空の向こうに天国はない

6-1

「……何してんだ?」


 木に背を預けてうとうとしていたレグルスは、寝ぼけ眼を擦りながらヨナに問うた。

 旅を始めた頃は短かった夜も、この頃はずいぶんと長い。

 今は何月頃なのだろう。初めの街で予定外に足止めされた為、立ち寄るはずだった街や村を幾つか素通りして先を急いだこともあり、日付の感覚はとうに狂ってしまっていた。


「明日の確認を少々。何もなければあと数日で王都ですからね」

「そっか。……王都かぁ」


 長かったな、と独り言のように言ったレグルスに笑みを返し、ヨナは再び地図に視線を落とした。

 魔女と死人のお目付け役を命じられた彼は、野宿が続く間はこうして明日の旅程確認と言う名の寝ずの番をし、街に着いたら忙しく走り回って仕事に勤しんでいる。

 自ら有能だと称する誇りゆえか、疲れなどおくびにも出さないけれど、これではいつ眠っているのかと心配にもなるというものだ。


 へらへらと掴みどころがなく正直気の合わない相手だが、働きづめで倒れられても寝覚めが悪い。

 ここは自分が歩み寄るべきかと、意を決してレグルスは口を開いた。


「……なあ、俺が起きとくからさ。お前、ちょっと寝れば? 最近ずっと徹夜だろ?」

「おや。人間的には信用できなくても能力的には信じて頂けてるつもりだったんですがね。あっもしかして僕のことオッサンだと思ってます? やだなー僕まだ若いのにー」

「……。お前な、人が気遣ってやればすぐそういう……」


 げんなり眉を寄せたレグルスを見て気をよくしたのか、ヨナはぺらぺらとまくし立てる。


「いいんですよ王都に帰ったら知り合いの女性に労ってもらう予定ですから。僕これでも結構もてるんですよ、性格ねじ曲がった根暗が好きだなんて物好きだと思いません?」


 自慢なのか自虐なのか判別の付かない言葉を吐いて、鬱陶しいほどいい笑顔を浮かべたヨナとは逆に、レグルスはますます眉間に皺を寄せる。


「……お前さ、何で俺にそんな嫌われたいんだよ。わざとやってんだろ」


 レグルスは片膝をついて座り直すと、溜息交じりに問うた。

 実のところ、前々から尋ねてみようと思っていたのだ。丁度いい機会だろう。


 先の襲撃事件について完全に疑いが晴れたわけではなかったが、少なくともあれ以降、命の危機を感じるような事態は起こっていない。

 それというのも、ヨナが先回りで危険を潰している為だ。


 正体不明の追手の動きをどうやって把握しているのかと不審になるくらいの有能ぶりだが、さりげなく問い詰めても彼は疑惑を否定も肯定もしない。

 おかげで逆に怪しくない気がしてきて、最近はうっかり警戒を忘れ熟睡してしまうこともしばしばだった。


 それが狙いなのではと思わなくもなかったが、そこまで疑い始めたらきりがない。


 とにもかくにも、ヨナにはレグルスに信用されようという気がまるでなかった。

 それどころか嫌われたいようにすら見える。

 単に男が嫌いだと言うのなら無視しておけばいいのだ。わざわざ構うくせに、歩み寄られるとああして逃げ出す意味が分からない。


 虚を突かれたようにヨナは黙り込んでいたが、やがて苦い笑みを浮かべて眉を垂れた。


「……ばれてましたか。油断したなあ、殿下もうちょっと鈍いと思ってたのに」


 長い灰茶の髪を指で弄びながら、常に人の三倍速で舌が回る彼にしては珍しく、ぽつり、ぽつりと噛み締めるように呟く。


「鳥籠の夢をね。見るんです。……だから、かな。強いて言うなら」

「……えーと?」


 レグルスの面食らった顔を見て、ヨナは密やかに笑った。

 初めて真正面から目が合ったけれど、濃紫の瞳はどうしようもなく空虚で、ぽっかり空いた穴を見ているようだった。


「殿下は主によく似ているから。夢を見るたび、貴方に許されてはいけない気がして……それで、憎まれてないと落ち着かないんです」


 そう言って、ヨナは目を伏せる。溜息のような息を吐いて、彼は小声で付け加えた。


「でも、いつかは許されたいのかもしれないな。眠るのが怖いのも、もう疲れたから」


(だから率先して徹夜してたのか……)


 許す云々はやはりよく分からないが、眠る暇がないと言うより眠りたくないらしいとはさすがに理解できた。

 焚火の明かりに照らされたヨナの横顔は、思いの外寂しげだ。


(けど、鳥籠?)


 そっちの単語は、残念ながらさっぱり意味が分からない。

 ……もしかすると、彼は働きすぎて精神的に追い詰められているのではなかろうか。おかしな夢を見るせいで眠るのが怖くなるほどに。


「あの……よく分かんねえけどあんま思い詰めんなよ? 俺が代わりに許そうか?」


 我ながら間の抜けた申し出をしてしまったとレグルスが思ったのは、きょとんとしていたヨナが思い切り吹き出した後だった。


 腹を抱えて笑い転げるヨナの姿は滅多に見られるものではないが、ここまで笑われるとレグルスも居た堪れない。


 散々笑った後、心成しか、以前より少し柔らかくなった眼差しでヨナが顔を上げた。


「いやあ感慨深いものがありますよ、木刀振り回しちゃ陛下に拳骨もらって泣いてた子がそんなこと言い出すとは……あの環境でこれだけまともに育つなんてほんと図太い神経してるというか清々しい馬鹿というか良い子の不良というか真っ直ぐ曲がってるというか」

「は!? 拳骨って何で知って……じゃねえ! お前が言うな特に最後! 馬鹿にしてんのか!」

「えー殿下の頭って帽子乗せるだけの飾りなんですか? こんなに褒めてるのに」

「誰の頭が飾りだ! どこをどう考えたら褒めてんだよそれ!」


 どう少なめに見積もっても、七割は罵倒で表現されていた気がするのだが。


 芝居がかった様子で肩を竦め、ヨナが苦笑交じりに言った。


「冗談は置いとくとしても、個人的には殿下のこと嫌いじゃないですよ、本当に」

「……からかっておもちゃにするのが楽しいからだろそれ」


 じとりと横目で睨むと、それもありますけど、と半笑いで肯定したヨナは首を振る。


「僕にとってリンの笑顔が一番の幸せですから。感謝してますよ。殿下の傍にいるこの子はいつも楽しそうだし……おかげで昔より食欲も出て、明るくなりましたしね」

「……こいつ、前からこうじゃないのか?」


 思いもよらない言葉に、レグルスは目を丸くした。

 基本的に大食いで一つの気分が長続きしないリンが、食べずにどんよりし続けているという方がレグルスには想像できない。


 ヨナは困ったように眉を垂れ、首肯した。


「以前のリンがどうだったかは知りませんが、僕と初めて会った時にはにこりともしない子でしたよ。心臓がなくなって千年、まあ、いろいろあったんでしょう」

「いろいろ、なあ……。……ん? そういやどうしてこいつ心臓ないんだ?」


 今日も寝息一つ立てず、文字通り死んだように眠っているリンを見て、レグルスは首を傾げる。

 こういうものだと早々に納得してしまったせいで尋ねたことも無かったけれど、考えてみれば謎だった。

 この状態で生きているということ自体不自然だし、先日盗み聞いた会話から察するに、魔法が関わっているのはまず間違いないのだが。それなら、出会った時の「王族のキス」で、鼠化と一緒に解けていてもおかしくない。


 レグルスの問いを受けて、物思うようにリンを見つめていたヨナは、静かに目を閉じた。


「そうですね。これは仮定の話ですが……たとえば魔女の美貌を嫌う人間が、千年もの間ずっと彼女の姿を美の基準としていること。おかしいとは思いませんか?」

「はあ? それがどう関係……」


 首をひねり、レグルスははたと口を噤む。

 関連性はともかく、確かにそれも妙と言えば妙なのだ。

 レグルスだって昔、何度も理不尽に思ったではないか。美醜など時代と共に移り変わる基準に過ぎないはずなのに、どうして自分が「魔女」なのか、と。


 魔女アクイレギアは、悪だとされた。しかし、彼女を醜いと言う者はいない。

 美しいものを悪だと断じる人々は、その一方で、魔女の美貌に価値を見出している。


 大きな戦が起こり、魔女狩りが横行し、魔法が失われ、文化が途切れ、遂には女帝の城の所在すら分からなくなって尚、アクイレギアは「美しい」。それなのに、「至上の悪」だ。


 こちらを見ているようで、全く見ていない空っぽの目を細め、ヨナが言う。


「以前申し上げましたね。『悪い名前と言葉は人を縛る呪いだ』と。今の喩えに関しては皆で自縄自縛になってるだけですが、これが他人に向くと手におえませんよ?」

「……じゃあ、リンの心臓って」

「ええ。きっかけは他にあるはずですが、『アクイレギアは心無い魔女』だと誰もが信じているせいもあるでしょう」


 やはり物語は毒ですよ、と無感動に付け加え、ヨナは口を閉ざした。「悪い言葉と名前は人を縛る呪い」――まさにその通りだったのだ。

 それと知らずリンを呪ってきた多くの人々の中には、レグルス自身だって含まれている。


 たった十五歳で全てを与えられ、そして失った魔女は、何を思って永遠に近い時を生きたのだろう。

 自身を呪った人間を何故、それでも救おうとするのだろう。

 知らず息を詰め、絞り出すように吐くと、レグルスは渋面を浮かべた。


「でも、だったら新しい物語とか……別の言葉でどうにかなったりしないのか? 魔女伝説が毒なら、打ち消す薬になるような、新しい話を付けてみるとか……」

「んー、難しいでしょうねえ。劇薬には劇薬で、不死の魔女を滅ぼしたとかそういう強烈な英雄譚でもあれば別ですが。でっち上げるにも、元になる事実がなきゃ限界がありますし」


 残念だが理屈としては分からないでもない。

 そういうものかと頷きかけたレグルスだったが、ふと引っかかるものを感じ、片眉を上げて問うた。


「それにしてもお前、さっきからやたら詳しいな。家に資料とか残ってんのか?」

「まあそんなとこです。あと僕とんでもなく優秀ですから大抵のことは知ってます」


 にこっと笑ってそう言ったヨナにたじろいで、レグルスは息を吐いた。

 深く聞かれたくない話題になると彼がこうして煙に巻こうとすることくらいもう分かっている。そういう時は食い下がっても無駄だ、ということも。


 疑わしいのも気が合わないのも確かだが、昔ほどは、この胡散臭い青年が苦手でも嫌いでもないかもしれない。

 それを認め、レグルスは苦笑して言った。


「優秀なのは分かってるよ。だから心配してんだ。休む時は休めよ」

「わあ。心配とか本当やめてくださいゾッとする」


 そう言う割には楽しげに含み笑いを漏らし、ヨナは大きく伸びをした。


「ま、帰って早々うちの狸に目の隈笑われるのも癪ですし、お言葉に甘えましょう」

「ああ。魘されてたら遠慮なく叩き起こしてやるから、安心して変な夢見てろ」

「おやそれは頼もしい」


 片眉を上げてそう言うと、ヨナはレグルスに背を向ける。

 すぐに聞こえてきた規則正しい寝息と、リンが時折むにゃむにゃ呟く寝言を聞きながら、レグルスは目を伏せた。


(ほんとにこいつ、リンのこと大事なんだな。リンもヨナにはべったりだし)


 良いことなのだろうが、何だか面白くない、とレグルスは口をへの字に曲げる。


 ヨナはああ言ったものの、リンが安らいだ笑みを見せるのはむしろヨナの前での方が多い。

 話しかけても上の空だったり悲鳴を上げて逃げられたりと、この頃レグルスはリンに避けられ続けているのだ。知ってしまったリンの内心を思えば、無理もないことかもしれないけれど。おかげで、最近やたらと二人きりが気まずい。


(……一緒にいたいのは俺だけなのかな、結局)


 もしもリンが一人で森に帰ると決めてしまったら、二度と会えない可能性の方が高い。

 リンの隣がいつも自分の居場所とは限らない――今更そんな事実を突き付けられて、レグルスはかつてないほど狼狽えていた。


 無情にも旅は終わりに近づいている。

 父の顔を見た後、今度こそきちんと身の振り方を決めなければならない。

 ただ漠然と逃げだせればいいと考えていたあの時とは、状況も気持ちも何もかもが違っていた。


 レグルスがリンを変えたと言うけれど、きっとリンだってレグルスを変えたのだ。

 その変化も、彼女を好ましく思う気持ちも、やっぱりレグルスは「自分のものだ」と思うのだけれど、リンは彼がいかに言葉を尽くしたところで信じないのだろう。


 言っても信じてもらえないなら、どうしろと言うのか。

 相変わらず、その答えは出ないまま。


 天を仰ぐと、白み始めた東の空では、星が淡く瞬いていた。

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