6-4

 降り積もった雪が照り返す夕日の眩しさに、レグルスは目を細めた。

 代々の王の戴冠式にも使われるという荘厳な大聖堂を前にして、浮かない気持ちで彼は首を竦める。


(何で待ち合わせにここ選ぶかなあ、ロビンの奴……)


 リンが出かけてすぐ、ロビンからの手紙が届けられた。

 思ったより早い時間を指定してきたことを怪訝に思ったレグルスだが、生来の几帳面さが滲み出た筆跡は確かにロビンのものだった。

 だから、彼の都合もあるのだろうとそこは納得したのだけれど、死人が堂々と「聖域」に侵入しているというのはなかなか問題のある光景ではなかろうか。


 所在無げに回廊をうろつき、溜息を吐いたレグルスを、更なる災難が襲った。


 何気なく見やった向かい側、柱の影に人影が二つ。


(……おいおい……)


 男女と思しき二人組はどうやら何事か囁き合っているようだが、抱き合って唇を触れ合せながら「天気の話」もないだろう。距離の近さを見れば、ついさっきのリンとのやり取りを思い出して余計居た堪れない。

 あの微妙な反応を喰らうくらいなら何も言わなきゃ良かったと、今になって猛烈な後悔の念を覚えたが、まさに後の祭りだ。


(……どんな顔して迎えるかな、帰ったら……)


 いっそ脳みそを取り出して丸洗いすれば邪念も一緒に去るのだろうか。


 今のレグルスにとって他人の逢引き現場など目に毒以外の何者でもないけれど、不幸なことに、不自然なほど人気のない聖堂内には物音一つない。

 下手に死角から移動すればあちらの二人に気付かれるだろう。

 それはそれで気まずいではないか。


 最悪だ、と頭を抱えたレグルスは、次の瞬間また別の意味で思い悩むこととなった。


「――ですから、生かしておいて役に立ったでしょう? 殿下を庇って矢を受けるような娘が、自分の為に彼を呪い殺せるわけがないんです」


(……え?)


 睦言にしては物騒な内容に聞こえたが、それより、今の声には聞き覚えがある。

 顔を引きつらせるレグルスをよそに、「彼」と共にいた女がくつくつと低く忍び笑いを漏らした。


「ふふ、そうね。やっぱりお前は誰より忠実なわたくしの【子供】……お前がアクイレギアに誘惑されやしないかと心配していたのよ、エリヤ。ああ、今の名前はヨナだった?」

「お好きにどうぞ、【お母様】。エリヤが猊下のものだという事実は変わりませんから」


 わざとらしさすら感じる甘ったるい声音で言った男が、やはり聞き違いでも何でもなくレグルスのよく知る青年だったと判明し、麻痺していた頭がゆっくりと冷えていく。


(何でこんなところに……? リンと城に行ったんじゃなかったか、あいつ)


 視線は爪先に固定したまま、レグルスは全身を耳にしてヨナと「猊下」の会話を拾う。


「ところでエリヤ、もう一つ……あの憎らしい老害の始末はつきそうなのかしら?」

「ええ、滞りなく。陛下もまさか薬湯が毒だなんて想像もしてないでしょうね」


 ふん、と鼻で笑い飛ばし、女が吐き捨てるように言った。


「油断するのはお止め。あの男も、お前の父親も、年寄りの割に鼻が利く食わせ者だ。上の王子のことにしたって、どうせこっちが欲しがってるのに気付いて死んだふりでもさせたんだろう。学のない連中がいかにも好みそうな美談まで用意して、ご苦労なこと」


 鼻息と共に幾分言葉遣いが荒くなったが、女の素はこちらなのかもしれない。

 ともあれレグルスを「死んだふり」で塔送りにしたことにも、ロビンが即位時にレグルスの名を貰うという件にも、裏ではそんな事情があったのか。


 全ては教団の追及を避けるための目くらましだった。

 そして教団は、どういう理由かは分からないが、レグルスの身柄を欲しがっていた?


 話しぶりから察するには、単なる魔女狩りの一環だとは思えない。

 会話の端々から感じるのは、王への敵意と反逆の意思だ。


 ふてぶてしいヨナの態度に呑まれたのか、女の声は大きくなるばかり。


「それにしても、王妃が心中しようとした時は、お前たちの失策を責めたものだけど……さすがは未来視のウルフズベインね。王子を餌に本物のアクイレギアを誘い出すなんて」

「先祖の話でしょう。僕にそんな大層な力はありませんよ」


 ちょっと人より頭がいいだけです、と悪びれもせず呟いたヨナは、ふとそこで言葉を切った。

 作り物じみたそれまでの甘さから一変、どことなく愉快げに彼は言う。


「ところで……【お母様】はまだレグルス様が欲しいんですか?」

「ほほ、土産は一つで結構だと言ったじゃない。本物が手に入るなら代用品なんて必要ないわ。それより今日にでも本物を捕えてらっしゃい。何かの間違いでアクイレギアが心臓を得ては敵わないもの。まだ真名も分からないというのに」

「……それはつまり、危険要素は始末しろと?」


 ――気付いている。


 柱越しに凍てつくような視線を感じ、レグルスは総毛だった。

 逃げなければと思うのに、金縛りにでもあったみたいに足が動かない。

 女はヨナの言葉に笑うばかりで否定も肯定も返さなかったが、止めないということは「死んで構わない」と思っているということだ。


 不意に視界に影が差す。

 日が陰ったろうか、なんて馬鹿なことは言うまい。


「――まあ、そういうわけなんです。ちょっと死んで頂けますか、王子様」


 忽然と現れた青年に、いつものような笑顔はなかった。

 少し離れた場所にゆったりと歩いてやってきた「猊下」は、嗜虐的な笑みを浮かべて二人の対峙を見守っている。


 不気味なほど無表情のまま、声色だけはやたらと楽しげにヨナは言う。


「実際、ここに来るまでの間、僕を信じなかったのは賢明でしたよ。おかげで僕は主の影に怯えて夜も眠れませんでした。……戻れなくなるって、忠告したのにね」


 そう言った一瞬、ただ冷たいばかりに見えたヨナの眼差しが頼りなげに揺れた。

 いつになく感情的な――それも迷子の子供のような不安の色が浮かび、唇は無音の言葉を紡ぐ。


 レグルスは、目を瞠った。


(……え?)


 密やかな、声にもならない呟きが何だったのか、何故だかレグルスは知っていた。


 己を罪深いと思い込み、自ら断頭台に立った青年の姿が、ぶれるように彼と重なって見える。あの日、あの時、刃が落ちるより先に引き金を引いたのは「わたし」の方だった。


 ただの夢に過ぎなかったはずのものが、急速な勢いで鮮やかさを増し、やがて一つの結論を弾き出す。


「ヨナ、お前まさか……」

「……。さて、『お空の向こう』には何があるのかな。見えたらぜひ教えて下さいね?」


 不自然に人のいない、静か過ぎる礼拝堂に、銃声が一つこだました。

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