異常発生時の処理も行わせるようで、値のふらつきを処理する大迫や同僚の記録は全て取り込んでいた。

 十日もしない内に生体回路は制御卓に接続され、実地試験に入った。当初は徹達の班のほうが圧倒的に成績が良かったが、すぐに突発的な異常発生時以外はまかせておいてもいいくらいになった。ただ、班長からすればまだ不安らしく、放置しないで肩越しに覗いておくよう指示された。

 数日後、成績を見た部長から業務指示があり、今後、廃棄物分解と栄養液生産は自動化される事となった。徹達の班は買収時の取り決めによる期間、現在の地位は保証されるが、今後は管理や監視業務および非常時のバックアップとしての勤務となる。

 なお、CMS日本支社内での別業務への希望があれば研修などを含めて優先的に考慮される、とそこだけ強調されていた。

「別業務って?」

 徹は昼の休憩時、班の先輩に言った。答えは分かっており、問うつもりのない問いだった。

「巡回補給車の運転。苦情の受付。その他法律やら何やらで人間でないと出来ない仕事。楽しいぞ」

 先輩は平板な口調でつぶやくように答えた。

「こんなに自動化されてるのに何で『わが生活楽にならざり』なんでしょうね」

「不完全な自動化だから。そんなの分かってるだろ」

 頷いた。熱い茶をすする。

「CMSに買われて急に動き出しましたね。やろうと思えば前にも出来ただろうに」

「うちは組合強かったから。大迫が入る前なんか触れるべからず、みたいな雰囲気あったし」

 先輩も茶を飲んだ。

「それにしても半月ほどで追いつかれるとはな。事前準備してたんだろうけど。どう思う。大迫」

「少しは事前準備もあったと思いますけど、たった半月って言うのも人間の感覚にすぎませんから」

 そういう徹から先輩は目を背けた。

「だよな」

 茶の残りを捨て、二人は仕事に戻った。

 制御の仕事が無くなり、管制室は画面が目立つようなレイアウトになった。徹達は廃棄物搬入時の確認連絡や、測定データの監視を行っている。値のふらつきの幅は小さくなっていた。生体回路は、単に許容範囲内に収めておけばいいと言うような制御ではなく、ふらつきそのものを小さくしようとしているのが見て取れた。

「かなり優秀だな」

 班長が言った。

「そうですね。変な表現ですが努力しているように見えます。許容範囲内に入ってれば合格なのに、それ以上を目指しているみたいだ」

「大迫、考えすぎだぞ」

 苦笑いしている。

 公園の梅の蕾が柔らかく膨らみ始めた頃、岬は業務を終えて別の製造会社へ行った。最終日の休憩時間、徹は呼び止められて話をした。

「お世話になりました」

「いや、そんな。データ渡しただけです」

「でも、大迫さんの安定させるテクニックはだいぶ参考にしたんですよ」

「お役に立てたみたいで良かった」

「あの、大迫さんは生体回路詳しいんですか」

「そうでもないですよ。皆と同じくらい」

 岬は少し考えた。

「前に、努力してるように見える、とか班長と話してなかったですか」

「ああ、ええ、しました。確か、ふらつきの処理の仕方に感心したんでした」

「何だか生体回路の本質を言い当てられたみたいで印象に残りました」

「そうなんですか」

 休憩室の茶は熱すぎた。少しずつすする。

「生体回路って命令を忠実に実行するだけじゃなく、命令の目的に向かって最適化する性質があるので、努力するって言うのはぴったりです。で、そんな表現ができるのは勉強されたのかなって思ったんです」

「必要に応じて論文とか目を通しただけです。自分の代わりの機械ってどんなだろうって」

 茶をすすった岬は顔をしかめた。

「大丈夫ですか。今日は特に熱いから」

「熱すぎ。それで、技術者として言いますが、『自分の代わりの機械』なんて考えないで下さい」

「でもそうでしょ?」

 小さく首を振った。

「ある人が仕事をしていて、それと同じ仕事ができる機械があるからって、その人と機械はイコールでは結べません」

「理屈はそうですが、何を言いたいんですか」

「済みません。説教がましくて。私は楽観的に見てるんです。科学技術については」

「私だってそうです。いずれ科学技術は人々を幸せにします。『いずれ』がいつまでたっても来ないだけで」

 冷めてきた茶を飲んだ。それを見て岬も飲んだ。

「シニカルすぎました。当てこすりとか、悪気はありません」

「生体回路とか、FWUとか、自分の関わった技術が歓迎されてないのを感じるのは辛いです。そこに大迫さんが『努力してるように見える』って言って下さって嬉しかった」

「両方共喜ばれてるじゃないですか。私のような者は昔からいますよ。新しい技術が普及していく過程では」

 休憩時間が終わろうとしていた。周りの人々は湯呑を返して部屋を出ていっている。岬も立ち上がった。

「岬さん。『自分の代わりの機械』ってのは取り消します。イコールで結べないって言ってくれてありがとう」

 頷いて微笑んだ。徹も微笑んだ。

 休日、梅の花がわずかに開いた神社の境内で草をむしっていると話しかけられた。

「お兄ちゃん、ここの氏子さん?」

「いいえ、ボランティアの募集見て来たんですよ」

「そうか、そうだよねえ。こんな若い子がいたなんて知らなかったから。それにしても草むしり上手いね」

「見様見真似で。やってる内に覚えました」

「それでいいよ。仕事ってそうやって身につけるものだから」

 お年寄りは徹の肩に落ちた梅の花を払ってくれた。キノコ人間が外を歩いていく。

「いずれ、あれが境内の掃除する日が来るんだろうね。私はいないだろうけど」

 背中を暖める日光が心地よく、草を抜く度に土の匂いがした。おやつに砂糖醤油をかけた甘辛せんべいを食べ、竹ぼうきで掃き掃除をする。花びらまで掃いてしまうのは惜しい気がして、そう言うと老人達は笑った。

「そういうのが俳句の境地なんだろうね」

「作れるのかい?」

「俺にゃそんな風流は無理」

 また笑った。

 その夜、防衛省とCMSは、次期歩兵用装備について共同で開発を行うとメディア発表を行った。CMSが選ばれたのはFWUや生体回路の実績を認められての事で、開発に当たっては都市整備用やPタイプの運用で得られたデータが用いられると公式に認めた。

 記者からは防衛装備の開発がほぼCMSの独占になる点に質問が集中したが、数社に分担させるのは運用や予算面で非効率過ぎると判断したと回答された。

 徹は風呂上がりの髪を乾かしながら質疑応答を見ていたが、集会場で話題になっていた以上の新事実は無かった。その新鮮味の無さ故にどのメディアもトップでは扱っていなかった。

「兵士の肉体、知覚能力を拡大し、最適な判断と行動を瞬時に行い得る仕組みを整え、もって国家防衛に資するものであります」

 担当者が淡々と説明している。ベッドに寝転がった。慣れたとは言え背中と腰に少し痛みが残っている。そのまま夢も見ず寝てしまった。

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