高座では、干し柿のような手をし、渋を舐めたような噺家が、二十四節季では寒露だそうですがまだ暖かい、台風だって来やがる。いっそ昔の暦に戻して季節感を合わせりゃいいのに、とぼやいている。

 徹は末廣亭の椅子に小さく腰掛けて落語を聴いていた。落語に詳しいわけではないので、今演じられているのがどういう噺なのか知らない。大家がやたらと文句ばかり言っている。所々分からない言葉があるが、調べない。

 席はほどほどに埋まり、飲み食いしている人もいる。横の壁には撮影など記録を禁じる旨の古びた注意書きはあるが、映画館やコンサート会場のように積極的な対策はなく、通信妨害装置もない。だからといって誰も記録などしていない。徹もしない。

 噺が終わり、外に出るとキノコ人間がゴミを片付けていた。それが集積ボックスを開けた時に、ついでに飲み物の空きカップを放り込んでいく人がいた。肩のあたりにしずくがかかったのが見えたが、菌糸繊維で織り上げられている体表の自己洗浄機能が働き、液体は染み込んだかのように消えた。

 ゆっくりと寮の方へ歩き出す。夜空には雲が低くかかっており、すぐにではないが、天気は崩れそうだった。

 翌日から雨になり、一旦持ち直して秋晴れの気持ちいい日が続いたかと思ったら、台風接近が伝えられた。念の為、処理施設に雨水が流入しないよう対策を依頼した。

 その台風は上陸し、日本を舐め回すように縦断して大量の雨を降らせた。例年にない強い台風だったが、幸い徹の会社では怪我人も施設の破損も無く、操業に問題は生じなかった。

 しかし、日本各地では被害が大きく、死傷者も多数発生した。新宿区はそこまでの被害はなかったが、キノコ人間によって注目を浴びた。折れた枝や倒れた街路樹の片付け、歩道の柵など破損した公共物の処理や補修、急に生じた大量のゴミの回収など、災害の後始末に関連する面倒で人手のいる仕事を淡々とこなしているロボットの様子は日本だけでなく、世界中に報道された。

 大雨と大風が通り過ぎた後の澄んだ空気を吸いながら、徹は夜道に歩哨のように立っているキノコ人間を見た。頭には鉢巻のように記録ユニットを巻いており、防犯カメラが破損した場所に配置されていた。警察は白と黒の体色の試験体も出動させている。調べてみると識別記号にPを含んでいた。ただし、一般の感情に配慮したのか、記録用の追加ユニット以外は装備していなかった。

 それと、気のせいかも知れないが、個体間で栄養液を融通しているのをよく見かけた。

『気のせいじゃないよ。C#7r2』

 集会場で話題に出すと、誰かが答えてくれた。多数のキノコ人間が同時に長時間作業しているので、補給車の巡回が間に合っておらず、近距離の個体同士でゆるいグループを作って融通しあっているのだと言う。

『中央は? CMSの頭脳群は判断してないのか』

 徹は確認した。

『中央は関わってない。各個体に自主判断させてるらしい。栄養液補給なんて小さな問題だしね』

 徹は反論しようとしたが、別の誰かが先に言った。

『小さくないさ。一万体以上だよ。それが中央制御じゃなくなるんだろ。CMSは真面目に考えたのかな。それとも区か警察が焦らせてるのかもな』

『大げさ。判断って言っても栄養液を融通しあってるだけだし。一万体全部が同時に繋がってるんでもない。近距離の十か、十五体程度だろ』

 徹は始まった議論をよそに、画面の脇に十体からなる千グループが中央から制御されないで行動する様子を落書きした。試算の条件として、グループは泡のように新宿区を埋め、栄養液を融通しあう行動で細胞のように相互に作用するようにした。また、グループを構成するキノコ人間自体も隣り合うグループに移る事があると想定した。

 ある端にいる個体の情報が伝言ゲームのように反対側の端に伝わっていくのにはそれほどの時間を要しなかった。予想より早い。中央制御に比べると能率的ではないが、距離は断絶を意味しないと分かった。

『荒っぽい試算だけど見て』

 そう言って集会場に公開すると、皆一瞬黙り込み、火の付いたように話し始めた。

『あいつら、制御できるのかよ』

『できるからそうしてるんだろ』

『我々よりは頭はいいし、設備だって整ってる。何より開発元だからな。そこは信じないと』

『だけどさ、分かっててやってたら? 中央制御を止める気だったらどうする』

『どうするって言われても、どうしようもないだろ。結局信じるしかないんだよ。お偉い方々はお利口で自分のしてる事を分かってるって』

 また皆黙った。徹は集会場を抜けた。

 晴れの日が続き、街の様子が元通りになっていく。防犯カメラは次々に修理が終わり、Pタイプのキノコ人間は見かけなくなった。栄養液を融通しあう行動もたまにしか見なくなった。

 いつの間にか昼に発光するキノコ人間も見かけなくなった。発表によると近距離通信が改良されていた。発光器官すべてではなく、よく見ると指先ほどの小さい部分が光っていた。それで従来通りの情報を伝えられるとの事だった。

 侵入は失敗が続いている。命令を送り込めても実行させられなかった。命令を拒むと言うより、器用にいなされている印象だった。

『生体回路が十分発達したんだと思う。言っちゃなんだけど、我々が育てた部分も少しはあるね。それでもキノコ人間にこだわるのか。C#7r2』

 アルファが聞いてきた。

『いや。もうアマチュアの出る幕じゃなさそう。そろそろ試験も終わりかな。完成度高くなってきたし』

『来年、再来年と、日本中にキノコ人間が拡がるな。何で日本だけこんなにペースが早いんだ?』

 新米が割り込んで発言し、アルファが答える。

『日本だから。導入までは慎重でやたらと手順を踏まされるけど、大丈夫役に立つ、となったら誰も反対しなくなる。後は早い早い』

 CMSと新宿区、警視庁それぞれの定期メディア発表はアルファの言葉を裏付けるようなものだった。新宿区での試験終了は繰り上げられて今年度で終了し、来年度からは本格運用が始まる。他の区や地域は新宿区の試験結果を参照し、試験期間を短縮する予定。警察業務用も同様に早期に実用化される。試験の結果次第では区と足並みを揃える可能性もあるとされた。

『それに、早く回収したいだろうし。FWUの開発、結構かかったはず。だらだら試験してたらいくらCMSでも経営に関わりそうだよ』

 そいつは発言しながら企業分析情報を示したが、そういう方面に明るくない徹でも開発経費がかかりすぎる点に市場が警戒し始めていると分かった。

 しかし、そこから集会場の話題が経営に関する方にそれだすと、そっと抜けた。

 また雨が降っている。冷たい雨だった。ひと雨ごとに気温が下がる。上着を秋冬物にした。あまり寄り道しなくなり、まっすぐ帰るようになった。

「……そうなの、せっかく作ったのに」

 休日、散歩に出て公園のそばを通った時、声が聞こえてきた。老婦人が二人、入り口の所で話している。

「去年は持ってかなかったのに、何で急に、ねぇ」

「見りゃ分かるだろうに、ゴミ扱いはひどいわ」

「しょうがないから、今年からは家の玄関に飾りなよ。敷地の中ならロボットも手は出さないし」

 つい立ち聞きした。公園入り口には車止めの柵があるが、小鳥やリスの飾りがついている。どうやら一方のおばあさんが作ったその飾り用の手編みの帽子やコートを、キノコ人間がゴミとして処分したらしい。今は丸裸で日光を反射していた。

 その話し声を後ろに歩いて行くと、キノコ人間が歩道の柵を調べていた。落とし物の手袋が引っ掛けてあったが回収しない。しかし、翌日通った時には無くなっていた。

『そういう場合は忘れ物とかの可能性があるから、一定期間放置してから回収だよ。それに、手袋は持ち主が取り戻したのかも知れないし、おばあさんは回収を見たのかな。見たんだったら制止すれば学習するのに。見てなかったんだったらキノコ人間とは限らないし』

 集会場で雑談がてら話題にすると、もっともな答えが帰ってきた。

『記録は?』

『確認してなかった。してみる』

 思ったより苦労した。公園入り口を監視している防犯カメラの記録を取り寄せ、映像検索する命令を組んで、飾り物が服を着させられる所から脱がされる瞬間を探すようにしたが、映像中に占める飾り物の面積が小さいのでちょっとした変化をすべて拾ってしまう。人がもたれたり、手で覆われたり、光の具合が変わったりするたびに確認しなければならなかった。

 それでもおばあさんが服を着せている所を発見し、次いで取り去られる所を発見した。中一日置いた三日目の夜にキノコ人間が回収していた。

 さらに手袋も同様に確認したが、こちらは子供が持ち去っていた。持ち主なのか別人なのかまでは調べなかった。

『じゃあ、丸一日以上置いてからゴミ扱いか』

 結果を流すと、誰かが言った。それに答えて別の者が言う。

『変だな。届けはされてた? C#7r2』

『いや、公園の管理事務所と自治会調べたけど、忘れ物などの届けは出てなかった。手袋は区に届けが出てたのに』

『ますます変。じゃあ、届け無しに処分したのかよ。それに、手袋は届けたんだから判断基準は変わってないよな』

『だよな。公園に限って別基準ってのはないよ』

『発見したものを届けもせず、かといって即処分もせず一日置いておいた理由は? さっぱり分からない』

 皆騒ぎ始めた。

『ごめん。変な話題持ち出した。これは都市芸術連合の活動とは関係なさそうだし、ひとりで調べてみる。忘れてくれ』

『そう言われればそうだけど、気になるな。何かあったら言ってくれ。C#7r2』

 街に出るたびにキノコ人間の動作を見る。栄養液の融通を見かけるのは一時減っていたが、台風直後ほどではないにしろ、また増えてきていた。手首を合わせて補給しながら音声通信している様子を見ると恋人同士のようで、女の子たちが笑いながら撮影していた。小鳥のように小さくさえずっている。

 これについては特に発表はなかったが、群れの集会場では、段階的に巡回補給車を減らして経費節減しようとしているか、キノコ人間と補給所だけで運用できるという利便性の訴求を狙っているものと推測されていた。

 ただ、CMS本社は生体回路を用いた完全無人自動運転の車輌、航空機、船舶を相次いで発表したので、単純に補給車をなくしてしまうかどうかは分からないという意見もあった。

『無人の自動運転なんて普及しないよ』

『そりゃ、責任問題が片付かないうちはどこも手は出さない。これだって単なる技術デモさ』

 お決まりの討論が始まった。こういう時、徹は聞くだけだった。

『せいぜい運転補助までだな。責任者は必要』

『キノコ人間は?』

『そいつらはそもそも自律してないから運用してる組織が責任者』

『じゃあ、意識を持ったら? 一万体以上が新宿区って狭い範囲にいて、お互い通信してんだぜ、何か起きるんじゃないの』

 埃の積もった冗談だった。皆は人工知能に関する討論の伝統に敬意を表し、礼儀正しく笑った。徹も笑っておいた。

『冗談はさておき、創発はあり得るな』

『もうそうなってるんじゃないか。ま、なった所で何の問題があるのかって話だけど』

『人間の役に立つアリの群れ。むしろいいんじゃないの』

『そうなったらどうやって儲ける? 創発する段階になったら後は値下がりする一方だし』

『この場合はならないよ。キノコ人間はCMSの独占だし、それに栄養液や駆動液、補修交換、追加装備、オーダーメイドキノコ人間の提供とか、儲け口はいくらでもある』

『でも、それって中小企業の儲け方だよな。社会を変えようって奴らのやり方じゃない』

『CMSだって企業だよ。宗教じゃない』

 皆静かになった。誰かが話題をずらす。

『企業と宗教って何が違うんだろうな』

『人間が群れてるんだから本質的には大して違わないよ』

『じゃ、キノコ人間どもは? さっきの冗談じゃないけど、頭数はそろってるし、群れてもいる。そいつらなりの組織になるんじゃないか』

『中央頭脳群で制御しているからそうはならない。あいつらは一人が操ってる多数の手足に過ぎないから』

『今、中央はどのくらい制御に関わってるのかな。C#7r2、いるんだろ。専門家としてどう思う?』

『専門家になった覚えはない』

 徹は短く返答した。

『お前はいつもテキストオンリーだな。顔か声出せよ。代理モデルでもいいからさ』

『おい、そういうのなし。我々のルールだ。発言は好きな形で出来るってのが』

 アルファが注意し、そいつは謝った。徹は礼を言って発言を続ける。

『中央頭脳群による制御だけど、皆も気付いている通り、明らかにその比率は小さくなってる。多分、CMSは最適な割合を探ってるんだと思う。運用にかかる費用は少なくしたいが、自律に伴う厄介事は避けたい。創発させたいけど、手綱は握っていたい。言い方を変えれば、迷ってるんだ』

『あんなに頭のいい奴らが決断できないのか』

『頭がいいからだよ。それと、CMS社内にも色々ある。最近の組織改編見たら分かるだろ』

 皆、徹の発言について考えている。

『日本支社、ただの現場管理になったしな』

 その発言を機に、CMSの経営についての話題に切り替わったので、徹は集会場を抜けた。

 もう一度、車止め飾りの服と落とし物の手袋について整理したメモを読み直した。さらに、さっき自分がした発言を追加する。迷ってる、と言う言葉を囲って目立つようにした。

 囲みから線を引っ張り、小鳥とリスから服を剥ぎ取る映像に結びつけた。

 濃い目のコーヒーを淹れる。砂糖とクリームは多めにした。飲んでいるとキノコ人間に関する報道が飛び込んできた。歌舞伎町で事件があったようだ。

 キノコ人間が酔った男に抱きつかれて吐きかけられた。それは頭から嘔吐物をかぶったまま安全停止していたが、連れの女が何を誤解したのかキノコ人間に切りつけ、強化木材骨格で滑った刃が男に当たって出血した。一時は大騒ぎになったとの事だった。

 防犯カメラ映像を取り寄せて見るとひどい有様だった。キノコ人間は抱きつかれてから警察官と救急隊の到着まで終始停止したままだった。犯罪による異常事態と判断したのか、自己洗浄機能も止まったので嘔吐物と血液が飛び散ったままだった。

 周囲には二体別のキノコ人間がいて、遠巻きに状況を見ているようだった。しかし、そのうちの一体の動作が徹の目を引いた。腕を水平近くまで上げ指差すようにしている。

 拡大して調べると、指差しではない。なにかを軽く握っているような手つきだった。

 徹は警視庁が公表した訓練映像を呼び出し、歌舞伎町の映像と手つきを比較した。

 どうやら握っているのは網かペイント弾の投射装置だと思われた。都市整備用がPタイプの行動を取っている。

 その映像では腕を上げ、投射装置を使用するような手つきをし、また通常姿勢に戻った。周りの人々は特に気付いていない様子だった。

 コーヒーを飲み干し、カップを洗って片付けると、またメモを取った。キノコ人間の不審な行動をまとめた資料がまた増えた。深夜、コーヒーの効き目がなくなった頃、資料をいじりまわすのを止めて寝てしまった。

 翌朝は寒くなり、出社して暖かい屋内に入ると鼻水が出た。鼻をかんでから上着だけ作業服に着替える。すぐに仕事を始めた。処理施設付近の気温も下がっている。しばらくは寒暖交互に来るだろうが、タンクの発酵熱を逃さないよう冬支度をしておくのが良さそうだった。

 昼は班長に誘われた。いつもの移動販売ではなく、新しく出来た蕎麦屋に行った。味や雰囲気は悪くなかった。値段もこのあたりの会社員を当てにした価格だった。

 帰り道、広場のベンチに座って缶コーヒーを飲んだ。

「大迫、ホントは内緒にしとかないといけないんだけど、ちょっと言っとく。うち、買われるらしい」

「え、どこですか?」

「CMS。週末に正式発表だから誰にも言うなよ」

 班長は今朝、部長に教えてもらったと言った。

「今後のFWUの全国展開に向けて、栄養液の生産体制を整えておくためで、他にも発酵やってる会社が買われる。特にうちは食品廃棄物処理だから資源の再利用って事で外面もいいしな」

「市場に出さない野菜や宴会の食べ残しが栄養液になるんですか」

 班長は大きく頷いた。

「そういう事。忙しくなるよ。CMSのやり方に合わせなきゃならなくなる」

「日本展開に合わせるなら、日本支社の傘下ですか」

「そこまでは分からない。なんで? 気になるのか」

「いや、支社だったらすぐそこですけど、本社だったら南アフリカに出張するのかなって」

「はは、それは遠いな」

 班長は力なく笑った。

 その週末に買収が発表された。日本支社の傘下に入る。組合との合意により社員の立場は変わらない。当分は今までどおりの組織と配置で働く。

「当分、な」

 夜に班長が班の全員を連れていつもの飲み屋に行き、買収話が出た時に言った。

「でも、うちの生産能力と技術狙いだから、我々は急には切らないでしょう」

「そうだよな。そうであってほしいけどな」

「日本支社だし、何かあったらデモしてやりましょうよ」

 こんな席でも徹はあまり話さずに聞き役にまわった。皆酔ってきたのか声が大きくなってきた。

「キノコ人間の栄養液を作るのか」

「肥料や飼料よりいいかもな。また食べ残しになって返ってこないぞ」

「大迫、黙ってないでお前も何か言え」

「まだよく分からないですよ。仕事に慣れたと思った矢先の買収だし。CMSなら将来はキノコ人間が菌を飼うんですかね」

 徹の言葉に皆笑った。

「じゃあ、私はあいつらに研修するの? キノコは物覚えいいかな」

「そりゃいいだろ、生体回路だぜ。警官にだってなれるんだから」

「でさ、今度は俺たちがキノコに教えてもらうんだ。温度管理とか」

「それで叱られるんだよ。お前の作った栄養液はまずい。こっちの方が美味いって」

 班長がそう言ってビールを一息に煽った。皆拍手する。

「キノコ人間は飲み会出席してくれないだろうな」

 ぽつりと言ったつもりの徹の言葉は、騒がしくても案外皆の耳に届いた。

「こっちがお断りだ。手首から飲む連中なんて」

「ま、人間は人間同士仲良くやりましょ」

 言葉の荒れた調子を察知したのか、向かいでなだめるような声で酒を注いでいる。

「賛成。キノコやら菌やらはタンクで撹拌だぁ」

 こっちでも騒ぎ出した。徹が落ち着かせる。

「撹拌はまかせて下さい」

「お、大迫、そりゃいいね。飲め」

 言われるままに結構飲んでしまった。気温は低いが、帰り道は寒く感じなかった。キノコ人間がしゃがんで植え込みの中のゴミを拾っていた。光の感じは、明るいがぎらぎらと目に不快さを与えないように調整されている。微妙な変更だが、少しずつの改良が積み重なって、登場した初期の頃に比べると街に溶け込んでいた。

 帰ると服を脱いで下着でベッドに転がる。布団が暖まっていくのを感じながら眠った。

 目が覚めるとトイレに行き、水をコップに一杯飲み、熱いシャワーを浴びた。インスタントの雑炊をわざと熱湯で作り、舌が焼けるほどにして食べるとようやくすっきりした。

 空は少し曇っているが、予報では日中は雨にはならないようだった。身支度をして外出した。

 ぶらぶら歩いていると、かがんで歩道の柵を補修しているキノコ人間を見つけた。識別番号を要求する。これは情報公開法に基づく正当な請求なのですぐに回答された。

 それから街頭掲示板から情報を落としている振りをしながらあたりを見回し、シシカバブの移動販売車を見つけるとレジに侵入した。それを踏み台に自動販売機を操作する。いつもの方法だった。それらは大半が出荷時の初期設定のままなので何の障害もなかった。

 しかし、自動販売機からキノコ人間へは入れず、正当な情報以上は得られなかった。命令を送り込んでキノコ人間から自動販売機に通信させようとしたが、それもはねられた。

 駄目で元々なので、自動販売機の画面を利用して前に成功した近距離用光通信を試したが、当然のように通じなかった。

 そろそろ警報が自動販売機の管理会社にまわっているはずなので、侵入を巻き戻して撤退した。

 その時、キノコ人間が作業を中断し、直立して頭を真っ直ぐにした。はっきりした前後左右がないのでどちらを向いているのか分からないが、徹はその場を立ち去った。角を曲がる時にちらりと見ると、まだ作業に戻らず、頭を真っ直ぐにしていた。

 散歩を続け、試用できる新端末が出ていないか店を冷やかしたが面白そうな機器はなかった。そこを出て安売り専門の服屋に寄り、全身の採寸をしてもらってからセーターを買った。前に取ったデータと重ねて表示すると太っていた。

 昼近く、雲の隙間から日が差してきた。背中が暖まる。歩道の柵に腰をもたれさせて茶を飲んだ。キノコ人間が人込みに紛れている。

 人々は安全距離内に近づかないように器用に避けている。公共の場での運用が開始されてそんなに経っていないのに、人々は作業を邪魔しないよう、安全停止する範囲に入らないように、行動を無意識の内に調節していた。また、面白がって近づこうとする子を親が止めていた。だめだと言い聞かせている。新しい行動様式が生まれていた。

 いたずらをする者は、少なくとも人目のある昼間はいなかった。端末で調べると、区とCMSが統計を取っていたが、都市整備ロボットに対する実力による妨害行為は運用開始から減少傾向にあり、電子的侵入の試みは横ばいから微減と言う状況だった。

 徹は茶を飲み干して苦笑いする。缶を集積ボックスに捨てた。クリーンキャンペーン中だったらしく、『ご協力ありがとうございます』と文字が浮かび上がり、ポイントが加算された。

 巡回補給車がやって来て、キノコ人間が補給を受けに近寄った。手首を車輌の補給口に合わせる。その間に担当者は手持ちの機器で身体を撫で回すようにして検査し、さらに一体を降ろして去って行った。二体は小鳥のような小さな声で近距離通信しながら作業に戻った。

 端末が通知音を鳴らした。新宿駅西口の広場に向かう。警視庁のイベントがあり、Pタイプが紹介される予定だった。

 そこでは警視庁のキャンペーンキャラクターのぬいぐるみが風船を配っていた。舞台が作られ、折り畳み椅子が並べてあるが、徹は全体が見渡せる後ろの方に立った。

 制服の司会者が年末にかけての防犯キャンペーンの紹介を行い、募集していた標語の選考結果発表と表彰式を行った。

 さっきのキャンペーンキャラクターが幼児番組の曲に合わせて踊った後、Pタイプが登場した。クッションジャケット以外の追加ユニットをすべて装備しているのが一体と、クッションジャケット装備が三体だった。

 滑稽な扮装の俳優が登場して強盗の寸劇を行い、逃亡する所をペイント弾で染色され、網で動きを封じられて捕らえられた。

 次に子供を七、八人ずつ舞台に上げ、クッションジャケット装備のPタイプと押し合いをさせた。キノコ人間は負け知らずで、赤い顔の子供を線から押し出すたびに笑いが起こった。その笑っていた親や大人たちも押し合いに参加するよう誘導され、たった三体のキノコ人間に男性六人が群がったが全く後退させられず、力が抜けた者から押し出された。参加者だけが首をひねり、周りはまた笑った。

 お楽しみばかりではなく、説明もあった。それによると、Pタイプは体色以外の外見は都市整備用と何ら変わるところはないが、安全範囲が無く、人間の接近は動作の停止を引き起こさない。その代わり、指揮命令を行う警察官の存在を必須としているという話だった。

 見物人の一人が質問したが、爆弾処理や、犯人が立てこもる建物内への突入などは行わない。それは爆弾処理班などの特殊部隊の任務ですと回答された。Pタイプは警察官の補助としての役割のみです。道具のひとつと考えて下さい、と。

 イベントは子供を中心とした撮影会になって終わった。直立姿勢を取ったり、子供向けのヒーローのようなポーズを取らされたりしていたが、徹はそのあたりで会場を後にした。

 雲の隙間は閉じていたが、厚みがなかったので向こう側の日が透けていた。小鳥の鳴き声がする。キノコ人間は手すりをきれいにしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る