アクイレギアは誰も愛さない

8-1

 日の射さない地下室の隅で、リンは相変わらず膝を抱えて蹲っていた。


「……はぁ……」


 ここへ連れて来られて、何日経ったのだろう。

 両手を拘束している魔封じは、なかなか念入りに作られていて、今のリンには破れそうにない。血と毒を併せ持ってこその「カーレンの魔女」なのだ。血しかないより幾分マシだが、毒だけの魔女の力などたかが知れている。


 たまに訪れるヨナとの会話で、見張りの兵が口を滑らせたことによれば、ここは王都の大聖堂らしい。そして、深紅の巫女装束――かつて、リンの母が儀式の際に着ていたものとよく似ている――を身に纏ったあの女が、教団の主なのだという。

 リンや母のような魔女を、この教団は弾圧しているのではなかったか。リンが抱いたその疑問も、やはり、見張りの「うっかり」で早々に解決していた。


 また、拘束されてはいるものの、リンの待遇自体は極端に悪いものではなかった。床は冷たく、壁もごつごつとした石が剥き出しではあったが、牢屋と呼ぶには綺麗なものだ。マットは硬いが、まともなベッドだってある。


 ここへ連れて来られる前、ロビンが「彼」を信じろと言った。

 さすがに、ここまで手厚くフォローされれば、誰の事を言っているのかリンにも分かる。……分かる、のだが。


「うそよ、あんなの。……レグルスが死んじゃったなんて、うそよ」


 認められるのか、といえば、答えは否だ。

 リンの独白は、冷えた石の壁にぶつかって返ってくる。信じたくない現実を自分の声で確認するような格好になって、リンはぎゅっと目を瞑った。


「……また食べてないのかい?」


 人気のない地下に、唯一足しげく通う「兄」の声を聞き、リンの顔が強張った。

 気遣うような態度も心配そうな声も、きっと本当は信じて良いはずなのに、どうしても白々しく感じられてしまう。ごちゃごちゃとした内心を整理できないまま、リンは今日も、不貞腐れたように口をとがらせてしまった。


「……いらない。どうせ食べなくたって死なないわよ。あなたも、わたしが死にさえしなければそれでいいんでしょう?」

「リン……殿下のことがショックなのは分かるけど、ちょっと落ち着いて話を」

「聞きたくないったら!」


 手近なクッションを掴んで投げつける。甘んじてそれを受け止めたヨナは、困り果てた顔で肩を落とした。今更そんな顔をしたって、リンは彼の仕打ちを許せないのに。


「ヨナ、わたし、あのひとだけ生きていてくれればよかったの。他には何もいらなかったの。なのに、どうして?」

「……悪いと思ってるよ。だけど」

「謝られても許せないの。やめて」


 何か事情があったことくらいリンにだって分かる。だから余計に聞きたくないのだ。

 頑なに拒絶するリンに、ヨナの方は何故だか安堵と諦めの入り混じったような顔で肩を竦める。


「そんなに怒るなら、今までどうして君は僕を疑わなかったんだ? 僕は裏切り者の末裔だよ。君に復讐することが目的で近づいてたっておかしくないだろう」

「ヨナに裏切られたと思ったことなんて一度もないわよ」


 あっさり答えてやれば、ヨナは目を丸くして黙り込んだ。微かに唇を震わせ、何か確かめるようにポケットに触れて――はあ、と息を吐く。


「……本気なのか? どうして君たちは……あのね、中途半端な同情は残酷だよ。責められた方が、まだ楽な時だってある。彼に殺されかけたのを忘れたのかい?」

「もう、だからそれは……」


 言いかけて、リンは瞬いた。いつもの如く「ヨナ」を悪しざまに言っているのだろうと思っていたけれど、彼が浮かべた表情は正真正銘の戸惑いだ。

 思えば、ヨナが狼狽えるところを見るのは初めてだった。何もかもに興味が持てず、刹那的、退廃的に生きている――この青年はそういう人だ。早口で多弁で芝居がかった不遜な振る舞いを封じられると、彼はたちまち幽霊のようになってしまう。

 そしてきっと、ヨナをそんな人間にしてしまったのは、リンたち母娘とのすれ違いだ。

 リンは少し表情を改め、首を振った。


「確かに、わたしの首を絞めたのはヨナだった。だけどね、あなたが思ってるのとは違うの。苦しむわたしを見て、彼、やっぱりできないって泣いたのよ」


 ヨナの裏切りについて、確かなことは何も伝わっていないという。彼の処刑を巡る一件が帝国崩壊の引き金となった、それは事実だ。


 ヨナの罪は、リンを暗殺しようとしたことだった。けれどそれは、憎さ故では決してない。当時、八方ふさがりの状態にあったヨナにとっても、また、おそらくはリンたち母娘にとっても、リンの死は彼女たちを守る唯一の手段だったのだ。

 そして、同時にそれは彼の最も望まぬ結末でもあった。だから彼は、結局リンを殺せはしなかった。自ら裏切り者の汚名を被り、リンを一時の間だけ、憐れな被害者とすることを選んだ。それが気休めにしかならないと、分かっていながら。


「わたし、ヨナがいなくなってからも、毎日待ってたのよ。いい子にしてれば、きっと皆帰ってきて、また一緒にお花を見られるって、銀の器に水をいっぱい入れて」

「……たとえ彼がそうだったとしても、僕は彼本人じゃない」

「ええ、だからあなたの言うことは信じないの。あなた『ヨナ』じゃないものね」


 堂々と屁理屈を言い放ち、ツンと顎を上げたリンを、ヨナは穴が開きそうなほど見つめていた。が、やがて肺の中全てを空にするような溜息と共に、彼は曖昧に顔を歪める。


「……結局、悪人になりたきゃ、他人の事情なんて考えてちゃ駄目ってことだよ」


 どいつもこいつも甘すぎる、と掠れた声で呟き、嗚咽なのか忍び笑いなのか分からない音がヨナの喉から漏れた。くしゃりと前髪をかき上げて、頭痛を堪えているような顔で眉間に皺を寄せると、彼は首を振る。


「……認めよう、確かに嘘は吐いてる。ただ、これだけは信じてくれないか」


 信じろという言葉とは裏腹に、彼自身それをリンが信じてくれるとは期待していないように見えた。懇願と諦めが綯交ぜになった表情で、ヨナはリンの前に跪く。


「僕は『ヨナ』を知っているし、君は不完全な魔女なんかじゃない。

確かに、アクイレギアの心臓を、彼女は持っていなかった。千年の後、獅子の太陽を持つ者がその存在に気づき、君を新たな再生へと導けるように。

『予言』は確かに果たされた。これから先は、『預言』の時間だ」

「え、っと……? 待って、ヨナ、どういうこと? 何が何だか……」


 何か大切なことを言われているのだろうが、まるで訳が分からない。

 ヨナはリンの疑問には答えず、ふっと視線を戸口へ向けて立ち上がる。確かに今日は長居が過ぎて、これ以上引き留めては彼が疑われてしまうかもしれない。と、理解はしても、ここで話が終わるのはあんまりじゃないだろうか。

 再びむくれたリンに、ヨナは苦笑を零した。

 けれど彼が言葉を紡ぐより先に、扉が無遠慮に開け放たれる。

 びくりと肩を震わせ、そちらに視線を移す。教団兵らしき鎧兜を着込んだ人物が立っている。こちらから声を掛けるより先に、相手が動いた。顔を覆った兜の奥から、少し籠った声がする。


「時間だよ、二人とも」


 リンは耳を疑った。

 だって、その声の主は。

 今、リンの隣にいるはずなのに。


 鎧の男が兜を脱いだ。

 そっくりそのまま同じ顔をしたが、互いに頷き合い、リンに向き直る。

 

「新王即位だ。戴冠式に乗じて、君は『真の魔女』となる」


 やっぱり訳が分からない。

 混乱極まるリンの鼻を、まるで場違いな、けれどいつか香ったような気がする薔薇の香が、優しく撫でていった。

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