三
六月に入ってからずっと雨だった。徹は休日だと言うのに机に向かっている。キノコ人間の変化を調べていた。
いくつかの群れの集会場でも話題になっていたが、キノコ人間の防御が強くなり、命令は送り込めたとしても実行されなくなった。また、それとほぼ同時期に見つかったのが、TESTを識別番号に持つ百体ほどのキノコ人間で、侵入しても動作の遅延を見せず、その内に侵入そのものが出来なくなった。
TESTについての憶測や、CMSのメディア向け発表や論文の分析が集会場を飛び交ったが、そのうちにTESTナンバー自体が消えてしまった。
その後、五月下旬から、TESTと同じ特性を見せるキノコ人間が増え始めた。明らかに何かの試験が終了し、実用化され始めたようだった。徹はもう一度CMSの発表と論文、特に新しい人工知能による命令構築と、生体回路に関するものに絞って調べてみた。
結論は群れの連中と同じだった。CMSが提供する他の都市整備システムと同じく、キノコ人間も生体回路に置き換わったと考えられた。ほとんどの群れはあきらめた。自己改良と成長する回路相手の攻撃は確実な負け戦だ。しかも負けるだけじゃなくて相手を育ててやるようなものだと言っていた。標的はキノコ人間だけじゃない、他を狙おう。都市芸術連合でさえそう主張する者がいた。侵入のテクニックを競っても意味はない、それよりアートだ、と。
徹は防犯カメラ映像を請求してキノコ人間を観察していた。住宅街を歩いている。道の真ん中には壊れかけの玩具が放置されていた。それを見て、通信の公開も請求した。
キノコ人間は何のためらいもなく玩具を道の脇に寄せると、その地区の自治会に画像つきで報告し、巡回を再開した。
はっきりと破損が分かる物体でさえ、玩具と判断して処分を避け、適切な責任者に報告した。その間、ためらうような動作遅延は見せなかった。
雨が激しくなり、徹は腕を組んだ。画面には要約した論文が流れている。生体回路についてだった。メモをつけながら目を通したが、さすがに理解は出来ず、どう動くのかつかむのが精一杯だった。
時間を掛け、自分なりに概念図を描いてみた。多孔質の基盤内の基礎回路は改造した黴と粘菌から成っている。そこに情報が入出力されると、もっとも処理効率を向上するように成長を始める。生体だけに、場合によっては再構築のため自己破壊も行う。その様子をアニメーションさせると意外なほど処理タンク内の微生物を連想させた。
しばらく見ていたが、叩くように画面を消し、熱めにしたシャワーを浴びた。
翌日も雨だった。数値を見守りながら、タンクに投入される大量の食品を見ていた。税関で没収された品物で、法に則った廃棄証明書が必要なので処理を依頼され、送られてきた。まだ完全に解凍されていない霜のついた赤い牛肉と、子供の描いた太陽のような色の果物、黄白色と青白色のチーズが撹拌されている。
「どう、発酵食品混じってるけど、大丈夫そうかな」
班長がそれほど心配してなさそうに聞いてきた。
「いけます。うちの菌の方が圧倒的に強いので。それより、処理データ送りますよ。証明書がいるんですよね。これ」
「おう、送っといて。それはこっちで書くから。ありがとう」
仕事が終わると友人と飲んだり寄席を楽しんだりしてから自分の部屋に帰る毎日だった。風呂上がりにしばらく生体回路の概念図をつつき、論文に目を通した。
概念図を小さくし、仮想キノコ人間の胸郭を開いた。生体回路を組み込んである。そこに通じる入出力回路と栄養液補給蔦を眺めた。指で蔦をなぞっていく。それに伴って図が描き足されていった。いくつかの弁と栄養液を貯蔵、供給する袋を通り過ぎ、手首の補給口までたどり着く。その横に栄養液の成分と補給の説明を表示させた。液には環境影響はほとんど無く、毒性、引火性はまったく無い。通常は補給所か巡回補給車から補給を受けるが、キノコ人間同士で融通もする。
さらに補給に関する詳細な説明を開き、テクニック自慢の群れの集会場からキノコ人間の補給と栄養液についての会話を検索した。
『キノコ人間が外部環境と何かを入出力しているのは人間と同じ。使ってるのは通信器官、感覚器官、廃棄物処理器官、それと栄養液補給口だな。そのうち物質をやり取りしてるのは処理器官と補給口になる』
ある群れの先週の記録だった。アルファが講義をしていたらしい。
『ドライなら通信器官か感覚器官、ウェットなら処理器官か補給口を使うのが普通だ。御苑の件、皆知ってると思うが、処理器官を使ったんだろう。分解可能廃棄物に何かを紛れ込ませたんじゃないかと推測している。ただ、使った物質が分からないので、いつ吸収させたか絞れない。まあ、新宿のゴミの量からして、分かっても絞れるとは思わないけど』
末尾に苦笑いのアニメーションがついていたという印があった。設定に基づいてよけいな情報は削除される。誰かが推測の根拠を尋ねていた。
『そう推測したのは、補給口を使うのは数段困難だからだ。手を上げさせ、補給口を開けて何かを注入するなんて、どうやっても防犯カメラに写されるし、キノコ人間にそうするよう命令できるのはCMSの補給担当か権限を持っている者だけだ。で、そもそも権限の偽装が出来るくらいなら攻撃に苦労なんかしない』
今度は戯画化した汗をかく顔がつけられていたらしい。
『今、キノコ人間の攻撃対策は強化されている。処理器官から物質を吸収させる手はすでに古くなった』
アルファはしばらくCMSの防御対策の強化について説明した。
『つまり、キノコ人間については今後も研究は続けるが、正直な所もうお手上げ。生体回路をどう攻撃したらいいのか手掛かりがない』
群れの皆はため息や泣き顔を表示させた。徹はその記録を画面から追いやったが、ウェット、栄養液、補給口という言葉のみ残した。それらを赤丸で囲い、補給口から矢を引いて生体回路の図を指したが、しばらく考え、バツをつけて消してしまった。
翌日は久しぶりに晴れた。仕事を終え、公園のベンチに座って光るキノコ人間を眺めていた。ゴミを拾ったり、柵を治したりして動くと、徹の影も揺らめいた。
端末を取り出すと、都市芸術連合に加えてもらうよう申し込んだ。アカウントは迷ったが、やはり英数記号で意味の無いように自動生成させ、C#7r2とした。自動返信があり、十日以内に実力を示せとあった。
次の休日の夜、神田川に設置されている撹拌浄化を兼ねた噴水が突然動作し、新宿区と中野区の区歌が順に流れた。C#7r2は群れの新人として認められた。
『なぜ都市芸術連合に入りたい?』
集会場で、アルファの面接が始まった。他のメンバーが見ている。C#7r2はテキストのみで参加した。
『匿名のまま目立ちたいから。それって、アートっぽいでしょ。ちやほやされるのに飽きたらすぐ消えられる』
『それなら他の群れでも出来るな』
『いいや。ここじゃないと。テクニック自慢共は臭いし、アーティスト連中は名前と作品を残したがるからやってられない』
『ここはどうだと思う?』
『そのどっちでもない。中途半端だね』
アルファを含め、全員が笑った。
『掲げてある理念は読んだか』
『読んだ。あれは戯言。いたずらを正当化しただけだと思う』
『じゃあ、都市芸術連合とは何だ?』
『悪ガキの群れ。しかも臆病な』
『厳しいな』
『だって、世の中を変えるつもりはないんでしょ。人の心も。いたずら以上の変革をする気はなく、今の社会規範には素直に従うつもりでしょ』
笑いに不満が混じった。生意気過ぎると。
『下調べはよくやったようだな。それなら大人しくしておく値打ちも知っているな。表現する時に実害を与えないと誓えるか』
『誓う』
『都市芸術連合にようこそ。C#7r2』
控えめな拍手が起こった。
関東地方の梅雨が明けた。CMS日本支社はメディア向け発表を更新した。寮の部屋で作業しながら、画面の端に流れていく記事を読んだ。
都市整備ロボットの近距離通信用として発光機能が用いられる。人間に分からないほどの高速点滅で情報交換を行う。昼間、晴れていても使用可能で、これによってロボット同士の通信の大半を占める二十メートル以内の近距離通信は電波を使用せず、帯域を有効に利用できるようになるとあった。この新機能の試験は完了しており、今後の定期更新で配布される。
そしてもうひとつ、生体回路への置き換えがCMS日本支社の頭脳群にも及ぶ。完全に入れ替わるのは年内を目標としていた。さらに高機能になり、制御可能個体数が増加する。
それに伴って、都市整備ロボット試験の全国展開を順次行っていく予定が発表された。関東、中部、関西の各主要都市は来年度から、その他地方の大都市も来年度以降の実用試験を予定しており、結果を評価しながら試験の終了と本格運用に移行する計画だった。各都市ごとに要求するサービスの内容や範囲によって稼働数は変わるが、全国で百万体を超えるロボットが公共の場で活動するだろうと予測されていた。
その発表は流したままにしておき、画面上で、生体回路に接続されている蔦を何度も指でたどった。補給口から逆にたどっても見た。それから、情報公開法に基づく取得可能な情報をキノコ人間の模式図に重ねた。
各個体や頭脳群に合法的に接続し、情報公開法で定められたデータ読み取り許可枠を超えてドライを注入する命令を組んでみたが、群れが作った試験体に試すとはじかれた。仮想の生体回路の動作は遅延すらしない。
『なぜそんなにこだわる? キノコ人間が仇みたいだな』
群れの皆からキノコ人間の情報を集め、侵入手法を再度分析評価してもらっていると、誰かが聞いてきた。
『破れば伝説になれるから。そろそろ新しい1.2秒クラブがいる。システムを逸脱すると宣言しながら、我々が安定したシステムになろうとしている。まずいんじゃないかな、アーティストとしては』
『なんでそう思う。都市芸術連合は安定なんかしてないが』
別の誰かが反論した。分析評価はまだかかりそうなので相手をした。
『してるよ。群れに入る時の試験とか、面接とか、他の群れと同じく1.2秒クラブ入りを新米卒業の基準にしてるとか、とにかく黴臭い規則がはびこってきてる。そういうの、アートかな』
また他の者がつっかかってきそうになったが、その時再評価が完了し、結果が帰ってきた。
『残念だが試験体で試した通りだよ。しかし、最後の方法はいい所まで行ってた。情報公開請求から侵入するのは筋はいいかも知れない。頑張ってくれ』
『ありがとう。それじゃ、また頼みます』
礼を言って集会場から抜けた。C#7r2アカウントに関連する表示が小さく折り畳まれた。
その夜から、仕事が終わった後と休日は防犯カメラ映像を分析し続けた。複数のキノコ人間が映っている映像を処理し、発光器官の点滅パターンを可視化して読み込んだ。
膨大なデータ量になったそれを有料の分析サービスに出し、暗号解読を依頼した。薬品調整を注文した時より高くついたので、温泉旅行の計画を取り消した。
七月の初旬、結果が帰ってきた。それを用い、命令と点滅パターンを相互に変換する翻訳機能を作成した。試しに、道路工事の安全表示灯を使って点滅パターンで問いかけると正しく識別番号を返してきた。
点滅パターンで命令を送り込めそうなので、アート・パフォーマンスのための命令を組み始めた。画面内の仮想キノコ人間を動かしながら、小さい自然な動作を複数組み合わせた。
また、安全のため、周囲に人がいる場合は命令が実行されないようにし、かつ、ある行動を終え、次の行動に移るまでの間に実行するという条件を付け加えた。
一回目は失敗した。命令の送り込みが出来なかった。データ量の大きな命令だと安全灯の点滅制御に問題が生じ、キノコ人間が受け取れる通信品質を確保できなかった。
二回目は高田馬場駅前の屋外広告を用いた。精細な表示画面から発せられる通信は前に立っていたキノコ人間に受信された。しかし、何も起らなかった。試しに識別番号を請求すると、それは回答された。
数日後、命令に修正と改良を加えて三回目を行った。二回目の時と同じ屋外広告から発信した。
キノコ人間は巨大なアイスクリームの前で直立した。空を指差し、その時新宿に信号を送っていたGPS衛星を軌道投入順に指差していった。そして、四つめを指そうとした所で停止した。人々は通り過ぎていくか、気づいても反応などほとんど見せなかった。それからすぐに回収車がやってきて収容された。
2.87秒。公式はどうだろうか。
『2.79秒。生体回路を搭載していても都市芸術連合のパフォーマンス・アートの対象であると証明された。それをC#7r2が示した』
集会場は拍手と口笛で満たされた。C#7r2は方法を公開し、簡単に講義した。読み取り専用のアカウントも多数来ていた。
『近距離用光通信、実装されたばかりで隙があったか。考えたな』
『でも、すぐに使えなくなります。点滅と暗号パターンは変更されるでしょう。キノコ人間をアートの道具とするにはまだまだ研究しないと』
『そうだな。次の目標はそれか。だが、とにかく今はお祝いを言わせて欲しい。C#7r2は我々の世代の伝説だ』
拍手と口笛が続いていた。
それを後に集会場を抜けると、画面の隅にCMS関連の報道が流れていた。新宿区の発表で、今後管理契約の更新を迎える区内の公共施設の整備をCMSが請け負うという内容だった。対象として区役所、出張所、区立図書館などが挙げられていた。
CMSも同時に発表を行っていた。都市整備ロボットと人工知能の能力向上により、屋内での整備業務の試験を行い、また、警備業務請負を視野に入れた開発を行う。イメージ図があり、警備業務用の追加ユニットを装備したロボットが夜警をしていた。
さらに検索の範囲を広げると、記者会見があったので取り寄せて見た。CMSが警備業務を考えているという点に質問が集中していた。
『では、都市整備ロボットが犯罪者を取り押さえる可能性があるのですか』
広報担当者が答える。
『いいえ、現状ではその可能性はありません。ロボットが行うのは音声による注意、警告、それと通報および記録のみです。現在の法が許す範囲の行動になります』
『犯罪者を見逃すのですか』
『見逃しはしません。通報は速やかに行われ、記録は裁判の証拠として採用可能な品質を備えます』
その答えの後、別の者が質問を行った。
『例えば、警備員が侵入者と格闘していたとします。その際味方になって助けますか』
『その点は我々も想定しました。大変難しい問題であり、多数の専門家に意見をお伺いしました。その結果、都市整備ロボットは実力を行使する支援行動は行わないと決定致しました』
『人が傷ついていてもですか。緊急避難や正当防衛に当たる場合もでしょうか』
『はい。現在の法では、緊急避難や正当防衛は人間に適用される概念となっています。都市整備ロボットは、その作業の必要性から人型をしておりますが、人間ではなく、たとえ目の前で犯罪が実行されていても、それを実力をもって抑制はしません』
『では、警備分野においては結局は人間が必要になり、大幅な省力化には結びつかないのでは?』
『そういう視点もあるでしょう。ただ、警備業務を請け負った都市整備ロボットは、警備と整備作業を同時に二十四時間こなせます。また、研修などの教育期間は不要です。この点において、大いにお役に立てると考えております』
さらに別の、年長の記者が質問した。
『仮定の話で申し訳ありませんが、もし犯罪抑制のためのロボットの実力行使が合法になったら、そういう行動は可能ですか』
広報担当は少し考えて答えた。
『ロボットにはどのような機能の追加も可能ですが、それについては法律だけではなく、社会全体の合意もなくては実現できません。それは我々のみで決定できるものではないと思います』
まだ続きそうだったが、たらればの仮定の議論はつまらないので記者会見を閉じ、仮想キノコ人間を画面いっぱいに拡げた。基本動作を繰り返している。様々な命令を与え、あらゆる方向から突っついて穴がないか調べてみた。研究結果や調査資料が膨れ上がっていった。
暑い夏になった。寮から職場に行くだけで一仕事したようだった。道路や建物が熱を持ち、冷房が空気を暖めているので、日が沈んでも不快なままだった。木陰を通ると空気が違ってましなので、帰りは公園に寄り道していた。
ベンチに座って汗が引くのを待っていると、男女の騒ぐ声がした。もう帰ろうと立ち上がった。木の間からキノコ人間の発光がちらちら見え隠れした。
逃がすなよ、と妙に高い男の声がした。それに答えるように嬌声がする。二人とも中学か高校生くらいだった。キノコ人間を間に挟んでいる。
『現在除草作業中です。柵内に立ち入らないようお願いします』
「ならお前がこっちに来いよ」
「やめなよ、ちょっとかわいそうになってきた」
男はキノコ人間の針路に回り込み、活動停止するかしないかのぎりぎりの距離を保っている。動き出すとそばに寄る。安全命令によって止まりそうになるたびに植木の中でよろけ、転びかける。その様子を見て笑い、撮影していた。それからしばらくすると、二人はキノコ人間と肩を組んで記念撮影し、公園を出ていった。
周囲が静かになり、キノコ人間は作業に戻った。草を分け、土を踏む音しかしない。生物発光の光が、再生した蛍を呼び寄せていた。
端末にメッセージが入り、都市芸術連合のアルファの一人にならないかと誘われたが断った。管理や運営は苦手だし、群れに入った時に宣言したように、飽きたらすぐ止めたいから、というのを理由にした。
もう一つのメッセージは役に立つ提案をしてくれた。新しい情報源を探しているとの相談に、人権保護団体を使ってはどうかと言っていた。防犯カメラなどが適切に運用されているか監視している団体に侵入すればいい。個人よりも都の認可団体の情報請求だと詳細な情報が公開されるとのことだった。それには感謝した。
寮に帰ってからその提案を試してみると、確かに個人請求よりは質の良い情報だった。雨水貯留所の地下施設で警備業務の試験をはじめたキノコ人間の映像があったり、追加ユニットの仕様が見つかったりした。しかも団体の侵入対策は標準のもので、データを持ってくるのには苦労しなかった。
仕様を見ると、警備業務用追加ユニットは撮影を主目的としており、帯状の形で鉢巻のように頭部に取り付けられる。常時周囲を撮影し続け、記録した情報は本体及び無線接続されたデータ貯蔵庫に蓄えられるようになっていた。キノコ人間とは独立しており、相互に命令はしない。
『キノコ人間使った移動防犯カメラを作っただけだな。どうする。C#7r2』
群れのある者はそう言った。
『どうもしない。移動防犯カメラってのはその通りだな。思ったよりシンプルなのを作ってきた感じ。単純すぎて攻めようがない』
『証拠用の撮影目的ならこれで十分だし、結構手堅いの作ったよな』
別の者が言うと皆同意した。それぞれに意見を言うが、C#7r2への期待の声も混じっている。
『これはこれとして、また頼むよ。面白いの見せてくれ』
『C#7r2ばかりに言わないでお前も頑張れよ』
アルファが言うと皆笑った。
その後も人権保護団体が請求して取得した情報を見ていると、キノコ人間が整備と警備をこなす様子がよく分かった。巡回しながら設備の汚れや破損を見つけて清掃や修復を行っている。三体のキノコ人間が薄暗い地下施設で発光し、通信しながら連携を取っていた。
そこに、『試験』の腕章を巻いた人物が現れた。
『ここは管理施設です。関係者以外の立ち入りは禁じられています。その場から動いてはいけません』
警告と同時に管理所へ不審者発見の通報がされたのが画面内に表示された。照明が明るくなる。侵入者は警告を無視して設備をいじっている。
『設備に手を触れるのは違法です。ただちにその行為を止めなさい』
他のキノコ人間も警告を日本語以外で繰り返したが、その場に留まったまま、行動には出なかった。
それからすぐ、侵入者は駆けつけた警備員に取り押さえられ、試験は終了した。
キノコ人間たちは業務を再開し、照明が落とされて薄暗くなった地下施設を歩き回っている。発光器官からの光が貯水槽に映って揺らめいていた。
毎夜、帰宅するとすぐに確認したが、そのような映像ばかりだった。キノコ人間が業務をこなしている。『試験』の腕章をつけた侵入者はキノコ人間を押しやったり、転ばせたりするが、警告するのみで抵抗はしなかった。ある時は水中に落とされたが、身体は浮かぶので自ら這い上がった。
しかし、その夜は変わったデータがあった。『要注意。合意により公開せず』というファイル名で、強めの暗号が掛けてあった。
苦労して解読するといつもの試験映像と文書だった。映像を再生してみると、キノコ人間の様子が違うのにすぐ気付いた。腰にも帯状の追加ユニットが付いている。それの左右には太い管のようなものが一本ずつぶら下がっていた。
そこに『試験』腕章が侵入してくる。そいつは警告を受けるが無視し、大きい鞄を置こうとしていた。
キノコ人間三体中二体が接近を開始した。残った一体は全体を見渡せるような場所に留まっている。
二体は近寄りながら腰の管を一本外して侵入者の方へ向けた。
鈍い噴射音がし、近い方の一体が持つ管から蛍光橙色の網が発射され、侵入者を覆った。もがけばもがくほど絡みついていく。見る限り、目が細かいだけでなく、粘着性の物質が塗られているようだった。
『抵抗を止めなさい。その場で停止しなさい』
命令が各国語で繰り返された。
駆けつけたのは警備員と警察官だった。スプレーをかけて網を外すと、侵入者は笑顔になった。
『すごいですね。これ』
『ご苦労様。いつも大変だね』
気楽な会話をしながら画面外に去っていく所で映像は終わった。
徹はもう一度繰り返して見ながら、映像ファイルと一緒に保存されていた文書を読んだ。
そこには、映像の提供元は明かせないと書かれていた。入手した人権保護団体はこのファイルを公開する予定だったが、直前に警視庁、区、CMSといった関係者から秘密の協議を申し込まれた。その場で、実用段階に進める前に関係者から発表する確約を取り付けたとして、団体は公表を行わない決定がなされたとあった。
警視庁は、ロボットを用いた警備活動について、今後の国際会議などの警護に使用する目的で、区とCMSの協力を得て試験環境を使用させてもらって研究した結果、実力の行使が認められれば大変有用であると評価したのだった。
団体は、この隠蔽については人権に対する重大な侵害があるとは認められず、試験段階での公表に伴う無用の混乱を避けたかったという説明には理解を示していた。
そこまで読んだ時、画面ではちょうど網が発射された所だった。
映像を流したままにしながら、貯金残高を調べた。十分あると確かめると、情報操作系のサービスにファイル内や映像中に埋め込まれた情報タグなどをすべて削除するよう依頼した。次に、匿名性が高度に保たれているデータ配信サービス十箇所以上から公表するよう設定した。
最終の確認が表示されたので、進行するよう命令した。
映像は最初の方に戻り、キノコ人間が警告を発し、腰の発射装置を抜いていた。
冷房が効き過ぎだと感じたので弱めてコーヒーを淹れた。飲み終わる頃、データが公開されたという通知が来た。
それぞれの配信サービスからデータが伝わっていく様子が表示される。初めはごくかすかな波紋のようだった。数日で波紋はさざ波となり、さらに大波にまで育った。
説明を求められた関係者は記録映像の内容が事実であると認め、警視庁はロボットを用いた計画を公表した。実力の行使を含んだ警備計画だった。
警視庁はCMSから実験用のロボットを購入し、従来のものを改造して警備用追加ユニットを開発していた。計画には行動抑制用の網の他に暴徒鎮圧を想定した発煙弾やゴム弾などが含まれており、一部のメディアはこれを問題視した。
同時に、非公開の実験に協力した区とCMS、情報隠蔽に同意した人権保護団体は非難された。
しかし、計画を伏せていたのは誠実さに欠けるとは言え、警察官が警視庁の備品であるロボットに直接指示し、道具として用いるのであれば実力行使には違法性はなかった。また、計画自体は元々公開が予定されていたので、謝罪を含めて関係者は冷静に対処し、夏も終わらない内にこの話題は冷え切ってしまった。
報道や集会場での噂を通じて事態を追いかけていた徹は、警視庁の会見で、試験導入を決めたキノコ人間と警備用追加ユニットを発表する様子を見ていた。
ひと目で警察と分かる白と黒に発色したキノコ人間と、警視庁と名の入った追加ユニットが並べられ、その背後には試験映像が流されていた。都市整備と同様、命令構築と基礎行動の管理はCMSが委託を受けて行うが、警備行動については警視庁が主体となって命令を組み上げると説明された。
『どうする。警察が絡むんじゃ危険過ぎる。キノコ人間への手出しは止めよう』
集会場で誰かが言い、他の者は同意した。皆はC#7r2の発言に注目していた。
『手出ししないのには反対。でも慎重でいようって言うなら賛成。研究は続けますよ』
『でも、気をつけなきゃ。あの映像公開した奴、噂じゃ捕まったらしいよ。ロシアと中国の群れだって。まあ、気をつけなきゃって言っても自分なんかそんな実力ないけど』
新米がそう言ったが、誰も笑わなかった。アルファが聞いてきた。
『前にも誰かが聞いたかも知れないが、なんでそこまでキノコ人間にこだわる? C#7r2』
『確かにアートの対象になるシステムなら他にいくらでもあるけど、特別なんです。人型をしているからかも知れません。人型をしている物が群れ集まってシステムを成している。ちょっとつついてみたくなるんです』
『蟻の巣を壊すような感じか』
『ちょっと違います。壊したくはない。キノコ人間がどれほど役に立ってるか分かってます。でも、いたずらの範囲で何かしてやりたいんです』
『ほんのちょっぴりの反抗か。分かる気がする』
『ええ、社会という仕組みは否定しませんし、我々はその中で生きてますが、仕組みを使って楽しいことをしたい。子供の頃やったでしょう。オン・オフスイッチのちょうど真ん中を探るの。今やってるのもそれと大して変わりないんです』
皆少しの間静かになった。アルファがなだめるように発言した。
『よけいなお世話かも知れないが、少し活動を休んだらどうかな』
『心配かけてすみません。そうします。夏休み取ります。アツくなりすぎました』
集会場を抜け、画面を消した。窓を開けるとむっとする不快な熱気が入ってきたのですぐ閉めた。
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