7-5

 ノラは気だるげに頬杖をつき、独り言のような調子で呟く。


「ああ、やっぱりそうなの? 聖堂の地下に山ほど生えてるわよ。これで精製した毒薬を親のいない子供にしこたま飲ませて、死ななかったら晴れて魔女ってわけ」


 悪趣味よね、と他人事のように言って、ノラは鼻で笑った。


「ヨナはちょっと事情が特殊でね。実の親が名前を付ける前に誘拐されたんですって。内通者を作る為よ。あたしたち、名付け親には逆らえないから」


 名前は魔女の弱点だというリンの言葉を思い出し、レグルスは眉を顰めた。

 名付け親などとっくの昔に土に還っているリンとは異なり、ノラやヨナのように「魔女」としての名しか与えられなかった子供たちは、その束縛から逃れることができない。


「……じゃあ、あいつにとってはエリヤが本名で、ヨナは嘘の名前ってことか?」

「両方本物よ。じゃなきゃ両方偽ね。本人としては『ヨナ』の方が愛着あるんじゃない? 『エリヤ』にはろくな思い出がないって、呼ぶと嫌がるし……その割にはちゃっかり利用してるけど」


 エリヤ・オルテスという名の魔術師は、名前に縛られ教団には逆らえない。

 しかしそのことが逆に、【母】の油断を誘った。

 彼が教団を裏切れるはずがない――その慢心を逆手にとって、彼は、教団の内通者エリヤ王の密偵ヨナという、二つの顔を持つようになったそうだ。


 ノラが言うには、それはヨナのささやかな抵抗だったという。「エリヤ」は教団の命令に逆らえないが、「ヨナ」として見聞きしたことは包み隠さず彼らに伝える必要はない――凄まじい屁理屈に呆れを通り越して感心するが、これが思いの外ぴたりと嵌った。あまりに彼らしい抜け道の作り方ではないか。


 最初の襲撃の時、刺客に指示を出したのは「エリヤ」だったのだろう。

 教団の命令に反しない範囲で、あからさまに怪しい行動を取って、レグルスに警戒を促し続けた。


 それが王への忠誠によるものかと言われたら、そうだと思えない理由が今のレグルスにはあるけれど、何にせよヨナが終始レグルスにとっての味方だったことには違いない。


 レグルスがノラに視線を戻すと、事情を呑み込んだと判断したのか、ノラは再び指を鳴らした。

 床に落ちたアクイレギアの花が、濃密な甘い香りと共に元の花弁に戻る。


 ノラが指で空気を撫でた。

 現れたのは、蜂蜜色の髪に柔和な顔をした女性だ。


「教団の最終目標はね、【カーレンの魔女】を土台に据えた古帝国の再建なの。

 王妃様がこの国に嫁いできたのも計画の一環。まあ、王妃様は計画どころか自分の血のことさえ嫁いだ後になって知ったみたいだけど」

「……そっか、それであんなこと……」


 みんなが悪い魔女を倒しに来たのよ――手燭の明かりや騎士たちの足音にさえ怯え、夜ごと泣きながら謝っていた母の姿が蘇り、レグルスは表情を曇らせた。

 正しく【カーレンの魔女】であった王妃は、その血のプレッシャーに耐えきれず、我が子の将来を悲観して命を絶ったのだ。不吉な預言を持つ息子を道連れに。


 ふと、預言のことを思い出し、レグルスは首を傾げた。


「……ん? 赤いアクイレギアが教団の花なら、預言者ってのもあいつらなんだよな? 何の為に預言なんか残したんだ? 結局、母上追い詰めて死なせただけだし……母上を魔女にしたかったなら、痛手だったんじゃないのか?」

「まあ痛手は痛手だったろうけどね。何で王妃様が魔女なのよ。あんたでしょ」

「俺?」


 怪訝そうな顔をしたレグルスに、これまた怪訝そうな顔でノラが返す。


「そりゃそうよ。もしかして、毒がどうとか聞いたら怖くなった? あんたの血筋なら問題ないわよ。つーか毒自体はもう貰ってるんでしょ、リンちゃんから。それで死んでないんだから、もう心臓なくなっても生きてられるわよ、あの子みたいに」

「いや、あいつも好きでああなったわけじゃないと思うけど……ってか、そうじゃなくて。何で母上じゃなくて俺? それも顔のせいか?」

「は?」

「は?」


 何だか話が噛み合っていない。

 しばし奇妙な沈黙の中で見つめ合い、ああ、そゆこと……と額を押さえたのはノラの方だった。


「……? 何だよ」

「いや……あんた、リンちゃん本人に何も聞いてないの? 好きな子のことって普通もっと気にならない?」

「!? ば、おま、何でそんな話に」

「そんな話もこんな話もないわよ。この期に及んで茶番もいい加減にしなさいよ。

 ったくもう、あんたね、ガキの恋愛じゃないんだから……いやガキみたいなもんか。若さが恨めしいわ。殴っていい?」


 と言った時には既に手が出ているのだから聞いた意味があったのか。

 病み上がりのレグルスに右ストレートを食らわせて、労わる気があるのかないのか分からない「協力者」は、やれやれと眉を垂れた。


「……分かってないわけじゃないんでしょ。じゃあ何が理由よ? ほら、お姉さんが聞いてやるから相談してみな?」


 冷やかすでもなくそう言って、ノラはどかりと椅子に腰かける。

 その動作が「お姉さん」らしからぬ豪快なものだったので、つい苦笑して眉を垂れ、レグルスは頭を振った。

 これはどうやら「捕まった」らしい。


「別に……大した理由があるわけじゃないよ。俺はあいつのこと好きだし、あいつが俺のことどう思ってるかも知ってる。偶然、ヨナと話してるの聞いちゃってさ」

「ふうん? じゃあ両想いなんじゃない? 言えばいいのに」

「多分信じてもらえない」


 鎖の首輪を摘まんでみせれば、ノラは概ね理解したらしい。額に手を当て、大げさに天井を仰いでみせると、盛大な溜息をついた。


「なるほどね。……けど、何も触れないでいる必要もないでしょ。肝心のことが言えなくても、そんな余所余所しい関係じゃあるまいしさ」

「それは、だって……話したくないから話さないんだろうし、だったら俺だって聞かないよ。誰にも話したくないことの一つくらい、あんたにもあるだろ?」

「そりゃね。だから首突っ込まなかったって? まあ、何も聞かなきゃ傷つけはしないわ。だけど、あの子はあんたに『言いたくない』も言えないような子だった?」

「……それは」

「優しいのは良いことだけどね、あんたもあの子も臆病過ぎるのよ。やってみる前から諦めて、無理だ駄目だってそればかり。もうちょっと相手を信じなさい。お互い、赤ん坊じゃないんだからさ」


 ――とす、と、事もなげに刺された言葉。


 レグルスは目を瞬き、唇を震わせた。


 そうだ。

 初めてまともに手を取り合った「友達」で、大切で、大好きな。

 いつの間にか心の大部分を占めていた、友達以上の彼女から、嫌われたくない。

 あんなにも、ひたむきにレグルスを好きでいてくれるリンの気持ちを、レグルスだって心のどこかで信じていなかったのだ。


 一線引いていたのも、怖がって動けずにいたのも、お互い様じゃないか。


 呼吸も忘れたようなレグルスの様子に、ノラは苦笑を漏らした。


「ま、過ぎたことは過ぎたこと。大事なのはこれからよ。

 あの子を守りたいなら、あんたが一番に名前を見つけなきゃ。誰が何と言おうと、あの子が選んだのはあんたなの。誰にも縛られない魔女が、誰かに名を預けることの意味、あんた、どうせ知らないでいじけてるんでしょ?」

「……いじけてねぇよ。知らないけど」


 いじけてるじゃない、と後ろ頭を小突かれては、返す言葉がない。

 ちら、とノラの方に目を上げれば、彼女はまるでヨナみたいに、大仰に肩を竦めてみせた。


「考えりゃ分かるでしょ。あの子、あんたに弱点晒して逆らえなくなんのよ。それでいいって言ってんの、分かる?」

「ああ、そういやリンも最初そんなこと言って……、……。……ん?」


 よくよく考えてみれば、とんでもないことを言われているのではないか。

 いや、そもそもリンがレグルスに名を預けたいと言ったのは、レグルスが諸々の段階を飛ばしてプロポーズじみたことを告げたその直後で――ああ、では、つまり。


「……こたえ、」

「ようやくお分かり?」

「……」


 レグルスは両手で顔を覆い、無言で頷くと、体中の空気が抜けそうなほど深く息を吐いた。

 顔は熱いし、何だかいろんなところの感覚がふわふわと落ち着かない。間違いなく、これまでの人生で最も間抜けな顔をしているのだろう。


「……会いたい……」

「若いわね」

「うん……」


 呻くように肯定を返すと、ノラは片目を瞑って彼の背を押す。


「……そういうわけだから。覚悟ができたら行っといで。『お空の向こう』にさ」


 そう、約一週間前の時点で、教団は未だリンの名前を知らなかったのだ。

 先手を打って名前を見つけられれば、最悪の事態は避けられる。


「ありがとう」


 リンが残した手がかりは、王妃の墓参りだ。

 母に手向ける花を手に、レグルスはしっかりと頷いてみせた。

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