6-2

「氷の女王の城みたいなのね」


 戸を閉める音と少女の声にレグルスが振り返ると、ぼんやりとした笑みを浮かべてリンが立っていた。


 現在、二人が滞在しているのは王都ルーネリア、エストレイア伯の別邸である。

 ウルフズベイン公の邸とは別の、ヨナの個人的な隠れ家と言っていいこの別邸は、貴族の持ち家としては慎ましやかで部屋の数も多くない。


「……あの城も千年前と同じなのか?」

「たぶんね。わたしの部屋がそのまま残ってたくらいだもの」

「宝剣だけじゃなくて城も、なあ。帝国の継承者って話、そう外れちゃないのかな」


 おまけに王太子のロビンは魔女の血を引いているのだ。

 いずれは城主までもが元通りになるのだと思うと、不思議な感慨が湧く。


 いつの間にか隣に来ていたリンが、レグルスを見上げて問うた。


「宝剣って、ヨナが皇帝陛下に献上した、あれのこと? まだ宝石も付いてるの?」

「ん? ああ、『アクイレギアの心臓』な。月長石だっけか、あの青白いの」

「うん。わたしの目と同じ色なの。わたし、外に出ちゃいけないって言われてて、あんまり陛下にはお目にかかれなかったから……ヨナが気を遣ってくれたのよね」


 そう言ってリンは懐かしそうに目を細める。

 陛下、と呼んだ時のリンの表情は何とも言えず穏やかで、かつての夫と思しき人物への深い愛情を感じさせた。

 不意に、見てはいけないものを見てしまったような落ち着かなさを覚えて、レグルスは視線を窓の外へ移す。


 既に日は昇りきった後で、徐々に暖まり始めた空気が軒下の氷柱を溶かし、窓の表面を濡らしていた。

 カーレンバルトの短い夏はあっという間に去り、木の葉が色づく間もなく駆け足でやってきた冬が今、我が物顔で王都を白く染め上げている。


 遠目に見える王城も例外なく雪を被り、見る者に冷たく険しい印象を与えていた。かつてあの城にいた魔女が冷酷な女だと噂されたのも、これでは仕方ないのかもしれない。


 王宮の外れにぽつんとそびえる塔を見つけ、そう言えば、とレグルスは問うた。


「なあ、前言ってた『探し物』って結局何だったんだ?」

「え? ああ、あれ。よく覚えてたわね。銀の器なんだけど……諦めたわ、見つからなかったから。鋳つぶされて別のものに使われてるんじゃないかしら」

「銀の? ……やたら花とか蔦模様とかごてごて飾りが付いてる?」


 それなら見かけた気がするのだが、と眉を顰めたレグルスに、リンはぱちくりと瞬いた。


「知ってるの?」

「は? いや、窓際にあったろ。目立ってたから覚えてるよ。新しそうだったし」

「なかったわよ。それに、新しいはずないじゃない。千年も前の物なのよ?」


 確かに、言われてみればその通りだ。記憶違いだったのだろうか。

 会話が途切れ、何となく気まずくなったレグルスに、「あの……」と控えめな声がかかった。迷うように視線を落として口を開いたのは、隣に立つリンだ。


「もう少し、何か……お話しない? その、まだ、時間があるんだし」

「話? いいけど何を」

「そうね……お母さまの話は? あなたのお母さまって、ずいぶん昔に亡くなったのよね。どんな方だったかも覚えてないの?」

「ああ、まあ……窓から落ちた話したろ。母上あれで亡くなったんだけど、頭打ったせいで俺、ほとんど忘れちゃって。むしろロビンの方が覚えてんじゃねえかな」


 母のことを思い出そうとすると、脳裏に過るのは、品のいい香水の匂いと柔らかな絹の感触、それから内臓が浮き上がるような不快感だ。

 高所は割と早い段階で克服したレグルスだが、母親の記憶に付随する数々については未だに触れられずにいる。母と同じ金髪も、好きにはなれずとも、憎いわけではなかった。ただ、罪の証のようで恐ろしかったのだ。

 無意識に額の傷を撫でながら、レグルスはぽつりと言った。


「……本当は思い出したくないだけかもな。俺が落ちたせいで母上まで巻き添え食ったのかもしれないし、逆かもしれないけど、どっちにしろ守れなかったからさ」

「けど、あなたまだ小さかったんでしょ? あなたのせいだなんて、そんなの……」

「それでも。……それでも悔しかったんだ」


 その言葉を最後に沈黙が降りる。

 せっかく久々に何気ない会話ができていたのに、いきなりこんな空気になってどうする、とレグルスが内心頭を抱えたところで、ふわりと優しい花の香りがした。


 見れば、リンがレグルスの肩に寄りかかって、何やら必死で背伸びしている。


「……何してんだ?」


 謎の行為に眉を顰めると、リンはハッとこちらを見て急にわたわたし始めた。


「えっ。い、いやその、これはお姉さんとして……あの……もーっ、レグルスまたちょっと背伸びたでしょ! かっこつかないじゃないの! 屈んで!」

「はあ?」


 何が気に障ったのかさっぱり分からないが、開き直って逆切れし始めたリンにひとまず従い、レグルスは少し腰を落とした。

 怪訝そうなレグルスに対し、リンは満足げに鼻を鳴らして頷くと、すっかり長くなってしまった蜂蜜色の髪にそろりと手を伸ばす。


 妙に畏まって居住まいを正すと、リンは一つ咳払いした。


「えっと……こほん。……よしよし」


 そんなことを言いながら、冷たく柔い掌がレグルスの頭を撫でる。撫で方が優しすぎるせいでくすぐったいのだが――これは、慰めているつもりなのだろうか。


「……変な奴だよなあ、お前ほんとに」


 貶すような言葉とは裏腹に、むず痒い温かさが胸の中に広がって、レグルスは相好を崩す。堪らず抱き返すと、さすがに驚いたのか、ひゃあっと色気のない悲鳴が返ってきた。抗議の声には構わず、屈めていた腰を伸ばし、そのまま抱き上げると、おもちゃみたいな青いリボンで結われている髪に顔を埋める。


 小花模様の質素なそれは、レグルスが露店で買ったものだ。結局あの日は、頭を整理するのに時間がかかり、帰るのが遅くなってしまった。その詫びだ、と無理やり理由を付けて渡した土産を、リンはいたく気に入って、あれから毎日付けている。


 そのこと一つ取っても、どれだけ素直に好意を向けられているか分かるのに。

 どう伝えれば理解してもらえるのかと、何度目かも分からない堂々巡りに、レグルスは息を吐いた。もう、どうにでもなれ。


「……俺な、子供の頃、騎士になるのが夢だったんだ。母上は守れなかったけど、騎士になれば父上とロビンのこと守れるし、兜被れば顔なんて分かんねえからって」


 たとえ誰にも知られず顧みられなくとも、父や弟の役に立てればと思ってきた。

 彼らから母を奪った「疫病神」のレグルスにとって、剣の道を選ぶことは唯一の贖罪のように思えたのだ。――必死で磨いたその腕は、結局家族の為に振るわれることはなかったが。


 腕の中でかちこちになっていたリンを下ろしてやると、頼りなげな声が問うてきた。


「じゃあ……もし許されるなら、やっぱり今も、騎士になりたいの?」

「最後まで聞けって。今はな、お前の為に生きたいんだ。お前が嫌じゃなければ」


 リンの頬に手を滑らせ顔を上げさせる。半開きの小さな口が、ひゅ、と息を呑んだ。


「そ、……そうなの? それは、まあ……いやじゃ、ないけど……ない、けど……」

「けど?」

「う、ううん……何でも……」


 分かり易く狼狽え、「深い意味はないわよね」などと自分に言い聞かせるように呟いていたリンは、ちらとレグルスを見上げる。


「でも、あの……ありがとう。そんなこと言ってくれたひと、あなたが初めてよ」

「……そうでもねえだろ。お前の為なら何だってする男、今まで大勢いたんじゃないか」


 ――例えば、ヨナや「皇帝陛下」のように。

 つい不貞腐れて目を逸らすと、リンは少し悲しそうに首を振る。


「まさか。わたしの大事なひとたちは、わたしのために『生きて』はくれなかったわ」


 自嘲を滲ませた声で呟くと、リンはすいと小指を差し出す。その意図が分からずきょとんとしたレグルスの手を取って、小指同士を絡めると、歌うようにリンは言った。


「だから、約束してね。ぜったい、わたしより先に死んじゃだめよ」

「……これは?」


 小指で繋がった手を軽く上げて示すと、リンは小首を傾げて微笑んだ。


「指切りっていうの。おまじないよ。あなたが約束を守ってくれますようにって」

「ふうん……」


 道具も呪文も必要ない簡単なおまじないもあったのか、と感心していたレグルスは、控え目なノックの音にリンと目を見合わせた。リンが登城する時間が来たらしい。

 門番に顔の割れている「死人」が堂々と正門から入るわけにはいかないので、レグルスの方は、ロビンに連絡を貰ってからこっそり父の元へ向かう手筈になっている。


 迎えの者に返事をして、リンはしばらく俯いていた。どうしたのかと見つめていれば、何やら緊張したような面持ちで、彼女は顔を上げる。


「あっ、あのね、わたし、行きたいところがあるの。帰ったら一緒に来てくれる?」

「ん? ああ……いいけど。どこだ?」


 繋いだ小指の先をじっと見つめ、リンは寂しげに眉を垂れた。


「……あなたのお母さまのお墓」

「墓参りってことか? どうして?」

「わたしの名前、あなたに持っててほしいから」


 どういう意味だと聞き返す間もなく、リンはするりと小指を解いて踵を返す。

 戸が閉まり、足音が遠ざかり、室内に静寂が訪れてやっとレグルスは小さく息を吐いた。最前のやり取りを思い出すと、自然、視線は力なく床の上に降りて行った。


(……。流された、よな、今)


 あれだけやっても押しが足りなかったのかと肩を落とせば、さっきまでリンと「指切り」していた片手が目に入り、誘われるように小指に口づける。

 本当に触れたいのは、珍しく薄桃色の紅が引かれていた唇の方だと言えば、さすがに気付いてくれたろうか。「深い意味」なら大いにあったのだと。

 いつまでだって傍にいたいし、リンのどんな顔だって独占していたい。離れるなんて考えたくもない。


(……けど、名前持っててほしいって、もう要らないってことなのかな)


 リンの方から名前探しを――契約解除を勧めてくるなんて、遠回しに拒絶されたとしか思えなかった。あんなに疎ましかった契約も、今となってはリンの隣にいる唯一の口実だというのに。それまで取り上げられては、どうすることもできないではないか。


 冴え冴えとした輝きを放つ「首輪」を恨めし気に見つめ、レグルスは溜息を吐いた。

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