エピローグ
預言者
「薄々思っちゃいたけど、あんたって仕事人間よね」
ティーポットの乗ったワゴンを押しながら、勝手に部屋の戸を開けて早々言い放った古馴染みの女に、ヨナは「心外だ」と顔を顰めた。
「好きでやってるわけじゃないよ……というか、君に言われたくはないな。会うたび聞いてる気がするんだけど、何でうちでメイドの真似なんかしてるのさ、ノラ」
「あたしもいつも答えてるじゃないの。しばらく何があるか分からないから花屋畳んだ方がいい、巻き込んだ責任取るからうちに来て、ってあんたが言ったんでしょ」
「うんまあ言ったね、言ったけど、その要約には悪意を感じる」
何でよ、と腰に手を当てたノラを一瞥し、ヨナはこれ見よがしに溜息を吐いた。そのまま大きく伸びをして立ち上がる。肩がばきぼきと恐ろしい音を立てたのは、聞かなかったことにしておこう。
お茶が用意された卓の方へ向かうと、彼はソファに深く身を沈めた。
「何のお茶?」
「カモミールよ」
「えー。ただでさえ寝そうなのに?」
「寝ればいいでしょ」
「できるならそうしてるって……」
ふあ、と欠伸を噛み殺しながら、ヨナは首を振る。魔女騒動に決着がついたあの日から、休む暇もないほど忙しい日が続いていた。
どさくさの勢いで曖昧に振り切った諸々は、時と共に忘れてもらえるほど甘くはなかった。すったもんだの末、ロビンが彼自身の名で即位することとなり数か月が経った頃。新たな体制も落ち着いてきたかと思いきや、反動のようにあの時の疑問や疑惑が噴出し始めた。
レグルス王子はそもそも一年前に亡くなったのではなかったのか。教団は何を成そうとしていたのか。魔女を造るとは一体どういうことか。一体どうやってエストレイア伯は逃げ果せたというのか。助かった者は他にいないのか。まだ魔女がいるということか。伯自身は魔女とはならなかったのか。そして何より――
「これまた酷い顔だのう。立派な隈をこしらえて、狸にでもなるつもりか?」
「そりゃあなたの子ですからね。ごきげんよう化け狸、何しにきやがったんですか」
「何じゃお前、雑な返事を寄越して。さては本当に寝ておらんな」
「ははは、おかげさまで。まともに寝る暇ありませんとも。言いたいことがそれだけならお帰りはあちらですよ」
いつになく投げやりな反応に、豊かな髭の化け狸、もといウルフズベイン卿は肩を竦める。
最近すっかり悠々自適の隠居生活を決め込んでいる老爺は、ヨナのはす向かいに勝手に腰かけ、ふさふさの眉を片方ひょいと持ち上げた。
「休むのも仕事の内と思って要領良くやらんか。お前はいちいち真面目に考え過ぎる、わしの子のくせに。……お前の顔を見に来たのはついでじゃよ。今日はあの子の好きそうな菓子を取り寄せたんじゃが、どうも姿が見えんのでな」
「またですか。娘欲しかったのは知ってますが、びっくりするほど溺愛してますね。いや僕も父さんのこと言えませんけど」
「お前が遊び歩いてばかりでさっさと嫁貰わんからじゃろ」
「寝る間も惜しんで働いて過労死しかけてる僕に何てこと言うんですかこのクソジジイ髭毟ってやろうか。ほんと真面目で損してますよ、親に似ず。てかそれ嫁に来る気がない人の方に言ってくれません? 本人いつの間にか消えてますけどね」
「そりゃお前の普段の行いが悪いな。あと髭はわしのチャームポイントだからやめてちょうだい」
普段の行いと言われては、ぐうの音も出ない。方々で愛想を振りまき、密偵まがいの二重三重生活を半ば強いられていたヨナにしてみれば、少々理不尽な話ではあるが。
ごろりと行儀悪くソファに寝そべって、ヨナは薄ら目を開けた。卓の上には、花の砂糖漬けが入った可愛らしい瓶がちょこんと置いてある。なるほど、いかにも義妹の気に入りそうなものだ。
――あの魔女騒動から、約一年。
未だ様々な憶測が飛び交う中、人々の現在の関心事といえば、ウルフズベイン卿が迎えた養女リン・カーレン・ウルフズベインについてである。
古代皇帝一族の末裔、とまでは既に周知となってしまったものの、まさか魔女の娘その人ですと言うわけにもいかず、系譜はヨナと父が適当にでっち上げた。元を辿れば魔女とカーレン家は同じものなのだが、そんなものを証明する文書も口伝も何もかも、「浄化」され尽くしていて残っていない。何がどう転がるか分からないわね、と複雑な顔でぼやいていたリンは、こうして、正式にヨナの妹となった。
崩御の一報が敵をおびき出すための狂言であったと公表し、堂々と戻ってきて王冠をロビンに譲った前王と、不滅の魔女を討伐した英雄として諸国からも一目置かれ、万雷の拍手で民に迎えられた新王ロビン。そんな王家からの覚えもめでたいウルフズベイン公爵家の養女であり、古代帝国の血を引く唯一の少女ともなると、否が応でも注目を浴びる。
一度はロビンと恋仲という噂が立ったこともあった。当のロビンがあっさり否定したことで、今度はまた別の噂が囁かれることとなったのだけれど。そちらは否定する必要がないので、ヨナもロビンも言わせるままに任せている、というのはリンには内緒の話だ。
「……リンなら、いつもの通りですよ」
眠そうな目を猫のように細めて、ヨナは吐息で笑った。
それで察したらしいウルフズベイン卿が、立派な髭の奥で頬を緩ませる。
「また王子様探しか」
「健気でしょう、一年毎日飽きもせず。今日はそろそろ戻ると思いますけどね」
「あら、じゃあカップもう一つ用意した方が良かった?」
客用のカップと淹れ直したお茶を持って戻ってきたノラが、ぱちりと目を瞬かせた。だから何で君が率先して働いてるんだい、と苦笑を零し、ヨナは首を振る。
「いや。カップはもう二つ必要だろうね。君も含めて三つかな?」
「三つ? あたしも?」
「ロビン陛下は僕と同じく死んだ目で仕事してるだろうから、いきなり呼びつけるのは気が引けるじゃないか」
「はあ?」
きょとんと首を傾げるノラに、昔と比べて随分穏やかになった濃紫は、笑みを深めて頷いた。
「
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます