5-3

(ああもう、口を開けばヨナ、ヨナ、って!)


 苛々と道端の小石を蹴飛ばして、レグルスは眉を寄せた。


 反動でずり落ちそうになったフードを深く被り直し、零れた金髪を注意深く奥に押し込む。

 背を丸めて歩くのは性に合わないけれど、ここがカーレンバルト領内である限り、レグルスが顔を出して堂々と表を歩くのは、あらゆる意味で褒められたことではない。


 夜の静けさとは打って変わって、出店の立ち並ぶ大通りはなかなかの賑わいを見せていた。子供連れの若い夫婦や連れ立った少女たちの笑い声があちこちから聞こえてくる。

 とてもじゃないがそんな雰囲気を楽しむ気になれないレグルスは、顰め面で人の流れに身を任せていた。


 重々しい鐘の音にふと視線を上げれば、教会の尖塔が目に入る。


(相変わらず厭味な……)


 塔の先を憎らしげに見上げ、レグルスは舌打ちを一つ漏らした。

 簡素ながらも美しく、温もりの感じられない、ずっしりと重々しい教会の佇まいを思い出すと、苛立ちがこみ上げてくる。


 個人的な恨みもさることながら、美しく冷酷で威圧的な魔女を先陣切って弾圧する組織が、あんな建物をあちこちに建てていることが、レグルスにはかねてより解せなかった。

 赤い星の上に白い花があしらわれた教団の紋章の方が、事実、本物の魔女リンより余程目立つのだ。


 十数年前に新たな女教皇が誕生してからというもの、教団の異端狩りは激化の一途を辿っている。

【悪魔よ去れ、魔女よ滅びよ、人の正義よ永遠に】――若き指導者が打ち出した方針は平和に飽いた有閑階級に刺激を与え、分かり易い「正義」で民衆を虜にした。


 それを苦々しく思う気持ちも後押ししてか、レグルスの中でリンの存在が大きくなるにつれ、教団に対する不信感は募るばかりだった。

 初めてできた友人を喜ばそうと「人助け」を買って出た魔女アクイレギアは、子供っぽいところこそあるものの、基本的に善良な娘である。


 彼女が残酷な人間だとは、レグルスには最早思えなかった。


(……でも、自分があんな風に「守られる」のはな……間違っちゃないんだけどさ)


 不意にそんなことを思い、死なないから平気だというリンの言葉が蘇る。

 確かに不老不死のリンが一般人のレグルスの盾になるのは合理的な手段だったのかもしれないが、庇われたこちらの身にもなってほしい。


 華奢な身体はどこもかしこも脆く柔らかいばかりで、おおよそ頑丈とは言えない頼りなさだった。

 魔女だろうが何だろうが女性には違いないのだから、もう少し彼女は自分を大事にすべきだと思うし、荒事では大人しく守られてくれた方がこちらの気が休まるということもある。

 この先ああやって王都まで「守る」つもりなら、そんなのは死んでも御免だ。


 いつか一言言ってやらねば、と決意を固めたところで、レグルスは今しがたリンに突き付けられた「顔見たくない」という言葉を思い出した。


「……。嫌われたかな……」


 途端、勢いを失って深々とした溜息が漏れる。

 特にこれといって嫌われるような原因は思いつかないのだが、あの夜いつもより強めに怒鳴ったせいで怖がられたのでは、という可能性は捨てきれない。むしろそれしか心当たりがない。

 ただでさえ大怪我の痛みに耐えていたリンに、馬鹿だ何だと追い打ちをかけるようなことを言って叱りつけたのだ。小さくひ弱なリンと自分では、それなりに体格差も腕力の差もあるのだから、本能的に恐怖を感じてもおかしくはないだろう。


 思った以上にショックを受けている自分を誤魔化そうと、レグルスは辺りを見回した。

 さっきの場所に比べると人通りは少なくなったが、その分人々はのんびりと露店の前で立ち止まり、思い思いに品を眺めているようだった。


(せっかくだし、何か土産でも買ってくか。……いらないって言われたら切ないけど)


 前に着ていた服や、身に着けていた装飾品の類を売ったレグルス個人の「お小遣い」をポケットの中に確かめて、彼はふと少女の群がる露店の一つに目を留めた。

 大きめの鞄の上に布を敷いて商品を並べただけの、屋根すらない露店の店主は、日に焼けた顔に営業用の笑みを浮かべて「いらっしゃい」と歯を見せる。

 店の前に膝をつき、レグルスが手に取ったのは、髪結い用と思しき女物のリボンだ。


「兄ちゃん、贈り物かい? 恋人? それとも妹さんか?」

「いや。友達に、ちょっと。喧嘩みたいになったからさ。お詫び、かな」


 喧嘩というよりレグルスが勝手に腹を立てて出てきただけなのだが、まあ、リンの機嫌を取りたいという意味ではそう遠くもないだろう。

 店主の冷やかしを軽くいなして、顔を覗き込まれないよう、羽織ったマントを口元まで引っ張り上げる。


 何色も並べられたリボンの中からレグルスが最初に選んだのは、群青色の生地に小花柄が刺繍された幅広のものだった。

 材質や縫製こそあからさまな安物だけれど、それが却って素朴な手作り感を増し、田舎風の味わいを感じさせる。

 海の色を写し取ったようなその青は、リンの銀髪や薄青色の瞳にもぴったりの色だ。


「どんな子なんだい? こういうのが好きなら、小さい女の子かね」

「小さいは小さいけど……一応俺より年上だよ。小柄で、肌が白くて、ねず……じゃない、小動物? みたいな……可愛い感じだから花柄が似合うと思ったんだけど、子供っぽいか?」

「……いやあ、そんなこたぁないんじゃないかね」


 店主の相槌に笑みの気配を感じ、レグルスはムッと眉を寄せた。


「何だよ」

「ああ、すまんすまん。ただ、兄ちゃん、急に声柔らかくなっちゃって、いやぁ若いって良いなぁ。本当にただの友達なのかい?」

「……友達だってば」


 少々決まりが悪くなってぼそぼそと答えると、店主はそれをどう受け取ったのか、にんまりと笑ってレグルスの手に先の青いリボンを二つ押し付ける。


「はいはい、分かってるよ。一つはおまけだ。頑張れよ。男は度胸だぞ」

「だからそういうんじゃねえって言ってんだろ」


 ――声が柔らかいなんて、そんなに駄々漏れだったのだろうか。リンじゃあるまいし。


 確かにリンのことは憎からず思っているし、リンの顔を思い出すと心がほっこり和むけれど、それとこれとはまた別だ。

 このリボンは先日怒鳴ってしまった詫びであり、部屋を出られないリンへのお土産であって、彼女の気を引こうとかそんな浮ついたものでは――


(……誰に言い訳してんだ俺)


 仏頂面で店主に代金を渡し、レグルスは雑念を追い払って立ち上がる。

 誰がどう思おうと、リンとは友達でしかないのだ。リンにとってレグルスは年下の友人以外の何者でもなく、失言も「子供の戯言」で容認されてしまうような存在なのだから。


 そう思ったら妙にやるせない気持ちがこみ上げてきて、レグルスは肩を落とした。

 背中を丸めて歩くのは性に合わないが、今なら自然とできそうな気がした。

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