二
作業台に『CMS-FWU-7202064』が寝かされていた。周囲の画面にはデータが流れている。加藤直子はそれを読みながら、流しっぱなしにしている御苑の防犯カメラ映像を横目で見た。
「どうだい。何か分かった?」
部長が研究室の扉を半分開けて聞いてきた。
「はい。俗に言うドライとウェット併用でした。ウェットは調製品でしょう」
「停止反応が起きなかったのは薬のせいか」
「そうです。言ってみれば酔った状態にされたのでしょう。後、異常命令の検知が遅れたのもですね」
「上手いこと考えたな。で、今後は?」
加藤は映像を止め、部長の方を見る。
「ちょうど帰ってきたこれを使って薬効を確認します。成分は分解しかかってましたが何とか分析できました。合成は終わってます」
「どうやって投与されたんだろうな」
「分かりません。しかし成分の分解速度からして三時間以内でしょう」
部長は頭を掻いた。
「分かった。映像確認は別のチームにやらせる。加藤さんはその薬効の確認と防御手段の確立に専念してほしい」
「それだと、識別アルゴリズムはどうします。そっちも急ぎでは?」
「ああ、そうか。そっちもか。でもいいや。子供に怪我させたってのは大きいよ。加藤さんはこれを優先で」
「分かりました。ではチームを分けます。ところで、その子、どうです?」
「大丈夫。顔だけど痕は一切残らない。脳の精密検査も問題なし。精神面も異常認められず、だよ。訴訟もない。ご両親は謝罪を受け入れてくれた。安心した?」
加藤は軽く笑顔になった。
「良かった。これで作業に集中できます」
「じゃ、頼む」
部長が扉を閉めて去ると、加藤は自分のチームに連絡を取り、一人助手に来てもらうよう指示した。残りは識別アルゴリズムの改良に当たらせた。
画面を整理し、『CMS-FWU-7202064』の基礎データを改めて表示させた。
『CMS-FWU-7202064』
身長:155.3cm
乾燥重量:20.4Kg
駆動液充填重量:27.2Kg
稼働重量(栄養液全量補給状態):38.1Kg
予想稼働時間(標準作業):12.5時間
体内の各器官や強化木材骨格に損傷はなく、体表を覆う密集した菌糸繊維にも汚染された様子は無かった。硬さも正常でゴムタイヤ並だった。この個体は部分的に青と赤に発色して模様になっている。駆動シリンダーを個別に試験したが数値は範囲内だった。感覚器官は外部環境を問題なく認識している。それらを統合する頭脳は正しい判断を下し、CMS日本支社の中央頭脳群と規定通りに連絡を取り合っている。
加藤は助手と共に横たわった人型都市整備ロボットを起こし、直立架台にもたれさせた。
「順に起動して」
助手は画面に指示を出した。
傾いていた球形の頭部が震え、真っ直ぐに起きた。それとともに蹄が床を踏んでしっかり立つ硬い音がした。初期直立姿勢を取る。
加藤はロボットの頭部を一周している帯状の感覚器官から送られるデータを確認した。視覚、聴覚、嗅覚いずれも正常値だった。また、体表からのも同様に正常値だった。
『私は『CMS-FWU-7202064』です。起動完了』
「自己試験開始」
『自己試験開始します。完了。正常値の範囲内です』
ロボットは頭部内に収められている発声器官から回答した。声は意図的に人間味を取り除かれ、性別は不明瞭にされていた。
「いつもの試験しますか?」
加藤は頷き、助手は試験の指示を与えた。
ロボットは十歩進み、十歩戻った。その間に手足を自在に動かして動作試験の各項目を実行する。前後の区別はない。手は五本指だが外側二本が対向している。足の円形の蹄は研究室の床で滑らないよう、断崖に立つ山羊のように開き気味になっていた。各関節は一回転は出来ないとは言え、曲がる方向に制限は無い。腕と足の各部品には左右はなく、人型をしているが、試験動作は人間離れしていた。
「正常ですね。もう異常命令や薬剤の影響はありません」
助手はデータを指差しながら言った。
「では、採取した異常命令を送り込んで」
「完了。あ、命令だけでは実行はしないんですね。薬剤は起動のトリガーにもなってるのか」
ロボットは試験動作を繰り返している。異常命令を送り込まれる前後で出力される情報に違いは無かった。
加藤は注入器を取り出し、届いたばかりのアンプルの中身を入れた。薬剤は琥珀色で、水よりは粘性が高い。助手がロボットを停止させ、こちら側の腕を水平に上げさせた。その手を取り、手首の付け根にある栄養液補給口を開いて注入した。
「異常命令が実行されました。検知はされていません。安全確認機能が遮断されました。感覚器官からの情報処理に遅延発生。0.35秒のずれです」
情報を読み上げる助手の声を聞きながら、加藤は手元の試験棒を差し出した。棒は人体であると誤解釈させるような情報を発信している。
ロボットはそれを無視し、御苑の防犯カメラの映像のように両腕を振り上げて止まった。棒は撥ねのけられた。助手は笑いを噛み殺している。
「異常命令を検知。動作停止しました。3.02秒。ほんとに阿波踊りですね」
「素人にしてはよくやったかな。まあ、最近はプロもアマチュアもほとんど区別つかないけど」
それから二人で分析を開始した。異常命令と薬剤の組み合わせなので、どちらか片方にのみ対処しても役には立たない。それでも、異常命令中の薬剤に反応する部分に特徴があると分かった。
「じゃ、そこの検知と無効化、それと薬剤そのものの無効化と分解の二本立てで行きましょう」
「そうしましょう。で、この阿波踊りはもういいですか」
「ええ、薬剤が分解しきったら初期化と再起動お願い。でも、この個体はここに留めておく。対応策ができたら試験用に使いたいから確保しときましょう。届け書いといて」
助手にそれだけ頼むと研究室を出た。もう昼過ぎだった。社内のカフェであれこれと見比べ、トーストしたパンのカツサンドとサラダを頼んだ。
食後、カフェオレを飲みながら端末を開き、読み取りだけのアカウントで、いくつかの群れの集会場を覗いた。
『代々木駅のトイレ、薬剤投入と洗浄間隔を縮めてやった。これで臭いがましになる』
『その前にお前の臭いを何とかしろよ。大体、便所の制御乗っ取ったくらい報告するな。そんなの新参の修行だぞ』
『じゃあ、お前は何やったんだ? 一年も群れにいるのにクラブ入りも出来ないくせに』
『うるせ。見てろ、キノコ人間操ってやる』
『お前にゃ無理だよ』
『なあ、御苑のあれ、詳しい情報持ってるか』
カフェオレを飲む手が止まった。
『二秒超えたんだろ。すごいよな。あの群れは俺らとは格が違うよ』
『アーティスト気取りが鼻につくけどな』
『子供に怪我させたんだ。追放になったって』
『自分から出てったらしいよ』
『出てったって、そう仕向けられたんだろ?』
『どうやったんだろうな。教えてくれるんならうちは大歓迎なのに』
カフェオレを飲み干すと、過去の発言を検索し、その群れを突き止めた。他の群れとは別の集会場で情報交換していたので、とりあえずアカウントは作らずに公開されている紹介文を読むと、その『都市芸術連合』と称する群れはいくつかの都市芸術家を名乗る群れが合わさった群れだった。
活動として、屋外広告やネットワークに接続された機器、それから最近は都市整備ロボットを対象にし、彼らの言う『アート』を創作していた。『システムをその意図された動作から逸脱させる事により、システムの牢獄で生きる現代人にそこからの精神的脱出手段を提供し、これをアートと成す……』などと活動理念がずらずらと並んでいたがそこは読み飛ばした。
活動の履歴には御苑の件は記載されていなかった。公開情報を探ったが、構成員の出入りなど、それらしい手掛かりは何もなかった。
「こっちでもつかんでるよ。かなりのテクニック持ってそうだな」
食後、薬効の実験結果と今後の方針を報告するついでに、群れが話題にしていた都市芸術連合の話をすると、部長はそう言った。
「そうです。背伸びしてる子供ではなさそうです」
「噂が本当なら、そいつら、怪我させたからって追放してる。テクニック持ってても」
「他の群れとは少し異なりますね。都市芸術って言うのは理解し難いですが」
「かえって面倒だ。実は映像解析は行き詰まった。やっぱり素人じゃ無理だな。それで、そういう群れをたどれば、やった奴が自慢してると思ったんだけどな」
部長は、ロボットを試験用に確保しておく届けに承認印を押して加藤に見せ、担当部署に送信した。
「どう、いけそう?」
「明日中には対策取れます。それから検査してもらって配布ですから、今週中には完了予定です。そしたら識別アルゴリズム開発に戻ります」
「分かった。識別は大変?」
「思ったより。道端にある子供の玩具や、私有地境界線をはみ出た空の植木鉢をゴミかどうか見分けさせるのは歯応えありますね」
「頑張ってよ。テスト地区、増える予定だから」
報告を終え、研究室に戻ると、ロボットは初期直立姿勢を取っていた。助手が画面を指し、薬品の分解と初期化、再起動が終わったと告げた。
「ありがとう。じゃ、かかりましょう」
その日の夜遅くまで対抗命令を組んだ。今回使用された異常命令を検知し、実行せず報告するようにする。薬剤も身体中に拡散する前に分解してしまうよう組み替えた。
「また動作が遅くなりますね。侵入に対応するたびに性能が落ちていく」
ある程度完成した所で助手がぼやいた。
「こういうシステムを作ってるからには、ある程度は覚悟してたけど、ここまでひどいとはね」
そう言って同意した。画面には初期状態での動作や演算速度と、今回も含め様々な対抗命令や機能が組み込まれた後の速度を試算して比較した結果が表示されていた。
「このまま本番への移行は苦しいんじゃないですか。大改造した識別アルゴリズムだって加わりますし」
助手がほのめかすように言った。加藤はそれに答えず、別の試算を行ってみた。そちらだと速度低下はなく、なおかつたっぷりと余裕を見せていた。
「もう一回それ提案して下さいよ。キノコ人間を本当にキノコにしましょう。そっちの方が理にかなってる」
助手を軽く睨む。『キノコ人間』という俗称は好きではなかった。記録に残さず試算結果を消した。
「未練がましかった。今は目の前の仕事を片付けて。これはもう却下されたんだから。手持ちのもので最善の結果を出しましょう」
「済みません。そうします」
翌日午前中には試験を終え、部長に報告後、対抗命令を検査に出した。問題なければ現場の一万体と倉庫の五百体に配布される。
それから、加藤と助手は今朝の開発進行報告を読み、昼から識別アルゴリズムの開発に戻った。当初の予定は変更し、対抗命令の現場動作確認は開発作業と並行して行うと通知した。
何がゴミで何がそうでないか。ゴミだったとしても都市整備ロボットが処理して良い範囲のゴミかどうか。チームは粘土細工か編み物をするように命令を組む。
その細工の至る所にゴミに関する法律や条例のメモが貼り付いている。所有権の問題が絡むだけに、公共物の補修などより複雑だった。命令の基礎はCMSの頭脳群が作っているが、加藤の目から見るとまだ荒かった。
「道路に私物を置きっぱなしにすんなよな。空っぽの植木鉢なんか物置にしまっとけよ」
誰かが冗談混じりに愚痴をこぼしている。そういう言い方はチームのお決まりになっていた。
「なあ、集積ボックスから風で飛ばされたゴミは何メートル離れたらキノコ人間に吸収させていいんだっけ?」
「投げ込みそこねたゴミと同じ扱いだよ」
「おい、電球の交換にキノコ人間何体いる?」
「一体。ただし弁護士事務所一つが見守ってること」
「結局、市民がきちんとルールを守ればいいのさ」
「そんな理想市民がいたら、私らの仕事いらないよね」
「でも、理想市民はすでにいるよ。キノコ人間たちさ。作っといてなんだが、あいつら道徳教育に使えるよ」
無駄話だらけだが、手は止まっていないので加藤は注意しない。水を一口のみ、作業の進行具合を確かめた。遅れてはいるが、破滅的ではない。進行表の黄色の幅は狭くなってきていた。
それはそのままに、別画面に速度の試算をもう一度出し、小さく舌打ちした。こちらは黄色は出てはいないが、ぎりぎりの所だった。改良版識別アルゴリズムを組み込むと、これ以上の侵入や不意の事態に備えるのに困難が予想されると言う注意が表示された。
動作アニメーションもあきらかに遅くなった。技術者だけでなく、普通の人にも分かる程度に遅い。時間あたりの作業効率は人間より劣りはしないが、福祉作業や失業者対策を口実にされた場合、弱みになりそうだと分析されていた。
もう一度小さく舌打ちし、それらの分析画面を片付けて今の仕事に戻った。
「対抗命令は問題ありませんでした。正常に動作しています」
配布が全て完了した日の夕方、本社に出張している部長に報告を行うと、画面の中で頷いた。背景は高層ビルばかりだ。新宿区に比べると、プレトリアは緑が少ない都市だった。
「速度の方は?」
「それも問題ありません」
「今の所は、だろ?」
「そうですね。それは以前の報告通りです。改善の目途は立っていません」
「それについてだけど、電話ボックスに入ってくれるかな。手間掛けて済まない」
空きを調べ、チームの者に電話ボックスに入ると告げた。
「入りました。機密を要することですか。回線も切り替えますか」
「そこまではいい。周りに聞こえないだけでいいよ」
部長は会議の経緯を早口で話した。
「前の提案、浮かび上がってきてるんだ。二ヶ月前却下されたやつ。改めて本社の研究所が注目してる。今起きてる想定以上の速度低下への根本的対策になりそうだって」
別画面で提案書を開いた。却下の印が押してあった。
「進行するんですか」
「いや、具体的な話はまだだけど、試験を求められた。どうする? やってみるか」
「新たに計画や書類を起こしている時間はありません。前のままならすぐ取り掛かれます」
「識別アルゴリズム開発は?」
「並行できます。それに、比較試験用に使えます。ちょうどいい。生体回路なら性能低下はないでしょう」
「そこまで言って大丈夫?」
「試算は何度か行ってます。それより、一度本社側で却下した提案を、本社の命令で試験するって形になるんですよね。それなら計画の主導権はこっちに頂きたいのですが」
部長は笑った。
「政治はまかせとけ。いつから始められる?」
「書類の却下印が消えたらすぐです」
その日の夜遅く却下印が消えた。また、部長から会議の詳細と、主導権が取れた旨のメッセージが届いた。それから雑務を片付けて、加藤は会社を出た。向かいの都庁は大改装中で、こんな時間でも明るかった。
帰宅する前に中央公園に寄り道した。ロボットが二体、伐採した木を運んでいた。別の所ではお互い手をつなぎ合って栄養液の補給を行っていた。手首の補給口を合わせるように手をつなぐので、遠目には恋人同士に見えた。
その様子を見ている内、思いついたように端末を取り出してこの近辺の補給所を調べ、この距離であればロボット同士で補給する方が適切だと確かめた。中央の頭脳群の判断は正しい。
ついでに公園内のロボットの配置と作業を表示させる。気になる点はなく、すべての個体が公園管理を命令どおりこなしていた。
こんな遅い時刻になると、春と言っても気温は低い。しかし、冷たい風に髪を乱させたまま、画面の中の点から周りを見回すと、その位置にロボットの緑の光が見えたり隠れたりしていた。
それを見てメモを取った。ロボット同士の近距離通信に、音声に加えて光も利用できないかと言う内容だった。電波は認可を取るのに手間がかかる。一、二メートルくらいの超近距離通信には音を使っていたが、十メートル程なら光を使ってはどうかという案だった。
十五分ほどでメモをまとめ、公園を出ると帰宅した。途中の路上でもロボットが作業していた。
翌朝、チームの皆に例の提案の却下が撤回され、生体回路の試験が始まると言うと喜んだ。ただし、当面は識別アルゴリズム開発を優先とし、試験は加藤単独で行うと説明した。
「手伝いに行ってもいいですか。休憩時間に」
「気持ちは分かるし、ありがたいけど、休憩時間は休憩を取って下さい」
言う事を聞きそうにない顔をしているので、状況はチームの集会場に公表するから、と付け加えた。
研究室に入ると、奥の保管庫から提案作成時に使った生体回路を取り出した。見た目は半透明な樹脂で覆った分厚いコルクのコースターに見える。加藤は栄養液の管と回路をつなぎ、試験を走らせた。省略なしの試験のため、午前中いっぱいかかりそうなので、その間に組み込み作業の再確認を行う。
『CMS-FWU-7202064』の胸郭を開き、現在の頭脳である電子回路を取り出して交換する。すべてがモジュール化されているので取り替えるだけの工程だったが、それを何度も確認し、眼鏡を掛けて模擬作業を繰り返した。
合図の音が柔らかく鳴り、試験が完了した。結果は正常だった。すぐに最新の情報に更新を始めた。
ロボットを作業台に固定し、交換作業のために四肢を取り外すのは、手伝いもあったのですぐに終わった。朝、ああは言ったものの、チームの皆は何かと理由をつけては覗きに来、手を出したがった。
菌糸繊維の何層にもなった外皮を剥がし、強化木材骨格で籠状になった胸郭を開くと、色鮮やかな内部構造が現れた。腕や足につながる繊維強化された竹製の駆動シリンダーは青緑、分解酵素や栄養液を貯蔵し、送り出す培養筋肉の袋はぶどうの房のようで、内容物によって赤から青紫まで様々な色をしている。そこから栄養液などを体中に運ぶために改造された細い緑の蔦が各生体部品まで届いている。そのすべての器官を網状になった透明な菌糸が包んで情報の入出力を行っていた。
ただひとつ、明らかに他と異なるのが電子回路と付属の充電池だった。その黒い箱だけが生体ではない。手順通り注意深く配線を外して取り出し、軽く拭うと保管庫に収めた。
生体回路の取り付けには時間はかからなかった。胸を開いた状態のまま入出力試験を行い、正常を確認後、開いたのとは逆に胸郭を閉じ、四肢を接続した。
起動命令を送ると、普段と変わらない様子で目覚めた。
『私は『CMS-FWU-7202064-TEST001』です。起動完了』
「自己試験開始」
『自己試験開始します。完了。正常値の範囲内です』
「動作試験開始。標準で。終了指示あるまで繰り返し」
ロボットは研究室を進んだり戻ったりしながら手足を動かし始めた。画面を流れる情報を確かめ、交換前と比較した。
「どうですか」
チームの者が数人で画面を見ていた。
「正常。予想通り。そっちは」
「進んでます。遅れは取り戻しました。これで試験するんですか」
「そう。電子回路と比較する予定」
翌週、出来たばかりの識別アルゴリズムを組み込んだ上で比較試験が始まった。帰国した部長が見ている。
「試算通りだな。これなら次の段階に進めそうだ」
「試験体の確保、よろしくお願いします」
「百体、一パーセントも必要かい?」
「必要です。そこは提案書通りですよ」
「本社が渋い顔しそうだ」
「政治はおまかせします」
新宿で活動中の一万体のうち、百体を生体回路に置き換えるのは手作業のため十日ほどかかり、終わる頃には連休が始まろうとしていた。
「休みは暦通り取ってくれよ」
「交換したばかりです。代休取りますから」
「本社がうるさいんだ。これも政治でね。社員の休暇はその国の暦通りって人事管理が決めた。代休とかは評価下がるよ。有休も年度内全消化が義務」
「働く時間をそんなに減らしてどうするんですか」
「加藤さんは生まれる時代を間違えたんじゃないの。休暇取るのも仕事のうちだと思いなさい」
部長は口だけではなかった。連休中の頭脳群への接続は制限され、仕事の持ち帰りは許可されなかった。生体回路の試験と識別アルゴリズムの動作確認は連休の合間に行わなければならない。加藤とチームの皆は、各試験項目の評価を自動で行う命令を組み上げた。
「皆、気になるだろうけど、休みは休みで楽しんで。まとめは連休明けにしましょう」
連休が始まったが、加藤は泊りがけの旅行などはしなかった。勉強の隙間に買物や散歩をし、読みたかった昔の小説や随筆を片付けた。
新宿の街はいつでも人があふれ、ロボットが働いていた。調べてみて番号末尾にTESTがあれば動作をじっと観察してみたが、研究室での試算ほどには目立った違いは現れなかった。チームの皆が識別アルゴリズムを最後まで追い込んでくれた成果だった。それでも、ちょっとした動作で生体回路の優位性が見て取れた。
しかし、その日はロボットの観察は切り上げ、御苑の第二温室を見に行った。最近出来たばかりで熱帯の植物を展示していた。そこは湿気と色に満ちていた。また、一部の植物の芳香には圧倒され、体中にその香りがしみ込んだようだった。
第二温室を出て御苑を散歩する。ここにはCMS製や他社のロボットはおらず、人間が保守整備を行っている。作業服の背には昔から作業を請け負っている管理団体の名前があった。その動きは加藤の目には非効率であるように映った。中央公園など、ロボット管理の公園と比べるとトイレや水飲み機などの設備も汚れが残っていた。
連休が明けると、朝から暖かく感じる日が増えてきた。加藤は上着を薄めのものに替えた。
テスト結果を流して見た。試験体は通常と変わらず作業をこなしている。侵入に対しても想定どおりの耐性を見せつつ、動作は遅くなっていない。
「侵入者ども、TESTナンバーには気づいてるけど、どうしようもない感じだな」
「ほんと、そのままあきらめりゃいいのに。もう素人が手を出せる領域じゃないんだよ。生体回路は」
「電子回路の方、気になるな。耐性は同様だけど、侵入を受けると遅くなってる。長期だと効率に関わりそうだよ」
それを聞いた加藤はチームの雑談に加わった。
「どのくらい悪くなりそう?」
「最悪で五パーセントくらいです。まだ試算はしてませんが」
「お願いしていい? 結果次第で置き換えの前倒しも考えましょう」
「分かりました。午前中には出します」
「すいません。こっちもいいですか。ちょっと気になるデータがあります」
他の者が加藤に呼びかけた。画面を指差している。
「TESTナンバーですが、想定以上に効率が良くなってます。どうやら本社の研究所がこっちの休み中に何かしたようです」
「何かって?」
「おそらく、基礎命令の更新でしょう。最適化されて効率が上がってます」
「通知は?」
「ありません。勝手にやってます。信頼関係なくなりますよ」
「部長に話をします。そのデータこっちに回して下さい」
午後遅く、部長を捕まえて二件とも話をした。
「置き換えの前倒しについては分かった。担当部署に話をしてみよう。ただ、それについてはあまり期待しないでほしい。試験短縮は現場はいい顔をしないだろうしな」
部長はそう言ってちらりと画面を見、また目を加藤に戻した。
「こっちも言っては見るが難しいぞ。生体回路そのものはうちのロボット用に作られたものじゃない。向こうはごく小さい改良だと説明するだろうな」
「そうですが、通知くらいは必要でしょう」
「この規模なら不要だな。我々だって、小規模で作業仕様に変更なければ通知なしで更新するだろう」
「そうですが、それは現場の了解が取れています」
「いや、だから言ってはみる。それでいいかい」
「分かりました。よろしくお願いします」
戻ってチームに説明すると、皆はあまり感情を顕わにせずにそれぞれの作業を再開した。
TESTナンバーからのデータが次々に上がってくる。通知なしの更新に目をつぶれば、生体回路の効率向上は悪い結果にはなっていなかった。ロボットの動作や判断に悪影響は与えていない。念の為、加藤は本社が行った更新内容を取り寄せて分析を始めた。
夜のチーム会議で、皆の作業報告を聞いてから、その分析結果をチームの皆に示した。
「良くなりすぎですね」
今朝、効率向上を報告した者がつぶやいた。
「そう。基礎命令の更新だけが原因とは思えません。他に心当たりはないですか」
「試験体は在庫の新品だからではないですか」
言った本人も口に出しただけで、そう思ってなさそうな口調だった。
「あり得るけど、その影響はわずかでしょう」
「うち以外はどうですか。生体回路を使った他のシステムでも同様の効率向上は見られますか」
「はいといいえ両方。効率は良くなるけど、うちのロボットほどじゃない。うちのは想定以上に良くなってる」
「気に入らないですね」
「そう。気に入らない。予想をはみ出る事態です。これは説明できなければいけない」
「中止しますか」
「いえ、試験は続行します。でもこの効率向上の原因を突き止めましょう。お願いします」
全員頷く。チームが動き出すのを確認し、加藤も自分の仕事を始めた。退社前に『CMS-FWU-7202064-TEST001』の回収依頼を出した。最初期の個体を再確認するという理由をつけた。
翌日の昼前、TEST001が届いた。研究室の作業台に横たわっている。手早く四肢を取り外し、胸郭を開けた。
動作中の生体回路は、半透明のケースの中で、乳白色の繊維状の回路を発達させていた。黴が生えたようだった。茶色のコースターのように見えていた基盤はほぼ覆われて見えにくい。
それを試験回路につなぎ、仮想の新宿を歩かせた。新宿駅東口から歌舞伎町方面に向かい、途中で折れて靖国通りを通って新宿通り伝いに駅に戻る。その間にTEST001が何を見、その中の何に注目するかを観察した。
ゴミや汚物を回収し、公共物の破損具合を確かめ、人々の邪魔にならないよう緩急をつけて歩き、時には避け、時には停止する。ロボット同士では通信を行って情報交換した。
時間を進め、他の場所でも行動させた。また、時々加藤が介入して突発事態を起こしてみた。それから結果を整理した。
「研究室だと想定内に収まります。生体回路の自己改良と成長はグラフの通りです」
翌日の夕方、そのデータをチームに公開した。皆が加藤を見ている。まとめている途中でもチームの集会場に公表していたので皆の理解は早かった。
「現場だと想定を超えて改良される。これについて何かありますか」
「研究室になくて現場で起こっているものと言えば決まってます。侵入の試みでしょう」
チームの若手が声を上げた。それに頷き、加藤は続けた。
「ええ、攻撃です。それへの対抗として成長が加速されています。生体回路の動作としては仕様通りです。回路そのものが自分で自分を組み替え、育っています。しかし、我々の制御や理解の範囲を超えようとしています。現に一時的とは言え効率向上の原因を見誤り、不明になっていました」
一度言葉を切って続ける。
「我々は、悪意ある一部市民からの攻撃に対し、後手で対応してきました。今後もそれは変わりません。しかし、生体回路はその仕様上、動作効率を向上しようとします。我々の方針と矛盾が生じる事態が予想されます。皆の意見や提案をお願いします」
「能力の向上範囲にキャップをはめましょう。天井の値は我々が提案すればいい」
皆が同意するように頷いたりつぶやいたりした。
「それが現実的でしょう。次は方法です。生体回路自体は本社研究所が特許取得していて改造はできません。ロボット仕様の特注品を作らせていたら試験が大幅に遅れます。良い案はありませんか」
もう一度言葉を切った。皆考えているようだった。
「では、明後日まで提案を受け付けます。その後、実行です。皆で知恵を絞りましょう」
提案がいくつか出され、加藤は実現可能性や費用対効果を検討し、一つに決定した。
「飢えさせるのか。要は」
部長は画面を見て顎をなでている。
「そうです。栄養液供給を制限します。一番簡単で、我々だけで全面的に制御可能です」
「改造にどのくらい手間がかかる?」
「手間はかかりません。定期更新の範囲です。機械的な改造は不要。ポンプと弁の動作変更のみなので」
「よし。これで行こう。ところで、試験自体は上手く行っているんだな」
「報告どおり順調です」
「なら、本番の前倒しを検討しよう。前は現場が嫌がるって言ったけれど、そこは何とか話を通す。効率向上が著しい。本社が注目しているんだ」
「攻撃も増えています」
「そう。実はそれもある。本社が注目したせいで世界中の目を引き始めた。電子回路では対抗しきれない可能性がさらに高くなった。将来的にはここの頭脳群も置き換えられるだろう。そのつもりでいてほしい」
「私としては頭脳群は電子回路のままがいいと思いますが。枯れてる方が制御しやすいので」
部長はため息をついて頷いた。
「私もそう思う。特に公共の福祉に関する技術は枯れていてほしい。しかし、枯れた技術は攻撃者にとっても枯れている。我々は最先端の半歩先にいないといけないらしいな」
加藤は苦笑いした。掲示されている都市整備ロボットのポスターの中でロボットがゴミを拾っており、その側にCMSのロゴが現れ、モットーの『最先端の半歩先』が同時に浮き上がったからだった。
チームはよく働き、翌週には生体回路の性能向上制限値の提案書と、栄養液供給制限のための命令を仕上げた。
提案書はほぼそのまま通り、供給制限の命令は週の定期更新に合わせて配布された。少しするとTESTナンバーの効率向上は予想の範囲内に落ち着き始めた。
また、現場と合意が取れたので試験は短縮され、五月の残りと六月いっぱいを使って生体回路が本番に入る予定となった。
加藤は画面に今後の予定を表示させ、黄色がまったく無くなった進行表を確認した。隅に気象予報が流れている。今年の梅雨は早く訪れ、長引きそうだと告げていた。
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