*分岐点*
「……お疲れ様でした。長い夢だったでしょう」
苦笑交じりの声に引き上げられ、意識が浮上する。
旅の間ですっかり聴き慣れた声の主は、少し離れた場所に片膝をついて控えているらしい。こちらが何かを言うまで、そのまま動く気はなさそうだ。
狂言とはいえ、一度は銃口を向けたことに負い目があるのか。それとも、目覚めたレグルスが「誰」か測りかねているからか。或いは、両方かもしれないが。
「ああ。でも、必要だったんだろ?」
敢えて他人事のようにそう告げ、身体を起こした。
少し立ちくらみがしたけれど、大したことはない。リンとの契約事故以降、そういう体質なのだとばかり思っていた魔術への拒絶反応は、最早すっかりなくなっていた。
「そりゃ、二重に呪われてたら負担にもなるか」
呪われた「ような」顔面、なんて、自虐を吐いたこともあったが。
真実、産まれるずっと前から呪われていたのだと思うと、もはや笑うしかない。
巫女アクイレギアは、魔女アクイレギアとして死ぬことを選んだ。
愛しい我が子の幸せだけを願い、いつか視た預言の結実を、千年後へと定めた。
レグルスという名の王子は、彼女に呪われ、彼女に望まれ、この世に産まれ落ちた。
洛陽の日。『魔女アクイレギアは滅ぼせぬ』と、皇妃は高らかに「予言」した。
物語という毒をこの国に根付かせたのは、他ならぬ「アクイレギア」自身。
何一つ、偶然などなかったのだ。冗談みたいなリンとの出会いだって、全て。
理解はできていた。それでも、釈然としないのは、レグルスが「子ども」だからだ。
「……確かに、千年も経ってなきゃ、リンは外を出歩けもしなかったと思うよ。
リンが安全に生きるには、『存在しない皇女』が忘れ去られる必要があった。
ただの人間は千年も生きられない。だから、リンの時間を止める必要があった。
既に視えてしまった預言は取り消せない。だから、千年後の出会いを上書きした。
怒れる民衆を利用して、リンに不滅の魔女の烙印を押し、俺が産まれることを偶然から運命に変えた。
可哀想な人だよ。聖人じゃないが、伝説どおりの悪党でもない。ただの母親だ。
あの人は、我が子の為だけに生きて、死んだだけだから。
それでも俺は、あの人が正しいとは思わない」
怒るか、と。
問えば、困ったような声が返った。
「……怒りたいのは、殿下の方でしょう。あなたにはその資格がある」
「ばか、そっちじゃねぇよ。それも確かに大問題だけどな」
苦笑して立ち上がる。「彼」は何も答えず、レグルスの言葉を待っている。
「最終的にハッピーエンドったって、絵本じゃないんだ。その間が無かったことにはならないだろ。最後に笑えるまで、リンが生きてさえいれば良いと思ったのかもしれないけど。俺には親の気持ちなんて分かんねぇし。分かんねぇから、違うと思う」
「そうするしかなかったとしても、ですか?」
「ああ。俺は意地でも選ばない。『約束』したしな」
行こうと促せば、静かに頷いた青年は、影のようについてくる。
十八年を過ごし、二度と戻ることはないと思っていた「私室」に、今度こそ別れを告げた。
灯りの落とされた廊下を、記憶を頼りに歩いていく道すがら問う。
「ヨナ。もう全部話せるんだろ」
「ええ、お望みでしたら」
振り向くことはしない。
そうか、とだけ答えて、角を曲がる。
「父上は、俺をどうするつもりだった?」
「陛下はレグルス様の心臓を、アクイレギアに捧げるおつもりでした。カーレンバルトと民を守るため、生贄に捧げようと。……ですが、先に動いたのは父と僕です」
陛下へは事後承諾でしたし、それでも最後まで迷っておられましたよ、と付け足したのは、こちらを慮ってのことか。らしくもない、けれども、そうだ。「ヨナ」はこういう子だったのだ。ズレ続けていた像が、少しずつ形を結んでいく。
「なぜ、アクイレギアを復活させようと?」
「教団の野望を阻止するためです。
彼らの目的は魔女アクイレギアを使役し、カーレンの大帝国を再建することでした。預言を叶え、不死者の国として君臨する。そのためには、アクイレギアを教団に取り込まねばなりません。初めはレグルス様、あなたを代用品とする予定でした」
「俺に名前を付けたのは、お前か」
「ええ。エリヤ・オルテスが教団の命により『預言者』として」
二人分の足音は、毛足の長い絨毯に吸われて消える。
声ばかりはいくら潜めても、石の壁を跳ねまわりそうなものだが、こちらも不思議と響かず消える。だから、遠慮なくレグルスは続けた。
「ヨナ・ウルフズベインの記憶が選んだ名を、だな?」
「……はい」
足を止める。重厚な扉の前。振り向いて、呼吸を整えた。
首肯した「ヨナ」を真正面から見据え、迷いなく。
「最後に確認させてくれ。お前は誰だ?」
「……僕は」
緩やかに、ヨナの唇が弧を描く。
泣きそうにくしゃりと歪んだ顔は、これまで見たどんな顔より複雑な色をしていたけれど、もう「のっぺらぼう」には見えなかった。
ヨナ・ウルフズベイン。裏切りの烙印を押された、魔女の一番弟子。
平和の象徴、「鳩」を意味する彼の名も、預言の力の扱い方も、知識や物事の考え方だって全て。与えたのは、彼の最愛の師である魔女アクイレギアだった。
ならば、彼女と同じように、「彼」も考えたのだろう。
いつか遠い未来、贖罪の機会があることを「視た」、彼は。
「そっか。……お前は『戻れなく』なってたんだな」
「……正確には、捨てたんです。『僕』は、エリヤでいることが嫌だった。『僕』にとっての反抗と、僕にとっての贖罪を同時に果たすため、僕らは共存を選んだ」
どちらもが真名であり、どちらもが偽名である。
そんな屁理屈がまかり通ってしまったのは、彼の中に実際「二人」居たからだ。
厳密には、今も『エリヤ』は彼の中に居るのだろう。
本当に捨てることが可能なら、こんなに遠回りし続ける必要はなかった。
まあ、それでも。今、レグルスにとって用があるのは、「ヨナ」に違いない。
所在無げに視線を彷徨わせるヨナに、レグルスは苦笑を向けた。
「二人居たんじゃ、表情と声が一致しなくもなるよなぁ」
「……殿下。僕は僕の意思で、アクイレギアの預言を成就させるために、殿下を『レグルス』と名付けました。あなたの心臓をリンに与えて、リンをただの女の子に戻してやる為に。ようやく見つけたあの子に、銀の器の話をして……塔へ行くよう仕向けたのも。あの子の魔法陣を書き換えたのだって、全部僕です。僕にとって、それだけがリンや彼女への償いになると信じていたから」
「うん。だろうな」
「もう一度言います。あなたには、あなたの運命を呪った『彼女』に、怒る資格がある。そして、あなたに背負わせた僕を、罰する権利もある。……全部知った上で、協力する義務はないんです」
ヨナはそれきり何も言わず、深く首を垂れる。
まるで処刑人に首を差し出すかのような仕草に、レグルスは息を詰め――ふ、と短く笑った。
「んなことやってる場合か? 時間ないんだろ」
お前がしおらしいと気持ちが悪い、と軽口もついでに叩きながら、窓の外を仰ぐ。
今はまだ、何の変哲もない、平和な夜だ。空には今日も暢気に月が輝いている。
しかし、それも今夜が最後となるだろう。否。
最後となるかもしれない、分岐点にレグルスは立っている。
――獅子の太陽を射落とす日。
実際に太陽が撃ち落とされるなんてことはあり得ない。
日蝕の比喩とでも解釈するのが自然だろう。
いつ、どこで、何故それが起こるのかなんて、レグルスは知らなかった。
魔女に連なる不吉な出来事として、禁じられた知識の一つであったからだ。
けれど、今は違う。
レグルスは、ロザリンド・カーレン――魔女アクイレギアの名を得た。
帝国崩壊を招いた魔女アクイレギア。「先代」の彼女が死しても、魔女が滅びないというのなら、「当代」の魔女などリンしかいない。そして、リンの名を握ったレグルスもまた、アクイレギアの一部となった。何でも分かるわけではなくとも、今の彼は、遥かに多くを知っている。
「俺さ、これでも悪知恵だけは働くんだよ。こういうことなら諦めも悪い方だし」
これまでは、確かに全て「アクイレギア」の掌の上で起きた出来事だった。
けれど、彼女は完璧ではない。我が子への愛情表現を間違え、公人としての匙加減を間違え、結果的に国を滅ぼし、後世にまで悪影響を及ぼした。
優れた知性、真っ当な善性を持ち合わせていても、大局で取るべき舵が取れるとは限らない。結果を見れば、確かにアクイレギアは稀代の悪女だったのだろう。
だから、これは、そう。
長く生きただけの、不幸で不器用な母親から、千年越しに助けを求められた。そうして彼女の娘と出会い、レグルス自身が娘と――リンと、共に生きたいと思った。
ただそれだけの話だ。
難しいことなんて、考えていたって仕方がない。
「俺ならできるって、託されたとでも思っておくよ。その方が文句言ってるよりカッコいいだろ?」
冗談めかして肩を竦め、レグルスは笑ってみせる。
上着のポケットを探れば、やはり「箱」はそこにあった。
困ったような顔で佇むヨナに、ほら、と投げ渡せば、彼は訝しげに眉を寄せる。
「……これは?」
「リンの家で見つけた。あいつの持ち込んだものじゃない。お前に返す」
それが答えだ、と背を向け、レグルスは大扉の方へと向き直った。
ヨナはしばらく小箱に視線を落としていたが、え、と小さく声を漏らし、焦点の合わない目で顔を上げる。
動揺が手に取るように分かるその表情を盗み見れば、今日は珍しいものばかり見ているなと、レグルスは苦笑を漏らした。まあ、気持ちは分かるけれど。
魔女の家をぐるりと囲む、巨石の輪。結界なのだとリンは言った。
夕刻になれば影を伸ばして、内から見れば石の鳥籠のようだった。
許すも何も、魔女は愛弟子を憎んでなどいなかったのだ。
彼の行動にどういう意味があったのか、正しく理解していたのだから。
でなければ、大事な娘を同じ場所へ送り出そうとなど、考えるはずもない。
長年信じてきたことと、目の前に放って寄越された「真実」の間で、ヨナは混乱しているようだった。説明を、と視線で訴える彼に、レグルスは目を細めてみせる。
「自分で考えろよ。赤の他人の俺が何言ったって、信じられないだろ。
……ともかく、だ。俺は魔女の呪いに従って生きた。この先、俺の意思で、お前の与えた運命を選ぼう」
「……はい」
「その上で、お前に言いたいのは一つだ」
「はい」
「今度は勝手に死なずについて来いよ」
「……は、……」
何か言いたげに口を開き、ヨナは眉を寄せたまま固まってしまった。
これからやることは既に決まっている。それには彼の協力が必要だった。
時間がないとは言ったって、焦ったところで仕方がない。レグルスがじっと答えを待っていれば、ヨナは心底疲れ果てたように溜息をつく。
「……惨いことを。ようやく終わると思ってたんですよ。まだ働けと?」
「そりゃ預言する相手を間違えたな、ご愁傷様。自信がないか?」
「まさか。誰に向かって言ってるんです」
子供の成長は早いですね、生意気な、なんて。
すっかりいつもの不遜な調子に、諦めと、どこか愉快そうな色を一滴滲ませた顔で。
斑の鳩が、飛び立った。
* * *
翌朝、日が昇ると同時に、その一報はもたらされた。
国王崩御。
皇太子の戴冠は、急ぎ、大聖堂にて執り行われることとなった。
「……親不孝なんて言うなよ」
元々、あんたの計画だ。
独りごち、彼は上がる呼吸を整える。
深い悲しみに包まれる人の群れを、フードを目深に被った「殺人者」が、足早に抜けて行った。
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