店の飾りは、ハロウィン物が取り払われ、クリスマス物に切り替わった。加藤はサンタ帽やトナカイの角をかぶせられたロボットを見かけた。今年は特別に、知覚や動作を妨げない限りは除去しないように設定した。ハロウィンの時は即座に脱ぎ捨てたが、それが思わぬ不評を買ったためだった。

 その飾りのせいで前後左右のないデザインが損なわれているが、それよりも人々が楽しんでいるのが微笑ましかった。ロボット自体の動作は変わらないので、動きによってはストリートパフォーマンスのように見える。

 社内もクリスマス仕様になっていた。受付にはツリーがあり、トナカイの曳くソリが壁画面を飛びながらCMS関連の報道や株価情報などを表示していた。

 加藤の部屋はそういったクリスマスからは隔離されていた。警視庁と繋がっているので、CMSの電子的飾り付けは届かない。ちょっと寂しいので、正面の壁に山小屋の映像を映した。暖炉が勢いよく燃え、外は一面真っ白だった。

 机の画面には台風後のFWUの行動を再度まとめた資料が流れている。災害直後から今までのFWUの異常動作が原因とともに表になっていた。原因のほとんどすべては、控えめに言っても慌ただしい命令や設定の変更にあった。

 表中のどの異常も些細なもので、重大な損害を与えた事例はなかった。とは言え、前のチームと組み上げたゴミ識別アルゴリズムは正確性を欠くようになったし、動作の切り替え時に必要以上の時間直立してしまう無駄が発生していた。

 不安にかられる異常もあった。都市整備用がPタイプの動作を行う事例が少数発生している。創発に関する試算が不十分なまま栄養液の融通を行わせた上、警視庁は実地試験の名目で手持ちのPタイプを現場投入した。その際にPタイプの命令群が都市整備用に流れて混じり合ったためと考えられた。

 命令群は今だに取り除けていない。生体回路はそのまま成長を続け、今後除去する目途も立っていなかった。

 加藤としては運用が開始される前に全回収して初期基盤と交換したかったが、警視庁側は費用負担を渋った。そのせいもあってCMS本社は初期化の必要は無いとし、日本支社もそのような作業は困難であるとした。表にはそのやり取りも添付した。

「そこまで深刻な問題ではないと思いますが。重大な事例はありませんし。数は多いですが一つ一つ潰していけば解決するでしょう。CMSさんも初期化不要と言う判断ですよね」

 佐々木は送った表を見ながら言った。

「ええ、ただし、本来なら生じていないような問題が発生している点は心に留めておいて下さい」

「台風の対応でやむを得ませんし、今後もこのような事態はあるでしょう。災害の度に初期化するような運用の方が現実的ではない」

 加藤は黙り、佐々木はさらに言葉を重ねた。

「そこでなんですが、以前お話した創発について、抑制ではなく利用する方向で検討してはどうでしょうか。制御できる創発であれば有用でしょう」

「しかし、試算ができません。いきなり実地試験は乱暴すぎます」

 佐々木は微笑んだ。

「今、資料を送りました。一時間取りましたよ」

 画面に気象庁の書類が表示された。予報に使われている頭脳群の余剰計算時間の使用申請で、許可の印が大きく押されていた。

「どうやって」

「あの台風のおかげ、と言ったら不謹慎ですが、都市部における公共物破損と避難誘導の研究を目的として警察全体で三十時間借りました。うち一時間が我々のものです。足りますか」

 加藤も微笑んだ。

「十分です。素晴らしい」

「お役に立てて良かった。では、お使い下さい」

 会議を終えると、加藤は本社の研究所と共に、試算の計画を気象庁の頭脳群の能力に合わせて修正し始めた。頭脳群の能力はCMSのそれをはるかに超えるため、かなり高度な試算が可能になった。

 仮想新宿区に仮想FWUを一万数百体、これは最高度に精細なモデルにする。それと少し荒くするが、仮想日本全体に百万体。いずれも都市整備用とPタイプを混合して配置する。人間の反応などについては警察の標準モデルを利用させてもらう。

 仮想FWUは中央の頭脳群から切り離され、与えられた命令から目的を抽出し、行動を自主的に決定する。

 そうしている内にただの集団ではなくなって創発するだろうが、それはいつ、どのようなきっかけか調べる。また、命令によらない目的の生成がある場合、どのように発生するのかも確認する。

 さらに、最重要課題として、安全基本命令が犯されないか一体単位で見極める。

 出来上がった計画を本社と佐々木に送った。チェック完了次第気象庁で実行させる。

 壁では暖炉が燃え続け、薪が崩れ、足されていた。そこに三度目の勤務警告が表示され、加藤は社を追い出された。これ以上の残業は出来ないし、出社まで十二時間以上空けなければならない。端末の方にその旨の注意メッセージが届いていた。

 計画は、ほんの少し修正指示があっただけでほぼ提出したまま通った。指示のあった箇所を直し、再度見てもらい、それから気象庁に送って実行した。

 一時間後、生のデータが返ってきた。加藤は結果をまとめ、表とアニメーションにして検討を始めた。これには日数を要しそうだった。

 仮想新宿区と日本でそれぞれ十日間分の試算を五千回ずつ行った内、六から十二時間で創発状態になる確率は九十パーセントを超えていた。仮想新宿区でも日本でも変わりなかった。二十四時間を超えるとすべての試行で創発した。

 きっかけは栄養液補給に伴う事が大半を占めた。効率よく業務をこなすために融通しあう状況下で、タンク役を割り振る仕組みが自然発生した。

 加藤はアリの群れに例えて考えてみた。仮想FWUは働きアリとタンクアリに分かれて中小の集団となった。それらは大集団を形作り、集団間で近距離通信を担う伝令アリが生じた。一部の試行では、伝令アリの中から業務の割り振りや補給車の呼び出しに特化した調整アリが出てきた。調整アリは作業や移動を行わず、栄養液をほとんど消費しなかった。

 命令によらない自主的な目的の生成は、二十四時間以内だと試行の約四十パーセントで見られ、四十八時間を超えると九十パーセント台になった。特にPタイプを中心としており、防犯や警備を理由として一般の建造物への立ち入りや私有地内での映像記録が行われた。それが都市整備用にも伝わり、ゴミ収集などで私有地境界線内に立ち入る個体が出現した。

 表にメモをつけながら読んでいる加藤の手が止まった。仮想新宿区での試行で一件、安全基本命令違反があった。Pタイプが逃亡者に対してペイント弾の投射体勢に入り、近距離通信で補助を要求した。その命令を都市整備用が受信し、市民を射線からどかせるために引っ張っていた。かなり強い力で、アニメーションでは再現できていなかったが、実世界であれば転倒させていたと思われた。二体とも警告音声は発していなかった。その判断理由として、音声による警告では間に合わないと判定した、とあった。

「CMSさんはどうされますか」

 中間結果を送ると佐々木が連絡してきた。加藤は表のいくつかの部分を強調しながら答えた。

「安全基本命令について、例外なしの厳守としなければなりません。そもそもこのような違反が生じたのは警視庁の要求仕様にしたがってPタイプを作成したためです。修正する場合はPタイプの仕様変更が必要ですが、警視庁側の了承は得られますか」

「その仕様は警察業務のためのものです。都市整備用に抑制策を組み込めませんか」

「しかし、都市整備用を警察が徴用すれば、Pタイプの命令群が伝わります。創発下では試算のような状況が生じます」

「分かりました。関係者で相談します。資料を見せても構いませんか」

「結構です。お願いします」

 夕方頃、佐々木は再度連絡してきた。仕様変更が認められ、Pタイプも安全基本命令を厳守する。ただし、警察官が目視にて状況を把握している場合は例外とし、従来の行動を行うようにする。

「これでどうですか」

「上に提案しますが、警察官がFWUのお目付け役になるのですね」

「ええ、現実的には人間を超える監視役はいないでしょうから」

 頷いて資料を上司に送って検討を依頼した。画面の中の佐々木に目を戻して言う。

「それでも、FWUが自主的に動いてくれれば、全体の効率、特に管理に要する手間と時間はかなり削減されるでしょう」

「試算は十日分だけですが、五日目以降は安定していますね。これがずっと続きますか」

「そう考えています。創発は早期に完了します。人間のスケールではイメージしにくいですが」

 佐々木は笑った。

「本当にそうですね。FWUのスピードにどこまでついていけるかな。では、仕様変更の件、また連絡下さい」

 通信画面が暗くなり、試算のアニメーションに戻った。手なぐさみのようにスケールを切り替えると、FWU一体から日本全国を覆う様々な色の光点になり、ゆっくりくっついたり離れたりしたかと思えば、フライパンの中の豆のように跳ね回った。

 また表示を一体単位の実時間に戻すと、仮想新宿区の雑踏を器用にすり抜けてゴミを拾うロボットがいたり、保守作業中の防犯カメラ代わりに立っているPタイプがいたりした。

 仕様変更は認められた。安全基本命令は、警察官存在下での例外を除き、FWUのタイプに関わりなく絶対的な命令となった。本社が次回定期更新で配布する予定。警視庁と佐々木には本社が連絡していた。

 一息つくと、試算の結果評価に戻った。アニメーションの点の位置と動きで、それぞれがどのような役割を振られたのか大体分かった。中間報告に付け足すような事実は無く、その日は定時で帰宅した。

「これは急な変更ですね。なぜですか」

 翌日出社して、届いていたメッセージを読むなり佐々木に連絡した。まるでそれを予想していたかのようにすぐ繋がった。

「変更ではありません。目視、という言葉の解釈をはっきりさせただけです」

「遠隔監視、しかも人工知能を通す間接監視でも目視になると言うのは、解釈をはっきりさせた、程度ではないと思いますが」

「現実的な修正です。Pタイプ出動の度に警察官をつけるのは状況によっては難しいでしょう」

「それは分かっていたはずです。安全基本命令に関わります。もっと慎重になるべきです」

 佐々木は腕を組んだ。

「どう違うのですか。その場にいるのと遠隔監視は。最終判断は警察官が行うのは変わりません」

 加藤も腕を組んだ。

「FWU自身が、今自分を監視しているのが人間かどうかという確証を得にくくなります。場合によっては独自に判断してしまう可能性があります」

「場合によっては、とは?」

「災害など、指揮命令系統が混乱した場合です」

「しかし、そういう場合こそ直接的な監視は現実的でないでしょう」

「では、なぜ仕様変更に同意頂いたのですか」

「繰り返しになりますが、安全基本命令を絶対化する事には同意しましたし、そのように変更されます。変わったのは運用における『目視』の定義のみです。小さな変更です」

「小さいと言われましたが、ロボットの安全基本命令は監視下にあるかどうかで適用の仕方が変わるようにされました。私はこれにそもそも反対だったのですが、その場に警察官が存在するという条件で同意しました。その条件である『目視』の定義を変更するのは決して小さくはありません」

「これは警視庁だけではなく、CMSさんも了承済みです。加藤さんだけ足並みを揃えて頂けないのは困ります」

 黙ってしまった加藤を見、佐々木は腕をほどいた。

「申し訳ありませんが、これから会議ですので。上の方ともご相談下さい。失礼します」

 暗くなった通信画面を見、上司に繋ごうとしたが、こちらは結構待たされた。

 結局、上司は佐々木の話を再確認しただけだった。目視の定義の変更は警視庁と本社で決定され、それを盛り込んで作成された命令は次回更新で配布される。加藤の役目は警視庁内で安定した運用ができるよう研究する事であり、事後の連絡になった点は申し訳ないが、今回のような定義や条件変更の決定部分に関わらなくてもおかしくはない。今後も警視庁の要望を汲み上げ、共同で成果をあげるよう期待する。また、意見具申は変わらず歓迎する。

 そんな話を長々と聞かされた。加藤は反論せず黙っていたが、最後に確認した。

「この仕様変更の経緯は公開されるのですか」

「いいえ、されません。日本の情報公開法の公開範囲には含まれないと言うのが法務担当の結論です」

「製品の安全に関わる事実ではないのですか」

「結論の根拠が必要であれば、法務から連絡させましょうか」

 首を振った。上司は貰った連絡で悪いがと断りを入れ、その他の業務について通りいっぺんの確認をした後、通信を終えた。

 ため息をつくと、佐々木宛に、今回の変更について上司に確認し、目視の定義変更について理解したとメッセージを送った。

 その日のおやつはチョコレートがたっぷりかかったドーナツとキャラメルマキアートにした。端末は支払い情報からカロリーを計算したが、表示するかと聞いてきた所でキャンセルした。

 仕事に戻り、試算結果の評価を始めたが調子が出ず、その前に雑務を片付けた。『後で処理』ボックスに放り込んだ件が多くなりすぎ、あふれるアニメーションがうるさくなっていた。頭は使わなくていいが思ったより時間がかかり、ボックスを空にした頃には壁の景色は夕方になっていた。

 水を一口飲む。画面を整理し、台風後の行動の再評価と試算結果を呼び出して並べた。

 台風後の行動記録をもう一度見直し、ゴミ識別アルゴリズムが正常に働かなかった事例を拾っていく。改めて確認しても、災害後に散乱した物の判定にかなりの迷いが生じているのが見て取れた。遺失物として報告する判断も一貫性に欠け、対応にばらつきがあった。

 さらに、Pタイプは放置された物品の大きさや形状によっては要警戒物品として報告を行うが、その命令群が流入した都市整備用はゴミ識別に長時間を要する傾向があった。要警戒物品判定とゴミ識別アルゴリズムがお互いに干渉しあっている。

 試算にはそのような災害後の活動は組み込まれていない。創発した集団は自主的に判断して役割を分担し、目的を生成して作業していた。私有地への立ち入りなど問題行動はあるが、判定そのものに遅延は見られなかった。

「原因は警察業務用の命令群ですか」

 上司は難しい顔をしている。

 十一月下旬、最終結果をまとめて研究所に送り、作成中の自律判断抑制策では限界があり、特に災害など緊急時の活動に問題があると伝えた三日後、上司から連絡が入った。加藤は報告の結論を繰り返した。

「誰が悪いというのではありません。警察の業務と都市整備に求められる行動や判断基準が我々の想定を超えて異なっていたのです。創発した群れにとって、ごみ拾いしながら犯罪者追跡は何らかの問題行動を生じさせます」

「解決策は?」

「はい。まずは警察業務用と都市整備用は完全に別系統のロボットとして運用する事。あるいは創発させず、判断はあくまで中央の頭脳群が行う事。それか、警察用の業務内容を簡易な内容に見直し、移動型の防犯カメラ程度の運用とする事などが考えられます」

「いずれも顧客は満足しないか、我々の利益を削りますね」

「不安定な要素のあるFWUを投入した場合、さらなる問題発生があり得ます。特に災害時にです。むしろ、試行段階であぶり出せて幸いでした」

 上司は指を合わせた。

「現状は大きく変わりました。すでに試行は終わっています。警視庁は一期目として千体購入します。今後、全国の警察も導入予定。現在の仕様の維持が条件です。都市整備用も同様に各都市で運用が開始されます。新宿区での試行結果が全面的に受け入れられました。管理の簡素化による経費節減と利益の最大化を狙い、創発させての投入となります」

 加藤は口を真っ直ぐに結び、画面の上司を見つめた。

「気象庁の頭脳群を用いた精密な試算結果を受け、上層部と研究所でも分析、検討した結果、試行を前倒しで終了させました。報告にある通り些細な問題行動はありますが、区や警視庁、他の都市の関係者などには了解を得ました。今後は運用しながらの手当となります。加藤さんには今後もその第一線にいて頂きたい。いかがですか」

「もちろんです。しかし、急ぎ過ぎではありませんか」

「いいえ、試行は二年以上、ほぼ三年になります。その間日本支社はFWUから利益を生まなかった。FWUは高度な技術の結晶です。その点は日本支社の技術者達には敬意を払いますが、完璧を目指すあまり利益化する機会を失ってはいけません。加藤さんも他社の動向は分かっていますね。我が社は都市整備と言う新しい市場で優位を取らなければなりません。優位とは早さです」

 わずかに頷いた。

「それから警察業務用、軍用があります。それも早さが決め手です。追いつく余裕を与えてはいられません」

「それは理解しています。ただ、なぜ試行終了を教えてくれなかったのですか」

「知る必要のある者のみ知るのが情報管理の原則です。おめでとうと言わせて下さい。加藤さんは今日付で知る資格ができました」

 職階上昇の辞令が表示された。愛想笑いを浮かべて受け取った。

「どうも。では、全社や一般への発表はいつですか」

「来月中頃を予定しています。メディア向けには警視庁に千体納入する所を公開します」

 通信を終えると、新しい職階によって生じた新しい雑務が届いていた。件名だけ見て『後で処理』ボックスに放り込む。あふれずに蓋を閉じる事は出来た。

 十二月中旬。朝から冷え込みの厳しい晴れた日。白と黒のFWUが十体警視庁の前に並んでいる。儀礼的な出動命令が下り、それぞれが出発していった。同時に都内各所でPタイプが巡回を始めた。

 加藤は報道を壁に映して仕事をしていた。字幕を出して音は絞っている。

 報道される比率ではPタイプ出動の陰に隠れる形になったが、全国各地の港で都市整備用が陸揚げされ、CMSと契約した都市に輸送されていった。輸送中に新宿区のFWUの最新データを書き込まれ、車輌を降りた所で即座に業務に入った。また、新宿区の試行は終了したので八千体が配置換えとなって他地域へ運ばれた。

 業務開始と同時に各都市から分析用のデータが流れ込んでくるが、生体回路に置き換えた中央の頭脳群は処理速度に余裕を見せていた。

 人々は、知識はあったとは言え、実際に自分たちの街を歩くFWUに戸惑っているようだった。新宿区でも初期に多く見られたが、子供の急な接近により度々作業が中断していた。

 警視庁を出発したPタイプはデモンストレーションを兼ねて皇居外周を歩いている。歩行者とは距離を置き、器用に避けていた。他地域でも商店街や大通りなど人目につく箇所を見回っている。最初の一週間は人々に認知してもらうのが目標だったが、報道を見る限り否定的な反応は少なかった。

 二十四時間後、試算通りすべてのFWUが創発した群れとなり、四十八時間後、関係者の了承を得て中央での管理を終了した。今後日本支社の頭脳群は、FWUについてはデータの収集、分析と非常時の処理機能のみとなる。

「肩の荷を降ろしたのか、別の荷を背負ったのか」

 加藤はため息をついてつぶやいた。その声を拾った端末がメモを取ったが消した。

 データの流れを映像にすると、FWUは行政上の境界線を重視していなかった。命令があるので配置された地域から離れはしないが、境界付近での情報交換は盛んに行われていた。例えば、新宿区のロボットは区境で隣接する区のロボットを見かけると近距離通信を行っていた。タイプによる差は見られなかった。

 仮想空間で理想的な状況を作り、簡易な実験を行ってみると、近距離通信だけでも七十二時間前後あれば全国のFWUが情報共有可能だった。その伝わり方は予想通りFWU密度の高い所で速く、低い所で遅くなった。行動を試算する際は人間の行政区分はあまり意味をなさないとメモをつけた。新宿区の二千体ではなく、日本の百万体として考えなければならない。それにPタイプが加わる。

 別の画面に活動初期に発生した問題の報告が上がってきたが、いずれも小さな問題で、メディア発表は行わないと決定されていた。建物に入る際に蹄の自己洗浄を怠ったり、旅行者が土産物屋の前に置いた荷物を要警戒物品として報告したりしていた。前者は修正され、後者の問題は報告を受けた警察官が遠隔で映像を確認し、要警戒物品指定を取り消していた。

 初期故障率は予想を下回り、保守整備作業のために確保した工場の操業率は低かった。一方で栄養液生産は予定通りだった。FWUは実質的には二十四時間連続稼働を達成している。

「順調ですね」

 分析データをまとめて報告すると、佐々木が機嫌よく言った。加藤も同じ口調で返事をする。

「はい、Pタイプで発生している問題は仕様の範囲内で説明可能で、遠隔監視している警察官によって短時間の内に修正されています」

「この調子が続けば二期、三期と導入は間違いないでしょう。詳細はまだ分かりませんが、地方警察も導入の前倒しに本腰です。問い合わせが多くなりました。実際に稼働しているのを見たせいでしょう」

 佐々木の髪はいつもより艶がありすぎるように見えた。服装の感じからしても泊まり込みが続いているのだろう。画面の向こうの組織は古い基準のままなので、長時間労働に強い罰則はない。

「現状では試算通りに進んでいます。今後も分析データは共有しますが、頻度を下げましょうか。週一くらいに」

「いや、今年中は今程度でお願いします。来年はその時の状況で考えましょう」

「分かりました」

 通信を終え、加藤は水を飲んだ。別のメッセージが今年中に使い切らねばならない有休日数を表示している。年末に固めて申請を出した。今年は帰省するつもりだった。

 週末には雪が降った。日が差すとすぐに汚いぬかるみになった。FWUは蹄の掃除に時間がかかり、屋内へ入る時に足踏みをする仕草が笑いを誘っていた。だが、その動作はすぐに洗練された。分析データは雪深い地域から情報が共有されていく様子を示していた。新宿区だけで行われていた試行では無かった事だった。雪の性質に応じた足運びや、付着した雪の取り除き方が伝播している。

 晴れが続いてその雪が無くなってしまい、ロボットの歩き方が普通に戻った頃、人々の注目を引く事例が発生した。

 Pタイプが逃亡する犯罪者にペイント弾を投射し、続いて網で転倒させ、逮捕の補助を行った。防犯カメラの記録映像が公開されると、世論は賛否両論となった。

 壁画面にもそういう報道や討論番組が流れているが、加藤は重視していなかった。事例を分析したが、仕様範囲内の正常な行動であり、これまでに公開された試行や訓練と同様だった。市民向けの説明会も各所で十数回開催されている。不安になる要素は何もないはずだった。

 しかし、実際にロボットが人間を攻撃していると受け取れる映像は衝撃を与えていた。市民は否定的な論調に傾き、人権団体は慎重な運用を求めた。弁護士は過剰な対応ではないかと抗議していた。

 同時に、都市整備用も避けられ始めた。同型であり、緊急時は警察が徴用する点が問題視されていた。一部の地方自治体は公共施設への立ち入り制限を検討し始めた。

 CMSの広報は仕様通りの行動であると説明した。その根拠として、加藤と佐々木が分析したデータが用いられた。すでに公開し、説明してきた以上の行動はしておらず、Pタイプは治安維持のために警視庁が定めた行動を取っており、想定外の事象は発生していないと発表した。

 警視庁も同様の発表を行った。FWUのPタイプは装備品であり、所定の性能を発揮したと言えると付け加えた。

「済みません。私の専門外です。市民の拒否反応がこれ程とは。広報の不足とも思えませんが」

 佐々木は頷いた。

「警視庁も同意見です。正直、理解できません。公開してきたままの事が実際に起きただけなのに、反応が全く異なります。心理面の対策は広報にまかせましょう。CMSさんも」

「そうですね。分析結果は出しましたが、役に立てたとは思えません。報道を見る度に首を傾げています。このまま年末年始に入って落ち着けばいいのですが」

 警視庁は世論に対応し、一時的に網を通常装備から外し、ペイント弾と記録ユニットのみとした。幸いクッションジャケットの出番は無いままクリスマスが過ぎ、ロボットに対する感情は静まってきた。

 年末年始にかけて大雪の予報が出ている。全国各地のロボットが手編みのマフラーやニットキャップを貰っていた。CMSの広報が都市整備用の機能を妨げない飾り方を紹介し、一時的な流行りとなっていた。ただし、Pタイプにはお詫びを言って断るよう指示が与えられた。

 大晦日から元旦にかけてはずっと雪が降り続き、帰省した加藤は雪を踏みしめてお参りに行った。帰りに一体FWUを見かけた。明るい茶色のマフラーを巻かれていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る